2011年6月29日水曜日

ゴールドラット博士の死を悼む

 「ザ・ゴール」で一躍日本のビジネス従事者の
 脚光を集めたゴールドラット博士が6月12日に
 急逝されました。
 
 私は博士の書かれた著書を何冊も読ませていただいて、
 博士はすごい方だ、天才だ、と敬服しておりました。

 方法論屋の端くれとしての私から見て、
 博士が提唱されたTOCのコンセプトが
 たいへん素晴らしいのですが、
 その方が小説も書け、もともとは物理学者で
 コンサルタントとしても有能で、と驚嘆に値する方でした。

 私自身は一度お会いして片言で少しお話をさせて
 いただいただけですが、
 博士が自分の後継者だと言われる岸良祐司さん
 (日本TOC推進協議会理事)からのメールを
 少し長いのですが、
 そのまま以下にご紹介させていただいて
 博士への追悼とさせていただきます。

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 悲しいお知らせがあります。

 数時間前、ゴールドラット博士が亡くなりました。
 家族全員に看取られての穏やかな最後だったそうです。

 もともと、博士はデフォールトで、生まれて以来、
 血液の病気の問題を抱えていて、
 血液の赤血球が通常の人よりもはるかに多い
 (血の気が多い?)という病気を持っていました。

 通常は血栓ができやすく、生きているのが
 不思議だと言われてるほどなんですが、
 一方で、血液の凝固がされにくいという病気をもっており、
 このバランスが絶妙で生きていたんです。
 
 これは今に始まったことではなく、いわゆる持病なんですが、
 定期検査で4月に医者に行った時に、
 偶然、肺がんが見つかり、治療中でした。

 ただ、血液の問題があり、放射線治療を普通のよりも難しく、
 治療は困難を極めていました。
 本人は、放射線治療の影響で今、ハゲてしまっても
 「ハゲの友達がもう一人増えたな!」
 (南米担当の側近JのJavierががハゲてるんです)。

 ガンにかかっても、博士は、博士。
 博士は、自らの体の変調を、Cause&Effectで分析していて、
 血液の病気と組織の病気についてのメカニズムとか、
 医療システムの問題とか、
 相変わらず子供のようにイキイキと分析していたのは、
 ほんの1週間前のことです。

 実は、博士は、60才を迎え、健康だったときにも、
 死を意識して、"I hear clock"と言って、
 100-200年後に、他の人ができないことだけすると、
 自らの生き方を決めてきました。

 「60才から、自分の寿命を意識して、
 毎日を暮らしていたのは知っての通り。
 肺がんにかかって、
 自らの生き方を再度じっくりと考えたが、驚いた。

 もしも限られた時間しかなくても、
 自分の毎日の暮らしを変える必要がないことに気がついた。
 それほど充実し、意義のある暮らしを毎日していることに、
 改めて気がつかされた。

 たとえ、今、私がいなくなるとしても心配することはない。
 TOCを通じてすばらしい家族がてきたこと。
 そして、私の肩の上に立って、進んでいくことを確信している。
 心配なのはわかっているし、とてもうれしい。
 
 でも、みんなもわかっているように死ぬつもりはまったくない。
 これからも、みんなのジャマをするので、
 そっちを心配したほうがよいぞ!」
 
 実は、先週もずっと博士と一緒でした。
 今週末から始まるTOC国際大会に博士が出られないので、
 世界中の側近が集まって、
 博士の代わりにセミナーをすることになり、
 博士の指導を受けてました。

 博士は、朝から晩まで、本当に精力的。
 実際朝10時からー夜9時まで議論したあと、
 夕食たべてから、また10時から議論したいと言われたりして・・・

 博士と話すと、脳みそをものすごーく使うんで、
 みんな本当にヘトヘト・・・

 エリの体調のこともあるけど、我々の体力(脳力)がついていかず、
 翌日に持ち越すのを許してもらったほどでした。

 その内容は、
 「いかに偉大な人物の偉業から学ぶか」ということでした。

 「科学は、偉大な人物の偉業から学び、
 その「巨人の肩の上に立って」進化していく。

 そのプロセスをつまびらかにしていき、
 我々が、知識を今後も発展させていくことを可能にする
 ロジックを教えてくれました。
 それが彼の最後の遺言となったわけです。

 それはシンプルに"Never say I know"です。
 「人はもともと善良である」
 「ものごとは、そもそもシンプルである」
 「あらゆる対立・矛盾にも妥協ない解決策は存在する」

 この3つを信念に、博士は今まで理論を築いてきました。

 そして、もう一つ、Never say I know
 「わかっているとは決して言わない」
 という大切な信念を語ったのです。

 この信念こそが、常に知識体系を進化させる
 エンジンとなっていくというものでした。

 この知識体系はかなり濃密なもので、
 ロジックもクリアーに示されてます。

 来週、ニューヨークで開催されるTOC国際大会では2日間費やし、
 世界中のトップエキスパートに共有されます。

 実は、その内容のほとんどが、
 私がここ数年やってきたことのロジックで構成されていて、
 みんなの前であまりに、
 YUJIという名前が出て、みんなの前で褒められてしまい、
 ちょっと当惑してしまいました・・・

 You make my life meaningful. 
 おまえが私の人生を意義のあるものにしてくれた。

 彼はやさしい目で私に語りかけてくれました。
 本当に光栄なことです。

 博士は厳しい師匠でもありました。
 いつも「私を超えなさい」と途方もない要求をしてきます。

 博士に「いつか博士を超えることができるのだろうか?」
 と質問しました。
 博士は、次のように話をしてくれました。

 「おまえならできる。
 日本という国を真剣によくしようと動いている。
 一市民なのに、
  国の政策を変えるようなことをできる人間は世界中にそうはいない。
 (国土交通省で私が実践している
 「三方良しの公共事業改革」のことです)

 初めて会ったときに、おまえなら世界を変えられると言って、
 誘ったのは覚えているだろう。
 世界中の多くの人間が
 おまえと同じようなことをしようと活動を始めている。

 今日だって、私が話したロジックのほとんどは
 おまえがつくったものなのは、誰もがわかっていることだ。
 私の見込みは間違っていなかった。
 確かにおまえは世界を変え始めているのだ。

 でも、それが、私を超えられる理由ではない。Yuji、おまえは、
 私よりも、いい先生をもっているだろう!」

 どこまでもチャーミングな人でした。
 死を意識したときに、自分の生活をまったく変える必要がない。
 それほどまでに充実している自分の人生を実感し、
 改めていかに自分が幸せかを感じる。

 そんな人生を暮らす博士。
 その偉大さに改めて感動しました。
 すごい師匠をもって私は幸せものです。

 博士はユダヤ人。
 ユダヤ人の最大の恩返しは師匠を超えることなんだそうです。

 私などには、もったいない偉大な師匠です。
 まだまだ、遠く及ばないけれど、
 ゴールドラット博士という「巨人の肩の上に立って」、
 今後とも、"Never say Iknow"の信念をもって、
 師匠を超えるために精進してまいりたいと思います。

 今後とも、ご指導のほどよろしくお願いします。

                             岸良

 p.s. ゴールドラット博士の息子、
 ラミ(博士に勝るとも劣らない天才でありながら
 温かい思いやりをもった人。
 生まれついてからTOCをやるとこんなに人格者になる
 のかというほど傑出した人物です)が、
 博士の死を知らせるメッセージの最後に次の言葉を添えています。

 “Now this is not the end. It is not even the beginning of the end.
 But it is, perhaps, the end of the beginning. “ (Sir Winston Churchill)

 物語は始まったばかり。これからなんだ・・・ 
 心からそう思います。

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