2022年3月27日日曜日

「言語が違えば、世界も違って見えるわけ」

[このテーマの目的・ねらい]
目的:
 言語と思考方法の関連について研究いただきます。
 使われている言語から、
 その言語の使用民族が世界をどう見ているかが分かる
 という主張を理解いただきます。
ねらい:
 日本人の言語はルーツが縄文語ですから、
 日本人の思考法は縄文人の世界観を共有していることを
 確認しましょう。
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本テーマは、
イスラエル出身の言語学者ガイ・ドイッチャー氏の著作のご紹介です。
日経新聞の読書頁に以下のような紹介が載っていました。
左右にあたる言葉は持たないで「右へ回す」でなく
「東へ回す」などというオーストラリア先住民がいるという。
彼らの方位感覚は鋭敏で、どこにいても瞬時に方角を把握できる。
言語学者である著者は、
母語が強いる発話習慣が方位感覚を育んだと推測。
このような例から、言語の思考への影響力を解説する。

これについては、本書で以下の解説があります。
著者は言語学者ですから人文科学者です。
ですから事象の説明は体系的ではありません。
簡単に引用できる部分などないのです。
ですから私は「要旨はこうです」というしかありません。

オーストラリア原住民の一部が使う「グーグ・イミディル語」では
前後左右を言うときに東西南北で示す。
「男は女の左にいる」と言わずに「男は女の西にいる」と言う。
それを絶対方位感覚という。
絶対方位感覚は、
目隠しをされて自分がどこにいるか分からなくても有効である。
何に頼ってそれが可能かは不明である。
なぜ絶対方位感覚が生まれたのかも不明である。
絶対方位感覚は他の言語民族にも存在する。
しかし、似たところにいる原住民でも
絶対方位感覚でない民族もいる。

前掲の著書紹介では、
母語がそのような方位感覚を生んだと書かれています。
現時点のそのような言語を使用している人は、
母語がそうなっているのでそれに従って
そのような方位感覚を身につけているのでしょう。

しかし、そもそもそのような言語が生まれたのは、
絶対方位感覚をその民族が必要として持っていたので、
言語もそれに従ったということでしょう。
つまり、今は、言語⇒絶対方位感覚 の関係ですが、
そもそもは、 絶対方位感覚⇒言語 の関係だったと思われます。
言語は思考(脳の中の情報)を伝えるためのものですから、
当然そうなるはずです。
これは上野意見ですが、
著者がどう考えているのかはよく分かりません。

本書は9章構成ですが、その章の名前では何を言いたいのか分かりませんので
ここには掲載いたしません。
(例:第5章 プラトンとマケドニアの豚飼い)

言語と思考特性の違いの代表例として以下が挙げられています。
 ドイツ語人:言語体系同様に理路整然とした考え方をする。
 フランス語人:明快さと正確さを持つ。
        エスプリに相当する英語はない。
 英語人:秩序正しく力強くてきぱきとして真面目である。
     マインドに相当するフランス語はない。

本書で取り上げている、中心テーマの一つは
人間や民族が色をどう捉えているかです。
こういう内容があります。
1)ホメロスの叙事詩等から判断すると
古代人は色に対する感覚が劣っていた、
それが進化して現在のような色感覚になった、という仮説があったが、
数千年でそのような進化があるとは考えられないということで
この仮説は否定された。
色は識別していたが、
それを区別して表現する言語を持たなかったのだ、
ということになった。

2)以下のような色見本に対してどの民族も同じように識別できる。
⇒色に対する感受性はどの民族も同じである。








3)グルーピングした色表現については、民族によって異なる。
その例として以下の記述があります。

【日本のアオ信号】
日本語に元来あった「アオ」という色名は、
緑と青の双方を含んでいた。
しかし、近代日本語では「アオ」は概して青の色調に限られ、
緑は「ミドリ」という単語で表されるようになった
(といっても緑が「新鮮さ」や「未熟さ」を表す場合は、
いまだに「アオ」が使われる。
たとえば、green applesは「アオリンゴ」という)。
(上野注:青二才もそうでうね)
1930年代にはじめて交通信号が米国から輸入され、
設置された時の青信号は、どこの国にもある緑色だったが、
日常会話のなかでは「アオシンゴウ」という呼び名が使われた。
日本語の3原色が、赤、黄色、青だったからかもしれない。
アオという単語と緑色の連想関係がまだ生き残っていたから、
当初、緑色灯を「アオ」と呼んでも
とくにおかしいとは思われなかった。

しかし時の経過につれて、
アオの主要な意味と緑色の食いちがいがしだいに目障りになり始めた。
気弱な国ならここで、「進め」信号の公式名をミドリに変えるという
無難な道を選んだかもしれないが、日本はそうはしなかった。
日本政府は1973年に、現実に合わせて名前を変えるのではなく、
名前に合わせて現実を変えるべきだと決定した。
以来、「進め」信号は
アオの主要な意味によく合う色になるはずだった。
しかし残念ながら信号灯を本来のアオに変えるのは不可能だった。
世界中どこでも道路標識をある程度共通にするための国際基準があり、
日本もこれを採用しているからである。
そこで公式には緑の範囲内でありながら、
できるかぎり青に近い色合いをアオ信号灯に選んだのである。
以下の図を参照ください。




なるほど、そうだったのですね。

「縄文語の発見」素晴らしい研究です!!!

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 現在我々が使っている日本語は、その基礎部分が縄文語である
 という説を知っていただきます。
 縄文語がどのようなものであったのかを知っていただきます。
ねらい:
 そういう見方で、日本語や日本人の思考法を考えてみましょう。
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本テーマは、小泉保、元関西外語大名誉教授(言語学者)の
1997年の著作のご紹介です。


だいぶ前の著作なのですが、
最近私は縄文時代に関心を持っていて見つけました。
本書は以下の構成となっています。
第1章と第2章は、一般読者のために前提知識の提供的位置づけです。

 第1章 縄文文化
 第2章 縄文人
 第3章 日本語系統論
 第4章 縄文語の復元
 第5章 弥生語の成立
 第6章 縄文語の形成

氏は、日本語の系統論では、弥生語の研究まではたどりつくが、
その先の研究がされていないという問題意識から、
縄文語がいかなるものであるかの解明にチャレンジされたのです。
残された文字はないのですから、どうやって探求するか、です。

そこで氏は、柳田国男氏の提唱する「方言周圏論」に着目しました。
言語は、発生の中心部から次第に周辺に広がっていく、
順次新しい言語(ことば)が生まれると
それが波紋のように外側に伝わっていく。
結果として、外側に古い言語が残っている。
というものです。

そこで、カタツムリの例だと
ナメクジ、ツブリ、カタツムリ、マイマイ、デデムシの順に新しい。























カオとツラ(周辺部がツラ)



トンボ
アゲンヅ⇒アゲンズ⇒アケズ 東日本
    ⇒アケヅ⇒アキヅ  西日本
    ⇒アゲンヅ     琉球
と変化していることを確認し、
この元になっている「アゲンヅ」が縄文語であろうと推定されています。

以下のように分析をされています。



単語だけでなく母音・子音の変化も探求されています。
東北地方は、母音系で、息も駅も「エギ」
子音系で、赤(アガ)、底(ソゴ)、篭(カンゴ)、窓(マンド)
こういう言葉の全国分布を調べられました。
その詳細は非常に興味深いものですが、紹介しきれませんので、
関心のある方はぜひ本書をご覧ください。

その検討結果、縄文語にはいくつかの方言があることを結論付けされました。


その縄文語がその後弥生語の影響を受けて現在の日本語になった
とされています。



現在の日本語が縄文語を受け継いでいるとすると、
言語=思考特性ですから、
現在の日本人は縄文人の思考特性を受け継いでいることになります。
自然との共生観、共同体意識、悠久性(1万年)などを
DNAで引き継いでいるのです。

2022年3月26日土曜日

英語の言葉遊びその4 「英語の語呂合わせ(Equivoque)」

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 米野忠男氏の英語研究第4弾のご紹介です。
 よく研究されています。
ねらい:
 驚いて楽しんでいただければ結構です。
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日本人は語呂合わせで数字を容易に覚えられる。
日本人はあまり意識しないであろうが、非常に便利でありがたいことだ。
日本人は子供の時から歴史の年号などをよく覚えている。
また電話番号,カード番号、車のナンバーなど語呂合わせで簡単に覚えられる。
数字を覚える語呂合わせも典型的な言葉遊びで、
記憶術(Mnemonics)の一つだ。
英語での数字を覚える語呂合わせは昔から興味を持っていたが、
日本語ほどはうまくいかない。

(1) 以前アメリカ人の技術者に円周率(circular constant, pi)を
何桁まで言えるか聞いたら、早口で7桁を即答した。
どうやって覚えたのかと聞いたら,単に暗記(memorize)したと言う。
では3や5の平方根は言えるかと聞いたら、
「言えない,そんなこと計算機やパソコンですぐわかるから、
覚える必要はないだろう」と言われた。

(2) 我々は円周率も平方根も数字で暗記せずに、
日本語の語呂合わせで簡単に覚えられるのだと説明したが、
なかなかこれを理解してもらうのが難しかった。
私は中学の時から円周率(3.14159265358979)は
「産医師異国に向こう、産後薬なく」と覚えていた。
平方根も多くの日本人は小さい時から、
例えば3の平方根(1.7320508075)は「人並みにおごれや女子」、
5の平方根(2.2360679)なら「富士山麓鸚鵡鳴く」と覚える。
誰が最初に考えたのか知らないが、どれもよくできた名文で秀逸だ。

(3) 英語にも数字を覚える語呂合わせがあるが、
私が知っているのは、言葉の字数で対応するものだ。
例えば円周率なら、「Yes, I know a number(3.1416)」と覚える。
もう少し長いのなら、
「Can I find a trick recalling pi easily? (3.1415926)」というのがある。
これらの文章は「私は数を知っている」、
「円周率を簡単に思い出すトリックはありますか」と、
円周率と関連付けられて秀逸だ。
円周率をこのやり方で32桁まで表す文章がある。
しかし平方根の英語の暗記法を探してきたが見つからない。
米国初代大統領ワシントンの生誕年(1732年)を
3の平方根(1.732)として覚えるというのを見つけたが、
逆に3の平方根を暗記して、ワシントン大統領の生誕年とする方が自然だ。

(4) このアメリカ式の欠点はゼロを10桁で表現するしかなく、
長い言葉を使わなければならない。
3の平方根なら10桁の中に「0」が3つも入るが、
幸い?円周率は42桁目で初めて「0」が入る。
これはほとんど奇跡に近い。
最近10文字の語で「0」を表し、
740桁までの円周率の英文があることを知った。
よくこんなことを考えるヒマ人がいるものだ。
国際的な記憶術のコンクールでは、
円周率を何桁まで言えるかで競うことが多いらしい。

(5) 言葉の文字数によるアメリカ式のもう一つの欠点は、
文章が長くなり,文章自体を覚えるのが難しい。
また文章を数字に戻すのに、
大きい数字は言葉を紙に書かないとすぐには数字に変換しにくい。
日本式なら口で唱えながら、
即座に数字を紙に書けるから断然日本の方が有利だ。

(6)日本の子供なら誰でも小さい時から「九九」を覚える。
これも日本語の語呂合わせのお陰だ。
例えば「8」なら「ハチ,ハ,パ,ワ」などと
九九の調子に合わせて発音の使い分けができる。
昔ニューヨークに駐在した時、現地の小学校に通う日本人の子供は、
英語はできないのに、算数の成績はよいと聞いた。
アメリカ人の子供は悔しいので、「JJを除けば自分は何番だ」と言うと知った。
JJとは日本人(Japanese)と教育に熱心なユダヤ人(Jewish)の意味だ。
やはり子供の時から九九を覚える効果は大きいのだろう。

(7) 英米では小学校で九九を暗誦して覚えるが、語呂合わせは利用できず、
単純に暗記するのだ。
例えば,普通にSix times three is eighteen、
Six times four is twenty four --- とか、
Six threes are eighteen, Six fours are twenty four --。
短い後者の方がより一般的なようだが、
数字が複数で動詞も複数形になっている(1の段はSix one is sixと単数形)。
この6の段は,One six is six,Two sixes are twelve, --- 
と順序を変えて覚えるやり方もあってややこしい。

(8) 英国では1フィート=12インチ,1シリング=12ペンスと12進法があるので、
九九ではなく十二段まで覚えるようだ。
Six elevens are sixty six,Six twelves are seventy twoと。
インドはIT産業の盛んな国で,子供の時から数学教育が徹底しており、
先日のテレビを見てびっくりした。
インドの子供は九九ではなく,19x19まで暗記していて、
小さな子供が早口で唱えている様子を報道していた。
何らかの語呂合わせで覚えるのか、一度インド人に聞いてみたい。

ビクトル・ユゴーの小説「レ・ミゼラブル」の中に、
娘コゼットを預ける際に,養育費の月7フランを6ケ月分前払いすることになり、
「六七,42」と」言う場面がある。
英訳では「Six times seven makes forty two」、
明治時代の黒岩涙香訳では「六七四十二法(フラン)です」となっている。
日本なら「「七六,42」という順序になる。
1ケ5円の物を8ケ買うと,日本なら「五八,40」だが、
向こうでは8ケ分の5円の物を買うと考えて「八五,40」の順序になる。
発想の違いが面白い。

(9) 昔初めてニューヨークに赴任した時、アメリカの電話機には2から9までの
数字の回りにアルファベットが表示してあった。
数字とアルファベットを組み合わせ、
一種の語呂合わせにして電話番号を覚えやすくするためだ。
例えばある劇場の予約受付の電話番号の下4桁は「SEAT」になっていたが、
「7328」のことだ。
今の携帯電話には数字の回りにアルファベットが割り当てられているが、
アメリカの電話機についていたものと同じで、そのまま採用されたのだろうか。

(10) まだ携帯電話などなかった時代のヒッチコック監督の名作に
「ダイヤルMを回せ(原題Dial M for Murder)」というタイトルの映画があった。
「ダイヤル6を回せ」というタイトルではサマにならないだろう。
グレース・ケリー主演のロンドンを舞台にした,
電話が殺人に大いに関わったストーリーだった。

 


「生物はなぜ死ぬのか」

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 「生物はなぜ死ぬのか」の基本を確認します。
 寿命延長の方法について確認いただきます。
ねらい:
 健康寿命伸長の方法に期待したいですね。
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当テーマは、小林武彦東京大学定量生命科学研究所教授の著書のご紹介です。
純粋の自然科学書で、内容はスッキリ理解することが可能です。

本書の構成はこうなっています。
第1章 そもそも生物はなぜ誕生したのか
第2章 そもそも生物はなぜ絶滅するのか
第3章 そもそも生物はどのように死ぬのか
第4章 そもそもヒトはどのように死ぬのか
第5章 そもそも生物はなぜ死ぬのか

「生物はなぜ死ぬのか」は要約するとこういうことです。
1)生物は10億年前に多細胞生物が誕生して以来進化してきている。
2)進化は遺伝子の突然変異により起きる。
3)環境に適応しやすい方向に進化した生物が生き残っている。
4)遺伝子の突然変異は生きている生物には伝達されない。
5)したがって、環境に適応できない個体は死んで、
  適応できる個体が生き延びて種を存続させてきている。
6)つまり、種の進化のために個体は死ぬ、ということである。
  死は生の前提条件である。
 (個体の存続よりも種の存続を優先させているのです。
  鮭・セミは産卵すると死ぬ、タコのメスは子が卵から孵ると死ぬ、
  交尾すると死ぬオスの生物も多い)

このことを生物学的に詳しく説明されていますので、
興味のある方は、本書をお読みください。

人間は、何度か当ブログでもご紹介した石原慎太郎さんのように
死ぬことを避け長生きしたいものですから、
その点についても本書では触れています。

【寿命を延ばす薬】
1)メトホルミン
 糖尿病の治療薬として用いられている。
 延命効果があることが確認されている。
 健康な人が利用するには、まだ安全性と効果の確認が必要で
 目下調べられている。

2)ラバマイシン
 臓器移植後の拒絶反応の軽減に用いられる免疫抑制剤で
 ガンの治療薬としても使われている。
 この薬によって代謝が低下しカロリー制限と同じ効果がある。
 動物実験では10%前後の延命効果があった。
 免疫抑制効果があるため、健康人にはリスクがある。

3)SIR2遺伝子
 酵母で多量に発現させると、寿命を延長する効果が確認されている。
 寿命延長効果だけでなく、
 体力や腎臓機能の亢進、育毛などの若返り効果が見られる。
 (ただし、現段階では動物実験のレベルである)

老化細胞は、初期の段階で細胞死(アポトーシス)を引き起こし、
その後免疫細胞によって除去されるのですが、
加齢に伴って、細胞死や除去する反応が低下してしまいます。
そのため、細胞死を誘導する化合物やペプチドは、
組織の老化細胞を殺して減少させ、炎症を抑えます。
結果として老化抑制効果を示します。
その細胞死誘導機構をうまく利用した薬剤は、
老化細胞内でアポトーシスを抑制しているタンパク質を阻害し、
老化マウスの造血能力を若返らせる効果を示します。

先進国を中心に、高齢化は急速に進んでいます。
それに加え、感染症も含めた多くの病気は、
高齢で発症あるいは重症化することなどから、
今後ますます抗老化薬の研究。開発は活発化すると予想されます。

大いに期待したいですね。 
 
次は別の観点からの長寿対策です。

[ヒトはハダカデバネズミになれるか】













ハダカデバネズミは、同じ齧歯類(ネズミの仲間)、
例えばハツカネズミの寿命が2-3年なのに対して、
ハダカデバネズミは30年と10倍ほど長く生きます。

霊長類にたとえると、
ヒトとほぼ同じサイズのゴリラやチンパンジーの寿命は
40-50年なので、
もしハダカデバネズミ並みにヒトが長生きできたとすると、
単純計算ではヒトの寿命はその10倍の500年生きることになります。

ハダカデバネズミの長生きの理由を真似して、
ヒトの寿命を延ばすことはできるのでしょうか?
(中略)
ハダカデバネズミのどこを真似したら
ヒトも同じように超長寿になれるのでしょうか。

まず低酸素、低体温、低代謝などの生理的な部分は、
(注:地下でじーっと暮らしています)
簡単に真似することは無理です。
これは基礎研究でじっくりメカニズムを解明し、
これらの生理現象と似た効果を作り出す
薬やサプリメントを開発するしか方法はないでしょう。
例えば活性酸素の発生を抑えるような薬です。

一方、社会的な変革のほうは可能かもしれません。
この点について、ハダカデバネズミから学べることは2つあります。
一つは子育て、もう一つは働き方です。

まず子育て改革ですが、
ハダカデバネズミの女王のように産むことに特化した
(注:ハダカデバネズミは群れの中の女王だけが子どもを産みます)
ヒトを作るとまではいかないにしても、
産むことを選択したカップルに社会全体としてのサポートを手厚くします。

例えば3人以上子供を作ると養育費は国が負担する。
4人目以降は養育費プラス「手当」を支給するようにして、
産みたい方はたくさん産めるような仕組み作りはどうでしょうか。
もちろん保育園の増設、保育士の増員もして
子育ての直接的な負担も分担します。
この政策は少子化にも歯止めをかけられるかもしれません。

二つ目の働き方改革ですが、ハダカデバネズミの「生涯現役」にならいます。
現在の退職後の年金を若い世代が負担する日本の仕組みは、
いつも世代間の人口バランスが取れているわけではないので、
安定した運用は困難です。

そこで世代間の負担バランスを取るためには、
歳をとってもできる仕事、やりたい仕事を一生続けられる仕組みを作る
のはどうでしょうか。
一部の企業ではすでに始まっていますが定年制などは見直し、
働ける人、働きたい人は年齢にかかわらず働けるようにするのは
いかがでしょう。
うまくいけば、生き甲斐を作り、健康にもプラスに働き、
長生きが楽しくなる社会が築けるかもしれません。
(中略)
以上は、私が考える理想論なので、
現実にはうまくいかないことも多々出てくるかもしれません。
ただ、ハダカデバネズミの多くの個体は昼寝をしています。
みんなが競って仕事量を増やし成果を競う社会から、
効率を上げてゆとりある社会に転換することが、
社会全体のストレスを減らし、
結果的にヒトの健康寿命を延ばすことができるかも、
と私は思いますが、皆さんはどう思われますか?

著者はずい分遠慮した言い方をしていますが、
二つの方向ともすでに試みられていることです。
それを動物界の最長寿動物に倣って徹底的に進めたらよいということです。
たいへん興味深い着眼ですね。
今、日本社会等が目指している方向は、
生物学的に見ても正しいということになります。

2022年3月15日火曜日

「不思議の国ニッポン」何が不思議なのでしょう?

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 外国人記者たちが日本の不思議な面を指摘している内容を
 確認いただきます。
ねらい:
 本書をご覧になって
 自分たちを客観的な目で見る材料にしましょう。
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日経新聞の読書欄に以下の紹介が載っていました。
私は今、日本人の思考・行動特性の研究中なので、
どんなことが取りあげられているのだろうと読んでみました。

『不思議の国ニッポン クーリエ・ジャポン編
なぜサラリーマンは会社にすべてをささげるか。
なぜファックスはなくならないのか。
海外メディアが報じた日本特有の様々な「なぜ」をまとめた一冊。
英フィナンシャル・タイムズは義理チョコについて、
会社員を縛るしがらみの一つと指摘する。背後には、
暗黙のルールや横並びの関係から外れるという恐怖という集団心理があるという。
外部の視点から日本に独特な奇妙な習慣を相対化する契機となる。
(講談社現代新書990円))

以下のような章立てで25テーマが取りあげられています。

第1章   日本 株式会社の不思議  
第2章   日本社会はどこへ行く  
第3章   ニッポンの今を歩く  
第4章   若者事情 
第5章   日本の深奥
取りあげられているテーマを以下のように分類してみました。

日本人の思考・行動特性(上野作成)

『不思議の国ニッポン』のテーマ

現状重視・保守的

会社にすべてをささげるサラリーマンはどこへ行く

働きすぎなのに なぜ東京の生産性は 低いのか

男女賃金格差が縮まらない理由ワーキングマザーの試練

なぜ 日本の政界は 世襲政治家が多いのか

〝 ファックス〟 をやめられない理由

日本で年功序列が続く理由

外国人労働者が日本社会を生きる困難

なぜ 日本の若者は「内向き」になっ てしまったのか  

科学技術分野の女性比率が低い理由  

なぜ いつまでも女性スポーツ選手に「女らしさ」を求めるのか

日本の若者の投票率は なぜ低いままなのか?  

勤勉・誠実 

「居眠り」は 勤勉の証!? 

日本人の自殺率はなぜ高い?

他人意見・和重視 

なぜ 日本人は銀メダルでも謝罪するのか

日本の会社員を縛る義理チョコはなぜなくならない か

日本では なぜポピュリズムが台頭しないのか

名門進学校「開成学園」運動会 「棒倒し」を続ける理由

 

その他

孤独死ニッポンで急成長した「遺品整理ビジネス」とは

「人間より人形(かかし)が多い」限界集落 日本の過疎化

「日本の老舗」の生存戦術創業1000年京都の餅屋 に学ぶ

ヤクザ稼業から足を洗った男たち極道「大量離脱」の 理由

「ひきこもり」当事者たちのいま  

東京に見切りをつける若者たちパンデミックと地方移住

平成日本と天皇 「アキヒトイズム」とは何か

女性皇族の苦悩 米誌が見た「不平等」の中身


【「日本人の思考・行動特性」欄の説明】
「現状重視・保守的」は、急激な変化を好まない傾向を指します。
「勤勉・誠実」は生真面目な性格で、
象徴的なのは「列車・電車の時間が正確なこと」
「落とし物が出てくること」などです。
これは、当書では取りあげられていませんが。
「他人意見・和重視」は、自己主張を強くしないで、
和を優先させる考え方です。
いずれも日本的な思考・行動特性として識者が指摘していることです。
しかしこれらの伝統的な日本の思考・行動特性も
だんだん崩れてきていますね。

それはともかくとして、25テーマの中から
なぜ 日本人は銀メダルでも謝罪するのか』をご紹介します。
この記事の難点は、問題提起は外紙なのですが、
そのあとのどの部分が外紙の意見で、
どの部分が日本の編集者の解説かが判然としないことです。
ご覧になってください。
以下の太字部分は外紙の意見として分かっているものです。
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日本で東京五輪の取材をしていた米誌「ニューヨーク・タイムズ」が
ある疑問を投げかけている。
「金メダルを獲得できなかった日本人選手が謝罪をしている。
銀メダルを獲得した選手ですら謝っているのはなぜか」
というものだ。

「誠に申し訳ない」文田健一郎(25)は涙に声をつまらせた。
「こんな状況で大会を運営してくれたボランティア、関係者の方に
勝って恩返しをしたかった」
レスリング男子グレコローマンスタイルの選手、
文田はオリンピックの決勝戦を終えた後、涙ながらに語った。
「不甲斐ない結果に終わってしまって本当に申し訳ないです」
頭を激しく上下させながら彼は言った。
文田は銀メダルを獲ったばかりだった。

東京オリンピックでおなじみになり、そしてしばしば胸を痛ませたのが、
多くの日本人が競技後のインタビューで涙を流し、
金メダルを獲れなかったことを謝罪するという光景だ。
文田のようにメダルを獲った選手でも自分のチームとサポーター、
そして国を失望させたことを悔やんだ。

柔道の混合団体で日本がフランスに敗れ、
銀メダルを獲得した後にも、向翔一郎(25)が謝罪した。
「もう少し我慢しなきゃいけなかったのかな。みんなに申し訳ない気持ちです」
そう向は言った。

世界で2番になったのに謝罪するというのは、
成功の基準が驚くほど厳しいことを示している。
だが自国で戦っている選手たちは、後悔の気持ちを表すことで
無念、感謝、責任、謙遜が複雑に混ざり合った感情を表現することができるのだ。

「銀メダルしか獲れなかったことを謝罪しなければ批判されるでしょう」
スポーツを専門とする弁護士で日本の選手組合を代表する山崎卓也は言う。
日本のアスリートは若い頃から
「自分のために競技をしていると考えてはならないと教えられる」と山崎は言う。
「特に子供時代には大人や先生、親、その他年長の人間の期待があります。
ですから、これは根深い考え方なのです」

アスリートにかけられる期待は
コロナウィルスのパンデミックによって大きくなった。
パンデミックの性でオリンピックは
大会が始まる前から日本人にとって非常に不人気となっていた。
日本で感染者数が増えていることに対する不安が大きくなる中で
大会を開催したことを正当化するためにも、
メダルを獲得しなければならないというプレッシャーを
より強く感じている選手も多かっただろう。
メダルを獲得できなかったアスリートは後悔をあらわにした。
テニス女子シングルスの3回戦で敗退した後に発表したコメントのなかで、
大坂なおみ(23)は日本代表として戦えたことを誇りに思うと述べる一方で、
「皆様の期待に応えることができずにごめんなさい」と付け加えている。

【日本の独特の謝罪文化】
ある意味でこうしたアスリートたちは、
日本文化ではありふれた社交辞令としての謝罪を大げさに述べてきたと言える。
人の家に入るときに訪問客は「すみません」と言う。
従業員は休暇に入るときに負担をかける同僚に謝罪する。
他方で車掌は電車が1分遅れた、あるいは数秒早く着いたことで深謝する。
一般的に、こうした謝罪は責任の表明というよりは慣習の問題なのだ。

謝罪の言葉が虚しく響くこともある。
スキャンダルや汚職に対して謝罪するために組織のトップや政治家が
ニュースのカメラに向かって深々と頭を下げることも頻繁にある。
たいてい結果は伴わない。

東京オリンピック組織委員会の前会長森喜朗は性差別的な発言をした後、
辞任を避けるために当初そうした謝罪をしようとした。
だが大々的なソーシャルメディアのキャンペーンによって
彼は辞任を余儀なくされた。

日本文化の研究者は、勝ったときでもアスリートが謝罪するのは
子供の頃から培われた本能からくるものだと言う。
「アメリカ人は失敗したときでもいいところを探すのがうまい」
とミシガン大学の社会心理学者、北山忍は言う。
一方、日本では「成功しても謝罪しなければならない」と彼は語る。

謝罪はまた暗黙の感謝の表現として認識されている可能性が高いと、
人類学者で「日本社会を理解する」(未邦訳)の著者ジョイ・ヘンドリーは言う。
自分を指導してくれた人たちや経済的に支援してくれた人たちのために
「最善をつくせなかったことに対して
日本人は謝罪をしなければならないと感じるのではないでしょうか」
とヘンドリーは言う。
中略
【謝る必要などない】
もちろん、金メダルを獲れずに深い失望を表すのは日本のオリンピアンだけではない。
中国の廖秋雲(26)は女子ウエイトリフティングで銀メダル獲った後、
人目憚らず泣いた。
アメリカの女子サッカーチームが準決勝でカナダに敗れた後、
メンバーのの一人カーリー・ロイド(39)は
フィールドにしゃがみ込み両手で顔を覆った。
しかし、試合後のインタビューで彼女は謝罪をしなかった。
「ただただ残念です」とロイドは言った。
「私たちは本当にたくさんのことを諦めていますし、勝ちたい思うのは当然です」

シモーネ・バイルズ(24)は体操の女子団体と個人総合を棄権したとき、
自分自身のメンタルヘルスを守りたかったと説明した。

謝罪をしたいという衝動は、
一つには日本の一部のスポーツに見られる厳しい指導スタイルからくるものだと、
立教大学でスポーツマネジメントならびにスポーツウェルネスを専門とする
カトリン・ユミコ・ライトナー准教授は言う。
彼女が柔道の練習を氏に初めて来日した時、
コーチの攻撃的な言葉遣いに衝撃を受けたという。
「そんなやり方でしかオリンピックチャンピオンになれないなら、
オリンピックチャンピオンにはなりなくないと思いました。
彼らはアスリートを人として扱っていませんでした」

日本のアスリートのなかには謙虚さを欠いているとして
大衆の批判にさらされてきた者がいる。
1992年のバルセロナ五輪で銀メダル、
1996年のアトランタ五輪で銅メダルを獲得したマラソン選手の有森裕子は、
アトランタ五輪で「自分で自分をほめたい」と言った後、
日本のニュースメディアの一部からナルシストとの批判を受けた。
有森はなぜアスリートが謝罪をし続けるのかを知っている。
感謝の気持ちを伝えることができるからだ。
しかし「サポーターは
アスリートが充分に努力をしてきたことを知っていると思います」
と有森は言う。「だから謝罪をする必要などないのです」
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どうもすっきりしませんね。
私はこの問題の根源は、自分の気持ちや自己を主張することよりも、
他の人の気持ちを尊重することを優先させる日本人の伝統的思考法にあると思います。
「伝統的」ですから、次第にそこから外れて
自己を中心におく思考法に代わってきていると思います。
文中の有森さん、シモーネ・バイルズさん、その後の大坂なおみさんがそれです。
皆さまはどう思われますか?

2022年3月14日月曜日

落し物が見つかる!!警視庁遺失物センター

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 落し物した場合の、便利なシステムを知っていただきます。
ねらい:
 万一残ねんな落し物をした場合は、ぜひご利用ください。
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私は2月18日に革の手袋の右手を落してしまいました。
しかし2月28日に「回収」することができました。
警視庁の「拾得物公表システム」のおかげです。
立派な検索システムがあるのです。
考えてみれば落し物は探し物ですから、検索向きなのです。
検索システムとしては単純です。
でもありがたいことです。

こんな仕組みです。
皆さまも落し物をしたときのために覚えておいておかれるといいですよ。

入口は「落とし物検索」です。
利用上の注意事項等の解説の下に
「落とし物検索入口」のアイコンが表示されますので








それをクリックしますと、
「警視庁拾得物公表システム」が表示されます。
そこには、以下の拾得物区分が表示されます。
現金、有価証券類、カバン、手帳・文具、財布類、書類、
衣類・履物類、時計類、めがね類、などです。

この選択をすると、拾得場所の表示がされます。
路上・建物、鉄道、バス、タクシー、その他交通機関

「路上・建物」の場合は地域(23区など)の選択があります。

その選択をすると、落した日付の指定画面になります。
いつからいつまでを指定するようになっています。

そうすると、該当する者がある場合には、
瞬間でその候補と簡単な特徴が表示されます。

手袋だと片手とか両手とか色とかです。
カギだと一つだとか二つ、キーホルダー付きなどの表示があります。

これだと思うものがあれば、
問い合わせ電話番号に問い合せできるようになっています。
ただし、平日の8時半から4時半までです。

問題は、拾得物の入力ですね。
写真を撮っているのではなく、人間がモノの特徴を見て入力しているのです。
手袋だとブランド名とか手首のところが合繊になっているとか、
鍵だとどんなキーホルダーかなど、です。
ご苦労様なことだと思います。
これで検索できるのですからスゴイことです。

問い合わせの対応をしてくださる方は
男女ともたいへん丁寧で嬉しくなります。

それと、電車で落とした場合等は
何日かその交通機関の駅や落し物集積所に置かれますので、
落してすぐには出てきません。
しばらく待ってから検索しなければなりません。
私の場合も、1週間くらいしてようやくシステムに入ったのです。

警視庁の遺失物センターは飯田橋にあるのですが、
かなりの職員が働いているようです。
感謝して右手の手袋をいただいてまいりました。
その時に分かったのは、私は電車の中で落としたと思っていたのですが、
拾得場所は日本橋駅の改札口近くでした。
それでも、「鉄道」の区分に入っていました。
駅からの届けだったのでしょう。

いずれにしてもこういうシステムは役に立ちますね。
感謝、感謝です。

石原慎太郎さんを偲ぶ

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 石原慎太郎さんの二つの遺作でその死を偲びます。
 氏の死に対する考え方を学んでみましょう。
ねらい:
 「生」と「死」、それと生につきものの「恋」や「性」は
 永遠のテーマですね。
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1.遺作その1 「遠い夢」雑誌「新潮」掲載
雑誌「新潮」の4月号に慎太郎さんの遺作が掲載された、
ということでしたので、入手して読んでみました。


「死という最後の未来」の曽野綾子さんとの対談で、
あくまで生への執着を示しておられた慎太郎さんです。

3月5日の日経新聞夕刊の紹介記事にはこのように書かれていました。
新潮社によると、昨年10月末に担当編集者へ原稿が届いた。
石原さんが以前から患っていたがんが再発した時期に当たる。
担当編集者は「初恋を題材にするのは石原さんの作品では珍しい。
『太陽の季節』との類似も教務深い」と話している。


「遠い夢」の書き出しはこうでした。
ああした感情を何と呼ぶべきなのだろうか。
やはり恋という事だろう。隣の家のおきゃんな末娘に
「それならお兄ちゃん、河野の礼子さんと結婚しちゃったらいい」
と言われた時の吐胸を突かれたような衝撃と甘い余韻は
やはり恋心というべきなのかもしれない。
その相手を封じるように小突きながら
内心では今の戯言をもう一度聞かせてほしいと願っていた。

小学校時代の淡い交友の数々、別々の中学校時代の事件、
そのあとの引っ越しによる別れ、共に結婚した後の彼女の癌による早逝、
その時に彼女が手を握った自分の弟に私の名前を呼んだこと、
その葬儀で胸一面に抱えていった白い薔薇を祭壇にばら撒いたこと、
などが、述べられます。
太陽族の名残りを偲ばせます。

そうして、
その彼女の弟と逗子の海岸の花火大会を一緒に見る場面が登場します。

やがて花火はおわり、
海岸に押しかけていた見物客たちの騒めきも消えていき、
一面に凪いだ海の静けさだけが戻った。
「終わりましたね、でもあっという間ですな」
嘆息して言う彼に、
「そうだね。
所詮この世のことは何もかもあっという間のことなんだよなあ」
私も言った。

これで終わりです。
あのお年でも「恋』を書いておられるのです。
そうしてやはり「死」も登場しています。
遺稿
この遺稿のあとに、文芸評論家の福田和也氏が、
「追悼・石原慎太郎ーー最後の冒険」と題して
こういうことを書いていました。

石原さんが死を意識したのは歳をとったからというわけではない。
「太陽の季節」「生還」といった代表作から、
石原さんには「生」のイメージが強いが、
実は若い頃から「死」について多くのことを書いている。
中略
江藤淳は早くからこのことを見抜いていて、
「石原の文学には常に死の影が差している」と言っている。
(注:前掲の「遠い夢」も死がテーマです)
中略
石原さん自身の言葉によれば、
「『死』は人生の輝く断片、フラグメント」なのだそうだ。

2018年7月号の「文學界」に自伝風の寄稿をされていて、
主人公がこう言います。
「そして間もなく俺は死ぬ。人間の最後の未知、
最後の未来を知ることになるのだが、
その時果たしてどんなにそれを意識して味わうことが出来るものかな。
最後の未知についてはもの凄く興味はあるが、
それについてはその時点ではどう知ることも出来はしまい。
それだけは悔しいがね」
中略
最期を看取ったご家族の話によると、
石原さんは亡くなる間際まで目を開き、
天井を見つめていたという。
自分に訪れる「死」を見届けようとしていたのだろうか。

ということのようです。
石原さんは最期にどう言ったのだろうか、
との私の疑問は少し前進しましたが、まだ分かりません。
誰かを呼んだのか、今から行くぞとあの世の誰かに声をかけたのか。

これだけ生にも性にも執着し、死を嫌がっていた石原さんの
本当の締めが気になります。

2.遺作その2 「死への道程」雑誌「文藝春秋」掲載


こちらは「絶筆」と称されていました。
これは小説というよりはご自分のことを書いた「日記」です。
令和3年10月19日に、医師から、膵臓癌の再発で
「余命3か月くらいです」と宣告されてからの思いが綴られています。最後はこうなっています。




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死に臨んでさまざまな悔いや無念に晒されようとそれはそれ、
もう絶対に取り戻せぬものでしかありはしない。
一体死に関する保証人などはありはしまい。
なぜならば個人にとって死こそ完璧な所有なのだから。

「太陽の季節」なる小説でいさかか世に名を馳せた私が
己の季節の終りに関して駄文を弄している今、
美空ひばりの世に軽いショックを与えた最初のロックの文句ではないが
「いつかは沈む太陽だから」こそ、
あくまでもこれまで私が比類のない私と言う歪な人間として
生きてきた事を消しても消えぬ記録として、
私として全くの終りの寸前に私の死はあくまでも私自身のものであり
誰にもどう奪われるものでありはしない。
私は誰はばかりもなく完璧に死んでみせると言う事だ。
私の死を誰がどう奪えるものではしない。

出来得るものならば私は私自身の死を
私自身で慈しみながら死にたいものだ。

(上野注:前掲の以下の文章はそれをしておられたのでしょう。
最期を看取ったご家族の話によると、
石原さんは亡くなる間際まで目を開き、
天井を見つめていたという。)

原住民のしかけた毒矢の毒に傷つき女を抱きながら死んで行く
アンドレ・マルロオの傑作「王道」のしたたかな主人公の
ペルケンが囁いたように。
「死、そんなものなどありはしない。ただこの俺だけが死んでいくのだ」と。
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この文藝春秋には、亀井静香氏が
「兄弟分からの弔辞」として「三途の川で待ってろよ」という
心温まる友情話を中心にした寄稿も載せられていました。
亀井静香さんと石原さんのご縁は (2021,11.27)
にご紹介させていただきました。

さらに、この文藝春秋には石原慎太郎さんの4男石原延啓氏の
「父は最期まで我を貫いた」という寄稿も寄せられていました。
慎太郎さんのそれらしい思い出が書かれています。

全体を通して言えることは、
若い時から「死」について考え続けてきた石原さんが、
「死にたくないけれどしかたがない」と
最後は腹を括ったということですね。

追記:文藝春秋のこの4月号には「太陽の季節」の全文も掲載されていました。
初めて読みました。
「若いなあ」という以外の感想は省略させていただきます。
この「太陽の季節」本文の前に
石川達三、井上靖、丹羽文雄、宇野浩二、川端康成、舟橋聖一など、
9人の審査員の「選評」が公表されているのです。
この透明性はいいですね。
審査員が作品に何を期待しているかが分かるのです。
賞を目指す人にとって道しるべになります。

3/16追記
3/8に石原慎太郎さんの奥様典子さんがお亡くなりになりました。
慎太郎さんの葬儀には車いすで参加されていたようです。
慎太郎さんが「淋しいからお前もこっちに来い」と呼んだのでしょうね。
まさに夫唱婦随です。

2022年3月12日土曜日

右脳派人間の大活躍!!

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 芸術家が成し遂げたビジネス改革を確認します。
 トップが右脳派人間だと組織の改革が実現するのかを
 考えていただきます。
ねらい:
 これからの日本は
 「ネコ型人間」が強くならなければならないとも言われています。
 日本がどうなればよいか、考えてみましょう。
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2022年2月1日に石原慎太郎さんが亡くなられました。
2022年2月の日経新聞「私の履歴書」は、
文化庁長官をされた宮田亮平氏でした。
お二人に共通しているのは、優れた芸術家であるのに、
大組織の長として立派な業績を残しておられることです。

以下でその実績を確認します。
石原慎太郎東京都知事の主な実績(順不同)

写真は東京マラソン開会式

1)ディーゼル車の排ガス規制
2)東京マラソンの開始
3)中小企業のための新銀行東京の設立
4)東京都の会計制度に複式簿記方式導入
5)築地市場移転検討
6)横田米軍基地返還
7)尖閣諸島の東京都で購入構想(これがきっかけて国有化された)
8)首都圏の各種環境整備
9)東京オリンピック招致活動

国がなかなか動かないことについて、
都が率先して実行するということをかなりされています。

宮田亮平氏の主な実績















宮田氏は工芸家として素晴らしい作品を多数作っておられます。
1.東京芸術大学学長時代の実績
1)学生や教員の作品を展示・販売する「アートプラザ」の創設
  (芸術の牙城を破る)
2)企業とのコラボイベントの開催
  (芸大を社会に開く)
  それを推進する「社会連携センター」も創設
3)それまで別行動だった「美術学部」と「音楽学部」の連携推進
4)学園祭「芸祭」で地元商店街と大々的に連携
5)海外の連携大学を5校から80校に拡大

2.文化庁長官時代の実績
1)「日本遺産」を広める活動を強化
  (認定日本遺産は100件を超えるまでになった)
2)日本の美を体感する「日本博」を年間を通し各地で開催
3)文化財保護法の改正(自治体が文化財の認可を受けやすくして
  それらを活かした町づくりに取り組みやすくする)
4)文化庁内のオフィス改革
  書類の整理、壁に作品掲示、エレベータホールでコンサート開催、
5)意識改革
  モットー「鼻歌まじりの命がけ」「ふかくこの生を愛すべし」
6)宮内庁「三の丸尚蔵館」の改築
  皇室に受け継がれてきた美術品等を収蔵しているが、
  これの展示も拡大できるように改築(23年から開館予定)

宮田氏は、上記改革について、気がついた時に
自らどんどん積極的に動いておられます。
石原さんは、
気がつくと部下に指示をして実現させたのだと思います。
したがって、部下の力の制約で
うまくいかなかったことも多々あります。

これで思うのは、改革の必要条件は、
トップが問題意識を持つことだという点です。
トップが強く指示をすれば部下は動きます。
宮田氏のような率先垂範型は理想ですが、
大企業ではなかなかそうもいかないでしょう。

実行面では、お二人のアプローチは違っていますが、
改革のスタートは問題に気がつくことです。
お二人に共通しているのは、芸術家という点です。
お二人とも、改革すべきことに気がつくのは、
芸術家としてのモノを見る目なのだと思われます。

それで思い出されるのはソニーの大賀典雄元社長です
(社長在任期間は1982年から96年まで)。
当時は「えーっつ、音楽家がソニーの社長!!」
とびっくりしたものでしたが、今やソニーグループの売上は、
約9兆円の内、ゲーム・音楽・映画が、約半分を占めるのですから
事業変革は大成功しているのです。

変革期のトップは、
直感の効く芸術家=右脳派人間がいいということでしょうか。

(2021/9/5)でご紹介したところでは、
これからは、以下のようなネコ型人間が重用される時代になるというのです。

ネコ型人間=マイペース型個人主義
 自発的な行動をする。
 自分の好きなことに積極的に取り組む。
 自分の能力・個性が活かせる道を選択する。
 直感がすぐれている。

いろいろ考えてみましょう!!