1.品川嘉也 日本医科大学教授(当時)著(1990年)
「気功の科学 大脳生理学が解明した『東洋の神秘』」
2.町好雄 東京電機大学工学部教授(当時)著(1995年)
「科学がとらえた超能力の正体 あなたにもある潜在能力」
どちらも書名に「科学」が入っています。
気功や超能力は一般には、
科学的なものとしては認められていないことを示しています。
「科学ですよ!」とアピールしているのです。
以下に、2書のご紹介をします。
項目見出し以外の太字部分は、該当書からの転載です。
両書とも1990年代の著作です。
かなりのことが解明されているのですが、
その後はあまり進展がないようです。
オウム真理教事件が1995年に発生し、
オカルト的な話題がタブーになったことと無関係ではないようです。
その頃までテレビの人気タレントだった冝保愛子さんが
ほとんどテレビに登場しなくなったのもその頃です。
A.品川嘉也 日本医科大学教授(当時)著(1990年)
「気功の科学 大脳生理学が解明した『東洋の神秘』」
1.著者の専門
大脳生理学
人間が抱くイメージの脳生理学的研究を行っておられた。
2.気功を研究するに至った動機
「気」も「イメージ」もともに高次の神経機能の働きの一つであり、
「気」を発しているときの脳波の動きを分析することによって
その実態に迫ることができるのではないかと考えられた。
3.見聞した気功の秘技
1)89年4月、気功研究の日中交流の使節団で、
メンバの一員が中国の英才気功師の診断を受けた。
2-3分凝視しただけで、メンバについて
「左側の上の背骨にケガのあとが残っています、
左側の乳腺のところが気の流れがあまりよくありません」
と診断された、
そのメンバは十数年前にモンブランで
800メートル滑落する事故に遭っている。
その時の傷跡を当てられたのである。
2)5年前(1985年)に筑波大学で「科学・技術と精神世界」
と題する国債シンポジュウムが開催された。
その時に新体動の青木宏之師範が『遠当』の実演を行った。
師範が精神集中して、入れると、
3メートルばかり先の攻撃者はどうとばかりに倒れた。
その後、十数人がかかっていったがいずれも同様に倒れ、
師範に近づくことはできなかった。
(その後の脳波の研究では、遠当をかけるものの脳波は
一瞬だけ激しく変化するのに対して、
受ける側の脳波は同時により激しく変化し、
その高い変化レベルがそのまま持続する、
という違いが判明している)
4.気功について解明した事項(本書の解説事項)
(1)気功とは何か
もともと気功は、
中国で道士、医家、儒者、僧侶、武術家などの様々な流派が、
伝統的に培ってきた「気」を鍛錬する諸技術の総称である。
その名称こそ新しいものの、
実体からいえば中国千年の歴史を持つ心身鍛錬法の一種である。
したがってその内容は、たとえば、導引、座禅、養生など、
多岐にわたっている。
1973年、中国湖南省の馬王堆3号墓(紀元前2世紀ごろ)から
気功の姿が描かれている帛画(布に描かれた図)が出土している。
中国では、優秀な気功師養成法のひとつとして、
近所のあの子が外気をよく出すらしいという噂が立つと、
気功師の先生がその子どもを引き取って
気功の訓練をほどこすという方法がとられているという。
外気は他人から教えてもらって出るようなものではない、
出る人は出るし、出ない人は出ないという。
(2)気功の種類
硬気功とは、
主に武術によって「気」を鍛錬し、超人的なパワーを発揮しようというもので、
別名「武術気功」とも呼ばれる。
訓練を積んだ武道家が、レンガを2本の指で気合もろとも砕いてみせたり、
直接体に触れることなく「気」のパワーだけで相手を投げ飛ばしたりする光景は
お馴染みであろう。
これに対し、主に医療や健康の維持促進のために行う「気」の鍛錬法が、
「医療気功とも呼ばれる軟気功である。
軟気功は「外気功」と「内気功」に分かれる。
外気功は、気功師が自分の体から「気」を体外に放射して、
それを受ける患者の病気を治療しようという技術である。
「気」の放射が中心になるところから「射気功」の別名がある。
外気功による治療の方法には、
気功師が患者の体に触れてマッサージのように行うケース、
指を患者に当てるだけで「気」を患者の体内に送り込むケース、
患者から少し離れて直接体に触れないで「気」を照射するケースなど、
がある。
内気功は、
自分自身で体内の「気」をコントロ432ールする訓練のことで、
すべての気功の中でもっとも基本的なものとされている。
内気功の中の静功は体を動かさないでする鍛錬、
動功は動かして行う鍛錬であり、
按功は、按摩やマッサージの中で気を生じさせる鍛錬である。
(3)気とは何か
中国の代表的な気功入門書「気功三百聞」にはこう書かれている。
「気は、古代の人々が自然現象に対していだいていた
素朴な認識のひとつである。
気は世界を構成する最も基本的な物質であり、
宇宙にあるいっさいの事物はすべて気の運動変化によって生ずる、
とみなしていた」
日本の識者はこう述べている。
a筑波大教授
「現代の見方に立っていうと「気」とはさしあたり、
心と身体を一つに結びつけている生命体に特有なエネルギーである、
ということができる。
心と身体、心理作用と生理作用の両方に関係を持つ」
b日本医科大学講師
「気とは人間と自然を結び付ける一種のエネルギーであり、
人間の心と身体、人間と自然とを根底において結びつけている
根元的な力である」
中国では、物質説が強いのに対して、
日本ではエネルギー説が主流だとのことです。
(4)気功について「科学的に」解明した事項
一言で言えば、気功時には脳波が特別な状態を示す、
気功は脳の働きである、ということを解明されました。
しかし、その脳の働きによって、
どうして「遠当」などが実現するのかについては解明されていません。
1)気功実施状態の人間の脳波は独特の様相を示す。
靜功状態では、自覚としては無念無想の状態であるにもかかわらず、
脳の活動状態を表すベータ波が激しく動く。
動功状態では、アルファ波、ベータ波とも後頭部に集中する。
(本書ではその詳しい状況が解説されています。
ご関心ある方は本書でご確認ください)
2)気功の受け手は、気功のかけ手と同じ脳波の状態となる。
(これを「脳波の同調現象」と称している)
(5)その他
1988年、中国では、
主として「特異効能」を研究する「人体科学学会」が設立された。
「特異効能」とは、
念力、テレパシー、千里眼、透視、予知、物体浮揚などである。
中国最強の気功師「厳新」は、遠隔気功を得意とし20キロ離れていても
発揮できると言われている。
(その厳新の力を日本テレビで検証した番組では
「何とも言えない」という結果でであったという)
上野注:その後その研究成果はどうなっているのでしょうね?
その後、確認できたところでは、
先生は1992年10月に亡くなられています。
大変残念なことです。
B.町好雄東京電機大学工学部教授(当時)著(1995年)
「科学がとらえた超能力の正体 あなたにもある潜在能力」
1.著者の専門
液晶や半導体、アモルファス太陽電池など電子工学の研究
2.超能力を研究するに至った動機
テレビ局から「中国から高名な気功師が来るので、気を測定してほしい」という依頼があって、それをやむなく受けたことがきっかけである。
3.見聞した超能力の秘技
1)中国の林氏は、気功麻酔で外科手術を多数実施している。
2)同じく徐氏は、講演中に多くの人に気を送り、
杖をついている人に杖を捨てて歩けるようにした。
3)訓練した子ども(中学生)が透視をした。
文字や数字を書いた紙を丸めて中が見えないようにしたものを
額に当てて中を当てる。
このとき、右前頭部の表面温度が高くなり、心拍数も上がった。
4)18歳の羅さんは、病気の診察・治療、透視ができるが、
透視の実験をした際に、顔の温度と心拍数が大きく上がり、
脳波、心電図、血圧、呼吸、皮膚電気抵抗に変化が見られた。
脳波は、右前頭葉のアルファ波の振幅が大きかった。
5)成都の「地震おばさん」は、
94年12月の実験で95年1月17日の阪神大震災を予告した。
6)北京の王先生は、気功治療医院をしておられるが、
骨折で松葉杖をつき両脇を抱えながらやってきたが先生の気で
僅か数分で完治し、松葉杖を置いて帰っていった。
テレビ局のスタッフが気をかけられて倒れた。
先生が「4人がかりで持ち上げてごらん」
と言うのでやってみたが、重くて全く動かなかった。
7)女性気功師◎錦さんは、リュウマチで歩行困難な患者を治した。
東京から富山の遠隔治療も行ったが、
大学病院での手術が基で下半身不随だった男性が
歩けるようになってしまった。
彼女が透視をしているときは、
右前頭葉と右視覚野が非常に強く働いている。
治療段階では、視覚野は働いていない。
8)英国人女性ヒーラー(ヨーロッパでは超能力者をこう言う)は
初対面のがんの疑いのある女性を診断して、
卵巣に異常があることを見つけ、治療を行った。
以下はその時、著者が測定したサーモグラフィーの記録である。
9)上海には「ガンクラブ」があり、ガンから生還した郭林氏が開祖の
気功でガンを治す会員4千人の団体がある。
4.超能力について解明した事項(本書の解説事項)
武術気功では、術中手などの体表温度を下げている。
その温度変化は急である。
医療気功では、術中、体表温度を上げている。
その温度変化はゆっくりである。
温度変化を起こす中心は経穴(つぼ)である。
気は直接接触しなくても相手に伝わり、「気」の場を作り出している。
その気の場は、エネルギーそのものではない
(そんな大きなエネルギーが出ていない)。