2022年11月27日日曜日

「(人類の繁栄と)格差の起源」

[このテーマの目的・ねらい]
目的:
 あらためて、人類の起源からの状況を再確認します。
 なぜ世界各国において繁栄の差があるのかを確認していただきます。
 (著者の主張は、格差発生の根本要因は「民族の多様性」にある、
  ということです)
ねらい:
 やはり、日本が今後発展していくためは
 「多様性」を積極的に高めなければいけないようです。
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本テーマは、「経済成長研究の世界的権威」である
オデッド・ガロー 米国ブラウン大学教授の「格差の起源」のご紹介です。
スゴイ研究書です。
ブラウン大学はこれまで7人のノーベル賞受賞者を輩出しています。
ガロー教授はイスラエル出身者で、
ノーベル賞候補であると言われています。

本書を日経新聞の書評欄に
「本書は『人類の繁栄と格差の起源』とすべきであった」とありましたが、
そのとおりで、本書の構成はこのようになっています。
第1部 何が「成長」をもたらしたのか
第2部 なぜ「格差」が生じたのか


本書は、330頁の大研究書ですので、丁寧なご紹介ができません。
代わりにその要約を、若干の「意訳」も交え
「あらすじ」としてご紹介させていただきます。
なお、氏のこういう主張は「統一成長理論」と言われているようです。

第1部の「あらすじ」

こうなっています。

人類の祖先は、6万~9万年前にアフリカを出た。
1.2万年近く前に、徐々に定住生活を始めた。

本書でも、「ミトコンドリア・イブ」のことが紹介されています。
現在生存しているすべての人間の直近の(女系)祖先である
「ミトコンドリア・イブ」が出現したのは、
今から15万年ほど前のアフリカだった。
当然ながら当時のアフリカにはほかにも多くの女性がいたが、
彼女らのミトコンドリアDNAの系統は最終的には途絶えた。
今日地球上にいる人類は全員、
女系の系統をたどるとアフリカのこの1人の女性に行きつくのだ。

農耕は数千年で世界に広まった。














農業革命が起こると、人類は新しい生活に社会的、生物学的に適応し、
技術の大きな変化が可能になると同時に、
技術の進歩にますます依存することになった。
突きつめれば、このサイクル
――その後、今に至るまで働き続けているこの根源的な力ーー
こそが、ホモ・サピエンスの数を大きく増やし、
人類が生活環境を制御する力を高め、
私たちを地球でもっとも有力な種に仕立てあげたのだ。

その後、技術進歩や共同生活進展によって食糧生産性を高めた。
しかし長い間、人類の一人当たりの所得は横ばいであった。
生産性を高めると余裕ができ、子孫を多く残した。
そうすると人口が増え、
生産量増は人口増で吸収されてしまったのである。
この現象は「マルサスの罠」と言われている。
それでまた、生活困難状態が発生し、人口は反転・減少した。
度々発生した黒死病などの疫病流行は人口減を引き起こした。

以下のような状況だったのです。

ホモ・サピエンスの出現から30万年近く、
1人当たりの所得が生存に最低限必要な水準を超えることはほとんどなく
疫病や飢饉が多発し、乳児の4人に1人は1歳の誕生日を迎えられず、
多くの女性が出産時に命を落とし、
平均寿命が40年を超えるのはまれだった。
















しかし、19世紀の産業革命がこの状況に変化を与えた。
産業革命は、人類史上突如発生したものではない。
やかんの水がある温度になると沸騰するように、
水面下では徐々に温度が上がる変化が発生していて
(各種の技術進歩の試みが行われていた)、
沸点に達するとブレークスルーが起きるのである。
そのように、
人類の(食料増産等に対する)開発能力が実を結んだのが
産業革命なのである。

産業革命の初期段階では、技術が急速に進歩し、所得が伸びるなか、
工業化の途上にある国々の大半で人口が急激に膨れ上がった。
ところが、19世紀後半にはその傾向は逆転し、
先進国の人口増加率と出生率は急落した。
こうした出生率の激減とそれに先立つことの多かった死亡率の低下は
「人口転換」と呼ばれるようになる。

産業革命期の技術の進歩は、いくつかの重要な点で、
子どもに対する量と質のトレードオフに新たな影響を及ぼした。

第1に、親の所得が伸び、
親は望めば子どもへの投資を増やすことができるようになった。
この「所得効果」のおかげで、
子どもの養育全般につぎ込まれる資産が増加した。

第2に、収入獲得能力の向上に伴って、子どもの養育の「機会費用」
つまり、労働の代わりに幼い子どもの養育に時間をかけることで
親が得られなくなる所得も増えた。
この「代替効果」は、出生数を減らす方向に働いた。

歴史的にみると、所得効果は代替効果よりも優勢で、
それが、出生率の上昇につながったと考えられる。

しかし、「人口転換」期にはさらに別の力も働いていた。
教育を受けた人だけが手の届く経済機会が生まれたことで、
親は収入のより多くを子どもの教育に投資するようになった。
こうして所得効果が出生率を上昇させ得る度合いは減殺された。













この図は、進学率の向上が出生率の低下と逆相関していることを示しています。

20世紀の後半、成長の時代がついに世界中の経済に訪れた。
この「成長」には人的資本の役割が大きく、
「人口転換」(人口減指向)が地球の隅々まで及んだ。

第2部のあらすじ
現在、以下の図のように世界各国の所得水準には大きな格差がある。


















【格差の発生要因]
格差の発生要因として考えられるのは以下である。
(上野注:これについて詳しい説明がされています)
1)19世紀の工業化時代の不均等な発展(搾取と収奪の影響)
2)制度の差(「収奪的制度(一部エリートによる国民からの収奪)」と
 「包括的制度(政治権力の分散、民活的制度)」
3)文化的要因(宗教、国民性、など)
4)地理的特性
5)農業革命の影響(早晩、産業革命によってこの影響は小さくなっている)

[格差発生の根本要因]
筆者はより根元的な要因として、民族の多様性を挙げています。
人類はアフリカで誕生し地球上に拡散した。
アフリカから遠ざかるほど、民族資質の多様性は薄まると考えられる。

筆者はそのことを以下のような分かりやすい例えで説明しています。

この現象は、「連続的創始者効果」と呼ばれるものを反映している。
ある島に、青、黄、黒、緑、赤の5種のオウムが棲みついている
ところを想像してほしい。
5種はみな、この島での生存に同じ程度まで適応している。

ところが島を台風が遅い、
わずかな数のオウムが遠く離れた島に吹き飛ばされた。
この小集団には、元の5種のオウムがみな含まれている可能性は低い。
おおかたが赤いオウムかもしれないし、黄色や青かもしれない。

そして、新しい島を程なく埋め尽くすことになるその子どもたちは、
親の色を受け継ぐ。
したがって、新しい島で発展するオウムのコロニーは、
元の島にいたコロニーよりも多様性が低くなるだろう。

さらにその第2の島から第3の島に少数のオウムが移住したら、
その集団の多様性は前の二つのコロニーの多様性より
さらに低くなっているだろう。
こうしてオウムが、生まれた島で変異が起き得るペースよりも速く
新しい島に移り棲むかぎり、
元の島から(連続的に)遠くに移住するほど、
集団内の多様性は低くなっていく。

そこで以下のように、各民族のアフリカからの距離を多様性の尺度とし、
経済指標等との関連を分析されています。






この各図で、左側がアフリカから近い国で右に行くほど遠い国です。
これによると、
すべての指標において、各点のばらつきは山の形をなしています。
ということは、多様性の「最適解」があることを示している、
というのです。

多様性が大きすぎると、
社会的な相互作用の中で個人の価値観や信念や嗜好の幅を広げる
ことによって、個人間の信頼を低下させ、
社会の結束を弱め、内戦を増やし、公益の提供を非効率化している。

逆に、多様性の高まりは、経済の発展を促してもきた。
技能や問題解決の取り組み方など、個人の幅を広げることによって、
専門化が進んだり、
革新的な活動でアイデアの「交雑」を後押ししたりし、
変わりゆく技術環境に迅速に適応することが可能になるからだ。

多様性が低い(均質である)と、
社会の結束は強いが、新しいものを取り入れることに消極的である。

多様性が経済の繁栄にいちばんつながりやすい「スイートスポット」
があるが、その水準が過去数世紀のあいだに上がった。
このパターンは、
高度な発展段階の特徴である急速に変化する技術環境では
多様性がますます有益になるという仮説と一致する。

このように発展の過程で多様性が次第に重要になる傾向は、
中国とヨーロッパのあいだで境遇の逆転劇が起きた原因に
新しい光を投げかけてくれる。

西暦1500年に
発展にいちばんつながりやすい水準の多様性が存在していたのは、
日本や朝鮮や中国のなどの国々だった。
そうした国の比較的高い均質性は、
明らかに技術革新こそ抑制したものの、
それ以上に社会の結束を強めたので、
1500年以前の世界では理想的だった。

当時は技術の進歩がまだ遅く、
そのため多様性の恩恵は限られていたからだ。
だが、続く5世紀のあいだに技術の進歩が加速すると、
他国に比べて高い中国の均質性は
経済成長の時代である近代への移行を阻む足枷になり、
経済の優位性を、もっと多様性の高いヨーロッパの社会へ、
やがては北アメリカへと譲ることになったと見られる。

今では、経済の発展にもっとも有利な多様性の水準は、
アメリカの多様性の現時点での水準に近くなっている。

こういう解説もされています。
1人当たりの所得の2010-2018年の平均に表れた
繁栄の国家間格差のうち、原因が分からない部分の
 約4分の1(25%)は、
 この「社会の多様性」に帰せられる可能性がある。
比較のために言えば、同じ方法を使うと、格差のうち、
 地理と気候の特性で説明できるのはおよそ5分の2(40%)
 病気の蔓延のしやすさでは約7分の1(14%)
 民族や文化の要因では5分の1(20%)
 政治制度で説明できるのは約10分の1(10%)だ
 (上野注:その根拠は示されていません)

だが、
多様性が繁栄を左右するこれほど強力な要因であるにもかかわらず、
国の運命はけっして石に刻まれたように確定されてはいない。
現実はむしろその反対だ。

多様性の力の本質を理解することによって、
その恩恵をより大きなものにする一方で
弊害を抑えるような適切な政策を立てることは可能なのだ。

一般的には、
すでに存在している水準の多様性を最大限に生かすことを目的にした
教育政策を実施すれば、多くの成果が得られるだろう。
多様性が非常に高い社会はそうした政策を通じて寛容な心を育み、
差異を尊重することを目指す。

とても均質な社会の場合は、新しい考えを受け入れることや、
物事を鵜呑みにしないこと、
現状に満足せずに進んで改革を行うことを奨励する。

実際、多元主義や寛容や差異の尊重をうまく促す方策をとった社会は
多様性をさらに高め、国の生産性向上につなげられるはずだ。

そして、技術の進歩が向こう数十年でさらに加速する見込みが高い以上、
人々の結束を強めつつもその弊害を減らすことができる社会では、
多様性の利点は今後も増す一方のはずだ。

因みに、オデッド博士の出身地であるイスラエルは、
「出アフリカ」から最も近いところにあり多様性が高いのです。

この章の最後に、結論的に以下の記述があります。
  【発展の違いの根本的な原因】


人類の歴史の長い道のりからは次のことが明らかになる。
地理的な特性と、人口集団の多様性こそが何をおいても、
世界の格差の背後にあるもっとも根深い要因だ。
一方、文化や制度の環境への適応はしばしば、
世界各地の社会で発展の進む速度を決めてきた
(上野注。筆者はこれらは副次的要因だと言っているのです)。

一部の地域では、成長を促すような地理や多様性のおかげで、
文化の特性や制度の特徴が環境に迅速に適応し、
技術の進歩の加速につながった。
何世紀ものち、この過程が人的資本の需要爆発を引き起こし、
出生率が急落し、
それによって近代という成長の時代への移行が早く始まった。

別の場所では、地理や多様性と文化や制度の相互作用のせいで
社会がもっとゆっくりと旅路を歩むことになり、
マルサスの罠から逃れる時期が遅れた。
こうして、
現代世界に見られるような巨大な格差が生まれることになったのだ。

この指摘を受けて私はこう考えました。

日本人は、世界で最も均質性の高い大国でしょう。
この島に棲む日本人の祖先である縄文人は、
各方面から日本に移り棲み(多様性大)、2万人からスタートして
ピーク時の縄文中期に26万人に達しましたが、
寒冷期の縄文晩期に8万人に急減しています。

おそらく、生き延びた縄文人の多様性は
かなり小さくなっていたと想定されます。
もともとユーラシア大陸の東の果てで多様性が高くはないところに
さらに、その多様性を狭めてしまっているのです。
その血を、現在の日本人が受け継いでいるのです。

本書の主張に従えば、
日本列島に住む日本人が、これから発展していくためには、
多様性の増大は避けて通れない、ということになります。

いい加減な「国粋主義者」だった私も、
日本は永住型移民を積極的に受け入れた方がよい、と思うようになりました。

2022年11月25日金曜日

「農家はもっと減っていい」ですって!!

[このテーマの目的・ねらい]
目的:
 日本の農業の実態を確認していただきます。
 農業の中で小さくても強く生き抜く方法を研究いただきます。
ねらい:
 これからの日本の農業のあり方を知っていただくために、
 ぜひ本書をお読みになったらいかがでしょうか。
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「農家はもっと減っていい」は、実際に農業ビジネスをしている
久松達央氏の2022年8月刊行の書名です。
本書は、極めて実践的であると同時に立派な学問的研究書でもあるのです。
氏は、1994年に慶応大学経済学部を卒業後、
帝人に数年勤めた後、独立して農業を営んでいます。



本書を紹介した日経新聞の書評では以下のような記述があります。
本書を読むと「この人、農家なの?」と驚くのではないだろうか。
農業本は、お約束のフレーズや鉄板の美しい物語がちりばめられがち。
しかし著者の筆は、お決まりのストーリーに囚われない。
経済学・経営学・社会学・文化人類学・教育学・マネジメント論・医学などなど、
農業以外の知見を存分に駆使することで、農業の現実を浮き彫りにする。

私は、日本の経済の今後の方向性を研究する一環で本書を読みました。
著者久松氏は、同じ帝人OBの私が感服するスゴイ人でした。

本書の構成はこうなっています。
第1章 農家はもっと減っていい
第2章 淘汰の時代の小さくて強い農業
第3章 小さくても売れる 淘汰の時代の弱者の戦略
第4章 難しいから面白い ものづくりとしての有機農業
第5章 自立と自走 豊かな人を育てる職業としての農業
第6章 新規就農者はなぜ失敗するのか
第7章 「オーガニック」というボタンの掛け違い
第8章 自立した個人の緩やかなネットワーク 
    座組み力で生き抜く縮小時代の仕事論
第9章 自分を「栽培」できない農業者たち
    仕事を長く続けるための体づくり心づくり
参考文献 40種が挙げられています。
     完全な専門書スタイルです。

この内容を以下のように整理してみました。
生々しく、具体的な内容はお伝えすることができませんので、
ご関心のある方はぜひ本書をお読みください。

1.農業の現状
農業は大淘汰・大規模化の時代になっている。
(1)基幹的農業従事者の状況 大幅減少と高齢化進展
       人数    平均年齢   65歳以上の比率
 2005年 224万人 64.2歳   57%
 2020年 136万人 67.8歳   7割


 











就農者数の外国人比率
30代以下では1-2割(茨城県では3人に1人)


(2)農業売上の状況 大規模農業者への集中



 

・農家の8割は売上500万円以下
・0.1%の事業者が3割近くの売上を上げている。



売上高5千万円以上の経営体は、
 2000年に   1,722だったが、
 2020年は  20,982になっている。

農業法人は、売上高5千万円を境に、
経営が雇用型(創業者一家よりも雇用者の方が多くなる)になっている。

(3)耕地面積 全国
1961年 609万ヘクタール(これがピーク)
現在    440万ヘクタール
    耕作放棄はせいぜい40万ヘクタール
    残りは宅地等に転用されている。

(4)耕地面積 1農家当り
10ヘクタール以上の農家比率
 2000年 26.1%
 2020年 55.3%

以上を要約すると、
耕地面積は大幅減少、農業従事者は大幅減少と高齢化の進展が
着々と進行していて、
経営体の大規模化もかなり進展している、ということです。

2.水田稲作の生産方法の変化
各種機械の開発により、規模の効用が実現する事業となっている。
以下の図で見ても、規模によるコスト差は2倍以上ある。
生産性では、
手作業中心方法は大規模生産にまったく太刀打ちできない。
しかし、土地の集約が進まなければ、生産性の大幅増大は実現しない。














3.零細農家が生き残っている理由  
一般的な市場原理からすれば、存在しえない零細農家が存続する理由は
以下の点にある。
1)兼業者が多い
 前掲図で売上高500万円以下の層は大半が兼業農家である
 (それでなければ生活が維持できない)
2)国の生産補助がある
 2009年から2012年までは10アール当たり15000円の米農家への補助金があった。
 それ以外にも、各種の補助金が出されている。
  
3)農地であることの税制有利がある
 農地の固定資産税は安い。
4)市街化すれば土地の売却益が得られる
 その可能性があれば、農地を保有し続ける。
5)廃業せずに惰性で続けている
 自家消費中心で細々と続けている。

本書にはこういう記述があります。
素晴らしい見識です。
農地法は、農地の売買賃貸を制限しているのは、
耕作者が安定して農業を続ける権利を保護するためです。
しかし、結果としてこの制度が、
農家が既得権益として安いコストで農地をを長期間保有し、
都市的利用のために転用する際にはその利益を丸々享受することを
可能にしてしまっています。
これは明らかに農地法の立法趣旨の逸脱です。

が、このことを正面から問題にしている学者はごく一部です。
農家もまた、脛に傷があるせいか、
積極的に議論する人は多くありません。

農水省は、2015年に
「農地流動化の促進の観点からの転用規制のあり方に関する検討会」
を開きましたが、明確な結論は出せませんでした。
米騒動を発端として、社会政策として自作農主義が始まってから100年。
時代状況が大きく変わっても日本の農業に影を落とし続けている
この「耕作者主義の呪い」は、長期的な土地利用制度設計の失敗例として
歴史的に検証されるべきだと考えます。

まったくそのとおりです。
タダで国から配分された土地が、市街化することによって
莫大な不労所得を生み出していることは、
単なる勤労者から見て割り切れなさを感じます。

4.新規就農者の現状
(1)その規模 (農水省の発表した2020年の数字)
「新規就農者数」5.4万人
その内訳
「新規自営農業就農者」(主として農家の後継ぎ)約4万人
 なんとその半数は65歳以上。49歳以下は僅か8.4千人しかいない。
 この中には農業経営を引き継ぐ人もいますが、農業には関わっておらず、
 定年や親の引退に伴って「名義変更」しただけのケースも多くあります。
「新規雇用就農者」(農家や農業法人に勤める人)約1万人
 かつては農業法人に就職することを独立へのステップとして考える人も
 多かったのですが、現在は普通の就職に近づいてきています。
 半数以上が、農業販売額年間1億円以上の経営体に雇用されている。
「新規参入者」(農外から自営で農業を始める人)3.6千人

本当の意味で、
農業ビジネスに新規参入しているのは最後の3.6千人だけである。

(2)新規就農者への支援
年間20億円の予算が投入されている。
新規就農者に対して年間150万円の助成金を支給している。
その審査は杜撰(著者曰く)である。
助成金は、農業事業確立のための「投資」支援のはずが、
単なる収入補填となり、就農者を甘やかし、
その収入に依存する体質を産んでいる。
そのために、支給を受けた者はほとんどが農業で成功していない。
(そこで2022年からは、金融機関の審査をパスした計画にだけ
融資する仕組みが「増設」された)

5.新規農業参入成功のヒント
農業で安易にビジネスが成功できると思うな、
今はそういう時代ではない。
今や、農業ビジネスは大企業が牛耳っている。
そこに対抗するのは、生半可なことではおぼつかない。

(1)小さい農業の生き残り術
①価格競争の土俵に乗らない。 
 大規模農業体が作るものは作らない。
②皆がいいと思うものに思うものに手を出さない
 大規模農業が参入してくる。
③セールスポイントを曖昧にする
 はっきりさせると真似される。
 感性でこれはいいと思われることを狙う。

これは、農業以外にも通じる弱者の生きる道でしょうね。

(2)「ファンベース」の農業を続ける条件
(「ファンベース」とは、
品質や価格などひと目でわかる機能価値ではなく、
共感や愛着を基に商品やサービスをアピールしていく
マーケティング手法)

①「みじめな範囲」を逸脱しない
手はかかるが、コツコツ自分で広げていける商売のフィールドを、
私は「みじめな範囲」と呼んでいます。
1人でこなせる面積のビニールハウスで美味しいトマトを
地元の常連の固定客にだけ売る。
限定生産のこだわりのりんごを口コミで広がったお客さんにだけ買ってもらう。
大規模にやっている人が面倒で手を出さないところを丁寧に固めていくことが、
みじめだが堅実な商圏をつくります。

②偏る勇気を持つ
弱者には、バランスよく全方位に戦うだけの戦力はありません。
無理に360度を意識すれば、どの方位も中途半端になります。
勝てるところを徹底的に磨く代わりに、
捨てるところは大胆に捨てる。
小さくて強い農業に最も必要なのは、「偏る勇気」なのです。

なるほど、そうなのでしょうね。
(3)新規就農者へのアドバイス
その1「何をやるかより誰とやるか」
今や一人で何かを成功させるのは困難である。
よき仲間や組織を見つけてそこで腕を磨き発揮する。
久松農園の例が示されています。

その2「身の丈」に合わせる
小さな経営の新規参入者が先行者と正面から戦うのは無理筋です。
身の丈に合った「みじめな範囲」で足場を固めることに注力することが肝要。
新規参入者は、体を使って頭を使えば、
勝つ戦いはできなくても、負けない戦いは十分に可能です。

ニッチにはニッチなりの行き方がある、
安易な脱サラ感覚では成功しませんよ、という忠告です。
脱サラで農業を、と考えている方は、ぜひ本書を参考になさってください。

2022年11月24日木曜日

「東大生の考え型」って何ですか???

[このテーマの目的・ねらい]
目的:
 現役の秀才東大生が書いた「考え型」の書をご紹介します。
ねらい:
 この内容は社員教育で使えばいいでしょうね。
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「東大生の考え型」は、22年6月に刊行されたビックリの本です。


21歳の現役の東大生永田耕作さんが書いたものです。














「かんがえかた」と言うと「考え方」と思いますが、
そうではなく「考え型」なのです。

「考え型」とは、
モノを考えるときには、この型(様式)を使うといいですよ、
というものです。
それを以下の9つの場合について示しているのです。
理解、分析、整理、改善、目標設定、読解、記憶、取捨選択、説明
この9つのテーマを対象に合計29の様式とその作成サンプルを
提示しています。
巻末には、この29様式と記入例が収録されています。
たいへん結構です。

サンプルは「勉強」を題材にしたものも多いのですが、
ビジネステーマも含んでいます。
実務経験も積んでいない学生が「何でそんなことできるのだろう?」
と不思議に思います。

著者について、本書ではこのように紹介されています。

2001年生まれ。愛知県名古屋市出身。
公立高校から学習塾に入らずに現役で東京大学理科一塁に合格。
東京大学の進学振り分けシステムにおいて文系へと転向し、
現在は東京大学教育学部に所属。

幼少期は家族が不安になるほどの「数学マニア」で、
常に計算機を肩からぶら下げて歩いていた。
両親によると、
立って歩けるようになったのが1歳3か月と平均より遅く、
そのときにはもう
簡単な足し算引き算はできるようになっていたらしい。

5歳のときに「公文式」に入会し、算数数学の勉強を突き詰める。
小学5年生に「公文の数学の教科をすべて終了して退会。
「答えが一つに定まっているもの」に非常に大きな魅力を感じ、
取り憑かれるように数学の勉強を行っていた。

そんな一面とは裏腹に、人とのコミュニケーション能力や運動能力は
同年代の子どもに比べてかなり劣っていた。
それを心配した両親が野球部への入部を提案。
最初は半ば「やらされる」形で始めた部活動であったが、
徐々にスポーツに魅力を感じるようになり、
また集団スポーツでの経験を通して人との対話能力、
思いやりの心などが育まれていった。

中学校、高校でも同様に野球部に所属。
部活動によって勉強の時間は圧縮されたが、
「練習で自分の苦手を潰して、
試合で自分の力を最大限に発揮する準備をする」
という努力の「型」を勉強にも活かして受験勉強を乗り切った。

2021年2月から株式会社カルぺ・ディエムに所属し、
現在はさまざまな学校の高校生に「勉強との向き合い方」や
「努力の大切さ」を伝える講演活動を実施している。
自分自身のこれまでの経験や、大学で学んでいる教育論を整理しつつ、
中学生高校生とも触れ合いながら自分自身の考えを洗練させている。

ということで、かなりの逸材です。

掲載されている様式や事例のサンプルを示します。
クリックして拡大してご覧ください。





















ご覧のように、特別な発明的様式ではありません。
でもそれを、これだけ集めて出版できるというのはすごいことです。

こういうことができるのは、東大生のごくごく一部でしょう。
したがって書名の「東大生の」はフェイクで、
「ある東大生の」とすべきです。

ところで、この本の内容は誰が参考にするのでしょうか。
受験生がこれを取り入れれば、
その人は、永田さんと同じように合格し、
社会でも有用な人間になるでしょう。
しかし、普通の人はなかなかそこまでできないでしょうね。

そこで、新入社員研修で特訓すればいいのかもしれません。
ついでに当社の「価値目標思考」も合わせればなお有効でしょう。
ということで、最後は当社のPRをさせていただきました。
ゴメンナサイ!

2022年11月7日月曜日

二木英徳氏を偲ぶ!!

[このテーマの目的・ねらい]
目的:
 二木英徳氏の偉業を偲びます。
 心から哀悼の意を表します。
ねらい:
 二木氏が心を休めておられることをお祈りいたします。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
2022年8月10日に亡くなられた二木英徳氏の「偲ぶ会」が
11月1日帝国ホテルで開かれました。
主催はイオン株式会社で喪主はお嬢様の二木英美さんでした。
当日の祭壇です。











次の図は、当日配付されました小冊子の表紙です。
お嬢様の揮毫です。

氏は、私と大学同級、空手部同期の仲間でした。
健康を損なって入退院を繰り返していましたが、
恢復の噂もありましたので急逝という感じで誠に残念なことでした。

氏は今年春の叙勲で旭日重光章を受章されたのですが、
ギリギリ間に合ってよかった、という感じになりました。
本人は叙勲式に参列できない状態だったので、
お嬢様が代わりに受け取られたそうです。

旭日重光章は以下の表にありますように、かなり上位の勲章です。
氏の受章理由は、産業振興功労とスポーツ振興功労でした。
日本体操協会長の功績も認められているのです。

勲章の種類と受賞者の例示

勲章の種類

例示

大勲位菊花章

 

旭日大綬章又は瑞宝大綬章を授与されるべき功労より優れた功労のある方

吉田茂、佐藤栄作、中曽根康弘、安倍晋三

桐花大綬章

衆議院議長

旭日章

国家又は公共に対し功労のある方

功績の内容に着目し、顕著な功績を挙げた方

旭日大綬章

参院副議長、最高裁判事、

副大臣、NTT社長

旭日重光章

大企業社長、県知事、副大臣、参院委員長

旭日中授章

市長、眼科医会長、日弁連副会長、コシノジュンコ

旭日小授章

 

旭日双光章

 

旭日単光章

 

瑞宝章

国家又は公共に対し功労のある方

公務等に長年にわたり従事し、成績を挙げた方

瑞宝大綬章

駐米大使、宮内庁長官

瑞宝重光章

名誉教授、事務次官、高裁判事、高検検事長、

瑞宝中授章

名誉教授、病院長、官庁局長・部長

瑞宝小授章

 

瑞宝双光章

 

瑞宝単光章

 

没後、従四位に叙せられました。
たいへんな名誉です。

1.二木英徳氏のジャスコでの功績
氏は、1984年から12年間、ジャスコの社長を務められました。
岡田会長との役割分担は、二木社長がCOO、
岡田会長が対外事業戦略ということでした。

因みに、ジャスコ(JUSCO)は、1970年に地域スーパーだった
フタギ、岡田屋、シロのトップが意気投合し
共同出資で設立した仕入れ会社が起源です。
JUSCOという社名を考えたのは、二木夫人の榮海さんでした。

ジャスコ単体の業績は、1985年売上7612億円に対して、
1995年には売上1兆2020億円と58%増加させています。
連結では、8813億円が2兆950億円と2.4倍にもなっています。
この間、バブル崩壊もありましたのに、
最終利益は単体で100億円以上を確保し、
連結では子会社群が黒字化し、1995年には311億円となっています。

当日配付されました「二木英徳を偲ぶ」冊子に掲載されました写真を
転載いたします。



同冊子の写真の注;1995年藍綬褒章を受章。貿易振興への貢献、
社業を通じた衣料品分野の産業振興への貢献が評価された。










(その関連記事)「国際化。多角化に尽力」
英徳は、
ジャスコ設立当初より経営の中心に合った事業多角化の道を探り、
活発な新会社設立に取り組んだ。
またグローバルな視野を持ち国際感覚に優れた英徳は、
初の海外出店をマレーシアで実現すると
グループの国際化を積極的に展開。
英徳の挑戦は今日のイオングループ戦略の一つである「アジアシフト」
礎となり、現在も拡大を続けている。

ジャスコは連邦経営で有名ですが、中に対しては
二木社長は現場重視思考で
「現場の英雄」を表彰する制度を作られたりしました。
「二木英徳を偲ぶ」冊子には、
多くの人が氏の優しさ・思いやりに触れていました。
その一つをご紹介します。

 目指すべき素晴らしいリーダーでした
私は入社以来、ジーフット(靴専門店事業)の会長時代まで
40年近くご指導いただきました。
二木さんは朝から晩まで店を回って数字と現場の両方を徹底的にみる。
こちらが課題のある売場をうまく避けようとしても、
「できてないところは匂うんや」と必ずチェックされる(笑)。
現場で足元を固めながら、一方で大きなビジョンに向かうことが、
多角化成功の秘訣だったと思います。
今でも頭に残っているのは、「自ら考え、自ら実行」のスローガン。
「みんな主体的に仕事をやろうよ」と。
そこで現場の英雄が生まれ、
成功事例を早く拡げて会社の成果につなげる。
そういうマネジメントをやられたんだと思います。
人生で一番長い時間を費やす仕事の時間は、人生にとって大切です。
二木さんのお陰で非常に楽しく仕事ができ、とても感謝しています。
(後略)     1979年ジャスコ入社 MHさま

「これからの経営者」に求められる資質を、
江川雅子成蹊学園学園長が、ハーバードビジネスレビュー11月号で
次のように述べられています。
①組織のパーパス(目的)を定め、体現し実践できる力
②利害関係者と適切にコミュニケーションする力
③インテグリティ(倫理観)

上記のMHさまのメッセージは、①②そのものです。
冊子には、労働組合の責任者との熱い交流も紹介されていました。
③の倫理観につきまして、ジャスコは氏の統治中およびその後も
一切不祥事を起こしていません。
氏は、「これからの経営者」の条件を完全に満たしていた
素晴らしい経営者だったのです。

2.日本体操協会会長としての功績
二木氏は、2001年から2021年まで、20年間、
日本体操協会の会長をされました。ビックリすることです。
日本国内での体操競技の認知を高め、選手を鼓舞し、
日本体操陣の国際試合での大活躍に貢献されました。
氏が会長を務めた20年間の日本の体操男子の成績を
団体戦に絞って整理したものが、次の表です。

日本男子体操世界大会団体の成績

大会種別

団体の成績

優勝国

2001

 

不参加

ブルガリア

2002

 

団体戦なし

 

2003

 

中国

2004

五輪

日本

2005

 

団体戦なし

 

2006

 

中国

2007

 

中国

2008

五輪

中国

2009

 

団体戦なし

 

2010

 

中国

2011

 

中国

2012

五輪

中国

2013

 

団体戦なし

 

2014

 

中国

2015

 

日本

2016

五輪

日本

2017

 

団体戦なし

 

2018

 

中国

2019

 

ロシア

2020

五輪

ロシア

2021

 

団体戦なし

 

2022

 

中国

注:大会種別のブランクは、世界体操競技選手権大会

以下は、「二木英徳を偲ぶ」に掲載されました内村航平選手の談話です。

 自分が選手のように結果を求める
初めて代表に入った2008年の北京オリンピックから
お世話になりました。
二木会長は体操ニッポンの復活を掲げられ、
「何で団体で勝てないんだ」と
自分が選手のように公の場で言っておられました。
リオオリンピックでチームをまとめて金メダルに導けたのは
会長の話があったからこそだと思っています。
(注:前掲表の2016年のことです)
僕達が本当に競技に専念できる環境を作っていただきましたし、
北京以降はスポンサーもつき、
体操の価値を会長が上げてくださったと感じています。
頑張った選手には労ってくれる素晴らしい方で、
二木会長の御尽力に対してとても感謝しています。

二木会長は、活躍した個人に、ポケットマネーでかなりのお祝い金を
出していたのだそうです。

氏は、2013年に世界体操殿堂入りを果たしています。
世界体操殿堂入りは、日本で10数人いますが、
選手以外では氏一人だけです。
氏の体操会への貢献が世界的に認められているということです。

3.二木英徳氏の思い出
(1)いただいたもの
彼がジャスコの社長になった1984年は、
私がマインドリサーチ社を創業した年でもありました。
その時のお祝いに、
「ユッカ」の植木鉢をわが家に送ってくださいました。
娘が由夏という名前なのでそれに因んで選んでくれたそうです。
優しい心遣いです。

そのユッカはわが家の玄関先に植え替えましたらどんどん大きくなり、
今でも元気に育っています。
この樹を見れば、彼のことは忘れないでしょう。


この写真は見にくいですが、
元気なことだけはお分かりいただけると思います。 














(2)仕事の恩人です
1984年の創業後、システム分析方法論MIND-SAを売り出しましたが、
実績ゼロだとお客様から相手にされず2-3か月苦労していました。
彼は、ジャスコの社長になられると、
部下にMIND-SAの検討を指示してくださいました。
すると、部下の部長3人が説明を聞きに来られまして、
即断で第1号のユーザとなっていただきました。

これを契機に、MIND-SAは
数年で250社に導入いただくヒット商品になったのです。
二木氏は我が社にとって大恩人です。

大学の仲間は弁護士になった者も多いのですが、
その何人かはジャスコの顧問弁護士にしていただいています。

(3)エピソード
大学のクラス会では、旅行会もしていました。
1980年の第1回の旅行会は伊豆長岡でした。
その時、幹事の私が「夫婦同伴可だから奥様もどうぞ」と言って
彼を誘いました。
そうしましたら奥様の榮海さんと一緒に参加されました。
当時からその愛妻ぶりは有名でした。

ところが、他の男性は誰も奥さんを連れてこずに、
奥様は1人だけとなってしまいました。
それでも、彼は「なんだね。うちとこだけかい!」とか
私に言うこともありませんでした。
私にはまねのできない「思いやり」です。
その後、その旅行会では、奥様同伴の者が増えていきました。
彼はなんでも先駆者ですね。

(4)むかし話
彼は、学生時代は裕福だったので?
結構「遊び人」だったようです。
渋谷のスナックに通っていたのは有名でした。
貧乏な我々が行くのは、その近くの「トリスバー」で、
1杯40円のウィスキーとかを飲んでいました。

その彼が、榮海さんと結婚してからは、
まったく他の女性には関心を持たない
「まじめ人間」に変身?しましたので
皆でビックリし感心していました。

(5)空手部仲間としての思い出
彼は、我々と同時に空手部に入部しました。
しかし、厳しい稽古は苦手なのか、
あまり熱心な部員ではありませんでした。
それでも卒業後の仲間としては、
しっかりイベントに参加してくれました。

こちらも夫婦同伴の旅行会をしていました。
幹事は持ち回りでした。
彼が幹事のときに、東北3大祭りを見に行く会をしてもらいました。
仙台の七夕祭りは時期が違うので、
青森のねぶた祭と秋田の竿燈祭りに行きました。
その時に、彼が地元の関係者に取り計らってくれたのでしょう。
ずい分恵まれた楽しい大名旅行をさせていただきました。

関西旅行をして、夙川のご自宅を訪問し、
奥様のお仕事の作品などを見せていただくなどのこともありました。

奥様は、文化服装学院デザイン科卒業で、
コシノヒロコさんと同窓でした。
ファッション関係に強く、
ジャスコの婦人服事業の責任者もされていました。
冊子には、
コシノヒロコさんが、
二木夫妻との家族ぐるみのお付き合いだったことと、
彼女が世界体操のユニフォームをデザインしたことを
紹介していました。

奥様は才女で、
テーブルコーディネータ(注)としては日本一だと
言われていました。
注:ホテル内のレストランやパーティーでのテーブルの飾りつけ、
  食器などのコーディネートをする仕事

その奥様、氏の最愛の夫人榮海さんは、
2015年11月7日に76歳で亡くなられてしまいました。
彼の落胆ぶりは如何ばかりかと、
同年12月18日に在京の空手部仲間12人が全員集まって
「二木英徳さんをが励ます会」を開きました。

住まいである赤坂のマンションの共有スペースで
参加メンバ持ち込みでの会をさせてもらったこともありました。
2019年4月8日でした。いい思い出です。
写真中央の白髪の紳士が彼です。
左の女性はご協力いただいたお孫さん。



今年の会は、4月21日に,OB10人、夫人4人が参加し
ホテルのレストランで会食しました。
その時に、彼は体調を崩し入院中で参加できませんでしたが、
幹事の私が作成した参加者の近況報告レポートを送りましたら、
興味深く読んでくれたそうです(秘書の方談)。
その後、快復しているという噂もありましたので、
再会を楽しみにしていましたら、突然の訃報です。
ショックでしたね!!

今は、最愛の榮海様と再会し、
心の温まる時間を過ごしておられるのでしょう。
心からご冥福をお祈りいたします。