2021年9月26日日曜日

大企業の信じられない「間抜け」はなぜ??

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 みずほ銀行と東電柏崎刈羽原発の不祥事の遠因を想定いたします。
ねらい:
 「丸投げ」はすべてやめましょう。
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信じられないようなことが起きています。
9月23日の日経新聞に二つの事件報道がありました。

1.金融庁、みずほ「強行介入」
  障害究明遅れで実質管理
  ご承知のように、みずほ銀行のシステムが今年になって
  数度の障害を起こしていますが、
  原因究明が不完全であることに対して金融庁が介入を行う、
  というものです。
  銀行のトップが頭を下げてもすまない状況に立ち至ったのです。

2.柏崎刈羽原発不祥事 東電が報告書
  対テロ「リスク認識に弱さ」
  侵入者を検知する監視の故障を30日以上放置していた、
  東電の社員が他人のIDカードを使って中央制御室に入室した、
  配管が壁や床を貫く約8000か所のうち72か所で火災対策工事未了、
  100個の火災報知器が設置すべき場所に取り付けられていなかった。
  というようなことが起きているのです。
  原子炉等規制法ではテロ対策の外部漏洩を禁止しており情報共有が
  不十分になりやすい、こうした「秘密主義」が
  外部からのガバナンスを及びにくくした、
  との指摘も記述されています。

【なぜこんなことが起きるのか】
私は、以下のようにこの両社への関りがありました。

みずほ銀行創立(興銀、富士銀、第一勧銀が合併して成立した)の際に
それぞれの銀行とのお取引があり影響を受けました。
3行は、対等合併の形式的条件を守るためにお互いに遠慮して
有機的に一体化するということができませんでした。
それは情報子会社でもまったく同じことでした。
誰も本当のことは分からない無責任体制になっていました。

かたや、東京電力殿とも長年のご縁で
その風土も把握させていただいておりました。

その経験からしますと、共通して言える今回の不祥事の遠因は、
以下のとおりであると想定いたします。

1.開発時に維持運営のことを軽視している
 原発でもシステムでもメインの部分の開発者は花形で、
 副の部分の開発は重視されません。
 原子炉本体の開発が花形で、
 冷却系は副でしたのでいい加減な対応をしたことが、
 福島第一原発の事故につながっています。

 システムの開発では、
 システムの利用者から見えるアプリの部分が花形で
 それを支えるインフラ系は副の位置づけです。
 まして、維持運営のことは軽視され、
 システムの開発時には後回しになっています。

 維持運営の精通者が、システム開発の際に積極的に参画する、
 ということはなかったのではないでしょうか。
 維持運営のことをよく分からない人たちだけで
 システムを作っているのです。
 少なくとも「昔」の開発はそういう状況でした。

 原発の維持運営も同じことでしょう。
 
2.専門的機能分業に伴い責任分化が進んで、
  お互いの情報連携が不十分になっている。
  その結果で、日ごろから「他人のしていることは知らん」
  「他人のしていることに口出ししない」
  という無責任体質になっている。
  その結果、「ブラックボックス化」や、
  誰も分からない「つなぎ部分」が発生します。

3.専門技術的領域について、上位管理者が十分理解できないので
  担当に丸投げとなっている。
  丸投げとは、技術の具体的なことについては分からくても、
  管理者として押さえるべきポイントは押さえなければならないのに
  それをしていない、ということです。

  みずほの場合だと、
  銀行側の人たちは「技術のことは『情報総研』に任す」
  となっているのです。
  「情報総研」では上位者が専門技術を放任しています。
  大事なことが担当者任せなのです。

  刈羽原発の不祥事は、不備の状況を放置したとなっていますが、
  管理者がその状況を把握していなかったのでしょう。

4.専門的領域については、外部依存を行っているが、
  担当と外部の関係も「丸投げ」状態である。

こういうことですから、
維持運営段階でなぜそのことが起きているのか、
の究明は至難なのです。

システムの全体構成(アプリもインフラも)を
分かっている者がいれば、障害の状況を見れば、
それがどこが原因で起きているかは判断できるはずです。

刈羽原発の運営状況の全体関連図のようなものがあれば、
全体から細部までブレークダウンして把握することができるはずです。

昔、こういうことがありました。
私たちが開発し熟知して運営していた流通業の全社システムを
F社がある企業に対してオンライン化を含め再開発し移行しました。
本番に移行しているのですが、トラブルが頻発しました。
直ちに修正しないと売上請求も滞るという危機的状況でした。
F社中心の技術者たちが立ち往生していましたので、
私が助っ人に入りました。
ミスの状態を見て、多少の当りをつけますと、
どんどんそのプログラムミスを見つけることができました。
何日か、徹夜のような仕事をして修復作業が完了し、
危機を逃れることができたのです。

みずほのシステムは、
そのシステムの100倍以上も複雑だと思われますが
原理的には同じことです。
 起きている現象の把握⇒その特徴の把握⇒発生原因の想定⇒確認
 ⇒修正⇒結果の確認。
 不十分なら、発生原因の想定に戻ってやり直す。

丸投げをしていると、そういう目利きのできる人がいなくなるのです。

みずほの新システムMINORIは、
障害の切り分けなどもやりやすい
SOA構成となっているはずなのですが、
そのSOA式の新システムの障害対応の経験不足のために
究明に手こずっている面もあるのかもしれません。
でも、本質は上記と変わりません。

【究極の対策=全体の見える化】
結局、対策としては、維持運営段階に視点をおいて、
管理対象の全貌を見える化することです。
その全貌から順次詳細レベルにドリルダウンできる
ようになっていればいいのです。
こうなっていれば、
どんな管理者でも大事なことを見逃すことはないでしょう。
障害の原因究明も容易なはずです。

2021年9月23日木曜日

日本の歌謡曲はどうなってきて、どうなるのでしょうか?

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 戦後日本の歌謡曲のテーマの変遷を確認いただきます。
 歌謡曲の流行を支えた番組の実績を確認いただきます。
 今後の歌謡曲番組はどうなるのかを考えていただきます。
 ねらい:
 歌謡曲の存続を応援しましょう。 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
本項は、以下の構成でご説明いたします。
⇒歌謡曲ファンの方は是非お読みください。

はじめに
1.対象の選定
2.テーマの設定
3.1945年からのヒット曲のテーマ判定
   年代別各曲テーマ一覧など
4.年代による中心テーマの変遷
5.女性デュエット・トリオの歌の分析 
6.歌謡曲主流時代の終焉 1993年
7.歌謡曲を支えた歌番組
8.日本レコード大賞はどうなるのか
9.紅白歌合戦はどうなるのか
10.歌謡曲に関する他者の研究のご紹介

はじめに
「歌は世につれ、世は歌につれ」と言います。
流行歌はその時の世相を表すのです。
「天城越え」は激しい性愛の歌です。
これは1986年の作品ですが、
それまではそういう歌はありませんでした。
終戦後から、「歌謡曲」は日本人の心を癒してくれたり、
励ましてくれたりしました。
歌謡曲は具体的にどういう風に変わってきたのだろう?
と調べてみたくなりました。

そもそも歌謡曲とは何だ?という問題があります。
Wikipediaにこういう記述がありました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
明治時代に、ヨーロッパアメリカ合衆国などから日本に入ってきた
欧米の芸術歌曲を「歌謡曲」と呼び、
「新時代の歌」という意味で用いた。
昭和時代初期に、「歌謡曲」を日本のポピュラー音楽を指し示す
一般的な用語にしたのはNHKのラジオ放送とされる。
戦前の番組である『国民歌謡』は、
それまで流行歌と呼ばれていた大衆歌曲を放送する際に、
「はやるかはやらないか分からない歌を
〈はやり歌〉とするのは適当でない」
として「歌謡曲」として放送した。
これによって「歌謡曲」は西欧の歌曲という限定的な意味だけでなく、
日本のポピュラー音楽全般のうち歌詞のあるものの総称として
用いられるようになる。
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つまりこういうことです。
1)日本のポピュラー音楽である。
2)歌詞が重要な役割を持つ歌曲である。
これに私は次を追加します。
3)人間のこころを唱っている。
以下は、この前提で、期間は戦後から2000年までを対象にして
検討を進めます。

1.対象の選定
まずは、分析対象の歌情報を集めなければなりません。
それはこういう風にしました。
1.日本レコード大賞の大賞曲  1959年~1999
2.日本歌謡大賞の大賞曲 1970年~1993年
3.1958年以前のヒット曲
 (これは、主としてUta-Netという歌情報提供サービスを利用)
  注:この Uta-Netは素晴らしいサービスです。
    あらゆる「歌」をただでその場で聴くことができます。 
4.1959年以降の1.2.以外の流行曲(3.と同じ情報源)
 (1.2.の大賞曲はその年単独での評価ですが、
  後々ヒットした曲も多いのです)

2.テーマの設定
対象曲で歌われているテーマが何かを以下のように分類設定しました。
 希望・夢 (「青い山脈」など)
 望郷 (シベリア抑留者の歌が最高です)
 旅行・遊び (「ハワイ航路」「踊るポンポコリン」など)
 人生 上記と以下の恋愛関連以外を人生としました。

 恋(恋心、初恋、恋、思慕、慕情、恋慕)
 愛(愛情、愛、恋愛)
 情愛(熱愛、情愛、性愛)
 交際(交際、同棲)
 結婚
 放縦(放縦、葛藤)
 別れ(失恋。別れ)
 死別(死) 
 未練(未練、追慕、思い出)

 恋は愛になり、さらに進むと情愛になります。
 その物理的表現は交際、結婚です。
 交際が放縦になる場合もあります、その際は葛藤も生まれます。
 愛は、どこかでは終わりになります。別れや死別です。
 死別は悲しみの最高峰ですが、
 厳しすぎるのでそんなに多くの曲がありません。
 別れて思いが残れば未練になります。

注(反省):歌謡曲の定義を明確にしてから、
この内容を再確認しましたら、
前掲テーマのうち「遊び」は、
考え方によっては歌謡曲に該当しないと判断されます。
該当曲は、
「およげたいやきくん」「黒猫のタンゴ」「おどるポンポコリン」
です。しかし、その修正はしていません。

3.1945年からのヒット曲のテーマ判定
対象曲について、歌われているテーマが何であるかを
上野が判定しました。
一部に、この曲は何を言いたいのかよく分からない
「難しい曲」もありました。
以下に年代区切りごとにその整理結果を示します。

1945~1949年

曲名・歌手(注)

テーマ

1945

りんごの唄 並木路子 霧島昇  2 慕情

1946

かえり船 田端義夫       9
東京の花売娘 岡晴夫     15
みかんの花咲く丘 川田正子  20
恋心
慕情
思い出

1947

啼くな小鳩よ 岡晴夫     10
星の流れに 菊池章子     12 
港が見える丘 平野愛子    13
夜霧のブルース ディック・ミネ14
雨のオランダ坂 渡辺はま子  19
別れ
人生
思い出
慕情
思慕

1948

湯の町エレジー 近江敏郎    3
異国の丘 竹山逸郎       6
東京ブギウギ 笠置シヅ子    7
憧れのハワイ航路 岡晴夫    8
フランチェスカの鐘 二葉あき子17
懐かしのブルース 高峰三枝子
思慕
人生
旅行
旅行
未練
思い出

1949

青い山脈 藤山一郎 奈良光枝  1
悲しき口笛 美空ひばり     4
長崎の鐘 藤山一郎       5
銀座カンカン娘 高峰秀子   11
トンコ節 久保幸江      16
ハバロフスク小唄 鶴田浩二  18
希望
慕情
追慕


人生
注)欄内の数字は その期間のヒットランキング
  出典:PRIVATE LIFE エンタメデータランキング


        1950年代
         以下、黒字:日本レコード大賞受賞曲
            藍字:日本歌謡大賞受賞曲
            赤字:別途調査で追加曲

曲名・歌手

テーマ

1950

東京キッド 美空ひばり
別れのワルツ 美輪明宏
さくら貝の歌 岡本敦郎
水色のワルツ 二葉あき子
白い花の咲く頃 岡本敦郎
人生
別れ
失恋 
恋心
恋心

1951

あざみの歌 伊藤久男
雪の降る街を 高英男

恋心
人生
  

1952

君の名は 織井茂子
リンゴ追分 美空ひばり
愛の讃歌 越路吹雪
高原列車は行く 岡本敦郎
思慕
別れ 

旅行

1953

五木の子守唄 江利チエミ 人生

1954

お富さん 春日八郎
黒百合の花 織井茂子
人生
恋心

1955

この世の花 島倉千代子
別れの一本杉 春日八郎
恋慕
望郷

1956

ここに幸あり 大津美子 思慕

1957

港町十三番地 美空ひばり
有楽町で逢いましょうフランク永井
東京だよおっ母さん 島倉千代子
恋愛
恋愛
人生

1958

雪山讃歌 ダークダックス
星は何でも知っている 平尾昌晃
からたち日記 島倉千代子
旅行
初恋
初恋

1959

黒い花びら  水原弘
南国土佐を後にして ペギー葉山
人生劇場(1938)

望郷
人生



 
 1960年代の注
1961年にクレージーキャッツの「スーダラ節」と「どんと節」が
一世を風靡しましたが、歌謡曲というジャンルから外れていますので、
対象外としました。
























参考までに1940~45年(戦時中)の曲名一覧を以下に示します。
この中には戦後にまで流行った曲も入っています。





























年代別各曲テーマ一覧
上掲の表の各曲のテーマを年代別に集約した表が次です。

日本の歌謡曲 年代別テーマ数一覧

 

1945-

1950-

1960-

1970-

1980-

1990-

希望

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

望郷

 

 

 

 

 

旅行

 

 

 

 

遊び

 

 

 

 

人生

 

 

 

 

 

 

 

思慕

 

 

 

慕情

 

 

恋慕

 

 

 

恋心

 

 

初恋

 

 

 

 

 

 

 

 

愛情

 

 

 

 

 

 

 

 

恋愛

 

 

 

 

 

熱愛

 

 

 

 

 

情愛

 

 

 

 

性愛

 

 

 

交際

 

 

同棲

 

 

 

 

 

結婚

 

 

 

 

 

放縦

 

 

 

葛藤

 

 

 

 

失恋

 

 

 

 

別れ

 

 

 

 

未練

 

追慕

 

 

 

思い出

 

 

 

 

21

25

29

27

19

16


この表を基にして、テーマをグルーピングした上で、
合計が「1945年~」の合計21件になるように補正した表が次の表です。

  年代別テーマ集約補正版(合計を21件に補正)

 

1945-

1950-

1960-

1970-

1980-

1990-

希望

 

 

 

 

 

望郷

 

1.7

 

 

 

 

旅行

遊び

1.7

 

 

 

1.3

人生

4.2

3.6

0.8

2.2

6.6

小計

()

7.6

(3.6)

(0.8)

2.2

7.9

恋心

初恋

思慕

慕情

恋慕

8.4

3.6

2.3

2.2

3.9

愛情

恋愛

 

1.7

0.7

 

2.2

1.3

熱愛

情愛

性愛

 

 

2.9

2.3

5.5

交際

同棲

 

 

1.4

3.9

2.2

1.3

結婚

 

 

 

0.8

 

 

放縦

葛藤

 

 

0.7

0.8

4.4

2.6

失恋

別れ

2.5

1.4

4.7

1.1

2.6

 

0.8

2.2

0.8

 

 

未練

追慕

思い出

 

4.3

3.1

1.1

1.3

 

21

21

21

21

21

21


この表では、
横で見て(行の中で)最大および準最大の年代の欄に薄色をつけています。
なおかつその数値が縦で見ても最大の場合は濃い色をつけています。
1950年代の「恋」、1970年代の「別れ」、1980年代の「情愛」、
1990年代の「人生」がそれに該当します。

4.年代による中心テーマの変遷
前掲の表の結果、こういうことが言えます。
1)恋愛以外のテーマは全年代を通じて3分の1以下であり、
  歌謡曲の主テーマはやはり恋愛である。
2)1940年代、50年代は、希望や夢(旅行を含む)
  を歌ったものがある(他の年代にはない)。
  時代背景を映しています。
3)1940年代、50年代の恋愛関係では
  恋心を歌ったものがほとんどで、
  未練は、添い遂げられない場合のものである。
4)1950年代になると、愛や別れ
  (愛しているのに別れなければならない)
  を歌ったものが増えてくる。
5)1960年代になると、情愛の歌が始まり、
  それに伴う追慕が多くなっている。
6)1970年代になると、大胆な交際や同棲を歌うものが多くなり、
  その結果の別れ(「もういい」)も非常に多く歌われている。
  別れは1950年代の別れ(好きなのに別れなければならない)と
  大きく変わっている。
7)1980年代になると、情愛は性愛にまで突き進み、
  放縦な交際やそれに伴う葛藤も歌われるようになっている。
8)1990年代は、なぜか情愛テーマがない以外は、
  まんべんなく歌われていて、テーマの分散傾向がみられる。
  中心テーマがないのです。
  人生テーマが最大で、「結局は人生だよ」という感じです

総じて言えば、清純な恋からどんどん突き進み、
性愛や放縦にまで到達し、
いずれにも飽きて様子眺めになっている、という感じです。
「はじめに」で記述しました問題意識は
これで解明できたことになります。

ところで、死は人生での最大のイベントですが、
重すぎるテーマであるために、
今回の対象曲137曲の中で以下の5曲でしか取りあげられていません。
しかしどの曲もかなりのヒット曲となっています。
そのうちの3曲は、亡くなった人を偲ぶものですが、他の情景もあります。

曲名

内容

1959

黒い花びら

何らかの理由で愛する人を失った悲しみで、もう恋なんかしない、と歌う。

1960

アカシアの雨に打たれて

捨てていった恋人に対して、私が死んでいるのを見つけたら泣いてくれるかしら、と訴える。

1962

江梨子

何らかの理由で死んだしまった愛する女性を偲ぶ歌。

1964

愛と死をみつめて

病で死にゆく若い女性が恋人に感謝を語りかける歌。

1972

喝采

喝采の陰で、離れていた故郷の恋人の突然の訃報に動転する気持ちを歌う。


5.女性デュエット・トリオの歌の分析 
1960年代活躍がザ・ピーナッツ、
1970年代中盤がキャンディーズ、
1970年代後半がピンク・レディーです。
ここに、前掲のテーマの流れがあるかどうかを確認します。  

そこで、その3者の代表曲を見てみます。

グループ名

活躍年代

代表曲

テーマ

ザ・ピーナッツ

1959-1975

中心は1960年代

可愛い花

ふりむかないで

恋のバカンス

恋のフーガ

ウナ・セラ・ディ東京

慕情

交際

交際

別れ

未練

キャンディーズ

1973-1978

年下の男の子

ハートのエースが出てこない

春一番

微笑みがえし

交際

交際

同棲*

ピンク・レディー

1976-1981

ペッパー警部

渚のシンドバット

ウォンテッド

UFO

交際

交際

交際

交際


ザ・ピーナッツでは、一般には70年代から主流になる男女の交際が、
60年代から、ヒット曲となっています。
交際テーマ以外に、別れ・未練と言う歌謡曲本流のテーマも入っています。

キャンディーズの場合は、
1970年代主流の交際が多く、
同棲テーマも、柄に似合わず?歌っています。

ピンク・レディーになると、
アップテンポの交際ものばかりになっています。

2人や3人で歌うのに「シンミリ」は似合わないのでしょう。
「男女はアソベ、アソベ」と煽ったのです。
1970年代は、一般に同棲テーマが勃興しています。
その影響で、男女がアソブようになったかどうかは定かでありませんが、
1970年からは男女とも未婚率が急上昇したのです。
同棲するけれど、結婚はしないということでしょうか。

この3グループの歌について全般的に言えることは、
恋や交際に対してより積極的で、
前述の一般の傾向よりも先を行っています。

6.歌謡曲主流時代の終焉 1993年
前掲「3.1945年からのヒット曲のテーマ判定」
の1990年代の部を見ますと、
1994年からは、歌のタイトルが英語になっています。
これは歌謡曲とは言えません。
1970年から始まった日本歌謡大賞も1993年で終っています。

歌謡曲の黄金時代は昭和の終わり1989年で終った
という説もあります。
歌謡曲の女王美空ひばりも1989年に亡くなっています。
まだ52歳の若さでした。

まだまだ歌謡曲を歌っている歌手は大勢いるのですが、
もはや歌番組の主役ではありません。
代わって主役を務めているのが、
男女ともいわゆるアイドルグループです。
この人たちのは歌ではなくてショーですね。
 男性グループ            
  SMAP   1991年~
  TOKIO  1994年~
  嵐      1999年~
  EXILE  2001年~

 女性グループ
  モーニング娘 1997年~
  AKB48  2005年~
  乃木坂46  2011年~


歌謡曲で頑張っている例外は
「千の風になって」秋川雅史版2006年くらいで、
あとは多くの人が口ずさむようなヒット曲は
出ていないのではないでしょうか。

因みに2006年のレコード大賞は氷川きよし、
最優秀歌唱賞が倖田來未ですが、
残念ながらどちらの曲もその例外ではありません
(いわゆる歌謡曲ではないのです)。

7.歌謡曲を支えた歌番組
暮の「紅白歌合戦」と「輝く!日本レコード大賞」は、
暮れの定番として多くの人に認知されています。
しかし、実際に歌謡曲などの歌を大衆に知らせていたのは、
以下にもある毎週の番組です。
黒柳徹子さんが進行役だった「ザ・ベストテン」が本命ですが、
この番組も1989年で終っています。
歌謡曲は多くの国民の好みから外れてくると同時に
その支えをも失ったのです。

番組名称

放送局

実施年

開催サイクル

紅白歌合戦

NHK

1951

毎年1231

思い出のメロディー

NHK

19692019

毎夏(「夏の紅白」)

輝く!日本レコード大賞

TBS

1959

毎年1231

2006年から1230

高橋圭三

輝け!!日本歌謡大賞

TBS以外の民放

19701993

年末各曲独自

ザ・ヒットパレード

フジテレビ

19591970

毎週(曜日は変遷)

夜のヒットスタジオ

フジテレビ

19681990

毎週月曜、後水曜

芳村真理、古館伊知郎

NTV紅白歌のベストテン

NTV

19691981

毎週月曜

堺正章

ザ・トップテン

NTV

19811986

毎週月曜

ザ・ベストテン

TBS

19781989

毎週木曜、黒柳徹子



8.日本レコード大賞はどうなるのか
長命の歌番組として「輝く!日本レコード大賞」が頑張っています。
本来はレコードの販売実績(その後は,CDやダウンロードも含まれる販売実績)
を基本にして選定すべきものですが、
一部の審査員たちの恣意で決められているという説もあるようです。
審査の不透明さが問題になっています。
今回の調査によって、かなり流行したはずであるにも関わらず、
大賞受賞となっていない曲が散見されました(上野が赤字で追加した曲)。

この賞の公平性や審査方法に対する疑問の一つが
石川さゆりの受賞実績です。
石川さゆりは以下のレコード大賞の賞をいくつかもらっていますが、
一度もレコード大賞の大賞をもらっていません。

津軽海峡・冬景色」(1977年 歌唱賞)
波止場しぐれ」(1985年 最優秀歌唱賞)
天城越え」(1986年 金賞)
夫婦善哉」(1987年 金賞)
風の盆恋歌」(1989年 最優秀歌唱賞)

紅白歌合戦では、86年の「天城越え」を筆頭に
2018年まで9回(16年から18年は3年連続)も
トリまたは大トリを務めている大歌手です。
過去に女性歌手のトリとしては、美空ひばりが12回の実績を持っていますが、
それに次ぐ第2位です。
後続は、島倉千代子・和田アキ子の6回、八代亜紀3回、松田聖子でも2回です。

紅白の出場ということでは、
通算43回、連続37回となっていて女性最高回数です。
対象としての定義があるのでしょうが、
そういう人が、大賞をもらっていないということは解せません。

週間番組ですが、「ザ・ベストテン」の司会を
黒柳徹子さんが引き受けるときに、
ランキングの透明性を前提条件として要求したそうです。
非常に大事なことです。

視聴率は、以下のグラフ(上野作成)のように、
15%前後の低迷です。
2006年には紅白歌合戦とのバッティングを避けるために
12月31日から30日への変更もしていますが、
横這い維持がやっとのようです。

単純にその年(10月までとか)の楽曲販売実績のランキングで
出場者を決定するとかにすれば、
紅白との棲み分けもできるのではないでしょうか。
私も観るかもしれません。



9.紅白歌合戦はどうなるのか
紅白歌合戦の視聴率は、下のグラフのように、
一方的な低落傾向です。
40%はそれなりの数字ではないか、という見方もできますが、
あれだけの手間暇をかけての成果と考えれば
満足すべき状況ではありません。
番組編成上の悩みは分かっています。
それは、中年以上の歌謡曲ファンと、
若手のニューミュージックファンの調整です。
どちらのファンも、反対側の曲は聴きたくないのです。

番組企画者もそのことは分かっていますから、
適当に織り交ぜて視聴者をくぎ付けにしようとしています。
それは視聴者にとっての不満になっています。
私自身、過去ずっと紅白歌合戦を見ていますが、
その点は大不満です。

19時からの第1部と21時からの第2部に分けていますが、
特別な区分けをしているようには見えません。

1989年の初の19時スタートとしたときの
第1部は昭和に流行った「思い出のメロディー」的な内容、
第2部は、その年に流行った曲ということだったようです。

そうではなく、はっきり、
第1部は若手視聴者向けニューミュージック、
第2部は中高年向け歌謡曲(「懐かし」も当年流行も含む)としたら
いいのではないでしょうか。
そうすると、視聴率は分散するので下がりますが、
満足度は高まります。
番組企画者にその勇気はありますかしら?

そして、歌謡曲ファンは、懐かしいヒット曲を聴きたいのです。
石川さゆりであれば、新曲ではなく、
「津軽海峡冬景色」か「天城越え」なのです。
それを聴くと、
「ああ今年も終わった!」という気持ちになれるのです。

2007年から石川さゆりの歌は、
この2曲を毎年交互に歌うようになっています。
石川さゆりが、NHKの担当に「私も新曲があるのですよ」
と不満を言ったらしいのですが、
この2曲しか歌わせないというNHKの担当の判断は正解です。

10.歌謡曲に関する他者の研究のご紹介
今回の調査中に2点見つけました。
1)和光大学 現代人間学部心理教育学科著
 「紅白歌合戦の歌詞における戦後日本人の意識の変化」
 (テキストマイニングによる分析)

この論文の発表時期は明示されていませんが、
内容から類推すると2015年頃のようです。

歌詞に出てくる単語の分析をしています。
その成果の図の一つがこれです。
時代とともに、主に出てくる単語が変遷しているのが分かります。
この図で〇の大きさは、全年代を通したその単語の出現頻度を表しています。矢印は1950年代から始まって2010年代までの流れを示しています。


 
当論文では、こういう結論が述べられています。
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年代別の対応分析から、1980年までと1990年以降の時代が
大きく2つに区分できることが仮説的に明らかになった。
「愛」「涙」「夢」「心」は両時代に共通する
時代を超えた普遍的な戦後の歌詞のテーマである
しかしながら、「恋」「泣く」「淋しい」「男」「女」は、
1980年以前の特有の頻出単語である。
すなわち、1980年代までは悲恋の歌詞あるいは、
生活から遊離した男と女の関係が歌謡曲によって語られたのであろう。

今後の課題として、
1980年以前と1990年以降の日本の歌謡曲の歌詞には
本質的な違いがあるかどうかを追求していきたい。
ちょうどこの時期は昭和から平成にかけての移行期である。
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この論文の評価
1)1980年までと1990年以降が異なるという分析は
  妥当です。
この点はどういう手法で分析しても出てくる結論なのでしょう。

2)1980年以前を一からげにした
 「1980年代までは悲恋の歌詞あるいは、
  生活から遊離した男と女の関係が歌謡曲によって
  語られたのであろう」の結論は分析不足です。
  
年代による変化を見つけられていません。
テキストマイニングでは
「思い」の分析が十分できない面もあるでしょうが
分析者に視点があれば、その変化を見つけることはできるはずです。

2)立命館大学 国際言語文化研究所 山根宏教授2003年著
 「歌謡曲にみる性意識の変化」ー1960年代と1970年代の歌謡曲ー
「はじめに」にこう書かれています。
歌謡曲はその歌詞が時代背景を受けているはずなので、
歌謡曲と社会との関係をあきらかにしようとするものである。

こういう構成で、
具体的な曲の歌詞の「主観的な」分析をされています。
 1.1960年までの歌謡曲
 2.ロマンチック・ラブ・イデオロギー
 3.リバイバル・ブーム(1959⁻62年)
 4.恋愛環境の変化
 5.戦後民主教育における性の扱い
 6.青春歌謡(1962ー65年)
 7.ロマンチック・ラブ・イデオロギーと性革命
 8.歌謡曲にみる恋愛感情から性行動への変化
 9.歌謡曲における同棲ブーム
 おわりに
 
「おわりに」の内容はこうなっています。
60年代以降70年代半ばまでの歌謡曲は、失恋と喪失感から始まり、
恋愛賛歌を経て性愛にまで成熟し、
同棲時代ないしは共に暮らした相手への追慕で終った。
(注:上野の分析とまったく一致しています)
こう並べてみると、
まるでひとりの人間の恋愛経験をなぞっているような錯覚にさえ陥るが、
社会全体の性意識の変化にあわせて、
あるいはその変化を引き起こす形で歌謡曲は変わってきたのである。

70年代後半からの歌謡曲について語る準備は筆者にはないが、
おそらく恋愛意識の面で新たな領域に踏み込むということではなく、
上に並べたさまざまなレベルの意識の歌が併存している
という状況ではないかと思われる。
そして今後もこのような状態が続くであろう。

この筆者の想定はほぼ100%当たっています。
実は、私の分析はかなりこの山根教授の論文の内容に影響を受けています。
私の分析は、人文科学的定性的な山根氏の分析を、
具体化・定量化したものだ、ということもできます。

AIがそこまでできるようになるでしょうか?