2016年6月30日木曜日

「『看取り』」の意味」 死のあり方について

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 死の迎え方について考えていただきます。

ねらい:
 (スミマセン)必要な方はその準備をしていただきましょう。

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これも學士会会報(2015年Ⅵ号)の掲載原稿のご紹介です。

著者は、大井 玄東大名誉教授医学博士です。

以下太字はその引用です。
この論文の副題は「いのちのバトンタッチ」です。

現在人類はかなりの死に至る病を克服してきた。
その結果、かなりの延命が行われている。

日本では国民皆保険制度が施行され、
健康保険証さえあれば、どこの医療機関をも受診できる。
アメリカから見ると、信じられないほど安価に、
優れた医療の恩恵に与ることができるようになった。

2006年、世界保健機構(WHO)の評価では、
日本の医療は、
その公平性、効率、費用、患者などへの配慮などを総合して
世界一であった。

へー、そうなんですね。
頻繁に医療過誤問題が報じられていますが、
それは、全体から見ればほんの些細なことなのでしょうね。

第2次世界大戦後、人が亡くなる場所は自宅が8割で、
病院での死亡は2割に過ぎなかったが、
それは現在では完全に逆転している。

しかし、
それが望ましい終末期医療を実現しているかどうかは疑わしい。
青木新門著「納棺夫日記」にはその状景の記述がある。

 今日、事故死や自殺以外は、ほとんど病院死亡である。

 昔は口から食べ物が取れない状態になったら、
 枯れ木のようにやせ細っていくしかなかったが、
 今では点滴で栄養が補給されるため、
 以前のように極端に痩せ細った状態にならない。

 点滴の針跡が痛々しい黒ずんだ両腕のぶよぶよ死体が、
 時には喉や下腹部から管などをぶら下げたまま、
 病院から運び出される。
 
 どう見ても、生木を裂いたような不自然なイメージがつきまとう。
 晩秋に枯葉が散るような、そんな自然な感じを与えないのである。

 それどころか今日の医療機関は、
 死について考える余地さえ与えない。
 周りを取り巻いているのは、生命維持装置であり、
 延命思想の医師団であり、生に執着する親族たちである。

 「生命を救う」という絶対的な大義名分に支えられた「生」の思想が、
 現代医学を我がもの顔ではびこらせ、
 過去に人間が最も大切にしてきたものを、
 その死の瞬間においても奪い去ってゆこうとする。
 美しい死にかたどころではないのである。

昭和60年代、
筆者たちは終末期医療について考慮すべき事柄を調査しています。
その結果によるとこうなっています。

1.どこで死を迎えたいか。 「終の場所」
 個人としてはできるならば家で死にたいが圧倒的多数だが、
 介護の苦労を考えると病院でも仕方がない、
 という配慮が見られた。

 これは、自宅や老人ホームなどの「終の棲家」に
 医療・看護・介護支援を行き届かせるならば、
 8割が病院死を遂げる現状を、
 「終の棲家」での看取りに相当部分転換させるのが可能
 なことを示唆する。

 医療側の9割が「家庭に帰したい病名の終末期患者」として
 末期がんを挙げていることも、この解釈を支持する。

 →そのとおりでしょう。

2.「病名告知」
 「どのような病気でも告知してもらいたい」が大多数である。

3.治らない段階での治療方針(「延命努力」対「除苦痛」)
 住民、患者、医師看護師の区別なく、圧倒的多数が
 「苦痛を除く」ことを望んでいた。

その後、類似の調査知見を概観しても、
ほぼ似たような結果が報告されている。

昭和60年代に比べ、現在、「病気の告知」については、
それががんであろうと認知症であろうと、
医療側は以前よりはるかに率直になったことが印象的である。

医師側の思惑では、
率直な告知を行うのは危機管理の一種であり、
「クレーマー」と彼らが呼ぶ、
うるさい患者に対する用心である部分が大きい。

なるほど、そういう受け身思考なのでしょうね。

同時に、医療倫理的用語を使うならば、
「患者の自己決定権」を尊重することが、
「家父長的温情」をかけることよりも尊重されることを意味する。
ここに、アメリカの医療倫理の影響を見ることは容易であろう。

中略

しかし、多くの日本人では
自己は周囲の人々と切り離しようがなくつながっているという、
深層意識的理解がある。
このような自己観を筆者は「つながりの自己観」と呼んだ。

看取りの医師として言えるのは、
私たちは生を受けて育つときに、1人では生き延びられないように
死に至る過程においても、
周囲とつながりながら死んでいくという事実である。

自宅や老人ホームのような「終の棲家」で
看取られながら終焉を迎えるときは、
子や孫、ひ孫に何かを伝えているのが判る。

というよりも、
遺されるものが死にゆく者から何かを受け取っているのだ。
死ぬことは、教育的事業である。

それは、青木新門氏が例えたように、
「いのちのバトンタッチ」というのがふさわしいだろう。

機械に繋がれ、点滴の柱に囲まれて死ぬことは、
このいのちのつながりを作る機会を奪っているのではないか。

このような考え方は、今では一般的になってきました。

私の父は39年前に69歳で、
母は10年前に91歳で亡くなりました。

その時のことをご紹介します。

父は、「劇症肝炎」で短い闘病生活の末に
病院で亡くなりました。

当時はC型肝炎が認知されていませんでしたので、
父の肝炎は、「ノンA、ノンB」(A型でもB型でもない肝炎)
という言われ方をしていました。

父は法医学者で血液を材料にした実験を数多くしていました。
注意がマンネリになって素手で血液を扱って
感染したようでした。

発病して2-3時間で意識混濁になるほどの急激な症状でした。

私はアメリカに出張中でしたが、急遽帰国しました。
その時は意識がありませんでした。

その後、
妹の主人やお弟子さんなど数多くのお医者さんが
懸命・献身的な治療にあたってくださり、
当時実験段階だった人口肝臓機器も使いました。

その成果があっていったん意識回復しました。
私とも会話をすることができました。

肝機能が不全になると血液中の毒素が全身に回り、
脳も破壊されてしまいます。

回復した段階では脳は会話ができる程度ではあったのです。

しかし再び意識不明の状態になってしまいました。

家族も付ききりで点滴や人工肝臓の機能の稼動をフォロしていました。
何とか回復してほしいと願っていました。

しかし先生方が漏らした言葉では、
「ここで回復しても脳の働きは戻らず学者としての活動はムリ」
ということでした。

それを聞いて、
それなら単に生き返っても父も嬉しくないのではないか、
と家族たちもだんだん諦めていきました。

看病は家族が交代でつとめていましたが、
体力的にも限界に近付いていました。

発病から2週間経った夕方
意識のないまま静かにいってしまいました。
握りしめた手にも力は返ってきませんでした。

それでもお別れはできたのです。

父の死を諦めるのに2週間必要だったということです。

この時に、意識がなくなっでも看病・治療するのは
意識が回復するかもしれないという望みがあるからです。
奇跡的に何年かの眠りから覚醒した事例が
報告されていますものね。

しかしまったく意識回復する可能性がないのなら
本人にとっても家族にとっても延命している意味はありません。

意識がなくなった状態では本人は、
生死の意思表示をできませんから、
事前にその意思を書いて残していないとなりません。

そういう人も増えているようですがまだ一般的ではありません。

母は、
父の死後約30年間子ども家族と一緒に暮らしていました。
90歳まで、
ほとんど病気らしい病気をしたことがない超健康人でした。

父が病院で死んだこともあり、大の病院嫌いでもありました。

そのために、大腸がんの発見が遅れ、手遅れでした。

治癒の可能性がないと分かりましたので
本人の希望で入院しませんでした。

自宅で子供たちが交代で看病しました。
鎮痛剤は服んでいました。

3か月くらい寝ていましたが、
これも看病の限界になりつつあったときに
静かに本当に静かに息を引き取ってしまいました。
その時に付いていた者が、
その死に気が付かなかったくらいでした。

母は自宅で息を引き取ることができて幸せだったと思います。

自宅で死を迎えることの問題点は、不審死扱いになり、
警察の鑑識結果がないと葬儀ができないことです。

そこで懇意の先生にお願いしておいて、
主治医であり先生が常に往診をして看取ってくださった
という証明(死亡診断書)を発行していただきました。

そういうことがありますから、
自宅での死には何らかの対応が必要です。

以上の経験からも、
不必要な延命治療は行わずに
自宅で死を迎えるのが理想ですね。

28日のテレビでも自宅で死を迎えることをテーマにした
ドキュメンタリー番組をやっていました。

「進化生物学からみた少子化」

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 少子化に関する生物学の知見を知っていただく。
 人類の特性を再認識していただく。

ねらい:
 今後、少子化問題に対する見識を強化していただく。
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興味深いテーマです。
生物学的に見ると少子化現象はどうなっているのか、です。
學士会会報(2015年Ⅵ号)に掲載された
長谷川眞理子総合研究大学院副学長の論稿のご紹介です。

以下太字は引用です。

生物は本来、
資源がある限り最大限に繁殖するように作られているので、
先進国のように資源が豊富であるにもかかわらず、
個人が少ない数の子供しか望まないというのは、
進化生物学的に見てたいへん奇妙です。

なるほどそうですね。

全人口は数百年前までは125万人以下でしたが、
1万年前に農耕と牧畜が発明されると500万人に増え、
1650年に5億人
1850年に10億人  200年かかった
1930年に20億人  80年かかった
1975年に40億人  45年かかった
2000年に63億人
生物が生きられる適正密度というものがある。
体重65キロの草食動物  1平方キロ当り2匹未満
         肉食動物            0匹に近い
         雑食動物(人間)       1.5匹

アフリカや南米で現在も狩猟採集生活を続ける人々は、
最大で1平方キロ当たり3人の密度です。

地球上の全人口を全陸地面積で割り算すると、
1平方キロ当り44人になる。
適正密度の30倍にもなっている!

先進国の少子化という問題とは別に、
生物学から見ると、ヒトは多すぎるのです。
それを可能にしているのは
石油などのエネルギーを使っているからです。

適正密度というのは、
食糧を確保できるかどうかでしょうから、
生産性が高まれば食糧をより多く確保でき
生存可能密度が高まるのです。
石油などのおかげだけではありませんね。

少子化を生物学的に論じる際、
重要なのは「一生の間に何人の子供を産むか」です。
進化生物学では「生活史戦略」と呼ぶもので、
「一生の間に時間とエネルギーをどう配分するか」
に関する戦略とも言えます。


【子のサイズと数のトレードオフ】
このサイズが小さいと一度にたくさん産めますが、
簡単に死にます。→多産多死型
一方、子のサイズが大きいと一度に1匹しか産めませんが、
親が十分面倒を見るので簡単には死にません。
           →少産少死型


【今年の繁殖と来年の生存率】
今年の繁殖に多大なエネルギーを使うと、
来年の繁殖は難しくなる。セミ、サケ


【体重と脳の重さ】
象のように体重の重い動物はゆっくり成長し長生きし、
1回の出産で1匹しか産みません。
ネズミのように体重の軽い動物はさっさと成長し短命で
1回に沢山の子どもを産みます。


脳の重さが大きい動物ほど長生きし成長もゆっくりです。
脳が大きいことは、
脳を活用できる場所と時間があるということなのです。


【K型とγ型】
環境が飽和してこれ以上増やすことができない場所では、
子ども1匹に資源をたくさん持たせ競争力を強くした方が有利です。
この場合、子供の数は少なくなります。


環境が飽和していない場所では、
できるだけ沢山の子供を生産し、
その中で生き残る子供に賭ける方が有利です。
この場合、子供の数は多くなりますが、
子供1匹に持たせる資源は少なくなります。


哺乳類は全体として前者のK型です。
中でも霊長類は極端なK型です。


【霊長類】
1)妊娠期間が長い
2)1産1子
3)体重の割に脳が大きい
4)体重の割に成熟年齢が遅い
5)体重の割に寿命が長い


体重5キロのニホンザル 5歳で成熟 寿命10数年
        犬・猫(野生) 1歳で成熟 寿命5年


ヒトは脳が極端に大きく成熟年齢は遅く寿命が非常に長い。
妊娠期間だけは短い。


通常の動物の脳の大きさと妊娠期間からすると、
ヒトの妊娠期間は3年あってもおかしくない、
しかしそれだと大きくなりすぎて
出産できなくなるので未熟状態で生まれてくる。
これを「生理的な早産」と言います。


未熟な子は親だけで育てるのが困難なので
親以外の個体が多数関わって育てます。
これを共同繁殖と言い、
人間以外でもマーもセット、マングースなど数種類います。


他の霊長類と比較したヒトの特徴は
1)産み始めが遅いため、繁殖可能期間が非常に短い。
  チンパンジーは10歳、ヒトは15歳からで
  35歳以降急落する。


  少子化の進行の最大の要因は産み始めが遅いことです。
  昔の社会や現代でも一夫多妻の社会や早婚の社会では
  産み始めが早いために多産でした。


2)繁殖可能期間終了後に20年の寿命が残されている。
  「おばあさんの力」と呼ばれ、
  孫を育てる「共同繁殖」に貢献する。


【人類の少子化問題の本題】
ヒトはもともとK型(少産少死)ですが、
全世界はますますK型環境に移りつつあります。


アジアやアフリカやイスラム圏でも、
1970年以降、合計特殊出生率は低下しました。


欧米ではもっと早く1900年~1940年に急落。
フランスは最も早く1880年頃から低下し始めました。


日本は戦後も1949年頃までは5前後で推移しましたが、
その後急落し1995年頃から2.1前後になり、
1975年には2.0を割り込みました。


終戦後出生率が急落したのは
官民挙げて「夫婦子供二人」を標準世帯とするキャンペーン
を展開したから。


1948年に優生保護法が成立し
人工中絶が合法化されたこともある。
1980年頃まで、
日本は世界の先進国の中で女性千人あたりの中絶数が
断トツに高かったのです。


【進化生物学の「少子化」研究の成果】
これまでの少子化に関する研究によれば、
1)先進国ではどこでも、
  夫婦が持ちたいと思う子供の数は極端に二人に偏り、
2)実際に持つ子供の数も極端に二人に偏り、
3)夫婦の年収と子どもの数に相関はない。


進化生物学の理論では
「資源が沢山あって余力ができれば、
子供の数は必ず増える」となっているので、
この状況は生物としてのパラドックスです。


【先進国では何故、夫婦の収入が増えても、
子供の数は二人なのか】




 「子供を持つことの満足感」は、
初めての子が生まれた時、最も大きい。
一方「子供を持つことのコスト感」は、
3人目を持とうとするときに一気に上がる。


満足感とコスト感の差が一番大きいのが、
つまり総量としての満足感が最大になるのが
二人なのではないかと私は考えています。


ヒトは進化生物学の観点で
「合理的根拠に基づいて計算した養育可能な子供の数」
を決めているではなく
「満足感」「コスト感」の感覚で子供の数を決めている。


結論
生態学的見解によれば、
「経済発展による環境の飽和とK型社会への移行によって、
必然的に出生率が低下する」となります。


行動生態学の男女の葛藤の理論を使うなら、
「男女の力関係において、
女性の力が増えれば出生率は必ず低下する」
(男性は多くの子を望むが
女性は育児に手間がかかるので少子を望む)
となります。


上野注:オスは一般的に量の力によって子孫を残そうとし
メスは質によって強い子孫を残そうとする。
精子と卵子の数を見ればそのことは自明。魚の産卵も同様。


現代日本では、
「女性の生理的負担感より、経済的負担感の方が少子化の要因」
である可能性もあります。
しかし有配偶者に限ると、
結婚した夫婦が実際に持つ子供の数は、
1970年以降大きく変化していません。


つまり「非婚化と晩婚化こそ日本における少子化の最大の原因」
なのです。


やはりそういう結論になりますね。

類人猿から学ぶ

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 チンパンジーがどういう特性を持っているか
 を知っていただきます。

ねらい:
 なぜ、人間がチンパンジーと違ってしまったのか
 を考えていただきます。
 人間の特性を活かして行動しましょうか。

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本稿の中心は學士會会報913号(2015-Ⅳ)掲載
松沢哲郎京都大学霊長類研究所教授の講演録
「創造するちから」を基にしています。

先生は日経新聞でも「チンパンジーと博士の地の探検」
という連載をしておられます。

以下太字部分は転載です。

 サルの仲間は「霊長類」と呼ばれ、
 人間も含めて約220種類います。


 霊長類(人間を除く」は、
 中南米、アフリカ、インド、東南アジア、日本に生息しています。
 北アメリカとヨーロッパにはいません。

これは不思議ですね。
人類がアメリカ大陸に棲んでいるのは、
アリューシャン列島経由でアジアからアメリカ大陸に渡り、
南米の先端まで南下したことは知られています。

中南米の霊長類は北米経由ではないということは、
もっと大昔にアフリカから直接南米に渡ったのでしょう。
陸続きだった頃でしょうか(いい加減な想定です)

でもヨーロッパにいないことは不思議です。
どうしてなのでしょうか。

 欧米人は「サルは熱帯の動物」と思っているので、
 「ニホンザルは雪の中で暮らしている」
 と知ると非常に驚きます。


 日本はサルが生息する唯一の先進国であることから、
 霊長類の研究の最先端の地となりました。


へーー、そうなんですね。


人類は「ヒト科ヒト属ヒト」なのですが、
ヒト科には、
  ヒト属  ホモ・サピエンス、ネアンデルタール人(絶滅)
  
  オランウータン属  1200万円前分岐 東南アジアに生息
  
  ゴリラ属         800万円前分岐 アフリカに生息
  
  チンパンジー属(チンパンジー、ボノボ(ピグミーチンパンジー))
                500万年前分岐 アフリカに生息





















チンパンジーのゲノムは98.8%ヒトと同じということですが
1.2%でこんなに違うものなのでしょうか!

松沢哲郎教授たちは、1986年からギニアで
野生のチンパンジーの観察を始めました。

チンパンジーの研究をすることによって、
人間の特性を把握しようという「アウトグループ」研究の意図を持っておられました。

永年の研究の結果得られた人間の特性は以下の3点です。


1)心
 チンパンジーの親から子への教育は教えない方式で、
 子は親のまねをして学んでいく。
 石で木の実を割ることは4―5歳でできるようになる。
 「親や大人と同じことをしたい」ということが動機づけになっている。

 人間の場合は、教える、手も貸す、そうして褒め、認める。
 「人間の教育の本質は”認める”にある」という結論に達した。


2)言葉
 チンパンジーは瞬間的な直像記憶を持っている。
 実験の結果、一瞬で見たものを記憶してしまう。

人間にもいますね、数十ケタの数字を一瞬で覚えてしまう人、
テレビにもでてきたりします。
こういう人はチンパンジーと同じ能力を持っているということです。
この能力は何のために必要なのでしょうか。
なぜ人間はその能力が退化してしまったのでしょうか。

 チンパンジーは漢字も覚える。
 赤、青とかの漢字を見てその色のカードを取り出すことができる。

 しかし、逆に色のカードを見て漢字を導くことはできない。
 たしかに、色はアナログで一意に色(漢字)と結び付くわけではない。
 人間はそこにあいまいな推論を入れているのだ。

 チンパンジーの方が厳密に論理的だ。
 そのためにチンパンジーの言語的な連想は限られている。
 人間は推論のおかげで、言葉の使用が可能になったのではないか。

なるほどです
しかしなぜそうなったのでしょうかね。
この解明には仮説が必要です。

3)絆
 ニホンザルの母親は子供に手助けをしない。
 チンパンジーは子供が要求すると手助けをする。
 親分格が他を保護することもする。
 
 類人猿の出産間隔は長く、子供が成長しないと次を産まない。
 その代り、女性は死ぬまで出産能力を持っている。
 人間の場合は出産間隔が短いので母親だけでは育てられない。


 そこで出産能力のなくなったお婆さんが育児を手伝うようになっている。
 人間の場合、出産能力がなくなってから20年は生きている。


 そうして一族みんなで子育てをする。
 それによって家族の絆が生まれている。


このことは別項「進化生物学から見た少子化」でも触れられています。


まとめ
 チンパンジーは現実しか見ない、想像することはできない。
 例:チンパンジーの似顔絵で、目や鼻口のないものを示すと
 顔の周りをなぞるだけで、中に目鼻を書こうとはしない。


 人間も2歳まではチンパンジーと同じだが
 3歳くらいになると目鼻を書くようになる。

 その点から、人間は「今この世界」だけでなく、
 遠く離れた過去や未来に思いを馳せたり、
 地球の裏側の人に思いを寄せたりします。


 そんな「想像するちから」を持つから
 明日を信じて希望を持つことができます。
 それが人間なのだと分かりました。

因みに、チンパンジーは重い病気になっても悲観はしないそうです。
悪い結果を想像したりできないからです。


この結論を我々はどう活かせばよいのでしょうね。


それではここで少し脱線して類人猿にあやかった
類人猿診断をやってみましょう。

この診断の発明者は誰なのか定かでないのですが、
「けっこう当たる」と評判です。


たった二つの質問によって、
その人がどの類人猿に該当するかが決まります。


類人猿の特性がこうだとなっていますので、
その人がどういう特性を持っているかが判明する、
というものです。


出典:(株)エブリイホーミイホールディングス ホームページ



このような2次元4分類の性格判定は、
これまでにもいくつかありますが、
質問が2問だけというのはこれだけです。
判定結果は基本的には同じです。

たとえば、「麓暢の人間診断―自分の持ち味を活かす法」の著者
である麓暢氏の持ち味診断は30問の質問に回答した結果で
冷静型、明朗型、共感型、敏感型の区分をします。
ほぼ、
冷静型 = オランウータン
明朗型 = チンパンジー
共感型 = ボノボ
敏感型 = ゴリラ
にほぼ対応しています。

ある営業方法の研修・指導をしている著名なコンサル会社が
用いている相手を見分ける区分は、
1軸め:言動が抑制的か、開放的か
2軸め:断言する傾向が強いか、問いかける傾向が強いか
で4分類します。

抑制・断言    = 直截指向(ドライバー)
開放・断言    = 開放指向(エクスプレッシブ)
抑制・問いかけ = 観察指向(アナリティカル)
解放・問いかけ = 温順指向(エミアブル)

となっています。
この分類と類人猿診断は目的が違いますので
必ずしも一致しません。

それにしても、
類人猿診断が優れているのは、
たった二つの質問で、人間を4分類してしまうことです。

「簡潔で役に立つ」は方法論の永遠の目標です。

大好評の「ハイブリッド時代の要件定義研修」!!

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 当社が開催している「ハイブリッド時代の要件定義研修」
 の実施状況をご報告します。
 
ねらい:
 今後、この研修の利用をご検討いただければ幸甚です。

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先月もご紹介しました「ハイブリッド時代の要件定義研修」の
実施状況をご報告します。

この第1回オープンコースは、12人にご参加いただいて(大盛況!)
6月15日にスタートしました。
http://www.newspt.co.jp/data/kensyu/open/youken.html

以下に、先月「要件定義研修の決定版です」でご紹介した
項目に従って、現実がどうであるかをご報告いたします。

なお、この研修で「ハイブリッド」は以下のことを指しています。




1.要件定義の1から100まで学べる!
 
 3日コースのうち、まだ2日しかやっていませんので
 1から70くらいまでですが、
 以下のようなコメントをいただいています。

 「要求と要件の違いについてお聞きしたとき、
 これまで業務で要件定義に関わったときに感じた違和感が
 すっきりした気がしました」

 「要件調整において目的・ねらいがあいまいなまま進んでいるとき、
 立ち止まることができるようになる」

 「要件定義の各種分析手法について、
 演習の中で実際にやってみることで
 自分の中ではまだ知識でしかないことが分かりました。
 復習し、実務の中で使えるよう努力したいと思います」

 「作成するドキュメントに関して、
 ユーザー目線で具体的な記述を行う事の大切さを感じた」

 「保守重視でアーキテクチャを考えるという新しい視点をえた」


2.「ユーザ」をリードできる!!

 これについては、まだ実感を持っていただくところまでは
 いっていないようです。
 最終回の後で期待いたします。
    

3.シニア・ベテラン向きです!!

  今回のご参加者の中の最高齢は52歳です。
  これまでの豊富な業務経験を活かして、
  要件定義指導者になろうと頑張っておられます。
  

4.優れた女性社員向きです!!

  今回は12人のご参加者の中で、女性はたった一人です。
  しかし、非常に積極的な方でチーム演習を引っ張っておられます。
  「ハイボールがお好きでしょ!」のモデル似の美女でもあります。
  この方は男性をもり―ドしていく力がありそうです。
  

5.超上流方法論で
  日本一の実績を誇るシステム企画研修㈱の提供です!!


今回12人にご参加いただけたのはその信用ででしょうね。

以下に研修風景をご紹介します。

なお、このオープンコースは定期開催で、
次回は9月8日開講です。
http://www.newspt.co.jp/data/schedule.html

 








今年の異常気象のせい?我が家のブーゲンビリア

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 (休憩で)我が家のブーゲンビリアの状況報告を
 させていただきます。


ねらい:
 「へーそうなのか」で終わりです。

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ブーゲンビリアは南国の花です。
真夏に真っ赤な花を咲かせます。

我が家にも大きくなったブーゲンビリアの樹が一本あり、
毎年見事な花が咲き、
ご近所の方、通行される方を楽しませてくれています。

以前の咲きぶりを示します。
これは2階のベランダからの写真です。
こんな上でもこの状態なのです。


 
 
ところが今年はまだ夏前だというのに、盛んに散ってくるのです。

この写真では道路脇に寄っていますが、
私が掃き寄せたからで、道路一面に散るのです。
散るのは雨とか風のときですが、
例年だと季節の終わりまではそんなに散りませんでした。




















私がいつも掃除をする隣の道路にまで飛んでいっています。
花弁は軽いのですぐに遠くまで飛んでいきます。
















咲いている花はこんな状態で密集していません。
近所の「お花通」のおば様が「水が足りないのじゃない?」
と言われるので、水の補給をかなりしました。
効いているような感じもしました。

しかし、その後もかなり散ることがあり、
根本原因は解明されていません。



2016年6月16日木曜日

舛添知事はなぜそんなに叩かれた?



【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 舛添知事が辞任に追い込まれた真の原因を考えます。


ねらい:
 今後とも、義や人倫を大事にしましょう。


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舛添知事はとうとう辞任に追い込まれてしまいました。
なぜそうなってしまったのか、がいろいろ言われています。
状況を甘く見て対応がまずかった、というのが
大方の意見です。


しかし、そもそも何をしでかしたのか、
という点が国民感情的に許しがたいことだったのです。


以下は、宋文洲さんのメルマガです。
宋さんのご意見は日本人にはない切り口で
いつも新鮮な感銘を受けています。




ところが、この意見は、
日本人の価値観と中国人の価値観の違いを感じさせられました。


日本の価値観は端的に言えば、
利(お金)よりも義を重んずるのです。


義や人倫(人の道)は重要なことで、
宋さんの言われる公私混同「程度」ではないのです。


公私混同はとんでもない義違反なのです。
金額の問題ではありません。


日本の価値観は素晴らしいですね。




舛添さんは、
「公私混同」が命取りになるとは思っていなかった、
「なぜそんなこと追求してくるのだ!」と思ったことでしょう。




対応が後手後手に回って
あたら有能な才能を活かしきれずに頓挫、
ということになってしまったのです。


そういう義や人倫を教えるのは家庭教育・しつけです。


その大事なことを家庭で教育されなかったことが
舛添さんの感覚麻痺を生んだとしか言いようがありません。


この点は、私のブログ「舛添知事はなんでダメになったの?」
http://uenorio.blogspot.jp/2016/05/blog-post_29.html
で主張しました。


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マスコミが頑張っても出てくる舛添氏の問題は
せいぜい「公私混同」程度です。


「家族と泊まった旅館で公務をしたか」とか、
「ヤフーオクションで買った画は本当にプレゼントに使ったか」とか、
聞いているうちに何だか笑えてしまうことが多いのです。



同じ東京都の問題として挙げられていた
18億円もの使途不明金についてなぜ詳細を追求しないのか。
同じ自ら弁護士に依頼して調査をしている
JOCの2億3千万円の情報はなぜすっかり扱われなくなったのか。


クレヨンしんちゃんの本は面白いかもしれませんが、
甘利氏の現金受取や秘書の高級車要求などの
犯罪疑惑を取り上げる意欲はまったくありません。



もし舛添氏のような問題を
これほど公共電波を使って取り上げる必要があるのだとすれば、
他の政治家のこれよりもはるかに大きな問題に触れないのは
なぜでしょうか。



こんな自問をすること自体、幼稚だと分かっていても、
ついついメルマガに書いてしまう自分は暇だなと思うのですが、
皆が同じことを言う時は
大体狂っている時だと考えるのが私の性です。
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2016年6月7日火曜日

小学2年の男の子

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 我が家の小学2年の男の子のお話です。
 小学2年生というのは結構ヤルものですね。

ねらい:
 大和君がどうしていたのか楽しみにしましょう!

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大和(やまと)君が世間を騒がせました。

警察犬を何匹も投入しても手掛かりが掴めない、
100人体制で捜索しても見つからない、ということから、

どこにいるのだろう?
なぜ見つからないのか?
父親が殺して埋めたのではないか?
たまたま通りかかった車で誘拐されたのではないか?

と、憶測交じり・興味本位で
「井戸端会議」での話題になったようでした。

意外でしたね。
無事元気で見つかったとは!

水道の元栓を見つけて水を飲んでいたのは
「偉い」ことでしたが、
体力を消耗しないようにじっとしていたというのは、
解せない行動です。
本当に何も食べなかったのだろうか、も疑問です。
放置された日に10キロも歩いたのに、
次の日からはなぜ出歩かなかったのでしょうか?

間もなく、解明されるでしょうが、
私の孫の同じく小学2年の男の子
暖真(はるま)の話をしましょう。

ひと月ほど前ですが、
5歳の孫娘佳奈実がいる我が家に
1人で泊まりに来ていました。

たまたまその時に
我が家から2キロほどの品川中央公園で
子供向けのイベントをしていましたので、
2人を連れていきました。

往きは大井町線でひと駅電車に乗りました。
ところが電車を降りてイベント会場まで
子どもたちは喜び勇んで走って行ってしまいました。

グランドにしつらえてあるイベント会場の
入り口に私が着いた時に、
2人の姿は見えませんでした。
そこで、中に入ったのだろうと会場内に入りました。

ところが見つかりません。
何度回ってもいませんでしたので、
場内放送で迷子への呼びかけをしてもらいました。
これも3度ほどしました。

でも見つかりません。
30分以上は経った気がします。

それで自宅に、「2人がいなくなった」と電話をすると、
「あなた、何やってるのよ。とっくに帰ってるわよ」
というのです。

「えーっ」でした。
私も急いで帰って様子を聞くとこういうことでした。

イベント会場には入ったけれど、
私が来ないので「これはまずい」と公園の入り口まで戻って
私を探しました。

イベント会場の中で行き違いになったようです。
駅から行くと、まず公園の入り口があって
その先50メートルくらいのところに
イベント会場の入り口があるのです。

公園の入り口でしばらく待ったけれども
私が来ないので、
諦めて自力で家に帰ることにしたようです。

公園の入り口にいたガードマンに
暖真が駅の場所を聞きました。
「その先のことは駅員に聞きなさい」と言われたようです。

そこで駅まで歩き、言われたとおり駅員に聞いて、
着た時と逆にひと駅電車に乗ったのです。
戸越公園駅につけば、そこから先は佳奈実が知っています。

こうして、子どもが2人だけで
電車に乗って家に戻ってしまったのです。
暖真は子供用のパスネットを持っていたので
電車に乗れたのです。

このことは
「ジジが迷子になったので二人で帰ってきた」と
一族・親戚中で有名になってしまいました。

小学2年生というのは結構知恵があるものだ、
というオハナシでした。

2016年6月1日水曜日

要件定義研修の決定版です!!

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 要件定義研修の「極めて」を知っていただきます。
 それがどんな特徴をもったものであるのかを知っていただきます。 
ねらい:
 「ハイブリッド時代の要件定義研修」の採用をご検討ください。
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システム企画研修(株)では、
「ハイブリッド時代の要件定義研修」の提供を開始しています。

この研修は、ごく最近
超一流情報サービス企業で200人に受講いただき、
大好評だった研修をベースに補強したものです。

以下の5大特徴を持っています。

是非そのご利用をご検討ください。
まもなく(6/15)に第1回のオープンコースも開催されます。
http://www.newspt.co.jp/data/kensyu/open/youken.html

1.要件定義の1から100まで学べる!
  初心者からベテランまでが「なるほど!」と感じていただける
  以下の「筋」を持っています。

 1)要件定義の実施目的=「システム開発の意思決定」
   (画像をクリックすると拡大します)   










   それに必要な範囲で検討を実施します。
 
  2)成果物の体系化
   要件定義で必要なドキュメントを以下のように体系化しています。
   (画像をクリックすると拡大します)   
   



































 
  3)以下の判断基準を提示します!!
    マイグレーションの選択基準
    システム・サブシステム設定基準
    システム開発方式選択基準
    システム運用方式選択基準
    アプリケーションパッケージ選択基準

2.「ユーザ」をリードできる!!
   そのシステムに期待する「早い、うまい、安い」を
   ユーザ視点で整理するツールを提示します。
   それは「目的・ねらい記述書」です。

3.シニア・ベテラン向きです!!
  システム開発の最上流工程である要件定義を捌くには、
  経験・ノウハウが必要です。
  40代・50代のシニア・ベテラン向きの仕事です。
  その方々の豊富な経験を活かしていただくことができます。

4.優れた女性社員向きです!!
  要件定義には、対人関係能力と判断力が必要です。
  リーダ候補生を鍛えるのにピッタリの仕事です。
  その方々に武器を提供します。

5.超上流方法論で
  日本一の実績を誇るシステム企画研修㈱の提供です!!
  当社が開発提供したMIND-SAは250社に導入いただき
  多くのファンがおられます。
  安心です!