2013年2月28日木曜日

私の1日1食はどうなっていると思われます?

【このテーマの目的・ねらい】
目的
 私の1日1食の経過を知っていただく。
 1日1食の実施事例を知っていただく。

ねらい
 今後に期待していただく。
 (まだ、皆様にお勧めするまでには行っていません)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

私は公約どおり、2月1日から1日1食を始めております。
28日現在、継続中ですので、
簡単に経過報告をさせていただきます。

1.食事の状況
毎日1食は朝昼夕いつでもよいということでしたので、
私は夕食にしています。
夕食はまったくコントロールしないで
従来と同じに飲み喰いをしています。

間食はしません。
朝はフルーツを少し食べています。

2.体重の変化
開始して1週間程度で
66キロ台の体重が62キロ台になりました。
4キロ減ったことになります。

この調子で体重が減ると、
「体重がなくなってしまう」と心配しました。

一時61キロ台にもなりましたが、
その後は62キロ台をキープしています。

東京マラソンに参加した3日間
1食を解禁しましたので63キロ台になりましたが、
また元の62キロ台になりました。

175センチの南雲先生が62キロということですから、
私は60キロが目標なのかもしれません。

3.ウェストの変化
南雲先生の言われるように、
ウェストは確かに細くなりました。
計っていませんが、ズボンが緩くなって楽です。

4.空腹感
1日2食の頃にはほとんど感じたことのなかった
空腹感を感じるようになりました。

南雲説だと空腹のときに
全身の細胞が活性化するということなので、
これで良いのでしょう。

いつ空腹感を感じると思われますか?

食事の夕方に近づく午後ではなく
なんと午前中なのです。

これに対する私の解釈はこうです。

今まで朝食を摂っていましたから、
朝食が入ってくることに慣れていた身体が
「おかしい。食事が来ないぞ!!」
と言っているのでしょう。

習慣というのは凄いものですね。

5.体調
東京マラソンの時にも、
直前2日は解禁しましたが、
元気が出ないとかいうことはまったくありませんでした。
目下も順調です。

6.成果の期待
肌が若がえるということを期待していますが、
目下のところ、その兆候はないようです。
今後に期待です。



2013年2月26日火曜日

東京マラソン参戦しましたがーー

【このテーマの目的・ねらい】
目的
 東京マラソンの参加のご報告をする。
 東京マラソンの裏側を少し知っていただく。
 東京マラソンのデータを知っていただく。
 1日1食の影響がどうだったかを知っていただく。

ねらい
 私の今後の反省・チャレンジ材料にする。
 皆様も参加しようかな、と思っていただく。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

まとめ1.改善して欲しいこと
以下のご報告で述べます
運営上の要改善点は以下のとおりです。
1.スタート前の荷物預けの案内方法
 確実に分かるような配列にして案内をする。

2.集合の案内にトイレが並ぶので
 その点も考慮して集合するように注意する。

3.途中の案内者・スタッフに最低限度の知識を与える。
 現在場所、近くの救護所の場所など。

まとめ2、実績データ
1.申し込み倍率  マラソン10.3倍
 (1回目から、3.1,5.2,7.5、8.5、9.2,9.6倍)
2.参加料 1万円
3.定員 マラソン35,500人、10キロ500人
4.完走率 96.2%(昨年96.5%)
  途中リタイアは僅か1345人
5.スタッフ 〇〇人(不明)
6.ボランティア 正規の「TEAM SMILE」だけで1万人
7.応援・観客 173.5万人
8.当日の気温 スタート時4.6度、5m以上の風
9.カゴメがトマトを3万6千個配った。
 (22キロ地点以降で配ったようですが、
 私は解散場所でいただきました。孫が喜んで食べました)
10、私の記録(ラップタイム)
 5キロ 40分38秒
 10キロ 46分52秒  歩き出した
 15キロ 53分53秒  ほとんど歩き
 因みに5キロごとの関門は42-3分のラップとなっています。
 10キロ関門では10分位残していましたから
 15キロ関門の期待ラップ43分に
 10分の貯金を食いつぶしてしまったことになります。
 やはり歩いてはダメなようです。

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
  

【事前準備】
2013年2月24日東京マラソンに初参加しました。
東京マラソンどころかマラソンは初参加です。
当初から完走は目標にしていませんで、
何キロまで行けるかな?と申し込んでいました。

ところが、2月1日から1日1食にしたおかげで、
体重が4キロほど減りましたので、
身体が軽くなり結構いけそうだなという気もしていました。

1日1食で栄養不足で倒れてもいけないので、
2日前の金曜日からは1日1食は止めていました。

朝食はお餅3個以外にアミノ酸の飲み物や粉末を
かなりお腹に入れました。
体調は万全という感じでした。

事前準備事項
 アミノ酸飲料・粉末の入手、服用と携行
 ヒートテック下着上下の入手、着用
 (これは大正解だった)
 首巻きタオルの準備、着用 
 (これは経験からで、寒さよけにかなり有効だった)
 手袋の準備、着用
 靴ひもの締めなおし
 ケータイ電話の携行
 ウエストポーチの携行(ボールペン、ティッシュ、メンソレなど)
 その中に、ゴボウもちも携行

 小出監督のアドバイスの勉強
  受付会場でビデオを流していました。
  跳ねるように走らないで競歩のようにすり足で進む。
  初めの5キロは飛ばさないで、
  5キロラップでは最長となるようにして、
  徐々にペースを上げていく。
    靴下は厚めがよい
  (そうしたのに膝を痛めました。次回はもっと厚くします)
  靴ひもの締め方は先をきつく、足首の方は緩めにする。

【スタート前】
スタートは各人が申告している目標時間別に
グループが分かれています。

私は6時間を目標にしましたので(最長は7時間までです)、
後ろから2番めのJ組でした。
組は30分刻みで10組ありました。

出発前に苦労したのは荷物預けです。
私の43番台(登録番号の上2桁)は
1か所の案内が間違えていて
とんでもない方を探しまくらされました。

スタートに間に合わなかったらどうしてくれるんだ、
と内心怒りました。

何しろ3万6千人がうろうろしているのですから
通路は混雑していてすんなり歩けないのです。

この大事な案内板だけは今一でした。
私が13年間通った
情報処理技術者試験の会場案内を見習ってほしいですね。

何とか時間切れ前に見つけましたが、
得意のクレームをつける余裕もありませんでした。

この荷物預けの仕組みはたいへん良くできています。
荷物は供与される一律の大きなビニール袋に入れて預けます。
オーバーでも入るくらいの大きさです。

この荷物を
荷台の横が上に大きく開く宅急便のトラックを
30台くらい用意してあってそこで預けるのです。

トラックの割り当て方法は
ゴール予定時間帯別になっている組分けとは別に
ランダムになっていました
(走者の№カードがそうなっているのです)

そのことによって、
荷物の受け取り時に集中しないようにしているのです。


スタート前のもう一つの関所はトイレです。
仮設トイレがたくさんありましたが、
それでも長蛇の列です。
諦めかけましたが何とか用を足せました。

事前の案内には、
「トイレに時間がかかりますから、
その点も考慮して早めにおいでください」
と入れた方がいいですね。

現にスタート直後の遠沿道の仮設トイレは、
事前に用を足せなかった人で長蛇でした。

あとでテレビを見ましたら、
5キロ関門で引っかかった人が
「トイレに時間がかかった」と言っていました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
スタートまで待たされる整列が寒いのです。
経験者はビニールの雨合羽を着ていました。
走り出したら捨てるのです。

J組のスタート地点は日がさしていましたたから
寒さは、ましでした。
前後に若い美女がいて、
応援に来ている彼氏や家族と
道路を挟んで身振り手振りで「お話し」していました。
良いものですね。

【走行】
さていよいよスタートです。
9時10分スタートですが、
J組がスタートするまでは14分弱かかりました。

5キロ過ぎくらいまでは順調でした。
それでもなぜか皆私を追い抜いて行くのです。
私が追い抜いた人はまったくいませんでした。

それでも気にせずに、小出監督の教えを信じて走りました。
道路脇の応援ショーや追い抜いていく美女(顔は分かりません)
の写真を撮りながらです。
古いケータイのカメラなので、
走りながら撮るのは結構たいへんでした。
「あ!カッコイイナ」と思っているうちに被写体は行ってしまうのです。
次回はデジカメを持っていきます。




















快晴で私が「走った」区間はそんなに寒くもなく、
いろんな人が走っていて楽しく、
応援もにぎやかだし、
「この調子でマイペースで走れば完走できるかも」
と思ったのはその頃でした。

その内に次のクラスのK組にも追い越されだしました。
それでも走っている人たちは敵ではなく
仲間なのです。

相手と競争しているのではなく、
完走とかタイムとか自分との闘いなのですから。
この点はレースと違うなと思います。
だからお互い和気あいあいでいけるのです。

異変に気がついたのは8キロくらいです。
右ひざが痛みだしたのです。
10キロ過ぎでは走ることができなくなり、
競歩のように歩き出しました。

この頃、82歳のお爺さんに追い越されました。
あとで見ましたらテレビに出ていました。
俳句を作るとかいうお爺さんです。
そのお爺さんは完走していましたから、
そのペースでよかったのです。

事前に確認が不十分だったのですが、
救護所がどこにあるのか分かりません。
湿布薬を塗れば少しはましになるかと思いました。
道路に立っているスタッフに聞いてもいい加減です。

ここは何キロポイントだと聞いても分からない人もいました。
立つからにはそのくらいの知識は持っていてほしいものです。
ただ、「頑張れ」「頑張ってー」と言うだけでは寂しいですね。

あとで分かったのですが、
「救護所には湿布薬は置いていません」
と事前の案内に書いてありました。
いろんな準備をして行ったのですが、
湿布薬は落ちていました。

歩いて14キロまで行ったところで
「関所まで12分しかないよ」とスタッフが声をかけていました。
1キロ12分なら歩けるなとやや急ぎ足で歩きました。

15キロポイントまで来てヤッターと思いましたが、
関所はまだそこから400メートルもある
折り返し地点なのです。
がっくりきました。

間もなく「あと30秒だよー」と声がかかりました。
「えーっこれは大変だ」と痛さを忘れて走り出しました。

【終了と再挑戦の決意】
火事場のくそ力とか言います。
危機になると無理ができるのですね。
必死で走りましたが前方50メートルくらいのところで
ストップがかかっていました。
あと1分のところでした。

折り返し地点は品川です。
孫娘を含む家族が応援に来ていましたが、
その目の前で残念なことになってしまったのです。

家族3代の女性に冷たい目で見られています。
                 先の方に「捕虜」収容用のはとバスが見えます。

体の疲労も呼吸の切迫もなく
体調は万々でしたが、1か所の不備のために
あえなくギブアップとなってしまいました。

15キロで収容されたのは100人くらいのようでした。
バスに収容されてゴール地点まで運ばれました。
今度は膝痛に備えて再挑戦だと思いました。
今度は完走を目標にします。

完走者の走り方を見ていますと、
特別に早いわけではありません。
マイペースで体調不良(腹痛、肉離れなど)を起こさなければ
完走できるようです。
96%の人が完走するのですからね。

あと、感心する仕組みは靴に付けるチップです。
これを使って
各人の5キロごとの通過タイムを計測するだけでなく、
現時点でどこにいるかを
ネットで検索できるようになっているそうです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ところで、今回の15キロ走で分かったのは、、
1日1食で体力を消耗してしまうということはない
ということです。

もう少し1食を続けて
あらためてその成果をご報告します。



2013年2月17日日曜日

オリンピック種目の採用基準を明らかにせよ!!

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 レスリングのオリンピック種目除外問題について考えていただく。
 感情論ではなく、客観的公平な考えだとどうなるかを考えていただく。

ねらい:
 ご自由です。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

1896年のアテネオリンピックから実施されてきたレスリングが
オリンピック競技から外れる候補になってしまいました。

レスリングがオリンピック種目であることが当たり前で
外れるなどということは夢にも思わなかった日本人にとっては
まさに青天の霹靂です。

IOCへのロビー活動が不備だったということで
2002年以降、国際レスリング連盟の会長を務めていた
スイスのRaphaël Martinetti氏が辞任に追い込まれました。

IOCの委員の多くは何らかの種目の国際連盟の役員です。
レスリングは代表を送り込んでいません。
そういう努力も行わずに甘く見ていたのは確かでしょう。

その後、以下の報道が行われています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
2月16日の理事会では、
ロシアの元レスリング選手、ロシアの英雄アレクサンドル・カレリン氏を
特命の理事に指名、
ルール変更も検討するなど、オリンピックでの生き残りをかけ、
具体策を協議した。
カレリン氏は、オリンピックなどで12度、世界一になった実績を持ち、
今後はレスリング連盟の切り札として、
IOC(国際オリンピック委員会)へ働きかけを行うことになる。
レスリング界の力を総動員して除外阻止に全力を挙げる。

この理事会では、
IOCへの働きかけを行う委員会を立ち上げることも決まり、
座長に日本レスリング協会・福田会長とトルコの理事が選ばれた。

日本レスリング協会が、5月のIOCへのプレゼンテーションで、
ロシアのプーチン大統領やアメリカのオバマ大統領に、
ビデオメッセージに出演してもらうという、
大胆な提案をしたことも明らかになった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
レスリングの競技は見ていて
勝負の判定が分かりにくいということが
除外の原因になったのではないかとも言われています。

しかし分かりにくいということから言えば、
オリンピック種目の候補になっている空手の方が
はるかに分かりにくいのです。

私も学生時代に空手をやっていて
そのことは痛感していました。

空手は「寸止め」と言って、
完全にダメージを与える突きや蹴りを直前で止めると
ポイントになります。
止めないで当ててしまうと反則負けになります。

ポイントか反則負けかは微妙で審判の判断次第です。

私は当時拓大の猛者と全国大会で当ってしまい、
これは勝ち目がないと思いましたが
思いきって突きを入れました。
そうしたら、当ってしまいました。

ダメージはないはずですが、反則負けでした。
審判としては
強い拓大を負けにするわけにはいかなかったのでしょう。

拓大の選手は弱い東大なんかに反則勝ちで
恥じたでしょうね。
こっちはやや自慢でした。

客観的に見るとレスリングの「除外」は、
「分かりにくい」ことが主原因とは思えません。

それよりもよく考えてみると、
野球やゴルフなどと比べて
一般の国民が楽しんでいるスポーツではないですね。

非常に残念なことですが、
「除外」はやむを得ないかもしれません。

それにしても、
種目の採用ルールは明確にしていただきたいものです。
ルールがうやむやで「ロビー活動」のようなことで
決まるのはスポーツの世界祭典としてフェアではありません。

ルールの例は、
50カ国以上で国民の〇割以上がそのスポーツを実施している、
20カ国以上で全国大会が行われている、などです。
是非検討して欲しいですね。

北朝鮮の核実験は一方的不法行為でしょうか?

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 
 北朝鮮の核実験について考えていただく。
 核不拡散条約の不条理について考えていただく。

ねらい
 世論やマスコミの報道を鵜呑みにしないで、
 「おかしいものはおかしい」と
 公平・客観的に考えるようにしていただく。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

2月12日の北朝鮮の地下核実験に対して
非難の声が巻き起こっています。

核不拡散条約や国連安全保障理事会決議にも違反する、
と米国等はその不法性を非難しています。
日本初め多くの国もそれに同調しています。

たしかに、核実験はしてほしくないことですし、
国際世論の反対を押し切って強行ということは
嬉しくないことです。

しかし、一方的に北朝鮮を攻められる問題なのでしょうか。

核不拡散条約は、1970年に発効した条約で
2010年6月現在で190カ国が締結しています。
ご承知のように、条約制定時に核保有国であった
米ソ英仏中国以外の核保有を認めないというものです。

この条約の元は、
核兵器廃絶を主張する
我国政府および核兵器廃絶運動団体の活動によって
核兵器廃絶を目的として制定されたものです。

ねらいは、
2度と核兵器による被害者を産みださないことです。
あるいは、どこかの国が核兵器を武器に
国際平和を乱すことがないようにすることです。

したがって、核保有国の核廃絶の努力についても
規定しています。

しかしながら、核軍縮の動きは遅々たるものであり、
核保有国を固定化する不平等条約である
と言われるゆえんとなっています。

そもそも、核兵器による攻撃は
民間人への無差別攻撃を禁じた国際法違反です。

その「国際法」は、1977年に署名された
1949812日のジュネーブ諸条約の
国際的な武力紛争の犠牲者の保護に関する追加議定書
が成文化されたものだそうです。

したがって核兵器は、
まともな国家では使用することのできない兵器なのです。
それなのになぜ高い予算を使って保有するのでしょうか、

それはご承知のように「攻撃抑止力」です。
「戦争を仕掛けてくると核で反撃するぞ」との脅しで
攻撃を受けることを防止しています。

持っていることに意味があるのです。
冷戦時代は、その意義が大いにありました。
自由主義圏と共産圏の争いで、陣取り合戦をしていました。

ソ連は中国を支援して核を持たせたのです。
それによって自由主義圏3国と共産主義圏2国で
均衡を保っていました。
戦争抑止力が働いていたと言えるでしょう。

しかし今はどうでしょうか。

現在、核不拡散条約に加盟していないのは
インド、パキスタンとイスラエルです。
北朝鮮もです。

インド、パキスタンは隣国犬猿の仲で
準戦争状態です。
お互いに核兵器が抑止力になります。

イスラエルは周りをアラブに囲まれていますから
通常兵力の戦いでは勝ちめがありません。

北朝鮮は、これだけ孤立していたら、
核を持って対抗するしかないでしょう。

今回は中国もこの核実験を厳しく批判しています。
実は北朝鮮と中国の関係は、
以前のように持ちつ持たれつではありません。

おそらく、北朝鮮の核保持アピールの意図は
中国にも向けられていたと思われます。
場合によっては中国にも打ち込むぞ、ということです。

それによって中国からの支援強化を引き出そうと
いう意図でしょう。
それを察するからこそ中国も強硬姿勢なのです。
(注:この3ブロックの想定部分は上野の想定です)

話を戻せば、
核不拡散条約の趣旨からすれば、
核保有国が直ちに核兵器全量廃棄をするのなら、
他の国に非保有を訴えることが正当化されます。

「おれは持っているけれどお前には持たせない」
こんな理屈は通りませんね。
不条理です。

早く全面核廃絶が実現できなければなりません。
そうしたら、核保有は許されることではなくなりますが、
皆が核保有を止めた時に、
どこかの国がこっそり保有したらどうなるでしょうか。

そう考えるとけっこう難しい問題ではありますが、
北朝鮮だけが100%悪い
ということは言えないのではないでしょうか。