2020年11月30日月曜日

新型コロナの感染拡大はそんなに激しいのか?

【このテーマの目的・ねらい】
目的
 新型コロナウィルスの感染者増を分析してみます。
 実質は4月の頃の3倍以上にもなっているわけではないことを
  確認いただきます。
 ついでに、硬貨が感染を媒介しているのではないかという
  仮説をご紹介します。
ねらい
 各人が冷静に新型コロナ対策を講じましょう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
日本における新型コロナウィルス感染状況は、
以下のような第3波状態です。
このグラフの出典はGoogleです。
このデータだと、以下のようになっています。
第3波は第1波の3.5倍になっているのです。

新型コロナウィルス感染者数

対象

時期

感染者数

人数

対第1波比率

1

4月21日

743

1.0

第2波

8月3日

1998

2.7

第3波

1128日」

2577

3.5


しかし感染は検査の結果で判明するものです。
そこで、PCR検査の数値を見てみます。

新型コロナウィルスPCR検査数(東京都)

対象

時期

PCR検査人数

人数

対第1波比率

1

4月20日

1297

1.0

第2波

8月3日

6336

4.9

第3波

1124日」

9243

7.1

東京都の場合ですが第3波は第1波の7倍以上になっているのです。

検査者数が増えれば、発症しなかったカクレ感染者が表に出て
感染者数(検査陽性者数)は増えます。

それでは、年代別の陽性者数をみてみます。
出典は東洋経済オンラインです。

新型コロナウィルス年代別陽性者数

10歳未満

10

20

0

40

50

60

70

80代以上

合計

3020

7302

34051

32011

19194

17120

10730

8731

8111

134519

   33%

 

 

 

 

 

 

100%

    49,4%

 

 

 

 

 

100%


感染しても発症しない「カクレ感染者」が多いと考えられる
若い世代は、20代までだと全体の3分の1、
30代まで含めると全体の半分を占めるのです。
この世代の人たちは、
第1波・第2波の時には感染者とならなかった人もいたのです。

以上からすると、現在の感染者数の多さは、
以下の二つの点で実態よりも拡張されている、
とみることができるのです。

1.PCR検査実施の拡大
2.それによる若い世代の感染者の表面化

それにしても、現在の第3波の実質感染者数が、
第1波や第2波よりも少ないというところまでは
いかないでしょう。

深刻な問題は、重症者数が増えて医療崩壊が起きることです。
そうなると、多くの国民に甚大な影響をもたらします。
現在その状況が発生しつつあるのです。

重症者数は現在全国で440人ですが右肩上がりです。
重傷者は長く医療施設を占有しますので、
医療施設の負担が大きいのです。

死者数も増加はしていますが、累計で2,000人超です。
亡くなった方のご遺族には申し訳ありませんが、
この死者数は、交通事故死者数(年間4千人超)や、
まして、より深刻な自殺者数(年間3万人近く)よりも
少ないのです。

さらに、食べ物の誤嚥による死者数(4900件)や
浴槽内での死亡者数(5300件)よりも少ないのです。
別項「心臓突然死を防ぐために」

それにしても、
放置しておいて改善される問題ではありませんので、
各人が感染しないように万全の対応をとることが肝要です。

付言
若干余談的になりますが、
私はこの新型コロナウィルスの感染には
流通している硬貨が大きく関与していると思っています。

その根拠は次の2点です。
1)感染経路不明者が常時6割前後あるいはそれ以上存在します。
 これだけ、大騒ぎをしているのに感染経路に自覚がない、
 ということはおかしなことです。
 知らないうちに感染しているのです。

2)このウィルスは金属の表面で2-3日生存する。
 なぜか銅では4時間だそうですが、
 とにかく硬貨の表面で生きるのです。

ということは、
硬貨のやり取りをした後で消毒をしていない人は感染する可能性がある
ということになります。

そういうことが事実だとするとパニックになるので
誰も研究しないのでしょうか。

私はずっと疑問に思っています。

学士會会報のコロナテーマ紹介

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 学士會会報最新号に掲載された3編の
  新型コロナウィルスの世界情勢に与える影響の
  レポートをご紹介します。
ねらい:
 コロナ危機が「災い転じて福となる」ことを期待しましょう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ご紹介するのは以下の3編です。 

著者

肩書

タイトル

小原雅博

東大法学政治学研究科教授

コロナ時代の国際政治

国末憲人

朝日新聞記者・ヨーロッパ総局長

コロナ危機と欧州政治

早川英男

東京財団政策研究所上席研究員

コロナ後世界の政策レジームを考える



私なりにその要点をまとめてみました。
共通して言えることはこういうことのようです。

コロナ危機は、
これまでの安易なあるいは我がまま勝手な国家運営に対して
根本的な問題提起を行った.
これからその矛盾・不備を解消する契機となることが期待される。

「災い転じて福となる」ことを皆さんが期待しているのです。
しかし、人間は弱い生き物です。
「のど元過ぎれば熱さ忘れる」ということがないように
気を引き締めなければなりません。

1. コロナ時代の国際政治

「コロナ時代の国際政治」 要約

テーマ

概要


総論


ü  コロナウィルス対応は、スペイン風邪流行の分析をした以下の2点の報告書が正当な報告をしている。

1) 米国疾病予防管理センター(CDC)の2007年報告

「早期の、持続した、多層的な」措置が健康へのダメージを和らげた。

2)FRB,MITの報告書

ü  感染対策をしっかりとった都市ほど経済の回復度合いが大きかった。

ü  その実践を行った中国は早期に感染拡大を抑止することに成功した。

ü  それを避けた米国経済の大幅落ち込みが顕著である。



パワーの視点


ü  台頭中国の自信は「中国の特色ある大国外交」として概念化され、「力の外交」や「力による現状変更」となって国際政治を揺るがす。

ü  米国では、コロナ情報を隠蔽した中国への「責任転嫁」を図るトランプ大統領の「自分第一」に加え、国民の対中感情の大幅悪化もあり、対中強硬論が台頭し、南シナ海や台湾海峡では不測の事態も憂慮されるほどの緊張状態を生んでいる。



国益の視点


ü  中国は自国の「核心利益」の概念に根ざした発展を企図している。

ü  米国の「自国第一」のエゴを追究し、両者対立する。



価値の視点


ü  習主席は「中国共産党の指導と中国の特色ある社会主義制度が明らかに優勢である」と主張している。

ü  自由を「法と秩序」の支配の下で実現することを目指す米国は、コロナ禍対応の稚拙さで劣勢である。



米中関係と日本外交


ü  第1に日米中関係としては、これまでの「日米同盟+日中経済協力」の枠組みの維持は困難である。「日米同盟+α」を追究しなければならない。αは、「日本自身の防衛努力」日本との関係を重視する中国に責任ある行動を求める対話の強化、価値や利益を共有する諸国との経済連携や安全保障協力の推進などが含まれる。

ü  第2に、感染症や気候変動などの国境を越える問題に対処する国際協力の実現に努力すべきである。


 

2.コロナ危機と欧州政治

「コロナ危機と欧州政治」 要約

テーマ

概要


総論


ü  新型コロナウィルスの被害は全世界に及んだが、これによって欧州が受けた衝撃はとりわけ甚大であった。

ü  SARSやエイズ、エボラ熱などの感染爆発を経験して備えができていたアジアやアフリカと異なり、大規模な感染症をしばらく免れたこの地域は、安全地帯にいるかのような錯覚に陥っていたからである。



英国死者4万人の背景


ü  中国からの旅行者によって持ち込まれたとみられる新型コロナは増す、イタリアで観戦爆発を起こし、南欧から欧州北部へと広がった。

ü  英国ジョンソン首相は、2月から3月前半を無策で過ごし、その後急遽、病床確保を急ぐあまり病院の高齢入院患者を老人ホームに移送するという暴挙を実施し、各ホームでクラスターを発生させた。

ü  欧州外でも、米国やブラジルのトップは、感染症の脅威を軽視した結果、被害を拡大させている。



ポピュリズムの時代は終わるのか


ü  2010年代を通じて吹き荒れた「ポピュリズム(大衆迎合)」の時代は終わりを告げているようである。

ü  契機は、英国のEU離脱で、このテーマで各国民は事の本質を掴み、安易はポピュリズムに批判的になった。

ü  しかし、コロナ危機に真剣に取り組んでいるポピュリスト政権も多い(世界17か国のポピュリスト政権のうちで12か国がそうであるという英国研究所の調査結果もある)



地域単位の協力の可能性


ü  EUは当初、感染対策で足並みがそろわなかった。

ü  しかし難航の末であるが、7月には,EUレベルでの復興基金の設立に合意し、イタリアやスペインなどの被害が大きい国への支援の枠組みを整備した。

ü  その過程で欧州各国は曲りなりにも結束を強めた。

ü  コロナ危機は、国ごとではなく地域単位で危機に対応する姿勢がいかに重要であるかを、欧州に再認識させたのである。

ü  米国主導に変わる地域単位で安定と繁栄を確保する試みが強化される契機になることを期待したい。


 3.コロナ後世界の政策レジームを考える

「コロナ後世界の政策レジームを考える」 要約

テーマ

概要


総論


ü  コロナ・ショックに伴う世界経済の急激な落ち込みは4-6月を底に最悪期を脱したとみられるが、しばらくはウィズ・コロナの時代が続くと覚悟する必要がある。

ü  それでも、ポスト・コロナの時代を今から考えておくのは決して無駄ではないだろう。

ü  本稿では、過去100年余りの世界の経済政策の枠組みを振り返ることを通じて、コロナ後の世界で展開されるであろう政策レジームの姿をてんぼうしてみたい。



歴史的回顧とコロナ後への問い


ü  前世紀からの世界の経済政策の枠組みを振り返ってみると、国家優位と市場優位の間を大きくウ揺れ動いてきている。

ü  前世紀初頭は国際金本位制度に基づく第1次グローバル化の時代であった。小さな政府・低い税率が好ましいとされた。

ü  この時代は、二つの大戦と大恐慌を機に、国家による統制の時代になった。

ü  第2次大戦後も、経済社会に占める国家の役割が低下することはなかった。マクロ安定化政策は定着化していき、累進風邪による所得分配の平等化や社会保障の充実が追求された。

ü  1980年頃を境に市場が主役となる時代になった。契機は、経済成長の減速とインフレが政策の失敗を主張させたことである。

ü  1980年代末に東西冷戦が終結すると、経済のグローバル化=自由競争促進が一気に加速した。

ü  この弊害は、企業や富裕層への課税が困難化し、経済格差の拡大につながったことと、自由放任市場が金融バブルの暴走を招き経済の不安定化を招いたことである。

ü  リーマンショックなどで、この自由放任主義の反省がされたが有効な解決策は提示されなかった。

ü  そんな中、コロナ危機で、期せずして国家の強い統制が実施されている。



コロナ後は中道回帰の模索か


ü  コロナ後の世界がハイパー資本主義、ハイパーグローバル化への逆戻りということは考えられない。

ü  コロナとの戦いで人々は国家の重要性を再認識したし、限界なきグローバル化の欠陥も明らかになったからだ。

ü  まず、市場を制御する国家の役割が増すことは必至である。それは財政政策の復権である。コロナ危機対応で国家の対応不十分が露呈している。

ü  一方、グローバル化の限界に関しては、貿易や直接投資の自由化は多くの国に便益をもたらしたが、自由な金融資本移動に関しては、各国の経済不安定要素となることも確認されている。その点を踏まえた規制が必要である。

ü  以上をまとめてみると、コロナ後の経済政策の枠組みは、大恐慌から第2次大戦までのような強力な国家統制ではなく、また2000年代初頭をピークにした自由放任でもない、中道回帰の模索となることが予想される。

ü  そのためには、国家が企業や富裕層への課税能力を取り戻すことが前提となる(上野注、現在EUを中心にその動きが出ている)。


 

「笑いの哲学」

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 笑いにも哲学があることを知っていただきます。
 笑いの種類とその特徴を知っていただきます。
ねらい:
 あらためて、笑いについて考えて対応していただければ、
 と思います。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 
本テーマは、木村覚日本女子大学教授の著書のご紹介です。
そんなことを言うと「笑われる」かもしれませんが、
笑いにも「哲学」などというものがあり、
多くの学者が研究していることを知りました。

しかしながら、哲学者の理屈はむずかしいですね。

本書の意図等を「はじめに」で確認しましょう。
この「はじめに」はたいへんよくできていて、
簡単な省略や要約ができませんでした。
ほとんど全文紹介となっています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
私たちは笑って良いのか。それとも、笑ってはいけないのか。
笑いをめぐる状況がとても複雑になっている。
そう感じるのは筆者だけではないだろう。

笑いがひきつり笑いになってしまったり、
「あ、これは笑ってはいけないやつだ」と
口を真一文字に結ぶ準備をしたり、
あのひと笑っているけど今どきこれで笑えないよなと思ったり、
無邪気に笑えることばかりではなく、
笑いたい気持ちが屈折しながらしぼんでいく状態を、
私たちは毎日のように味わっている。

ゆえに、こうした疑問も自ずと浮かんできてしまう。
 笑いは良いものなのか。それとも悪いものなのか。
残念ながら、本書はこの問いにわかりやすい解答を与えることはない。

安易に良いか悪いかを決める二者択一を極力避けながら、
私たちが笑いをめぐってどのような状況を生きているのかを、
できるだけその細部や複雑さをつぶさに見つめながら反省したい。
その上でより良く生きるための処方箋をさがしてみたい。

その際本書は、笑いという現象を解く唯一の原理がどこかに隠れており
それを発掘するという立場をとらない。

これまでの哲学史の中で試みられた笑いの研究を振り返ると、
いくつかの理論が浮かび上がってくる。
ただし、それらの優劣を問うたり、
それらのうちでもっとも有力な正しい理論を決めたりもしない。

笑いという現象は多様であり、
それぞれが独特の状況や人間関係の中から生まれたものである。
誰が、誰と、どこで、どんなときにといった細部を無視して、
包括的な議論を展開しても実りは多くないだろう。
(上野注:完全に「人文科学的」アプローチです)

そう言いつつ、あえて包括的な笑いの定義を一旦ここにおいてみよう。
(上野注:これは嬉しい自然科学的アプローチです)

 笑いとは平穏な日常の破裂である

(中略)
要するに、笑いとは生ものである。
その平穏な日常の破裂は「笑う者」と「笑われる者」の二者あるいは
「笑わせる者」も含めた三者が織りなす
その都度の関係性の中で発生する。

当たり前だが、それらが単独で笑いに関わることはない。
二者ないし三者がその場で生み出す微妙なバランスを読み取りながら、
本書は編まれてゆく。

本書では笑いを、とくに次の三つの観点から考察してゆく。
(笑いを哲学的に考える)
(日本のお笑いを例にして笑いを考える)
(笑いをめぐる日本社会のありようを考える)

(中略)
先取りして言ってしまえば、本書は、
私たちが「掟」というものと
どう付き合っていくのかをめぐる読み物である。
「掟」とはそれが効力を発揮する社会の内側に暮らす人間にとって
従わなければならないと思わされている力のことである。

掟は、私たちの価値、とくに優劣の価値を支配している。
これに従うことで私たちの日常の秩序は保守される。
その一方で、
これに従うことで私たちの心はその秩序に束縛されてしまう。

笑いはこの掟と極めて密接な関係を有している。
掟に従うことで生まれる笑いがある。
その反対に掟に抗うことで生まれる笑いもある。
掟の強制力を強化することにも笑いは加担するけれども、
掟の強制力を弱めることにも笑いは加担するのである。

世界がグローバル化し、国境を越えて大量の人やものが行き来し、
それに伴い
私たちの社会とは異なる価値の存在に気づくことが増える中で、
掟の存在も揺らいでいる。

多様性を尊重しようとする傾向は、
一面的な視点から生まれた価値の偏狭さを批判する方向に向かう。
そうした傾向が加速すれば、いつかひとは掟にとらわれなくなり、
掟の力が消滅すれば、それによって各自の生きやすさが増し、
私たちはより幸福になるのかもしれない。

しかし世の中はそう簡単なものではないようだ。
現在の社会状況を振り返れば、
私たちはますます掟に囚われてしまっているようにも見えるし、
掟によって主体的な判断力が奪われてしまっている
と考えざるを得なくなっている。

そうした笑いと掟をめぐる厄介な状況に、
私たちは巻き込まれている。

本書は3章に分かれている。
先人たちが笑いを論じる際に行った典型的な分類に従っている
ということでもあるが、
それらは、平穏な日常の破裂がなされるあり方を
三つのパターンに分けたものと言うこともできる。

第1章は優越の笑いであり、
往々にして不意な出来事によって起こる際の笑いである。
第2章は不一致の笑いであり、多くの場合、
技術を用いて不一致を起こすことによって破裂が起こる際の笑いである。
第3章はユーモアの笑いであり、
日常の平穏さを支えている掟に抗うことによって破裂が起こる笑いである。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
以下にその3章のサマリをしてみましょう。
しかしながら、この理路整然とした「はじめに」に対して、
本文は、純「人文科学的」な列挙記述ですので、
以下の要約は、著書を材料にした上野としてのまとめになっています。

1.優越の笑い
 優越の笑いとは
 他人の失敗や欠陥を笑うこと。
 自分はそういうことはないと思って笑うのであるが、
 実際はそうではない。
 ホッブスはこう言う。
 「他人の欠陥について大いに笑うことは小心のしるしである。
  他人が不格好なものをあらわしたときには、
  笑う前に救いの手を差しのべるべきである」

 優越の笑いは、社会のデリケートな部分を刺激する危うい笑いである
 そこに成立したのは「笑いの空間」か、あるいは「差別の空間」か。
 笑われることで誰かが苦しんでいるとしたら 
 「安全な空間」が必要になるのか。
 そうであるとしたら「笑いの空間」は不必要なのか。
 笑われることは、すべて悪しきことなのか。
 そうでないとしたら、「快適空間」はどうすれば生まれるのか。

このような記述が続いて、わけが分かりませんので、
私は以下のような要約を作成しました。

「優越の笑い」のまとめ(上野案)


定義・説明


ü  他人の欠点・失敗・ミス・不注意を笑うこと。

ü  「笑う者」と「笑われる者」が存在する。
「笑わせる者(仕掛け人)」は通常は「神」である(いない)。

ü  テレビ番組の「ドッキリ」系は、笑わせる者がいる(制作者)。「笑われる者」を「笑い者」にするので、あまり品のいい番組とは言えない。

ü  昔の子どもたちのあだ名付けはこれに該当するものが多い。

ü  深刻な状況に対しては笑わない。

例:若者が滑って転べば笑うが、高齢者がつまずいて転んだら笑わない。

ü  17世紀のイギリスの哲学者ホッブスは、「笑う者は小心者である」と言っている。そういう面もある。



状況


ü  「他人のマイナス点を笑ってはいけない」という社会規範(著者の言う「掟」)があり、オトナは笑わないようになっている。

ü  そのため、「優越の笑い」が発生することは非常に少なくなっている。





2.不一致の笑い
不一致の笑いとは
違和感あるものが同列に置かれるおかしさ、アンバランスのおかしさ。
ということのようです。
これについても上野の要約を作成しました。

「不一致の笑い」のまとめ(上野案)

 


定義・説明


ü  「笑わせる者」「笑う者」と「笑われるモノ」が存在する。

ü  「笑わせる者」はネタを考え、「笑う者」に提示する。

ü  「笑われるモノ」は、「人、物。こと」などさまざまである。


 

不一致の例

不一致の内容

(何の不一致を笑うのか)

備考

 


綾小路きみまろ


ありたい自分とそうでない自分 

(建て前と本音)


ü  聴衆は自分たちを題材にして笑っている。

ü  著者は優越の笑いに入れている。


 


毒蝮三太夫


ü  かしこまった関係が想定される公共放送の場に、本音の親しみのある関係を持ち込む(「ババア」表現など)。



ü  著者は優越の笑いに入れている

 


明石家さんま


ü  一般的には想定外の突っ込みの連続



ü  天才的である。

 


天然ボケタレント


ü  常識的対応と想定外の対応



ü  みんなで「笑い者」にしている。

 


落語


ü  想定または成り行きと結果(意外性)


 

 


漫才


ü  ツッコミの想定回答に反するボケ対応が中心


 

 


お笑い一般


ü  常識的対応と笑わせる対応


 


不一致の笑いの効用


ü  「笑いは平穏な日常の破裂」ですから、日常生活の気分転換になりリラックスできる効用があります。

ü  お笑いが好きな人は、お笑いの内容を研究して自分で応用できるようになれば、日本社会全体が明るくなるのではないかと思われます。




 3.ユーモアの笑い

「ユーモアの笑い」のまとめ(上野案)

項目

説明


識者の「ユーモア」の定義


ü  「遊びの気分をもたらすもの」

ü  「ユーモアは機智と愛である」

ü  「(チャップリン)ユーモアは人間の生存意識を高め、健全な精神をささえる。ユーモアがあればこそ、人生の有為転変も、比較的軽く乗りきれるのだ。それはわらわれに均衡感覚を与え、オーバーな厳粛さの底にひそむ滑稽さを引き出して見せる」

ü  「機智や皮肉もユーモアの構成要素ではあるがイコールではない(著者)」



上野の定義


ü  「笑わせる者」「笑う者」が存在する。

ü  「笑わせる者」が「下品でない笑いを誘う題材」(「笑われる者」とは限らない)を作成し「笑う者」に提供する。

ü  ジョークやダジャレが一般的である著者はなぜか、ジョークやダジャレについて触れていない)。



日本人はユーモアセンスが弱い。


ü  欧米人は、一般の会話でジョークを多用して相手を引き付ける。

ü  日本でジョークを言う人は少ない。

ü  私の多くの友人でジョークを言う人は二人しかいない。その一人は、会合で進行役を依頼されると、「それでは歯科医がつたない司会をさせていただきます。歯科の方は名医です。お間違いなく」というようなセリフで始める。

ü  ジョークを聞きという下地ができたいない日本人は、ジョークをジョークとして気づかないことが多い。

ü  落語という文化で笑いを追究してきている日本人なのになぜユーモアセンスが弱いのか。



日本でユーモアセンスが弱い理由


ü  まじめに勤労するという農耕型文化の国民性では、冗談を言っている余裕はなかった。余裕があるとなれば、絞られるだけであった。

ü  著者の言い方だと「掟のしばりが強い」のである。

ü  狩猟型文化の欧米は、「明日は明日の風が吹く」的で、悪く言えば呑気、よく言えば明るい気質である。ジョークが言えるのである。



上野の期待
(著者も同意見?)


お笑い番組が好きな方は、お笑い番組を見て笑っているだけでなく、そこから「笑い」のこつを学び、ユーモアセンスを強化していただきたい。そうすれば、人生の豊かさが強化されるでしょう。