2015年8月31日月曜日

新事業創造支援プログラム!そんなものあるのですか?

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 ICTを活用する新ビジネスを考案する画期的なアプローチがある
  ことを知っていただきます。
 その無料紹介セミナが9月11日にあることを知っていただきます。
 
ねらい:
 「ICT活用新ビジネス創造支援プログラム」をご研究いただきます。
 素晴らしい新製品・サービスを考案してください。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

8月3日の当ブログ「新事業創造支援者を育成しませんか!」

の続きです。

ひとつ前のブログで、
私がMIND-INの手法を使って開発したぎっくり腰矯正器
をご紹介しました。

このMIND-IN手法を使って新製品・サービスを考案するプログラム
「ICT活用新ビジネス創造支援プログラム」
の無料ご紹介セミナを9月11日に開催いたします。

新製品・サービスの考案をしなければならない方、
あるいはその方法を研究しなければならない方
は是非ご参加ください。

 セミナのご案内はこちらをご覧ください
 http://www.newspt.co.jp/data/semina/bcksemi.pdf
 
このセミナでは、
製品・サービスのアイデアをひねり出すMIND-IN手法だけでなく、
新事業を創案する人材の選抜手法と
これまでの日米中心ですが、
製品・サービスの創出100例以上を収録したデータベースの活用法
もご研究いただけます。

このデータベースのサンプルは以下のようなものです。

 



















これによって、
 これまでどんな対象事業領域で
 誰向けで
 どの対象プロセスを狙って
 どんな技術を使って
 どんなものを作ったのか

を知ることができます。

EXCELの機能ですが、
複合条件で該当するものを抽出することもできます。

これらを手がかりにして、真似をするのではなく
新たな製品・サービスを考案していただく材料としていただく
ためのものです。

ICT活用新ビジネス創造支援プログラム全体については、
以下のURLをご覧ください。
 http://www.newspt.co.jp/data/mind-pd/bckicker.pdf



 

私の新製品発明「ぎっくり腰矯正器」

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 私が考案したぎっくり腰矯正器を知っていただきます。
 「イメージ思考法」の成果例を知っていただきます。
 
ねらい:
 ぎっくり腰矯正器が販売されたら使ってください。
 別項「新事業創出プログラム!そんなものあるのですか?」
  もご覧ください。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

私は時々軽いぎっくり腰になります。

今回は7月16日になりました。
毎朝の散歩ジョギングのときの、
ゴール地点の西大井公園での出来事です。

いったん全部散ってしまった「くちなし」が
また一輪花弁を付けたのです。

それで「おや?」と思って
地面から30センチほどの高さだったので
屈んであの独特のにおいを嗅ぎました。

そして立ち上がった時にギクッと来てしまったのです。

それでもあまり気にしないで、
そのまま普通に走って帰宅しました。
その後も少し庭木の手入れをしました。
これがいけなかったようです。

1日休む羽目になりました。
その後ほとんど恢復したと思った時に
油断して再発してしまいました。
階段の上り下りは苦しいですが、
歩行はゆっくりならなんとか、という状態でした。

その時に、八木橋英男講師の「イメージ思考法」のトライアルを
仲間うち6人で実施しました。

何のトライアルかというと、
別項の
「ICT活用新事業創造支援プログラム!そんなものあるのですか?」
の「新製品・サービスのアイデア出し」のトライアルでした。

6人が2チームに分かれ、それぞれテーマを決めて
新製品のアイデア出しをしました。

我がチームのテーマは健康器具でした。
始めた時はぎっくり腰治療器を考えよう
という気はまったくありませんでした。

もう一つのチームは換気扇でした。

これまでにないまったく新しい物を考えようということです。

それぞれ3人の湧いたイメージを合体させて
新製品のアイデアに結び付けるのです。

我がチーム3人のうち二人のイメージは合体して
一つの物に収れんできそうでしたが、
私の分は別に検討することにしました。

イメージ思考法では、
潜在意識で3つのイメージを思い浮かべます。

私の脳裏に浮かんだイメージは以下の3つでした。

一つは、温泉まんじゅうのような饅頭です。
二つ目は、海の上を走っている白い帆(ヨット)です。
三つ目は、樹に止まっているセミでした。

これを「意味解釈」して
以下の写真のようなぎっくり腰恢復器のアイデアとなりました。
早速自宅で作ってみたのです。

 
前面のクッション材は、
100円ショップで売っている
洗面所用などのマットです。
表面が滑りにくいように
凹凸があります。

白くぶら下がっているのは、
市販の腰用の緊縛ベルト
(コルセット)です。

黒い袋状にぶら下がっているのは
ナイロンストッキングに入っている
ゴルフボールです。

白と黒のコンビで
指圧効果を発揮します。





裏側です。
コルセットは鋲でとめてあります。
製品にする時は
両面テープでとめるようにします。
上下好きな位置に
セットすることができます。

上に見えているのは、
ゴルフボールが入っている袋を
留めている部分です。
自家用なので鋲を使っています。

最下部に二つ見えているのは、
板の背部と底部をつないでいる
蝶つがいをとめている針金です。
取り外しやすいように
あえて針金でとめています。

背部だけを取り外して使うことも
できるようにするためです。

                   

三つのイメージを「これは何を意味するのだろう?」
とひねっているうちに
「ぎっくり腰の矯正器だ!」と思いついたのです。

饅頭は二つのゴルフボールになりました。
海の上を走る白い帆は
そのゴルフボールが自由に動けるということを示します。

樹の上のセミは、ゴルフボールを木に留めろということです。
しかしすぐに自由に飛んでいけるのです。

ゴルフボールを腰に当てて板とか畳の上で寝ると
ぎっくり腰が治るということは、
散歩ジョギングの途中で某おば様が教えてくれていました。
その時は1回目の恢復中だったので実行しませんでした。

その治療法を椅子に座っていても実施できる
という治療器なのです。

この治療器のよさはほとんど既存の部品でできるということです。
板と蝶つがいだけは近所のホームセンターで買いました。

自分で使用してみてかなり効果があり、
また机に向かっている時の姿勢ガよくなる効果も感じられました。

そこでこれを実用新案として登録することにして
現在準備中です。

非常に安くでき、使い勝手もよい、使うのが楽しい面もある、
ということなので、近々商品化されることを期待しています。

効能書き
1)腰の痛い部分に自由にボールを当てることができる。
2)椅子や座椅子の上に置いて使うことができる。
3)装着が簡単でワンタッチで外すことができ立つことに不自由しない。

4)かばんに入れて持ち運びすることができる。
5)姿勢矯正器としても使うことができる。
6)背もたれ部のマットを楽しい柄にして
  交換して気分転換することができる。

7)特注品を使わないで安く製造できる。
8)マットやベルトの消耗品を継続的に販売することができる。

因みに、このトライアルの時の
我がチームの二人の健康器具と別のチームの換気扇は
私の製品と違って非常に斬新なアイデアとなりました。
しかしかなり実現は難しそうです。

このように「イメージ思考法」では、
画期的アイデアも現実的アイデアも出てくるものです。

別項「新事業創造支援プログラム!そんなものあるのですか?」
もご参照ください。



新国立競技場 見積りの問題点は何か?

【このテーマの目的・ねらい】

目的:
 新国立競技場建設費の見積りが揺れ動く本質を解明します。
 見積りの問題点を認識していただきます。
 情報システムにおける
  見積り精度向上の課題を認識していただきます。

ねらい:
 もっと見積りに関心を持っていただきます。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

新国立競技場の見積りや計画が大幅に揺れ動いています。


8月28日政府は、
新国立競技場の建設費を1550億円と決定したと発表しました。

この直前の見積りから冷房設備をなしにして100億円を下げた、
ということです。
これで2520億円から1000億円下げたと安倍総理は自慢げでした。

夏の大会で冷房がない?
まあ甲子園の夏の大会でも冷房がないのだから
やってやれないことはないでしょうが。

それはともかく、
分からないのはなぜこんなに見積り額が変わるのかです。

意味や見積り範囲は別として、
以下のように見積り額が動いています。

 2012/11 1300億円 計画
 2013/10 3000億円 以下見積り
 2013/11 1852億円
 2013/12 1699億円
 2014/05 1625億円
  ~       3000億円
 2015/07 2520億円
 2015/08 1550億円

2015/07の見積りでは、開閉式の屋根をやめたとか、
引き算での説明はされていますが、
そもそもどうなのか、は説明されていません。

見積りをするためには、設計が前提となります。
どういうものを作るかが決まって初めて
その図面を分解して見積りになるのです。

本件の見積りは
ずーっと設計はできていなかった段階のです。
今もできていません。

詳細の設計ができていない段階での見積りは
かなり推定が入ることになります。

その推定の根拠は、類似案件です。

日産スタジアムが600億円でできたのだから、
それに対して規模がどのくらい違う、
あるいは開閉式天井がつくとかで
足し算・掛け算をして算出します。

その際、まったくの新規技術だと、
あるいはどういうものになるか分からないときは、
リスクを見ます。
安全を見て多めに見積もるのです。

今回の当初の3000億円の見積りは、
リスクを見た部分が多かったと思われます。

こんな大型案件で工事費が何割も増えたら
会社に重大な損害を与えることになります。
誰だってリスクを多く見ます。

それにしても、こんなに振れ幅が大きいのは
もう一つ理由があります。
それは施工技術が分からない人が
見積りに関わっていることです。

設計をする人でも
施工技術が分からない人が多いといいます。
いくらになるか考えずに設計案を作っているのです。

ザハ・ハディドさんもその類でしょう。
予算は1300億円と言っているのに
あんな壮大な案を作って出すのですからね。

審査する方だって
コストのことが分からずに
デザインの斬新性だけで決めているのだから無責任です。

設計者でもその程度です。
ましてそれを依頼するお役人・文官は
もっと評価力がないのです。
そんな人たちがこねくり回すのですから
わけも分からず揺れ動くのです。

若干脇道です。
技術的な評価力がなくても、
類似案件のコストくらい知らなければダメでしょう!
見積りについて追求した当時の国会の委員会で
議員からの他の案件のコストはどうなっているのか
との質問に対してJSCの担当役員が、
「把握していません」という回答をしていました。
論外ですね。


以上のことは見積りには付いて回る「常識」です。
分からない人たちがこねくり回すから
こんなことになってしまうのです。

この不首尾の経緯を私なりに以下の表にまとめてみました。

                           見積りが振れる要因

要因
今回の場合
対応法
1. 要件が変わる
・ この施設を何に使うのか、どのくらいの規模にするのか、定性的ねらいをどうするのか、によって当然ながら実現コストは変わる。
・ N万人収容
・ 用途(陸上競技、サッカー大会、音楽会、等々)
・ 敷地面積
・ 災害時避難場所
・ 日本の技術力を世界にアピールする。
・ これが基本要件で、これが決まらなければ、何も決められない。
・ 当初これは最大限の希望的可能性を盛り込んでいた。
・ 何でもかんでもの施設など実現した試しはない。
2.設計ができていない
・ 要件が決まって設計になる。
・ 設計ができていなくてまともな見積りができるわけはない。
・ 今回のザハ氏の入選はデザインコンペでデザインを決めただけで設計は行われていない。
・ 2014年1月に基本設計が開始されているが、5月にこの基本設計を基にしたとされる見積りが1625億円である。
・ この期間の「見積り」では到底積上げ型の見積りができるレベルにはなっていない。
・ この段階での見積りは超概算見積りである。
・ 類似案件からの類推となる。
・ 前例となる類似案件がない場合は、リスクを見て膨らませた見積りとする(そうせざるを得ない)。
3.建設工事に理解がない人間が見積りに関わる
・ 前提とか見積り方法を捨象して結果の数字だけを使う。
・ 数字の独り歩きが行われてしまう。
・ 見積り内容の精査ができず、見積り値を丸呑みしてしまい、前向きの施設・機能の改善検討ができない。
・ 施工技術に精通していない設計者の設計は、最適機能・最小費用を考慮していない設計となっている可能性がある。
・ 最初の段階の3000億円とか上記1625億円は、この数値で計画とするレベルでは到底ない。
・ 文科省や日本スポーツ振興センター(JSC)の担当官は到底技術評価はできない「文官」であったろう。
・ 今後の問題になるが、設計技術者と施工技術者の密な連携が納期短縮の面からも必要となる。
・ 見積りの前提条件を確認し、見積り値の限界を認識して検討を進めるべきである。
・ 超概算見積りを前提に予算化措置などをしてはいけない。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
情報システム開発での見積りでも、
まったく同じことが毎日のように起きているのです。

「こんなことをやりたい、見積りをしてほしい」
と開発業者がお客様に言われます。

「どんなものを作るのですか」
「まだ詳細は決まっていない、
だから概算でいいから見積ってほしい」

そう言われると仕方ないので
開発業者は想定・仮定をして見積ります。

積み上げの見積りができませんから、
類似案件からの類推しかありません。
分からない部分はリスクを見て上乗せします。

そうするとお客様はその概算で予算措置を講じます。
そうなると、仮の概算数値は既成事実になります。
「予算がこれだけだからこれで開発してくれ」

そうして開発に入ると、
追加の仕様がどんどん出てきます。
リスクを見た枠もどんどん超えます。

「えーっ、それは困ります」とクレームしても
「とにかく予算がそれしかないのでそれでやってくれ」
となるのです。

新国立競技場の見積りと同じことでしょう?
これからも続きますよ。きっと!

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
もう一つは、
企画または設計ができたあとの見積りの問題です。

開発業者はその企画案または設計案に基づき、
それなりの方法で開発規模の見積りをします。

発注者は
一般的にその見積り値を評価する力がありません。

発注者に開発実務の経験があれば、
「何でその部分がそんなにかかるのか」と追及ができますが、
そうでないと鵜呑みにせざるを得ません。

多くの発注側企業では、
もう長い間開発実務から遠ざかっていますので
開発業務の「当たり」がつけられないのです。

「とにかく高いから少し安くしてくれ」
とか言って値切るしか能がありません。

従来の見積りは、
開発側では積み上げて見積っていますが
発注側から見ると、
工事費一式でいくらですという見積り方法だったのです。

もし「何でその部分がそんなにかかるのか」の質問への回答
に対する理解力があれば、
「だったらこういう仕様に変更してコストを下げよう」
という検討も可能となるのです。

「見積りの内訳が見えるようにしよう」ということで
ファンクションポイント法(開発する機能をベースに見積る方法)
が開発され一部企業で実用されています。

ファンクションポイント法は、
水洗トイレを3つ作ってくれ。
そのトイレには男女共用のウォッシュレットを付けてくれ。
という要求に対して、水洗トイレ分でいくらです、
という見積りです。
当たり前でしょう?

これだと「ウォッシュレットは止めようか」
という検討ができるということです。

それでもなぜそんなにウォッシュレットにかかるのか、
という疑問は残ります。
ウォッシュレットの作り方・設置方法が分からないと
それ以上の突っ込みはできません。

現在、発注者に開発実務の経験をさせよう、
という動きも出てきています。

ところでファンクションポイント法は
新規開発には適用できるのですが
システムの変更(保守・エンハンス)、つまり以下のような

 和式便所を洋式に変更する
 洋式便器にウォッシュレットを設置する

に適用できるようなファンクションポイント法的な見積りは
一般化していません。

これをシステム企画研修社では開発し提供しています。
今までこの方法がなぜなかったのが不思議です。

以上、情報システムにおける見積りの問題点を整理すると
以下のようになります。

     情報システムにおける見積りの問題点と対策

問題点
原因
対策
・ 開発内容が決まっていない段階で見積りを要求される。
・ 仕方なしに「適当に」[
  「超概算」という前提で見積りを出す。
・ そうするとそれが独り歩きで確定見積りになってしまう。
・ 機能が膨らんでも、提示した見積りの中で開発せざるを得ない。
・ 開発内容が決まる前に予算措置を講じる必要がある。
・ 開発内容が決まっていない段階で的確な見積りをする方法はない。
・ 開発内容が決まってからでも、短時間に正確な見積もりをする手法や能力がない。
・ 受注側の交渉力が弱い。
・ 見積りを出す際には見積りの前提条件を明示する。
・ 前提条件は何らかの方法で定量化か具体化を行い、事後の折衝時に、具体化された要件が範囲内か否かの判断ができるようにする。
・ その上で、追加要件は次回回しにするとかの結論に到達するようにする。
・ それには、そのつもりで臨む覚悟と交渉力が必要である。
・ 変更処理(エンハンスまたは保守業務)に対する機能ベースの見積り法が確立していない。
・ そのため、発注側は、見積りの妥当性を検証する方法がない。
・ 見積り方法の研究が十分されていない。
・ あるいは、良い方法が共有されていない。
・ システム企画研修株式会社ではその方法(SW式工数見積り手法)を開発しているので、それを研究する。


SW式見積り手法に関心ある方はお以下にお尋ねください。

mind-pc@newspt.co.jp


2015年8月30日日曜日

最近の渡部昇一さんのご意見の紹介です

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 「愛国者」渡部昇一さんの最近の発言を確認しましょう。
 今の日本の危うさを再確認しましょう。

ねらい:
 日本の安全保障を真剣に考えましょう。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

私は雑誌「致知」に連載されている渡部昇一さんの
「歴史の教訓」を毎号楽しみに読んでいます。
このために致知を購読していると言えるくらいです。

渡部さんのご意見は、ほとんど反対するところがありません。

久々に渡部さんのご意見をご紹介します。
以下太字は渡部さんの文章そのままの部分です。
太字でないのは私が要約等をして解説している部分です。

この2か月の渡部さんの主テーマは
日本の安全保障問題です。

8月号の見出しはこうでした。

集団的自衛権の確立こそ
帝国主義的横暴に対する最大の抑止力である。
憲法改正はそのためである

冒頭の要約文はこうなっています。

南シナ海がきな臭い。
その南沙諸島の岩礁を埋め立て、
軍事基地を建設すると中国が明言したのだ。

東南アジア全体の安全保障が揺らぎ、
一触即発の緊張状態が出現することは避けられない。
日本はいかに対処し、何をなすべきか。

その答えはどうなっているのでしょうか。

まず現状の確認です。
中国の帝国主義についてこういう記述があります。

大東亜戦争以前のシナは、
欧米の帝国主義に蚕食され、
ひどい目に遭ったといえます。

シナのこれといった都市には
シナ人が勝手に住むことのできない欧米各国の租界があり、
シナ人の出入りが許されない公園があり、
という具合でした。

現在の中国のあり方を見ると、
その底の底にはこの時期の怨念が
積もり積もって堆積しているように見えます。

中国を遅れてきた帝国主義国家にしている根源には、
このことがあるのでしょう。
(上野注:興味深い見方です)

かしいま、
帝国主義的横暴を容認する国はひとつもありません。

いまの中国は紛れもない経済大国です。
(中略)
なのに帝国主義を露わにして国際社会と対峙する姿勢に
頑なにとじこもる。
なぜなのでしょうか。

その理由として、
独裁国家として指導層が権力を維持しようとすれば、
1)国民を反対勢力とならないように弾圧する
2)国の外に敵をつくり、国民の不満をそこに向けさせる。
ことになるのです。

南沙諸島の中国の動きに対して反対する国は「恰好な敵」です。

しかしこの緊張が大きな戦争状態を引き起こす可能性があることは、
第1次大戦を引き起こしたオーストリー皇太子夫妻が射殺された
サラエボ事件が示しています、と言います。

南沙諸島の紛争が起きれば、
尖閣諸島にも影響するでしょう。

この時力を発揮するのが集団的自衛権です。

安倍首相の打ち出した集団的自衛権の確立、
これこそが
中国の帝国主義的横暴に対する最大の抑止力だからです。

中国はそう宣言しているのだから、
岩礁の埋め立てはさらに進め、
軍事基地の建設に持っていくでしょう。

フィリピンやベトナムとの間に
小さな紛争があるかもしれません。
だが、東南アジア諸国の側にはアメリカがいますから、
それ以上に出られるかどうか。

そこに現行憲法を改正して集団的自衛権を確立した
日本が加われば、鬼に金棒です。

尖閣諸島の問題も、
中国は犬の遠吠えを聞かせるくらいが精一杯、
ということになるのではないでしょうか

この後、
4月28日の安倍首相のアメリカ上下院合同議会での演説が
日米の関係強化に大きく貢献したことに触れています。

そして総司令官を解任され帰国したマッカーサーが
米議会上院軍事・外交委員会で
「日本が戦争に入っていったのは
主として自衛のためであった」
という証言をしたことに触れています。
(自衛は国の基本的権利であることを言っているのです)

現在の憲法の前文で、
「日本国民は、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、
われらの安全と生存を保持しようと決意した」
と言っていることは、すべてを他人任せにするということで、
とても一人前の国とは言えません。

その前提での第9条は無責任な条文で、
早く改正して一人前の国にならなければなりません。

実は、これはもっと早くから手をつけるべきでした。
しかし、現行憲法には平和を守るには
大きな欠陥があるにもかかわらず
正確な知識を置き去りにして、
逆に平和憲法の美名の下に
第9条があるから日本は戦争に巻き込まれないのだ、
第9条を守れ,の迷信が国民の多くを覆っていました。

その迷信を増幅する勢力がありました。
そのために歴代の政権はこの問題に踏み込むことを
ためらってきたといえます。
そこにようやくガッツのある首相が登場したというわけです。

私たちには今、正確な知識に基づいて
冷静な認識に立つことが求められているのです。

「答え」は、早く憲法を改正して集団的自衛権を確立しよう
ということでした。

最後に
韓国も道理に目覚めて日韓関係の強化に努力すべき、
そのことが中国に対する抑止力になるとも付言しています。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

9月号の見出しはこうです。

デモクラシーは脆い。
そのことを知り、備えなければならない。
備えあれば憂いなし。
それが集団的自衛権の確立だ

その冒頭の要約文はこうです。

デモクラシー発祥の地アテネが、
マケドニアから出たアレキサンダー大王に蹴散らされた。
デモクラシーを享受するフランスが、
ヒトラーに席巻された。

歴史はデモクラシーの脆さを教えている。
ならばいま、いかにして日本を守るべきなのか。
その答えは紛れもない。

その答えは何でしょう。

まず第1次大戦後の状況に触れています。

 ドイツは過酷な賠償金を課せられ、
 世界恐慌も押し寄せ貧弱のどん底にあった。

 その時ヒトラーは高速道路(軍用にもなる)を造り、
 近代的な機械化部隊をつくり上げ、
 飛行機の生産に拍車をかけた。
 この軍備増強過程で失業問題も解消されていった。

かたやフランスはどうしていたか。

フランスの議会はスキャンダル騒ぎで湧きあがっていました。
政敵の愛人探しに熱中し、
それを材料に相手を攻撃する。
専らそんなことをやっていたのです。

イギリスも似たようなものでした。

その結果、再び戦争が始まったら、
あっという間にパリ陥落、
イギリスもダンケルクから追い落とされてしまいました。

 今の日本の国会の安保論議は
 枝葉末節の技術論に終始している。
 当時のフランスの状況と同じである。

さて今の日本です。
近隣を見てください。
毎年軍事予算を膨らませ軍備増強に励んでいる国があります。

その国は本土から遠く離れた南シナ海に人口の島を造って
自国領と主張し、飛行場を建設して軍事基地にすることを
明言しているのです。

そしてその国はデモクラシーの国ではありません。
共産党独裁の国です。

もはや1点の疑問の余地もありません。
日本は第2次世界大戦前のフランスと相似形の状況にある
ということです。

そのことが認識できたら、
やるべきことは明らかです。
隣国の暴発を抑止する力をつけなければなりません。

それが安倍政権が意図し、
努力を傾けている集団的自衛権の確立です。

にもかかわらず、国会でなされている議論と言えば、
集団的自衛権は憲法に違反する、
いやしない、といったことばかり。
気楽な稼業と言わざるを得ません。

(以下しばらく上野意見)
そうなのです。
本質は、今の日本の安全を確保するために
集団的自衛権は必要かどうかということのはずです。

集団的自衛権が必要で
それが憲法にj違反するということであれば、
憲法を改正すべきなのです。

しかしそれだと、国民的合意を得るのに時間がかかり、
間に合わない、ということから、
便法で憲法解釈で逃げようとしているために歯切れが悪く、
反って国民の賛成を得られていないのです。

世論調査結果では、今回の安全保障関係の衆議院決定に
非常に多くの国民が反対ですものね。

日本の安全を確保するという目的を優先すると
多少の無理は仕方がない、という政権の苦渋の決断です。

(ここから渡部さんのご意見)
デモクラシーの国、日本で
いかに意思決定が遅いかの事例として、
練馬区に外郭環状道路を通すという件を出しておられます。

1965年に計画があったのに住民の反対で実現せずに、
ようやく最近になって実現に向けて動き出した、のです。

それに対して独裁国家中国では、
2020年までに
総延長1万6千キロの新幹線建設を計画しています。
(日本は現在3千キロ)

おそらくこれは実現するでしょう。
地図の上で直線をひいて
その線上にかかるところは強制収用すればよいからです。

そもそも新幹線技術を日本から導入したのは
ついこの間のこと。
しかも契約では他国にその技術は出さない、
ということだったのに、「どこ吹く風」で
ブラジルなどで日本のライバルになっている。

こういう国です。
うかうかしていたらダメでしょう!!
というのが渡部さんのご意見です。

結びはこうなっています。

政治の不気味と経済の不気味(この前に解説あり)。
だが、不気味だからと言って、回避する術はありません。
そういう不気味を抱えた国がすぐ隣にあるというのは、
動かせるものではないからです。

ならば、国を守るために備えるしかありません。
備えあれば憂いなし、です。
しかし、今の国会議員の多くは
「憂いがないので備えを考えていない」
ように見えます。

国を守るために備えなければならない第1のものは、
本稿で最初から繰り返し述べてきたことです。

集団的自衛権の確立。これです。

安倍政権はこれをやろうとしているのです。
安倍首相は今の国会で集団的自衛権を確立するための
安保関連法制を万全にする覚悟だと見ています。

また、そうでなければ、
この時期に首相の座にいる意味がありません。

国を守る。
今はこの一事に集中すべき時なのです。
議員諸君が気楽な稼業を貪っているいることは許されません。

いや、議員だけではありません。
全国民が、国を守るには何をなすべきかに集中すべきです。

このように考えてくると、
いま私たちは実に歴史的な時代に生きているのだ、
ということに思い至ります。

国民が目覚めよ!!と言っておられるのです。
そうなのです。
早く「安全ボケ」「安全保障タダ乗り」
と言われる状況から脱却しなければなりません。




2015年8月29日土曜日

「戦場体験者無言の記録」 日本軍の非行

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 第2次大戦の日本軍に残虐非道の行為がかなりあった(らしい)
  ことを知っていただきます。
 中国に対してそのことは謝罪しなければならないことを
  認識していただきます。
 戦争はいかに人を狂わせるかを考えていただきます。
 なぜ、そんなことが起きたのかを考えていただきます。 

ねらい:
 それぞれで考えていただきます。
 戦時の「事実」にご関心ある方は「戦場体験無言の記録」
  をお読みください。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
これは著者保坂正康氏が、
執念で長年の調査・情報収集を行った結果の報告です。
たいへん貴重な記録です。

日本軍の残虐非行もかなりのものだったということが分かります。

本書にこういう記載がありました。

 中国語が堪能なため中国戦線に送られたのだが、
 そこで鵜野(中尉)に与えられた役割は捕虜の中から共産党員
 あるいは共産党シンパを見つけて、
 その捕虜を「始末」することだったのである。

 「始末」の意味は、曖昧な表現であるが、
 ほとんどの場合「殺害せよ」と同義語であった。
 鵜野はその職務に忠実であった。

 彼は私への直話の中で、
 自分は28人の捕虜の処刑を行ったと語った。
 
 「自分でですか」という問いに、
 「そうだ。誰かがやらなければならないことだった」
 と鵜野は告白し、そのうえで
 「日本刀で惨殺するということだー――」と言って、
 その処刑の内容を詳細に語った。
 
 その様相があまりにも残酷なので、
 私は嘔吐しそうになったほどだ。

以下は鵜野氏の著書「菊と日本刀」(1985年)からの引用です。
記述内容は、
1956年の中国の特別軍事法廷における裁判での状況です。

 9人の農民が、
 ある人は泣いて助命を乞い、
 ある人は敢然と涙とともに抗日歌を歌い、
 またある人は激怒して大声で抗議するのを、
 1人ずつ斬首していった情況。
 
 それに刀の目釘が何度もゆるみ。
 また刀身が曲がったのを血のりを拭きながら
 1人斬首するごとに布を巻いて直しながらの斬首過程を陳述するなかで、
 言葉につまり、とめどなく流れだす涙をぬぐいながらの陳述は、
 障害忘れ得ぬ苦しさであった。


また別の個所にこういう記述もありました。

「日中友好元軍人の会」の事務局長を務めていた
永井洋二郎氏の著者に対する証言として記載されているものです。

 会員のある将校が自分たちの部隊が行った行為について
 永井氏に告白したという。

 「いわゆる南京虐殺にかかわった部隊の将校は、
 こうした記憶を幾つも自らの中に抱えているという意味での
 重要な証言なのです。

 倉庫の中に中国人を大勢詰めこんで、
 そこから何人かずつ引きだして揚子江の前に並べて
 機関銃で次々に殺害したのです。

 むろんここには兵士だけではなく、
 一般市民もいたわけですが、
 何隻かの船のスクリューを早くして川の流れを強くしていたので、
 死体は次々に川に流れていきます。

 それを終日続けた。
 死体は揚子江から海に流れていったことにより、
 その数は正確には分かりません。
 
 こういうケースは伏せられています。
 なぜなら当事者が口にしないからですが、
 その分だけ彼ら兵士、将校の中には
 戦後になってもその記憶から抜け出ることができずに
 苦しんでいる者がいるのです。

日中友好元軍人の会(現在は日中友好八・一五の会と称している)
については、
代表幹事の沖松信夫氏(元職業軍人)が
その会報340号(1998年3月号)で以下のように述べています。

 日中友好元軍人の会は、1961年に設立された。
 当時この名称は、会の性格を表すユニークなものだった。

 第一、日中友好運動は、
 当時日本政府の認めようとしない運動であり、
 右翼団体からは非国民・売国奴の集団として非難された時代である。

 第二に、当時は元軍人の敗戦責任を問う声も少なからず、
 一般的には元軍人を名乗ることが憚られた時代である。

 その時代にあえて過去の侵略戦争を反省し
 軍備を否定する元軍人の団体であることを表明することは、
 二重に勇気を要する行為だった。

 日中友好と元軍人の語を組み合わせた会名は、
 当時としてはその性格を極めて鮮明にしたものであった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

そんなひどいことがよくできたものだという衝撃的な内容です。
残虐行為をした多数の当事者からの聞き取り等
に基づいていますので、これは真実だろうと思われます。

ただ、韓国女性の人狩りをして慰安婦にした、
という吉田清治の自白懺悔がまったくの虚構だった
という例もありますので、
真実であるという断定はできませんがーーー

ですが、真実とするとなぜそんなひどいことができるのか、
という疑問が湧きます。

戦闘の場では食うか食われるかですから、
敵を倒すのは自然な本能に基づく行為です。

しかし、民間人を虐殺暴行することは、
戦時においても違反行為です。

民間人の虐殺では、
最も有名なのがナチスのユダヤ人虐殺です。

イスラムのテロも民間人が対象になっています。

戦争ではありませんが、
オーム真理教のサリン事件も無差別殺人です。

こうして見ると、
このような非人道行為の背景にあるのは、
宗教またはそれに準じた価値観です。

日本軍の場合は、宗教ではありませんが、
ある意味の「神がかり」です。

特攻隊の戦士は「お国のため」と言って死んでいったのです。
上官の指示だから従うのではなく、
抽象化された「お国」(神様)の命だったのです。

宗教に対する信仰はすべての価値観に勝るということです。

洗脳という言葉があります。
他の価値観をサッパリ洗い流してしまい、
新たな価値観を埋め込まれるという意味なのです。

人道も倫理も道徳もなくなってしまいます。

別項でご紹介した「ドイツ帝国が世界を破滅させる」の
エマニュエル・トッド氏の分析だと、
ドイツと日本は(個人主義ではなく)集団主義的で
上の言うことを素直に聞く(お上(かみ)に従う)傾向がある
と言います。

その面でも上の命令は絶対で、
そこに個人の判断は入りにくい、ということがあるのでしょう。
(私は日本軍の残虐非道を弁護するというつもりはありませんが)

また別項「シベリア抑留記『生きて帰って来た男』」でご紹介した

熊英二さんはこう言っていました。

 第2次大戦でドイツ軍の捕虜になったソ連軍の将兵570万人中 

 前線での虐殺や悪待遇で200万人~300万人が死亡

 死亡率6割  ドイツ最悪!!

 ソ連軍の捕虜になったドイツ軍の将兵330万人中
 死亡者は100万人で死亡率は約3割

 日本軍の捕虜になった英米軍の死亡率は27%、
 (日本軍もそんなに悪いのか!)

日本軍の非道さは、
日本で極悪の典型のような見方をしているソ連と同じです。
やはり日本軍はかなりのワルなのです。

それにしても、
日本軍がそんなに非道であったのなら
やはり真剣に謝罪しなければなりません。


ところですべての特攻隊員が
進んでお国のために命を捧げたのではないようです。

「きけわだつみのこえ」に収録されている以下の文章に
著者も大きな感激を受けています。
22歳の大学生の遺言の最後の部分です。
 
 明日は自由主義者の一人この世から去っていきます。
 彼の後姿は淋しいですが、
 心中満足で一杯です。
 
 云いたい事を云いたいだけ云いました。
 無礼を御許し下さい。
 ではこの辺で。
 出撃の前夜記す。

こういう記事もありました。

特攻機のパイロット席の無線は常時オンになっていて、
管制官側は状況を把握していました。
そうすると、「天皇陛下万歳」とかだけでなく
「海軍の馬鹿野郎」などの言もあった。


ところで、
第2次大戦の米軍の都市空襲・原爆投下も無差別殺人です。
これは宗教のせいではないでしょう。

ではなんでしょうか。
私のみるところでは目的思考でしょうね。

「これ以上米国民の戦死者を出したくない」
「早く日本の影響力を地球から抹殺したい」
「それには手段を選ばない」
という思考です。

米国流の目的思考は、まさに
「目的のためには手段を選ばない」のです。

人間が「おかしくなる」原因は、
「おかしな」宗教か「おかしな」価値観なのです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
本書は以下のような章立てになっています。

著者が伝えたいのは、こういうことです。

 戦争がいかに残酷で厳しいものであるか
  これを現代・後世に伝えよう。

 戦争体験をした者は戦争体験を語りたがらない
  戦後、戦争が全面否定された。肩身が狭い
  苦しい厭な思い出である
 
 そのため、戦争体験者は厭な思い出を自らに抱え込んで
 苦悩している
  その人たちに対する社会的ケアがされていない。
  冷たい日本社会である。

第1章 「きけわだつみのこえ」と戦後社会

第2章 日中戦争の実態を伝える

第3章 元戦犯たちの苦悩

第4章 軍隊と性の病理

第5章 衛生兵のみた南方戦線

第6章 個人が残した記録
     フィリピンでの憲兵隊の島民虐殺事件も記されています。

補章  兵士の戦場体験をいかに聞くか

私は、非常に「厳しい」内容なので、
暗澹とした気持になり途中で読むのをやめました。

ところで、
前掲の1956年の中国の特別軍事法廷における裁判の結果は、
被告は自ら全員死刑を覚悟していたのですが、
何と最高刑でも禁固20年(禁固年限には終戦からの期間を含む)
の温情判決でした。

それは、
当時の国家主席側(毛沢東、周恩来)の「配慮」だったようです。
これはビックリの新事実でした。

「死刑ではなく有期刑にして日本に送り返せ、
その上で、日中友好に貢献してもらえ」

凄い戦略的思考ですね。
今の日中関係を考えると彼我の差がありすぎです。
戸惑いを禁じ得ません。





2015年8月24日月曜日

終戦70年、少し歴史を見直しましょう!!

【このテーマの目的・ねらい】

目的:
 戦後の歴史観を見直しましょう。
 中国への歴史的貢献を再確認しましょう。
ねらい:
 戦後植えつけられた歴史観から脱却し、
 日本近代史を見直していきましょう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
終戦70年です。

戦後歪められた歴史観、あるいは行き過ぎた日本悪人論を
見直す機会です。

歴史を見直すという目的でたいへんな努力を重ねてきているのが
「史実を世界に発信する会」(SDHF、英文名
Society for the Dissemination of Historical fact)です。

その事務局長を私の畏友茂木弘道氏が担当しています。
彼は、「正しい史実を世界に発信するのだ」という思いで、
全生活をなげうって活動しています。

同会は定期的にNewsletterを発行しています。

その94号(2015年4月22日発行)で黄文雄氏の
「中国は日本に感謝し、靖国に参拝せよ」の論文を紹介しています。

この論文は英訳され世界に向けて発信されています。

8月5日付の「史実を世界に発信する会たより」では
アメリカの歴史研究者、ジェイムズ・モーガン氏から
「貴兄の20世紀の中国と東アジアの歴史の捉え方に
驚嘆しました。

私がこれまでに読んだ中で
最も独創的で説得力に富むものです」
という感想が黄氏に寄せられたことが紹介されていました。
SDHF Newsletter No.94J 中国は靖国に参拝せよ


以下は茂木事務局長の紹介文です。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
過激な事を言っているように感じる方もおられるかと思います。
しかし、黄文雄氏のこの主張は、明確な論拠をもったものです。

黄文雄氏は言ってます。
「日本軍は中国やアジアに対して
侵略、虐殺、暴行、略奪を働いたというのが
中国側の主張であると同時に、
戦後日本人の一般的な歴史認識でもあるが、台湾では違う。」

なぜ違うかというと、
「台湾人は幸い、東京裁判史観に染まることがなかった」からである
というのです。

「日本の戦争が、まさしくアジアのレコンキスタ(失地回復)であり、
それによって欧米植民地勢力が駆逐された史実を”率直“に受け止め
”日本が負けたことが悪かった“」
と黄文雄氏は台湾の識者と共に認識しているわけです。

この論文は、『歴史通』3月特集号に掲載されたものですが、
『歴史通』の許可をいただき、
英訳文とともに冊子として刊行することにしました。

これを読めば、日本が謝罪するどころではなく、
中国こそが感謝して靖国に参拝しなければならないのが筋である
ということが理解できると思う次第です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
以下黄氏の原文の一部をご紹介します(上野)。
黄氏が台湾出身であることを前提に読んでいただくとよい
と思いますが、
重要な歴史観を提示いただいています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
中国は日本に感謝し、靖国に参拝せよ

 要約
 内戦停止、農民・飢饉の救済、列強による分割の阻止…
 どれをとっても中国は日本に感謝こそすれ、
 批判すべき筋合いはない。
 侵略?冗談ではない。
 愚かな民族を隣人に持った不幸な日本に対して、
 謝罪すべきは中国である。

台湾での歴史認識

多くの日本人は、中国に対する感情はともかく、
過去の「侵略」については謙虚に謝罪し、反省しなくてはならない
と考えているようだ。

最近では日米戦争については日本の自衛戦争だった
との認識がいくらか広まりつつあるが、
こと日中戦争に関しては、
あくまで「侵略戦争だった」との認識があり、
どうしても贖罪しょくざい意識を拭えない。

だが日本および日本人は、
いったい日中戦争の何について反省しなければならない
というのだろうか。

日本軍は
中国やアジア各国に対して侵略、虐殺、暴行、掠奪を働いた
というのが中国側の主張であると同時に、
戦後日本人の一般的な歴史認識でもあるが、台湾では違う。

これは私自身、 幼い頃から聞かされてきたことでもあるが、
たいていの知日派知識人は、
「日本は悪くなかった。
悪かったことといえば戦争に負けたことだった」
と考えている。

当時は列強の時代だった。
「春秋に義戦なし」というが、
この時代には弱肉強食こそが国際社会の法則だった。

弱者は「悪」とみなされ、
国家の進取、覚醒、自覚が時代の精神とされていた。
「侵略」は
第二次世界大戦まではむしろ美徳とされていたのである。

しかし、そのような時代にあっても、
日本だけは「東亜の解放」というあまりに道義的な理念、
目標を掲げて戦った。

白人による世界的規模の植民地支配の時代における
近代日本の最大の国家的課題は、
いかに欧米列強の植民地支配をまぬかれるかにあった。

祖国防衛を図るうえで、もっとも望ましいのは
欧米支配の桎梏しっこく [手かせ足かせ]から
アジアが解放されることだった。

この「東亜の解放」の理念は終戦後、
まず連合国に否定された。 それは当然である。

欧米の植民地勢力にとって、
これほど許容できないものはなかったからだ。

そして東京裁判で「東亜の解放」とは
「東亜への侵略」を正当化するための宣伝文旬だった
と断罪された。

これを日本人は鵜呑みにしてそのまま今日に至っている。
だが台湾人は幸い、東京裁判史観に染まることがなかった。

だから日本の戦争が、
まさしくアジアのレコンキスタ(失地回復)であり、
それによって
欧米植民地勢力が駆逐された史実を素直に受け止め、
「日本が負けたことが悪かった」というのである。

(中略)
歴史は「勝者」のもの
政治第一、史実は二の次

アジアを裏切った中国
国際法無視の革命外交

反日・排日の罠
中国の内戦を停止させた

中国農民を救済
民衆を犠牲にした中国軍

大飢饉の救済・教育も
科挙の廃止と日本留学

北京大学設置に尽力
「対華二十一か条」の真相
故意に歪めて伝える



列強から中国を救った

列強の時代においては、インドや東南アジアが植民地化されて、
アジアで最後に残された独立国家は、
タイを除けば日本と清国だけであった。

しかし、
その清国も英仏独露によって分割される運命にあったのである。

そのような運命から中国を救ったのが日本だった。
日本は西欧による植民地化という世界潮流のなかにあって、
逆に短期間のうちに列強の仲間入りができた。

時代へのこの対応力は実に驚くべきものだった。
日本は文明開化、殖産興業という西洋文明への改宗に成功し、
そして日清・日露戦争で国家存亡の危機を
みごとに乗り越えたのである。

ことに日露戦争については、国家防衛の戦いというだけでなく、
アジア防衛、有色人種防衛のための戦いであった。

このことは、
もし日本が戦いに敗れていたら世界はどうなったかを考えてみれば
よく理解できるはずだ。

ところが中国の歴史学者は日露戦争を、
単に「日本の中国侵略」としか見ない。

当時の世界潮流、列強間の力学的関係をいっさい見ようとはせず、
日本の「侵略の野心」を論ずるのみである。

政治の道具にすぎない中国の歴史学においては、
「真実」は重要ではないどころか、
時と場合によっては「真実」が最大の敵となる。

もし日露戦争に敗れていたら、
日本はロシアの植民地になっていたであろう。

すると大陸はどうなったかといえば、
日本というアジアの抵抗勢力がいなくなった以上、
ロシアは当初の計画どおりに満洲・朝鮮を版図に組み入れた。
清国も西欧列強によって分割が進められたことだろう。

ロシアはものすごい勢いで南下し、
中国には大混乱がもたらされたはずだ。

中国人は日本という近代化支援者を失い、
立ち上がる機会は二度と与えられなかったに違いない。

日本以外に
列強の植民地勢力に対してアジア解放の戦いを挑むことのできる国など
現れるはずもなかった。

日露戦争における日本の勝利が、
中国を亡国の危機から救ったのである。
たまたま日本が勝ち、
ロシアが負けたから結果的にそうなったということでは絶対にない。

それは、中国、アジアを救出しなくてはならないという、
当時の日本人の使命感によるものだったのである。

黒船来航後、
黄色人種 vs白色人種の対立図式をいち早くみてとった日本では、
東アジア諸民族が同文同種、同俗同習である
という共感と親近感もあって、
官民を問わず、
「大アジア主義」 とでも言うべきアジア共同防衛の構想が形成された。

日本の国益だけを追求するのではなく、
「アジアは一つ」 の信念の下で、
何としても中国の分割を阻止したい、
中国を保全してその再興を待ち、
共同でアジアを守りたいというのが
当時の日本人の念願だったのである。

これだけは、いくら否定したくとも否定できない史実である。
ところが、「支那保全」を目指す日本は、
「支那分割」を狙う他の列強諸国とは異なり、
欧化した日本を「中華文明の背教者」として蔑さげすんでいた
中国人の反日・侮日の嵐に見舞われ、
その中国政策は必ずしもスムーズにはいかなかった。

(上野注:東夷の劣後民族として日本を見ていた中国にとって
日本に「負ける」などということは到底許せないことでした)

国家主義運動の指導者だった内田良平は、
「『保全』といった心やさしい姿勢では、
かえって中国人の侮りを受けるだけだ。
むしろイギリスのような冷酷で高圧的な態度で臨まない限り、
中国人とはつきあえない」という意見書を政府に提出しているが、
それは正論であった。

「やさしさ」を「弱さ」と判断する中国人は、
日本人を与し易しと見たのである。

心やさしい民族性から、亡国の危機にある中国を救おうとし、
中国から愚弄・翻弄されても騙されても、
「夷をもって夷を制す」という中国の外交的策略に乗せられても、
お人好しにもただひたすら中国の「覚醒」を信じつづけて、
結局、戦争に負けたのが日本という国であった。

日本は蒋介石に対し、アジアの和平の確立を訴えつづけてきた。
しかし、中国はあくまで自国内戦の都合から、
アジアの和平どころか、
英米植民地勢力を引きこんで日本と対立させ、
さらには自国の内戦に日本勢力を巻き込んで
アジアを混乱の淵に陥れたのである。

なぜ中国は自国の分割を阻んでくれた日本に反抗し、
分割の野心を抱いていた西欧列強にばかり
歩み寄っていたのだろうか。

それは、
中国人には国家防衛の大義というものが
まったくわかっていなかったからだ。

このような愚かな民族を隣人に持ったことは、
日本にとって大きな不幸だった。
「謝罪」すべきなのは日本ではなく中国なのである。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
最近の情報で(8月9日付け日経新聞「東南ア、溶けた反日」)
東南アジアの各国の対日感情が好転している、
と書いてありました。

しかしもともと国によって差はありますが、
基本的には欧米の植民地支配から解放してくれた
日本への感謝の気持ちがあります。

その点が黄さんの指摘する中国と異なる点です。

2015年8月13日木曜日

原発事故の責任は誰にある??

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 福島原発事故の責任はどこにあるのか
             あらためて考えていただきます。
 その原因は想定外の津波が来たことではない、
 そもそも必要な対策をとらなかったことにあることを
                      知っていただきます。
ねらい:
 なぜ、このような真実から世間の判断がずれてしまうのかを
  考えていただきたく思います。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

2015年7月末、検察審査会は,
東電の勝俣恒久元社長ら旧経営陣3名を
福島原発事故の刑事責任を追求すべきという判断をくだしました。

この問題では、「福島原発告訴団」が24年6月、
東電や政府の関係者ら計42人について「津波対策を怠った」として
業務上過失致死傷罪などで告発しましたが、
東京地検は25年9月、
「予見は困難で、刑事責任は問えない」
として全員を不起訴としました。

検察審査会は26年7月、
勝俣元会長ら3人について起訴相当を議決し、
議決を受けた東京地検の再捜査でも
3人は不起訴となりました。

そこで、検察審査会が2回目の審査をしていました。
2回に亘って起訴相当の判断が行われると
強制起訴となるのです。

強制基礎が決まったことを報じた8月1日付の日経新聞は
こう報じています。

公判での大きな争点の一つは、
福島第1原発に
全電源喪失が起きるほどの巨大津波が襲来することを
予測できたかどうかだ、としています。

2008年に政府機関の地震予測で、
明治三陸沖地震並みの地震が起きた場合、
福島第1原発に到達する津波の高さは15.7メートルになる
と試算されていたことから、
検察審は「予測できた」としています。

もう一つの争点は、
東電が防潮堤の強化などの対策をとっていれば、
今回の事故は防げたかどうかという点だとしています。

検察審は、
安全対策を検討しその間だけでも運転を停止していれば、
あるいは、
海面から10メートルの敷地上に10メートルの高さの防潮堤を作る、
浸水を前提として小型発電機を高台においておく
などの対策をとれば事故を防げたとしています。


私はこの事故の原因を早くから以下のように決めつけていました。

2011年5月18日水曜日

福島原発の事故およびその被害拡大原因 

1次原因は、そもそも何が悪かったのか、です。
それがなければ事故は起きていません。
こういう原因を品質管理の世界では、
発生原因(もともと起きてしまった悪いこと)と言います。

1次原因は、原子炉の冷却等を行うための予備電源
が使用不能になったことです。
そのために燃料棒が高熱になり
水素爆発等を起こしています。

予備電源が使用不能になったのは、
予備電源が完全防水になっていない
タービン建屋に置かれていたからです。

この時に技術導入した原発はGEのもので、
GEの原発は海岸沿いにはありませんでした。

ついでに言えば、冷却用の海水を取り入れる装置も
密閉状態ではなかったのです。

電源等が回復した福島第2原発では
3月14日19時前に冷却に成功し、
その後何らの問題も起こしていません。


(今回上野記)
ほぼ同じ環境にある第2では全く問題が起きていないのですから、
第1と第2の設備の差が事故原因なのです。

福島原発事故は、
原子炉または原子炉建屋が水をかぶって運転不能になり
事故が起きたのではないのです。

原子炉建屋は全く問題ありません。
予備電源が水をかぶったことが事故原因なのです!!

素人の私が言うことは信用されないかもしれません。
しかし、
2012年7月に大前研一さん(原子核工学科の修士です)が
出された「原発再稼働最後の条件」で
第1と第2の予備電源の差を検証し、
予備電源の不備が致命傷なったことを述べておられます。


第2原発の予備電源は
防水が完全な原子炉建屋に置かれていました。

電源が回復して本来の冷却機能が働けば、
最短で1時間、長くても2時間半程度の冷却で
安全な冷温停止状態にもっていけるのです。

たったこれだけのことができないばかりに
大騒ぎになってしまっているのです。
今回の事故の発端は
予備電源をタービン建屋に設置した、
というそれだけのことなのです。

そうなのですよ!!

こういうことを
「千丈の堤も蟻の一穴から」と言うのでしょう。

2次原因は、
なぜ1次原因がそのまま見過ごされてしまったのか、
という原因です。
品質管理等の世界では流出原因
(発生原因がそのまま外に出てしまった、という意味)
と言っています。

今回の場合の2次原因は、
ほぼ同じ環境(海岸からの距離や海抜高)にある
隣の第2原発の建設時に実行したことを、
なぜ第1原発についても対応をしなかったのか、
ということです。

第2原発では、
予備電源を原子炉建屋に置いたのは、
予備電源の重要性を認識してのことでしょう。
それだったら、第1原発も変更すべき、
と考えるのが常識的判断ではないでしょうか。

どうして放置したのでしょう。
これは解明されるべきです。

おそらく、第2原発の設計検討途上で、
予備電源の発電機を
原子炉建屋内に置くことにしたときに
誰かが、
「第1原発は、今のままでよいのでしょうか」
と発言したのではないでしょうか。

ところが、その時の責任者が、
「いいんだよ。
どうせそこまでの震災が発生することはないんだから」
というような無責任な発言で
その問題提起をもみ消したのではないでしょうか。

この責任者と、第1原発の設計責任者は、
万死に値する重大責任者です。
今のこの大惨事はすべてこの二つのことから
始まっているのですから。

事故が始まってからの対応が多少まずかった、
などは、この二人の責任に比べれば
本当に微々たるものではないでしょうか。

ということからすると、
本当の責任者(ワル)は上記の二人ですが、
2008年頃にでも、その気になれば
予備電源の設置場所の補強ができたはずです。

したがって、「その気にならなかった」ということでしょう。

しかし、2008年に津波の予測情報があったのですから、
その情報がトップに行かなかったのか、
それを無視したのならやはり経営責任でしょうね。

私は、この後、各原発で堤防を作っていることに
「そんな無駄なことをするな!」と異を唱えてきました。

津波を避けるのではなく、
津波が来ても浸水されない設備にすればよいのです。
すでに、
原子炉が入っている原子炉建屋は完全防水なのです。

他の設備の完全防水化などは大したことではないでしょう。
その方がはるかに安くて確実な対策なのです。

なぜそんなことが分からなくて、
世俗的な意見に流されて堤防など作るのでしょうか。
憤慨!憤慨!!です。

誰が悪いのでしょうか?
誰がバカなのでしょうか??

8月に運転再開した川内第1原発の安全対策は、
第2と玄海原発を合わせて3千億円だそうですが、
防水対策が中心のようです。

詳しくは分かりませんが、
福島原発の教訓から学んだと言いますから、
余計なことをしていないことを願います。

今回起訴される旧経営陣の責任がどうなるかは、
法廷での判断次第でしょうが、
福島原発事故は、津波が原因ではなく、
人災(人間の抜かり)であることは間違いないのです。



私の本件に関する意見の集約は以下をご覧ください。

2012年7月31日

福島原発事故の原因-上野見解最終集約

http://uenorio.blogspot.jp/2012/07/blog-post_31.html

2015年8月3日月曜日

新事業創造支援者を育成しませんか!

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 ICTを活用した新事業の創造・開発を行う方法と
 そのの支援を行う人材の育成法を知っていただきます。

ねらい:
 この方法をご検討の上、ご採用ください。
 そうすると、その人材をすぐに育成でき、
 新事業のネタを見つけることができます。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
インダストリー4.0、経済産業省の「攻めのIT経営銘柄」など、
最新のICT技術(デジタル技術という人もいます)を活用して
新しいビジネスを創造しようという動きが本格化してきました。

しかし、それを担う人材はなかなかいません。
従来のIT屋さんとは、アプローチが違うので、
その人たちはダメ、と言われています。

ではどうすればよいのでしょうか??

その解をシステム企画研修社が
既存の手法を組み合わせて開発しました。

事業部の新事業創造の支援ができる人を
BCKickerと名付け(Business Creation Kicker)、
以下のプロセスで新事業創造を行うのです。
正確には新事業のネタ構想までが対象です。

そのプロセスは以下のとおりです。

1.BCKicker適性者の選定
 弊社の『コンピテンシー系能力評価システム」を使い、
 適性者を探し出します。
 BCKickerは、従来業務の経験は不問ですから、
 専門能力は評価せず、基礎能力だけで判定します。

 したがって極端に言えば、
 適性があれば1年生でもいいのです。

2.先行事例の研究
 既に世界中で100件以上の先行事例があります。
 これを整理して学習します。
 この研修は新開発です。

3.新製品・サービスアイデアの創出
 ㈱Mと当社で開発し実用中である
 潜在能力を活用する「イメージ思考法」を利用して
 アイデア出しを行います。
 この際、2.の先行事例の研究で学習した内容から
 潜在意識で有効なものを引き出すのです。

詳細は以下のURLをご参照ください。
http://www.newspt.co.jp/data/mind-pd/bckicker.pdf

この紹介セミナ(無料)を9月11日に行います。
http://www.newspt.co.jp/data/semina/bcksemi.pdf


お問い合わせをお待ちしています。
mind-pc@newspt.co.jp





「ドイツ帝国が世界を破滅させる」ですって!!

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 ドイツがここ5年ほどでたいへんな力を付けてきたことを
  知っていただきます。
 ドイツは、ロシアと対抗しアメリカとも覇を争う形勢にあることを 
  知っていただきます。
 ドイツに対抗するにはアメリカとロシアが組むしかないという
  意見を知っていただきます。
 なぜそんなにドイツが強いのかを考えていただきます。
 そんな情勢の中で日本や中国はどうなるのかを
  考えていただきます。

ねらい:
 ドイツの動きに注目していきましょう。
 日本がどうすべきかを考えていただきます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
凄い内容です。
目を見開かされました。
われわれはヨーロッパに関心が薄いのですね。
著者が中国に関心が薄いのと同様です。

この著者のエマニュエル・トッド氏は
フランスの歴史人口学者・家族人類学者だそうですが、
その観点の研究から以下の「大事件」を予測した方です。



事件

予告

実際

ソ連の崩壊

1976年

1991年

世界金融危機

リーマンショック

2002年

2008年

アラブの春

2007年

2010年~



件名に挙げた書名は、誰が付けたのか知りませんが、
本の中ではそういうことは言っていません。
言うなら「ドイツ帝国が世界を制覇する」でしょうね。

本書の解説は多岐に亘っていますが、
私なりに整理をしますと以下のようになります。

1.ドイツがどれだけ強いか

2.ドイツの軍備

3.ドイツの危険性

4.ドイツが強い理由

5.フランスはどうか

6.ロシアはどうか

7.アメリカはどうか

8.中国はどうか

9.日本との対比

10.これからの予測


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
以下、氏の主張をご紹介します。
以下で、
氏の文章は私の意見と区別するために「デアル調」にしています。
原文ではインタビュ記事を文章化したということもあり、
「デスマス調」が基本です。

1.ドイツがどれだけ強いか

1)ここ5年の間に、ドイツが経済的な、また政治的な面で、
ヨーロッパ大陸のコントロール権を握った。

2)その5年を経た今、ヨーロッパは既にロシアと
潜在的戦争状態に入っている。

そしてドイツ政府はかなり前から
経済運営に関するアメリカの諌言を意に介さぬ態度をとっている。

アメリカの力を排除しようとしている。

因みに経済の世界でのドイツ企業の強さはこうなっています。

世界ランクのドイツ企業
業界
ドイツの代表企業
世界シェア
自動車
フォルクスワーゲン
1位を争っている
重電
シーメンス
2位
化学
BASF
1位
医薬
バイエル
2位
ソフトウェア
SAP
4位(注)

(注)マイクロソフト、オラクル,IBMに次ぐ。

最近合意したイラン核協議では、
安保理常任理事国以外で唯一ドイツが参加しています。
常任理事国にならなくても、
「実力」でその地位を確保しているのです。

ドイツの産業界が取り組んでいる競争力強化の動きについては、
別項「インダストリー4.0 第4次産業革命とは」
をご覧ください。


2.ドイツの軍備

エマニュエル氏の著書では、
なぜかドイツの軍事力については触れていません。

そこで、歴史音痴の私が別途確認したところによれば
こうなっていました。

1)ドイツも日本と同じように第2次大戦後、
 武装解除されました。

2)しかし、東西冷戦の進展と共に、
 西側諸国は、西側の武力強化のために
 (ご都合主義ですね!!)
 1955年のパリ協定で、
 西ドイツの再軍備と主権回復を認めました。

 ついでにもう一つの敗戦国イタリアも
 仲間入りしました。

 パリ協定の当事者は、米、英、仏、独です。
 米英仏で決めればよい問題だったのでしょうかね?
 
3)当初は歴史的敵対国フランスは
 ドイツの再軍備には反対していました。
 
 1948年の西ヨーロッパ連合条約の目的でも
 「ドイツ軍国主義の再現の阻止」が、
 「共産圏(ソ連・東欧)からの武力侵攻に対する防衛」
  と並んで入っていたのです。
 
 しかし朝鮮戦争等でソ連の脅威が現実になってきたので、
 賛成に回りました。

4)ドイツはNATO加盟を前提に再軍備を認められましたが、
 ABC規制が課せfられました。
 それは、A原子力、B細菌兵器,C化学兵器の使用禁止です。

5)一般兵役義務法も1956年には成立しています。
 ずい分日本とは違いますね。
 
 因みにドイツは
 これまでに59回憲法(基本法)の改正を行っています。


3.ドイツの危険性

「力を持つと非合理的に行動する」
ドイツの権威主義的文化は、
ドイツの指導者たちが支配的立場に立つとき
彼らに固有の精神的不安定性を生み出す。

歴史的に確認できるとおり、支配的状況にあるとき
彼らはしばしば、
みんなにとって平和でリーズナブルな未来を構想することが
できなくなる。
この傾向が今日、輸出への偏執として再浮上してきている。

毎週のように、
ドイツの態度のラディカル化が確認されるのが現状だ。

イギリス人に対する、またアメリカ人に対する軽蔑、
メルケルが臆面もなくキエフを訪れたこと(14年8月)

自分たちが一番強いと感じるときには、
ドイツ人たちは、
より弱い者による服従を受け入れることが非常に不得意だ。

しかし、ドイツ的なタイプの規律ある上下関係は、
なかなか通用しないだろう。

アングロサクソンの社会文化は、
平等的ではないが本当に自由主義的だ。
平等かどうかは場合による。


最近の危機は、
全面的にウクライナへのヨーロッパの介入と関係している。

近年「西側」のメディアはあたかも1956年頃、
つまり熱くなりかねない冷戦の最中に戻ったかのような
様相を呈しているが、
そのうわ言に引きずられず、
発生している現象の地理的現実を観察するならば、
ごく単純に、紛争が起こっているのは昔から
ドイツとロシアが衝突してきたゾーンだということに気づく。

ウクライナ危機がどのように決着するかは分かっていない。
しかし、
ウクライナ危機以後に身を置いて見る努力が必要だ。

最も興味深いのは「西側」の勝利が生み出すものを
想像してみることである。

そうすると、われわれは驚くべき事態に立ち至る。
もしロシアが崩れたら、あるいは譲歩しただけでも、
ウクライナまで拡がるドイツシステムと
アメリカとの間の人口と産業の上での力の不均衡が拡大して、
おそらく西洋世界の重心の大きな変更に、
そしてアメリカシステムの崩壊に行き着くだろう。

アメリカが最も恐れなければいけないのは今日、
ロシアの崩壊なのである。
(なるほど、そうなのか!上野)

ドイツ帝国が
「支配者たちのデモクラシー」
の一般的な形を取り始めていて、
その中心には支配者たち専用のドイツデモクラシーがあり、
その周りに、多かれ少なかれ支配されていて、
その国での投票行動には何らの重要性もないような、
諸国民のヒエラルキーが形成されている。

自分たちの生活に影響する政治上の決定に対して
ドイツ国民でない周辺国の国民たちは
まったく投票権を持っていない。

そういう意味で
(周辺国民は)アメリカにおける黒人たちよりも
みじめな位置づけなのである。

4.ドイツが強い理由

この項は主として上野としての意見と紹介文です。

ドイツはEUという自由貿易圏という枠組みを活用して、
ヨーロッパの中で圧倒的強みを発揮しだしています。

自由貿易では、強いものが勝ちます。
ギリシャのような怠け者の国は敗者となるのです。
そういう面ではフランスや南欧諸国も同様です。

その意味では、TPPも同様です。
関税などの輸入障壁がなくなれば、
強いものが必ず勝つのです。

EUはドイツの発案ではなく、
また当初はフランスはじめどの国も、
ドイツの1人勝ちになるとは誰も予想しなかったようです。

なぜドイツは強いのでしょうか。
著者は以下の点しか挙げていません。

 家父長制で,、統制を聞く国民性がある。
 → 行きすぎた「個人自由・主義」ではない。
 質倹を厭わない国民性がある。
 → デフレ・賃金抑制を受け入れる。

ドイツではここ数年、賃金が据え置かれたり、
引き下げられたりしています。

ドイツの社会文化には、権威主義的なメカニズムがあって、
国民が相対的な低賃金を甘受するので、
ドイツの政府と経済界はその面を活用し、
ユーロ圏の各国への輸出を政治的に優先したのです。

「アテネからマドリードまで、
群衆は第4帝国(ヒトラーは第3帝国)だと叫び始めている」

私が見るに、
ドイツの強みには以下が追加されると思います。

 ユダヤ人(や日本人)と同じように
  民族の潜在能力の平均的レベルが高い。
    これはドイツ国民自身もそう思っているらしい。
  2014年のフリードリッヒ財団の調査では
  「ドイツ人は他の民族より優れている」
  と思っている国民が4割となっていた。

 攻撃的・ポジティブな性格である。
  (日本人はそんなに攻撃的・ポジティブではないですね)

以下がエマニュエル氏の主張です。

「ドイツというシステム」は、
驚異的なエネルギーを生み出し得る。
日本についても、スウェーデン、ユダヤについても、
同じことが言える。

真の権力中枢はメルケルでなくドイツ経済界である。
彼らは隣国フランスの産業をボコボコにしてしまおうとしている。
それにはまだあと4年はかかる。

5.フランスはどうか

歴史的にドイツの対抗馬であったフランスは、
現在は完全にドイツの軍門に下っている。

フランスのオランド大統領はドイツの副首相だ。
今後はさらに
単なる「ドイツ首相府広報局長」とみなしてもいいくらいだ。

第2次世界大戦の地政学的教訓があるとすれば、
それはまさに、
フランスがドイツを制御しえないということである。

ドイツが持つ組織力と経済的規律の途轍もない質の高さを、
そしてそれにも劣らないくらいに途轍もない
政治的非合理性のポテンシャルがドイツには潜んでいることを、
われわれは認めなければならない。

ところがそれをこの国(フランス)は認めない。


6.ロシアはどうか

 ロシアは現在力の蓄積中で
 クリミア半島でも強くは出れない。
 
 しかし、ロシアは立ち直り始めていて、
 出生率の上昇や乳児死亡率の低下、失業率の低下に
 それは表れている。

 ロシアの成長率は1.4%、失業率は5.5%である。

 ロシアの経済は豊富な地下資源に支えられていて、
 労働力を必要とする工業を迎えたり、
 消費財の輸出産業を発展させたりということは考えにくい。

 その社会では、
 ソ連時代から継承された高い教育水準が保たれていて、
 男子よりも女子のほうが多く進学している。

 また人口の流出よりも流入の方が多いことからも、
 ロシア社会とその文化が、周辺の国々の人々にとって
 魅力的なのだということが分かる。

 私はそれを「権威主義的デモクラシー」と称する。

 早晩軍事力等でも成果が顕著になるはずである。

 アメリカとロシアの新たなパートナーシップこそ、
 われわれ人類が「世界的無秩序」の中に沈没することが、
 現実となる可能性が日々増大している事態を回避するための
 鍵だろうと思う。


7.アメリカはどうか

アメリカとドイツは同じ価値観を共有していない。

 アメリカ:リベラルな民主主義の国
     本当に自由主義だが結果として平等ではない。
 ドイツ:権威主義的で不平等な文化の国
     規律ある上下関係(平等ではない)

 アメリカは白人デモクラシー(だった)
 ドイツはドイツ民族至上主義(ナチスがその典型)

アメリカはドイツに追随してクリミア半島に介入した。

注:日本人も「西側」メディアの尻馬に乗る日本メディアの影響で
悪者はロシアと思いこまされています。

ブレジンスキーが見落としたのは、
アメリカの軍事力がNATOをバルト海諸国やポーランドや、
かつての共産圏諸国にまで拡大することにより、
ドイツにまるまる一つの帝国を用意したということだ。

つまり、
アメリカが自分のためと思って強化した仕掛けに便乗して
ドイツはタダで強くなることができたのだ、
と言っているのです。

アメリカとドイツという二つのブロックは、
それぞれの性質上対立的だということを確認しなくてはならない。

この二つのブロックの間には、
経済規模の均衡の破綻、
価値観の違いなど、
紛争を生みやすいすべての要素が積み重なっている。

ロシアが潰されるか、あるいは周縁化されて、
ゲームの外に排除されるのが早ければ早いほど、
この二つのブロックの間の差異が表面化してくるだろう。

今後の世界情勢に関するもう一つのシナリオは、
ロシア・中国・インドが大陸でブロックを成し、
欧米・西洋ブロックに対抗するというものである。

しかし、このユーラシア大陸ブロックは、
日本を考えなければ機能しないだろう。
このブロックを
西洋のテクノロジーのレベルに引き上げることができるのは
日本だけだから。

(上野コメント:この案は成立しそうもないですね。
インドが中国と組むことが考え難いし、
日本だってそんなブロックに加担しないでしょう。
しかし、ひょっとしたら日本が中国の属国になっていれば、
成り立つのかもしれませんね。ゾーッ!!)


8.中国はどうか

中国についてはほとんど何も触れていません。
ヨーロッパから見ると、アジアは他人事なのでしょう。

「中国はおそらく経済成長の瓦解と大きな危機の寸前にいます」
という記述がありました。



9.日本との対比

【ドイツと日本の類似性】

家族社会学で直系家族と呼ばれる家族形態がある。
長男を後継ぎにし、長男の家族を両親と同居させ、
他の兄弟姉妹を長男の下位に位置づける農村の家族システム
である。

この種の家族はたしかに今ではもはや先進国に存在しないが、
それでも、
長年の間に培った権威、不平等、規律といった諸価値を、
つまり、あらゆる形におけるヒエラルキーを、
現代の産業社会・ポスト産業社会に伝えた。

日本社会とドイツ社会は、元来の家族構造も類似している。
経済面でも非常に類似している。
産業力が逞しく、貿易収支が黒字だということ。

【日独の差異】
日本の文化が他人を傷つけないようにする、
遠慮するという願望に取りつかれているいるのに対し、
ドイツ文化はむき出しの率直さを価値付けている。

この2国は世界で最も高齢化した人口の国である。
人口構成の中央値が44歳である。
フランスではそれが40歳である。

出生率は、フランスでは女性1名当り2人だが、
両国は、1.3人から1.4人の間で揺れ動いている。

出生率のこのような差の背景にはもちろん、
女性の地位の差がある。
フランスでは
女性は仕事と子供の育児を両立させることができるが、
ドイツや日本ではどちらかを選ばなければならないことが多い。

(人口社会学者の意見を尊重すべきです。
女性の社会的地位の向上を図らないと
出生率は上がらないということです)

ドイツに比べ、日本では権威がより分散的で、
常に垂直的であるとは限らず、より慇懃でもある。

こういう記述もあります。

現在起こっている衝突が
日本のロシアとの接近を停止させている。

ところが、エネルギー的、軍事的観点から見て、
日本にとってロシアとの接近はまったく論理的なのであって、
安倍首相が選択した新たな政治方針の重要な要素でもある。

10.これからの予測

このように書かれています。

ユーロは陥落する。
単一通貨には無理がある。
自由貿易は諸国民間の穏やかな商取引であるかのように
語られるが、実際には
すべての国のすべての国に対する経済戦争の布告なのだ。

強者は勝ち弱者は負けて
低いレベルの生活に甘んじなければならない。
それはイヤだろうから(現在のスペインがその状態)、
ユーロからの離脱をし、保護貿易に戻るのである。
それが現実的な解である。

まさにそう理解すべきでしょう。
ユーロ崩壊こそが自然な道なのです。

さあ、もう少し世界のことを考えましょう!!