2015年8月1日土曜日

シベリア抑留記「生きて帰って来た男」

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 名著「生きて帰って来た男」をご紹介します。
 シベリア抑留に関する情報を多少提供します。
 ソ連はこれまで思っていたほどワルではないことを
  お話しします。

ねらい:
 「生きて帰って来た男」をいろんな意味で、
 読んでみてください。

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小熊英二さん著「生きて帰って来た男」は
主人公の生い立ちから、戦争、戦後のことを記述した
壮大なドキュメンタリーです。

これは素晴らしい本です。
私は三つのことが心に残りました。

シベリア抑留の事実
不当な司法判断
本人の素晴らしい記憶力、著者の文筆力

1.シベリア抑留の事実

飢えと過酷な労働と厳寒を乗り越えて
帰国できたことは奇跡であるように言われてきました。

「生きて帰って来た男」という書名だということは、
生きて帰ってくるのは希少だということです。

「生きて帰って来た男」は、
著者小熊英二さんの実父小熊謙二さんです。
小熊謙二さんは1925年(対象4年)北海道生まれでした。

私の叔父三田和夫もシベリアからの引揚者でした。
叔父は1921年・大正10年生まれで、
大正3年生まれの母とは7年違いでした。

昭和18年、北京大学医学部教授だった父が結核になり、
一家5人は、
世田谷にあった母の次兄の家に居候しました。

本書に登場する「人物」もずい分結核で亡くなっています。
ご承知のように当時は不治の病でした。

その「居候」の頃、読売新聞社勤務を始めた和夫叔父も
その家にいました。

私は5歳くらいだったと思いますが、
その叔父を「トントンおじちゃん」と呼んでいたようです。
叔父が2階に住んでいて
階段をトントンと上り下りしたからです。

その叔父はその後戦争末期に応召したのでしょう。
そして運悪くシベリア抑留のめに遭ってしまいました。

叔父から
詳しくシベリア時代のことを聞いたことはありませんが、
「よく生きて帰ってこれた」という印象は持っていました。

叔父の著書「最後の事件記者」をみても、
シベリア時代の見聞録のようなことは書いてありますが、
重労働で死ぬ思いをしたというようなことは書いてありません。

叔父はソ連のスパイにされそうになったこと、
実際にスパイになって帰国した人がたくさんいたことなどが、
叔父の他の著書「新宿慕情」に書いてありましたが、
本題から外れますのでこれ以上は触れません。

叔父は、ソ連のスパイ活動を命を賭けて取材・スクープした
「幻兵団事件」で一躍有名になりました。
私はこの叔父にはずい分お世話になりました。

多くの日本国民は
ソ連はひどい国だという印象を持っています。

1945年8月9日、
広島原爆投下で日本の敗戦が濃厚となったのを確認して、
宣戦布告し一方的に進軍してきた、と言われています。

たしかにそのとおりですが、
ヨーロッパ戦線でドイツが5月8日に降伏しており、
戦線を日本に向けたという面もあるのです。

敗戦直前の対ソ交渉において、
日本政府や関東軍が捕虜の労役提供を申し出ていたという
資料も発見されています。
(シベリア抑留が起きたのは日本が悪いのではないか!!)

それと、当書の記事ですが、
各国の捕虜等の死亡率が記載されています。

第2次大戦で
ドイツ軍の捕虜になったソ連軍の将兵570万人中
前線での虐殺や悪待遇で200万人~300万人が死亡
死亡率6割  ドイツ最悪!!

ソ連軍の捕虜になったドイツ軍の将兵330万人中
死亡者は100万人で死亡率は約3割

日本軍の捕虜になった英米軍の死亡率は27%、
(日本軍もそんなに悪いのか!)

それに対して
シベリア抑留の日本軍捕虜64万人中、
死亡者は約6万人といわれ死亡率は約1割。

印象では半分くらいが死んだという感じでしたが、
ずい分違うのですね。

当書にも、思いやりあるソ連軍将校の言動が
紹介されていました。
(ソ連にもいい軍人がいるのだなー)

なぜシベリア抑留・ソ連の印象が悪いのでしょうか?

「暁に祈る」事件など、
陰惨な状況があったという報告が
事実を過大に歪曲したという面があったのでしょう。

「暁に祈る」の死に至るリンチ事件があったのかどうかは、
これまた朝日新聞の誤報説もあり定かではないようです。

それと戦後の一貫した米国管理下にあっては、
ソ連は悪者ですからね。

私は第2次大戦の日本の3大悲劇は、

1.沖縄を含む南洋・太平洋諸島での玉砕・敗戦
2.広島・長崎の原爆
3.シベリア抑留

だと思ってきましたが、
それほどでもなかったのですかね。

2.不当な司法判断

戦後、紆余曲折あり、
シベリヤ抑留者に対して「慰労金」を出した際に、
国は日本人以外の請求を認めなかったのです。

戦争中、日本に併合された朝鮮や中国満州人が
日本軍に徴兵されシベリア抑留のめにも遭っています。

ソ連軍の捕虜になった朝鮮人元日本兵は
約1万名いたとされているようです。

ところが、当書の主人公も加担した韓国人らの損害賠償と
国の公式謝罪の請求に対して、
日本の裁判所は以下の理由で認めませんでした。

1)損害賠償については
 「国民のひとしく受忍しなければならなかった戦争被害」
 だから補償できない。

 日本政府は、
 国民に対しては戦時補償は一切行わない
 という方針を貫いてきました。
 「戦争の被害は、国民が等しく受忍すべきものである」
 という考えからです。

 しかし、韓国人など外国人の場合は
 ひとしく受忍しなければならない国民に該当するのでしょうか。
 その後もその人たちに日本国籍を認めていないのですよ!!
 この論理はおかしいです。

 答えありきの司法判断は情けないですね。
 頭が悪すぎます。

2)公式陳謝の要求については「立法府の裁量的判断である」
 と判決しました。
 これはそうかもしれません。

3.本人の素晴らしい記憶力、著者の文筆力

本書の記述の確からしさ、文章の素晴らしさにはビックリです。

著者小熊英二さんはシベリア抑留の当事者のご子息で、
著者が父上謙二さんから聞き取りをした内容が
本書の内容になっています。

謙二さんは引き上げ後、職を転々としたあと、
スポーツ用品店を経営しそれなりの生活ができるところまで
成功されました。

 
そのご子息英二さんは東大農学部を卒業され、
東大大学院総合文化研究科国際社会科学専攻で
博士課程を修了されています。
現在は慶応大学の総合政策学部の教授です。

謙二さんもそれだけの潜在能力をお持ちの方なのです。
シベリア時代のことを記憶だけを頼りに
英二さんに対して語り部になっているのですから。

ここでは詳しくご紹介しませんが、
戦前戦中戦後の生々しい「事実」が記述されています。

その一つは、ご長男を不慮の事故で亡くされたことです。
会社の慰安旅行に奥様(英二さんの母親)と英二さんが同行し、
その間に高校受験で同行しなかった長男(英二さんの兄)が
武蔵村山市の2階建自宅屋上から転落して意識を失い、
厳寒の2月だったために凍死してしまったのです。

奥様はしばらく鬱状態になられたようですが、
ご本人はこういうことにもめげずに立ち直られています。
死に目に遭った人は強いな、と感じるものです。


20歳前後は記憶力がピークなのですが、
それを最近まで覚えている記憶ぶりには脱帽です。
驚嘆です。

謙二さんは19歳の徴兵検査時には、
第2乙種合格の「虚弱児」だったのですが、
90歳でご健在です。

この本は結構長編ものですが、
たいへん詠み易くまた、整理もよくされていて
最近読んだ本の中では記述法は最高です。




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