2015年8月24日月曜日

終戦70年、少し歴史を見直しましょう!!

【このテーマの目的・ねらい】

目的:
 戦後の歴史観を見直しましょう。
 中国への歴史的貢献を再確認しましょう。
ねらい:
 戦後植えつけられた歴史観から脱却し、
 日本近代史を見直していきましょう。
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終戦70年です。

戦後歪められた歴史観、あるいは行き過ぎた日本悪人論を
見直す機会です。

歴史を見直すという目的でたいへんな努力を重ねてきているのが
「史実を世界に発信する会」(SDHF、英文名
Society for the Dissemination of Historical fact)です。

その事務局長を私の畏友茂木弘道氏が担当しています。
彼は、「正しい史実を世界に発信するのだ」という思いで、
全生活をなげうって活動しています。

同会は定期的にNewsletterを発行しています。

その94号(2015年4月22日発行)で黄文雄氏の
「中国は日本に感謝し、靖国に参拝せよ」の論文を紹介しています。

この論文は英訳され世界に向けて発信されています。

8月5日付の「史実を世界に発信する会たより」では
アメリカの歴史研究者、ジェイムズ・モーガン氏から
「貴兄の20世紀の中国と東アジアの歴史の捉え方に
驚嘆しました。

私がこれまでに読んだ中で
最も独創的で説得力に富むものです」
という感想が黄氏に寄せられたことが紹介されていました。
SDHF Newsletter No.94J 中国は靖国に参拝せよ


以下は茂木事務局長の紹介文です。


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過激な事を言っているように感じる方もおられるかと思います。
しかし、黄文雄氏のこの主張は、明確な論拠をもったものです。

黄文雄氏は言ってます。
「日本軍は中国やアジアに対して
侵略、虐殺、暴行、略奪を働いたというのが
中国側の主張であると同時に、
戦後日本人の一般的な歴史認識でもあるが、台湾では違う。」

なぜ違うかというと、
「台湾人は幸い、東京裁判史観に染まることがなかった」からである
というのです。

「日本の戦争が、まさしくアジアのレコンキスタ(失地回復)であり、
それによって欧米植民地勢力が駆逐された史実を”率直“に受け止め
”日本が負けたことが悪かった“」
と黄文雄氏は台湾の識者と共に認識しているわけです。

この論文は、『歴史通』3月特集号に掲載されたものですが、
『歴史通』の許可をいただき、
英訳文とともに冊子として刊行することにしました。

これを読めば、日本が謝罪するどころではなく、
中国こそが感謝して靖国に参拝しなければならないのが筋である
ということが理解できると思う次第です。
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以下黄氏の原文の一部をご紹介します(上野)。
黄氏が台湾出身であることを前提に読んでいただくとよい
と思いますが、
重要な歴史観を提示いただいています。
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中国は日本に感謝し、靖国に参拝せよ

 要約
 内戦停止、農民・飢饉の救済、列強による分割の阻止…
 どれをとっても中国は日本に感謝こそすれ、
 批判すべき筋合いはない。
 侵略?冗談ではない。
 愚かな民族を隣人に持った不幸な日本に対して、
 謝罪すべきは中国である。

台湾での歴史認識

多くの日本人は、中国に対する感情はともかく、
過去の「侵略」については謙虚に謝罪し、反省しなくてはならない
と考えているようだ。

最近では日米戦争については日本の自衛戦争だった
との認識がいくらか広まりつつあるが、
こと日中戦争に関しては、
あくまで「侵略戦争だった」との認識があり、
どうしても贖罪しょくざい意識を拭えない。

だが日本および日本人は、
いったい日中戦争の何について反省しなければならない
というのだろうか。

日本軍は
中国やアジア各国に対して侵略、虐殺、暴行、掠奪を働いた
というのが中国側の主張であると同時に、
戦後日本人の一般的な歴史認識でもあるが、台湾では違う。

これは私自身、 幼い頃から聞かされてきたことでもあるが、
たいていの知日派知識人は、
「日本は悪くなかった。
悪かったことといえば戦争に負けたことだった」
と考えている。

当時は列強の時代だった。
「春秋に義戦なし」というが、
この時代には弱肉強食こそが国際社会の法則だった。

弱者は「悪」とみなされ、
国家の進取、覚醒、自覚が時代の精神とされていた。
「侵略」は
第二次世界大戦まではむしろ美徳とされていたのである。

しかし、そのような時代にあっても、
日本だけは「東亜の解放」というあまりに道義的な理念、
目標を掲げて戦った。

白人による世界的規模の植民地支配の時代における
近代日本の最大の国家的課題は、
いかに欧米列強の植民地支配をまぬかれるかにあった。

祖国防衛を図るうえで、もっとも望ましいのは
欧米支配の桎梏しっこく [手かせ足かせ]から
アジアが解放されることだった。

この「東亜の解放」の理念は終戦後、
まず連合国に否定された。 それは当然である。

欧米の植民地勢力にとって、
これほど許容できないものはなかったからだ。

そして東京裁判で「東亜の解放」とは
「東亜への侵略」を正当化するための宣伝文旬だった
と断罪された。

これを日本人は鵜呑みにしてそのまま今日に至っている。
だが台湾人は幸い、東京裁判史観に染まることがなかった。

だから日本の戦争が、
まさしくアジアのレコンキスタ(失地回復)であり、
それによって
欧米植民地勢力が駆逐された史実を素直に受け止め、
「日本が負けたことが悪かった」というのである。

(中略)
歴史は「勝者」のもの
政治第一、史実は二の次

アジアを裏切った中国
国際法無視の革命外交

反日・排日の罠
中国の内戦を停止させた

中国農民を救済
民衆を犠牲にした中国軍

大飢饉の救済・教育も
科挙の廃止と日本留学

北京大学設置に尽力
「対華二十一か条」の真相
故意に歪めて伝える



列強から中国を救った

列強の時代においては、インドや東南アジアが植民地化されて、
アジアで最後に残された独立国家は、
タイを除けば日本と清国だけであった。

しかし、
その清国も英仏独露によって分割される運命にあったのである。

そのような運命から中国を救ったのが日本だった。
日本は西欧による植民地化という世界潮流のなかにあって、
逆に短期間のうちに列強の仲間入りができた。

時代へのこの対応力は実に驚くべきものだった。
日本は文明開化、殖産興業という西洋文明への改宗に成功し、
そして日清・日露戦争で国家存亡の危機を
みごとに乗り越えたのである。

ことに日露戦争については、国家防衛の戦いというだけでなく、
アジア防衛、有色人種防衛のための戦いであった。

このことは、
もし日本が戦いに敗れていたら世界はどうなったかを考えてみれば
よく理解できるはずだ。

ところが中国の歴史学者は日露戦争を、
単に「日本の中国侵略」としか見ない。

当時の世界潮流、列強間の力学的関係をいっさい見ようとはせず、
日本の「侵略の野心」を論ずるのみである。

政治の道具にすぎない中国の歴史学においては、
「真実」は重要ではないどころか、
時と場合によっては「真実」が最大の敵となる。

もし日露戦争に敗れていたら、
日本はロシアの植民地になっていたであろう。

すると大陸はどうなったかといえば、
日本というアジアの抵抗勢力がいなくなった以上、
ロシアは当初の計画どおりに満洲・朝鮮を版図に組み入れた。
清国も西欧列強によって分割が進められたことだろう。

ロシアはものすごい勢いで南下し、
中国には大混乱がもたらされたはずだ。

中国人は日本という近代化支援者を失い、
立ち上がる機会は二度と与えられなかったに違いない。

日本以外に
列強の植民地勢力に対してアジア解放の戦いを挑むことのできる国など
現れるはずもなかった。

日露戦争における日本の勝利が、
中国を亡国の危機から救ったのである。
たまたま日本が勝ち、
ロシアが負けたから結果的にそうなったということでは絶対にない。

それは、中国、アジアを救出しなくてはならないという、
当時の日本人の使命感によるものだったのである。

黒船来航後、
黄色人種 vs白色人種の対立図式をいち早くみてとった日本では、
東アジア諸民族が同文同種、同俗同習である
という共感と親近感もあって、
官民を問わず、
「大アジア主義」 とでも言うべきアジア共同防衛の構想が形成された。

日本の国益だけを追求するのではなく、
「アジアは一つ」 の信念の下で、
何としても中国の分割を阻止したい、
中国を保全してその再興を待ち、
共同でアジアを守りたいというのが
当時の日本人の念願だったのである。

これだけは、いくら否定したくとも否定できない史実である。
ところが、「支那保全」を目指す日本は、
「支那分割」を狙う他の列強諸国とは異なり、
欧化した日本を「中華文明の背教者」として蔑さげすんでいた
中国人の反日・侮日の嵐に見舞われ、
その中国政策は必ずしもスムーズにはいかなかった。

(上野注:東夷の劣後民族として日本を見ていた中国にとって
日本に「負ける」などということは到底許せないことでした)

国家主義運動の指導者だった内田良平は、
「『保全』といった心やさしい姿勢では、
かえって中国人の侮りを受けるだけだ。
むしろイギリスのような冷酷で高圧的な態度で臨まない限り、
中国人とはつきあえない」という意見書を政府に提出しているが、
それは正論であった。

「やさしさ」を「弱さ」と判断する中国人は、
日本人を与し易しと見たのである。

心やさしい民族性から、亡国の危機にある中国を救おうとし、
中国から愚弄・翻弄されても騙されても、
「夷をもって夷を制す」という中国の外交的策略に乗せられても、
お人好しにもただひたすら中国の「覚醒」を信じつづけて、
結局、戦争に負けたのが日本という国であった。

日本は蒋介石に対し、アジアの和平の確立を訴えつづけてきた。
しかし、中国はあくまで自国内戦の都合から、
アジアの和平どころか、
英米植民地勢力を引きこんで日本と対立させ、
さらには自国の内戦に日本勢力を巻き込んで
アジアを混乱の淵に陥れたのである。

なぜ中国は自国の分割を阻んでくれた日本に反抗し、
分割の野心を抱いていた西欧列強にばかり
歩み寄っていたのだろうか。

それは、
中国人には国家防衛の大義というものが
まったくわかっていなかったからだ。

このような愚かな民族を隣人に持ったことは、
日本にとって大きな不幸だった。
「謝罪」すべきなのは日本ではなく中国なのである。
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最近の情報で(8月9日付け日経新聞「東南ア、溶けた反日」)
東南アジアの各国の対日感情が好転している、
と書いてありました。

しかしもともと国によって差はありますが、
基本的には欧米の植民地支配から解放してくれた
日本への感謝の気持ちがあります。

その点が黄さんの指摘する中国と異なる点です。

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