2010年8月30日月曜日

 問題発見シリーズ その3 問題発見の本質

 問題発見シリーズは今回で一旦終了です。
 これまでの検討経緯をまとめると、こうなります。

  (今回の検討の発端)
   「なぜ危機に気づけなかったのか」(マイケル・A・ロベルト著)
  問題は見つけ出して(問題発見)
  上司に報告すべきである。

  (上野の解説)
  では何が問題か?
  問題とは「目標と現状の差」である。
  したがって、問題発見するには、
  問題の基になる目標設定をすることが必要である。
  目標の中で、最も重要なのは「目的・ねらい」である。

 今回の検討の発端になった
 「なぜ危機に気づけなかったのか」(マイケル・A・ロベルト著)
 の場は企業です。

 企業が達成すべき基本目的は、
 紛れもなく業績の維持向上です。
 これを阻害する要因が問題です。

 そこで、業績の維持向上を阻害する要因の中で
 以下の条件に該当するものが、
 上司に報告されるべきものとなるでしょう。
 
 これを明確に設定して、社内に徹底することが
 重要なガバナンスであり、
 経営「危機」を避ける道なのです。

  第1優先順位 どんなことでも報告
   CSR(企業の社会的責任)に関わること
   事業継続計画(BCP)に対するリスクに関わること

  第2優先順位 状況によって報告
   (以下は例示)
   当社の業績に影響を与えると思われる他社の動向
   責任担当範囲内だが、手に負えなくなる可能性のある事象

 第1優先順位での報告が、
 的確に行われるようにするための課題は、
 自社のCSRとBCPが何であるかを社内に徹底させることです。

 第2優先順位での報告が、
 的確に行われるようにするための課題は
 管理者教育でしょうね。

 それでも、報告すべき事象かどうかは、報告者の判断によります。
 したがって、報告せずに事後問題が大きくなった場合は、
 その管理者は管理者としての能力を疑われることになります。

 経営の「危機」を避けるための報告基準は
 これですっきりできるのではないでしょうか。

 これに対して、 
 「なぜ危機に気づけなかったのか」
 の以下の主張はなんと本質をついていないものであるか、
 お分かりいただけるでしょうか。

   フィルターを避ける(生の情報が来るようにする)  
   人類学者になる(現場重視で観察せよ) 
   パターンを探す   
   点を結びつける
   価値のある失敗を奨励する   
   話し方と聴き方を教える
   ゲームの録画を見る(ゲームは試合のこと)

 結論
 問題発見とは、目標設定をすることである。
 目標で重要なのは「目的・ねらい」である。
 「目的・ねらい」(目標)をどう設定するかで
 問題は変わってくる。

 「目的・ねらい」の重要性につきましては、
 再々ご紹介していることですが、
 別の機会に掘り下げたいと思います。

2010年8月25日水曜日

科学的とは何か。日本学術会議の判断に疑問!

 8月25日の朝日新聞1面トップに
 「日本学術会議 ホメオパシー効果否定
 医療現場に自粛要請」という記事が載りました。

 ホメオパシーとは、当日の記事によると
 「植物や昆虫、鉱物などの成分を限りなく
 薄めた水にして砂糖玉に染み込ませた「レメディー」を
 飲み薬のようにして使う民間療法。
 がんや皮膚病、精神疾患などほぼすべての病気を治療できる、
 と普及団体は主張している。

 欧州では200年の歴史があり、
 一部の国では公的医療保険も適用されてきた。
 しかし、治療上の効果はないとする研究が相次いで発表された。
 ドイツでは2004年から保険適用をやめた」
 のだそうです。

 会長談話の要旨は以下のようです。
 「ホメオパシーが医療関係者の間で急速に広がり
 養成学校までできていることに強い戸惑いを感じる。
 治療効果は明確に否定されている。
 今のうちに、医療現場から排除されないと
 深刻な事態に陥ることが懸念される」

 この談話の引き金になったのは、
 昨年10月に山口で起きた女児死亡事件(詳細不明です)
 のようです。

 ホメオパシーの普及を推進している
 ホメオパシー医学協会では、こうコメントしています。
 「ホメオパシーの治療効果は世界中で認められている。
 きちんと調査することもなく、
 荒唐無稽と断定する極めて非科学的な態度にあきれている」

 一部のホメオパシー普及者の行動に問題がある行動
 (高い値段で売りつけるとか、
 新興宗教的に通常の医薬・医療との併用を認めない、など)
 があるのは事実のようです。

 だからと言って、「治療効果は明確に否定されている」
 と言うのは言い過ぎではないでしょうか。

 本質はこうでしょう。
 「日本学術会議は、本当に治療効果がないと証明したのか。
 山口の件は、本当にホメオパシー治療が直接死因なのか。
 ホメオパシー推進派は、
 どうやってホメオパシーの効果を証明しているのか」
 です。
  
 通常の医療でも、複合原因で死に至ることがあるので
 山口のような事件は起こりえます。

 効果が全くないという証明は、効果があるという証明より
 難しいはずです。

 軽々に「治療効果は明確に否定されている」
 と断言することはいかがなものでしょうか。

 因みに、この記事は日本経済新聞には

 一言も取り上げられませんでした。
 経済には関係しない、ということでしょうかね。


 これで思い出すのが、次の件です。

 一時、テレビで「超能力」「超常現象」が人気だった頃がありました。
 その頃,Y大のO教授が、
 「そんなものがあるわけがない。
 我々の習った教科書にそんなことは書いていない」
 と切り捨てていました。

 テレビ局ではその主張を面白がって
 その教授を引っ張り出していました。
 
 ある超能力者の引退番組の時に
 その教授と(松田聖子の夫だった)神田正輝が実験台になりました。
 二人ともある時から肩を痛めて
 右腕を肩の高さより上にあげることができませんでした。

 ところが、引退する超能力者がその二人の肩をなでると
 二人とも腕が上まで上がるようになってしまいました。

 これには、O教授も愕然として何も言いませんでした。
 それまでは、「それは単なる偶然だ」とか「やらせだ」とか
 うそぶいていましたのに。

 O教授は、いい恥さらしでした。
 この恥さらしは、しばらくテレビに登場しなくなりましたが
 ほとぼりが冷めた頃、また出ていましたね。
 本当に恥さらしです。

 この頃、著名な科学者が
 「『証明されていないことはない』と言うのではなく
 『そういうことはあるかもしれない』と言うのが
 真の科学的態度である」
 と言っておられました。

 そのとおりです。
 ニュートンがリンゴが木から落ちるのを見て
 引力を発見しましたが、
 「なぜリンゴが木から落ちるか分からないから
 リンゴが木から落ちることは認められない」
 とはなりませんものね。


 もう一つのこれに関連した話題です。

 8月8日の日経新聞のコラム「ナゾ謎科学」の
 「科学と疑似科学の違いは?」で
 疑似科学とみなされている主な例として、

 透視や念力などの超心理学(これは変な用語です。正式には超常現象です)、
 ホメオパシー、占星術、UFO、マイナスイオン、などと並んで
 ABO式血液型による性格診断、が挙げられていました。

 「血液型と性格に関係がある」に対する反論で、
 それこそ荒唐無稽なのは、 医学者が
 (インタビュに答えているので軽い気持ちで言っているのでしょう)
 「ABO血液型の差は赤血球表面の糖脂質の突起の差である。
 そんなもので人間の性格が変わるわけがない」と言うのです。

 私の反論はこうです。
 「たかが、赤血球の突起の差と仰いますが
 その突起の差によって輸血の不適合が起き、死に至ることもある、
 重大なものなのではないのですか」

 多くの科学者たちは先入観で判断し、
 「証明されていないものは(事実として)認められない」
 という立場をとり、
 血液型と性格の関係については、
 女子供の遊び事である、とバカにしているようです。

 前述の高名な科学者の判断基準で言えば、
 皆さん真の科学者ではないですね。

 そこで私は、20年以上前から
 血液型と思考法に因果関係があることを証明しようと
 取り組んできました。
 
 因果関係の論理仮説から物理仮説まで立て終わり、
 証明をしてくださる先生を探し始めました。

 論理仮説はこれをご覧ください。
  http://www.ni.bekkoame.ne.jp/uenonorio/ketueki_A/ketueki_1.htm
 そうしましたら、
 赤血球が硬貨を重ねるようになる「連銭」の形成が
 血液型によって異なるという実験をされている先生が見つかりました。
 
 ところが、その先生がこの実験をされたのは
 1984年(なんと当社の創業の年です)で、
 先生はすでに引退されていて
 実験設備もなく、あらためて私が期待するような条件で
 実験をすることは不可能だということが分かりました。

 ということで、私の仮説を証明して、
 「ABO式血液型による性格診断」が、
 科学か疑似科学かというテーマに決着をつける
 機会が遠のいてしまいました。

 今は、どなたかこの課題に取り組んでくださる方がおられないか
 探求中なのです。
 どなたかヒントはございませんでしょうか。

2010年8月24日火曜日

今度は、ごみ出しについて改善要望しました

 まずは、私が品川区長あてに出したお願い文をご覧ください。

 件名:近所のゴミ出し方法の不備に対する指導をお願いします。

 内容:環境課へのメール方法の案内がありませんので、
  これを使わせていただきます。

  私は以下に記述の住民です。
  毎朝、近所をジョギングしています。  

  豊町4-20-××に3階建て9戸が入っている集合住宅があります。
  ここのゴミ出しスペースは道路に面してむき出し状態です。

  分別して出している様子は見受けられません。
  毎日いろいろなゴミが収集日に関係なく置かれています。  

  青色のカラス除けのネットを使っているのですが、
  ぼろぼろで機能していません。

  私はネットがめくれたりしているときは、
  なるべく隙間ができないように伸ばしたりしています。  

  生ゴミが出ているとカラスが引っ張り出して
  頻繁に汚いものを散乱させています。
 
  1月ほど前、近所の方が堪りかねて
  「清掃の方へ。ここの所有者にネットを替えるように指導してください」
  というような張り紙をしていました。  
 
  しかし、その後、何らの変化も見られません。  
  こんなに近隣に迷惑をかけ、
  不衛生を発生させている無責任な集合住宅所有者に対して
  厳しい指導をすることはできないのでしょうか。

   「ネットを替えろ」
   「入居者にゴミの分別と出す日の徹底をせよ」
  とかの指導です。

  少なくとも分別していないごみは収集拒否をするくらいのことは
  できるのではないでしょうか。

  何とぞよろしくお願いいたします。

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 このメールを発信したのは、8月13日でした。

 ところが、
 翌週の19日には青色のネットが新しくなっていました。

 そこで、20日に
 「私の申し入れのおかげでそうなったのかどうか分かりませんが
 早速にご対応いただきありがとうございました」
 というような報告を、申し入れと同じ方法で
 区長宛にお送りしました。

 すると、24日になって品川区清掃事務所の荏原庁舎の方から
 電話がありました。

 「ご忠告ありがとうございました。
 広報課から上野さまからのご意見について伺いましたので
 早速対応いたしました」というようなことでした。
 
 そこで、私は興味本位でいろいろ聞きました。
 分かったことは以下のとおりです。

 ①青色のネット(防鳥ネットというらしい)は 
  区が貸し出しているものだ。
 
 ②その集合住宅は、レオパレス21の所有物ですが、 
  レオパレス21は、他でもごみ出しで評判が悪いらしい。

  清掃課からごみ出し方法の改善を申し入れても
  「住人がすぐ変わるのでごみ出し方法が徹底できない」
  とか言って改善されない。

 ③分別されていないごみは、
  回収員が分別して該当品を当日収集している。

 ④ふれあい指導班という組織があって、
  ごみ出しの指導も行っている。

 そこで意地悪爺さんの私は言いました。

 ①ネットが区からの貸し出し品であるなら、
  先般、住民から意見が出されたときに、
  なぜすぐに交換しようとしなかったのか。

  報告のチャネルはどうなっているのか、おかしいではないか。
  区長に申し入れるとすぐに改善されて
  そうでなければ放置というのはあんまりではないか。
  改善の必要があるのではないですか。

  と一担当官に向かってとぼけて言ってしまいました。

 ②③レオパレス21のような無責任な集合住宅オーナに対して、
  厳しく指導してほしい。

  分別していないごみは回収してはいけない。
  一般の各戸収集の場合は、分別されていないと
  収集しないで置いていくではないですか。

  回収員が分別するということは、
  余計な仕事を税金でしているということになる。
  まともに分別している人が
  そうでない人の分の税金を負担しているのはおかしい。

 というようなことを申しあげました。
 相手は分かりました。ふれあい指導班にも伝えておきます、
 というようなことを言っていましたが、
 責任者ではなさそうでしたので、それで済ませました。

 それでも、こういう直訴の方式があるのは良いことですね。
 見て見ぬふりをしないで行動すると
 世の中は良くなるし、分かってくることも多いようです。

 皆さまも是非行動してください。

2010年8月19日木曜日

要求分析における目的重視思考は海外にもある!!

 先日、ひょんなきっかけである人から
 当社の「専売特許」だと思っていました目的重視思考について、
 「その英語訳がGoal Orientedです。
 そのタイトルがついた英文の論文は10万件ありますよ」
 ということを教えていただきました。

 驚いて、
 10万件あるそのタイトルのついた論文の一部を読んでみました。

 そうしましたら、
 システムの世界とは関係ない論文も多数ありましたが、
 システムの世界では、
 Goal Oriented Requirements Engineering または
 Goal Oriented Requirements Analysis
 というタイトルがついた論文が多数見つかりました。

 でもよく見ると、論文の執筆者は限られていて
 なぜか、ベルギーとカナダの大学の方でした。

 「根っから目的重視の国アメリカでは
 そんなことは当然だ、という気があるので
 誰も追求しないだろう」という私の推論は
 今のところ当っているようです。

 Goal Oriented Requirements Engineering(GORE)を
 主張している中心人物は、
 ベルギーのLouvainカトリック大学コンピュータサイエンス学科の
 Axel van Lamsweerde(アクセル・ラムズウィールド)教授です。

 教授とその継承者の主張の要点は以下のようです。
 この部分は、我々の主張と同じです。

  ゴールとは、開発するシステムが達成しなければならないこと。
  上位のゴールは、ステークホルダの望む状態または状況を表す。
  下位のゴールは、それを実現するために行うことを表す。
  ゴールは要求の完全性を保証する。
  ゴールは上位の戦略レベルから
  下位の技術的要求までのトレーサびりティを提供できる。
  ゴールは要求をさばく基準になる。
  ステークホルダに対する要求の正当性の説明に有効である。
  関係者間の対立を解決するのに役立つ。
  ゴールは観測・制御可能な目標値を設定する必要がある。

 違う部分もあります。
 それは、どうやってゴールを導き出すかという点です。

 少なくともLamsweerde教授はこう言っています。
  既存のシステム文書から手がかりになるゴールを識別する。
  WHYの質問で上位のゴールに展開する。
  HOWの質問で下位のゴールに展開する。
  ステークホルダへの確認で適切なゴールを設定する。

 これに対して、我々の目的達成手法では
 ゴールは「目的・ねらい」と言っていますが
 「目的・ねらいは、対象業務または対象ビジネスの
 価値目標で把握する」
 としています。

  対象業務が実現すべき価値目標は何か
  対象ビジネスが実現すべき価値目標は何か

 を追求するのです。(この続きは9行先です)


 ゴールを整理する手法も異なります。
 Goal Oriented手法では、
 Goal Refinement Treeという図で整理をします。
http://scholar.google.co.jp/scholar?hl=ja&q=%22goal+oriented%22&btnG=%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=&as_ylo=&as_vis=1
 の2番目の論文である
 Goal-orientedrequirements engineering: A guided tour
 をご参照ください。

 我々のMIND-SA手法では問題点連関図という図で分析します。
 http://www.newspt.co.jp/contents/manual/yes/oc/mkoc.html
 をご参照ください。

 価値目標は、簡単に言う時には
 「早い、うまい、安い」です。
 宅急便はこのモデルで説明しやすい事例です。

 「早い、うまい、安い」の元祖は吉野家でした。

 より詳細に検討する時には
 これをブレークダウンしたMRC,VQTHSFU
 というフレームを使います。
 http://www.newspt.co.jp/contents/manual/yes/ob/2a0e.html
 を参照してください。
 この中から、実際に何をゴールにしたいのか、を選定し、
 それを「定量化・具体化」します。

 これを意思決定者の意向に基づき検討し、
 最終的にその「目的・ねらい」達成のための必要資源と合わせて
 意思決定者に決定していただく、
 ことを基本ルールにしています。

 「目的・ねらい」の例として、宅急便の場合ですと、こうなります。

  早い: 特別の山間僻地を除き、当日18時までに受けた配送物は
       翌日中に配送する。
       指定がある分については午前中着も受ける。

  うまい:お客さまからの配送状況に関する問合せに対して、
      3分以内に回答する。
      受取人の予定に合わせて着時間の指定ができる。
      不在時の再配送が、
      お客様の時間希望によって1時間以内に可能である。

  安い: 重量・体積など配送物による料金体系とし地域の差を設けない。
       競合他社より平均的に1割安とする。

 これら記述内容は、
 「上位のゴールは、ステークホルダの望む状態または状況を表す」
 という前掲の条件を満たしていることがお分かりになりますでしょう?
 ステークホルダは経営者であり、お客様です。

 当初の吉野家の「早い、うまい、安い」は、
 極めてシンプルでした。
 今は、そんなシンプルなビジネスモデルは
 成り立たないのですね。

 ところで、
 初めに同教授が「Goal Directed」と言われたのは
 1991年です。
 (その後は、Goal Drivenとも言っておられます。
 この言い方が、主張するコンセプトに合致していると思います)

 当社の「MIND-SA・目的達成手法」がリリースされたのが
 1992年ですから、ほぼ同じころに発表があったということになります。

 我々は論文発表していませんから、
 世間の、特に学会の注目を集めることはありませんでした。

 日本でも、Lamsweerde教授たちの影響を受けて、
 要求工学の先生たちが、Goal Orientedの実践手法である
 KAOS(Knowledge Acquisition in Automated Specification)
 等の研究をされています。

 この論文発表の早いものは2004年でした。

 我々は井の中の蛙だったのですが、
 考えたことと考えた時期はたまたま他の先生たちと
 同じだったのです。

 ということがよく分かりました。

 要求や要件をはっきりさせたいというニーズは
 業務の機械化時代が終焉した1990年ころから
 切実な問題になったのです。

 業務の機械化時代は、機械化(手段)を実現すれば
 経営目的である「早い、うまい、安い」が実現できたのですから
 格別な理屈は必要ありませんでした。

 ところが1990年頃、業務の機械化が終了すると、
 新しい業務の仕組みを構築することになります。

 そうなると、何のためにそれを実現するのか
 という経営視点での目的が必要になったのです。
 
 その時代背景は日本も欧米もほぼ同じですから、
 「Goal Oriented」や「目的・ねらいの重視」が
 必要になったのです。

 結論として、
 目的重視思考は、当社の「専売特許」ではありませんでしたが、
 その思考法を支援する「丸い三角形」や
   http://www.newspt.co.jp/contents/manual/yes/tem/template.html
 「問題点連関図手法」(URLは前掲です)は当社のオリジナルで
 ユニークなものです。

 手法ですから、その有効性と簡便性で勝負することになります。
 さらなるツール化も必要ですね。
 頑張らねば!!

2010年8月18日水曜日

倉本聡の「歸國」を見ましたか (第1版)

 (8月19日現在、「歸國」は30万件以上のブログに取り上げられています)

 8月14日夜TBSの特別番組で
 倉本聡の「歸國」が放送されました。

 太平洋戦争で南方の海や島で散った英霊たち30人くらいが
 戦死した時のままの姿で、
 現代の日本に深夜4時間ほど一時「帰国」して
 懐かしい場所に行ってみる、65年経った日本の現状を見る、
 という基本ストーリです。

 なお太平洋戦争で、南方で亡くなった将兵は約30万人だそうです。

 いくつか心に残ったメッセージをご紹介します。

 戦死者の恋人で音楽教師をしていた女性(八千草薫の役)、
 彼女は独身を通しました。
 その女性は言いました。

 「この頃の子供は歌わない。明るくない。
 下を向いてケータイをやっている」
 そうでしょうね。

 ビート武演ずる軍人が
 愛していた妹の病床に赴きます。
 その妹はおそらく80代でしょう。
 もう4年間も生命維持装置のおかげで延命しています。
 意識はありません。

 ビート武は「なんでこんなむごいことをするのだ」と怒ります。
 
 病院の医師・看護師も疑問に思っています。
 でも「生命維持装置を止めると殺人になる」と言って
 ただただ処置を継続しています。
 倉本さんたちの痛烈な社会批判です。

 この生命維持のお金を出しているのは
 一人息子(父親が出征の前夜に1回限りの契りでできた子供。
 その父親も戦死)です。

 母親が女手一つでストリッパなどもしながら(小池栄子の役)、
 苦労して育てました。
 
 息子は東大を出て、偉い先生になり
 金融業界の売れっ子になって、深夜にも働いています。
 この息子は忙しくなって
 母親の見舞いにもほとんど行きません。

 ビート武は怒って「帰国」軍の禁を犯しその息子を殺してしまいます。
 
 殺された息子の霊が、ビート武のところに来て質問します。
 「以前は母親に感謝し大事にしていました。
 どこで間違ってしまったのでしょうか」

 ビート武は「そんなこと俺に聞いたって分からん」
 と言いますが、
 「君は人から叩かれたことはあるか」と聞きます。

 息子が「ありません」と答えると
 ビート武は、何度も強く息子の顔を殴りつけました。
 倒れた息子は起き上がりながら、
 「ありがとうございます。嬉しかったです」
 と答えました。

 「日本はどこかで道を間違えてしまった」
 いうのが倉本さんたちのメッセージでしょう。

 どこで間違えたのでしょうか。
 「日本は豊かになったが、心は豊かになっていない」
 というメッセージは何度も出てきました。

 英霊たちが南に帰る最後に
 隊長(長淵剛の役)が言った言葉
 「貧幸」は、倉本さんたちの強いメッセージの一つでしょう。
 (長淵剛さんは名演技でしたね。その印象が心に残ります)

 「我々は貧乏でも幸せだった。
 今の人たちは幸せなのか」という問いかけです。

 太平洋戦争における日本人の犠牲者は
 約300万人ですが、そのうちの軍人230万人のうち
 6割は餓死だったという説があります。

 戦後の本土の日本でも食うや食わずで
 餓死者も多い極めて貧しい状態だったと思います。
 私自身も「とにかく口に入るものなら何でもよい」
 と思うくらいひもじかった記憶があります。

 その窮乏状態から何とか脱却しようと、
 国民全体が必死で頑張ったのです。
 身体・命の維持が第一でした。

 それでも必死に生活の向上を目指す人たちは幸せでした。
 「貧幸」だったのです。

 片や、
 GHQの「誘導」を受けて日本の教育は
 徹底的に「脱愛国」:
 愛国=軍国=反平和への道
 という図式を叩きこまれました。

 軍国思想につながるとういうことで
 国旗の掲揚・国歌君が代の斉唱が認められませんでした。
 国旗・国歌を疎んずるという指導がどこの国にありますか!!

 日本の歴史とか国の在り方、
 心の在り方の問題はタブーになりました。
 日本人の心の拠りどころは無くなってしまったのです。

 当時は、思考・思想は二の次でまず生きなければならなかったので、
 それでも大きな支障はありませんでした。
 身体第一で心は空っぽだったのです。

 その結果、身体が満たされると、
 本来は心の充実を目指すはずが、
 次に目指すもののない空白状態となってしまったのです。

 また、全体主義・軍国主義に反する考え方として、
 間違った個人主義、個人の自由を尊重する考えが蔓延しました。
 本来の個人主義は個人の責任をまず果たす前提で
 生まれてきているものです。

 戦後日本に普及した個人主義は、責任部分を無視しているのです。
 
 また、戦前戦中の「産めよ増やせよ」の時代から
 窮乏生活の時代になりましたから、
 兄弟の数も少なくなりました。
 
 親は子供を大事にして、目をかけて育てます。
 よく電車や道路で駄々をこねている子供を見かけますが、
 親は、妥協するか、よくて無視で
 厳しく叱っている親はほとんど見かけません。

 甘やかされて育ち、自分の責任は意識しないで
 何でも満たされ窮乏感のない子供が増え、
 「人に叩かれたことがない」子どもが増えているのです。

 一方で、子供が少なく手がかけられるものですから、
 細かく、あれはダメ、これはダメと
 危ないことや冒険を止める親も多くなっています。
 そうすると、委縮して依存心が大きい人間になってしまいます。

  ではどうしたら良いのでしょう。
 
 人生・社会生活の先輩は、
 もっと積極的に後進たちを指導すべきでしょう。
 ダメなことをする若輩は「叩く」自信を持つべきです。
 
 見て見ぬふりを止める、ことも重要です。
 よその子供でも、悪いこと、倫理にもとることをしていたら
 注意するのです。

 逆切れの多い現代では、それは難しいことでしょう。

 まずは、他人に気楽に声をかける習慣・態度を
 身につけたら良いのではないでしょうか。

 都会の人たちはよそよそしいと言われます。
 電車で美人がいたら「きれいだね」と
 声をかけたらいいじゃないですか。
 (ただし、暗い夜道で声をかけるのはやめましょう!)
 可愛い幼児がいたら「可愛いね」と気楽に言えばよいのです。

 それが自然になるように。
 まずは「向う三軒両隣」で
 気楽に声をかけ合うようにしたらいかがですか。

 「向う三軒両隣」も戦時中に「危険人物」を見つけ出す、
 あるいは発生させないために、活用された仕組みなものですから、
 そのアレルギが残っているようです。

 近隣が仲良くするのは、
 国を国民全体が支える基礎条件です。
 どんどん強化していただきたいですね。

 そうすれば、「隣でいつの間にかご老人が亡くなっていた」
 というようなことは起きません。

 我が家の周りでは、「向う三軒両隣」が
 お互いに、季節のものを分け合ったり
 空き巣の見張りをしたりしています。

 お互いに「おはようございます」と声をかけ合うのは
 気持ちの良いものです。


 でも、それだけでは国は良くならないでしょう。

 今こそ政治は、国の進むべき方向を示すべきです。
 今のままでは、日本は高齢化無策で社会保障倒産でしょう。

 明治維新でも、敗戦後でも、頑張ったのは若い世代です。
 民主・自民・その他の政党を問わずに若い人が集まり、
 過去のしがらみは無しにして、
 日本をどうすべきかを議論して方向性を示してほしいものです。

 そういう新党を期待したいですね。

 そうしないと、
 日本はこのままゆで蛙状態で衰亡の道まっしぐらです。

 それでは、日本のために頑張ってくださった
 「英霊」は浮かばれません。
 
 このドラマの最後のシーンは、
 広い海がたゆ立っているだけで
 英霊たちは浮かんできませんでした。