2019年3月21日木曜日

「小学校の卒業式に袴」は自由か?

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 小学校の卒業式に袴姿で参加することの是非を
  考えていただきます。
ねらい:
 子供たちの気持ちを第一に考えましょう。
 (子供たちの気持ちを第一に考えない最たるものは
  虐待です)
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小学校の卒業式で袴を着ることが流行っているそうです。
3月21日のフジテレビの「とくダネ!」では
以下のような報道・議論がされていました。
(出典:J-CASTニュース)
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去年(2018年)の卒業式に約9割の女子卒業生が
はかまで出席した小学校があったという宮城県東松島市では、
市議会で市長がはかま着用の自粛を呼びかけた。


理由は「はかまを着ている子供たちに劣等感を持ち、
卒業式を本当に喜べていない子がいるのではないか
と危惧している」から。
「親の経済負担も大変なのでは」という心配もあるようだ。


 東松島市の教員に
はかまの「縮小方向」について聞いてみると、
「共感できる」が90人、「共感できない」が23人、
「分からない」が24人だった。


賛成の理由は、
早朝からの着付けや締め付けなどの「健康面でのリスク」
「トイレで不便」「移動時の安全面」など。


反対の理由は、
「何を着るかは家庭の問題で
学校が口出しするものではない」
「一生に一度のこと。
子どもや家族の意向を考慮することが大切」などだ。


キャスターの伊藤利尋は、
「親としては『あの子がこうだから私も...』とか
変な競争に巻き込まれたくないな、と思いますよね」


夏野剛(慶應義塾大学特別招聘教授)は
「この世代はコスプレ世代なので、
ハロウィンみたいにコスプレの機会だと思えばいいのでは?」


伊藤「個性を発揮する場だったらいいと思いますけどね。
お互い尊重し合って」


司会の小倉智昭
「卒業式で個性発揮したってしょうがないでしょ!」
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このような袴の流行は、今年急に出てきたのではなく、
2017年にはWebネタになっていました。
だから、2018年に9割の女子生徒が袴だった、
というようなことが起きたのでしょう。


この袴の服装には
レンタル利用前提で5万円くらいかかるそうです。


私はこう思います。
基本的には、
それができない家庭の子供のことを考えてあげるべきだ
と思います。


初めの頃、ほんの一部の子供が袴を着たというときは、
周りも「へー面白いな!」くらいのことだったでしょう。


ところが、大半の子供が袴だとなったらどうでしょうか。


前掲の例のように9割となったら、
1割の子供はみじめです。


小学校6年だと、家庭の財政状況も分かっています。
「お母さん、袴にして!」とか
「どうしてうちは袴を用意できないの?」などとは言いません。
残念を自分の心に収めるしかないのです。


自分の責任でなくて差をつけられるのは、
悔しいでしょう、残念でしょう。
小学生ですから、
この悔しさをバネに頑張ろうとはならないでしょう。
子供の心に傷を残すだけのことになるのです。


前掲の「健康上の理由」などは瑣末なことです。
それなら単なるリスクとして考えればよいのです。


前掲の校長の意見に反対の理由、
「家庭の問題なので学校が口出しすべきものではない」
というのは非常に表層的な建前論です。
そういう発想からは現実的な問題解決は生まれません。


参加できない子供の気持ちを第一に考えてあげる
べきと思います。


その点は、当ブログ「成人の日に思う」(2019.1.14)で
振袖で参加できない女性のことについて述べたのと同意見です。
ですが、小学生の方が心の傷が深いのではないでしょうか。


私は、東松島市の市長のご意見に大賛成です。
皆様はどう思われますか?



2019年3月18日月曜日

「日本は勝利の方程式を持っていた!」

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 国の浮沈をかける大イベントでも、当事者の能力・思考で
 結果は+-分かれることになることを再認識しましょう。
ねらい:
 戦争の是非とは別に、客観的な事実を知ることには
  積極的になりましょう。
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このテーマは我が畏友茂木弘道氏の大力作です。
氏は、「史実を世界に発信する会」を主宰し、
歪められた戦後の日本観を是正する情報を
世界に発信しています。


本書は大東亜戦争のことを記述しているのですが、
氏は決して感情的にならずに淡々と史実を解明して、
その事実を解説されています。
氏の筆力にあらためて敬服しました。


私は今さら太平洋戦争を肯定しようとか、
どうすれば勝てたのかを研究しようということではなく
本書を読みました。


そこから私なりに読み取れたのは、
以下のような組織と人間論でした。


1.日本には当初、現実的実戦的な素晴らしい戦略があった。
  開戦前に作成されたものでその内容は以下のとおりです。
  米国の敵陣に攻め入らずアジアで戦陣を固めよう(敵を引き込もう)
  というまことに理に適った基本戦略です。
  本書ではこの内容を逐条解説しています。
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対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案

昭和十六年十一月十五日 大本営政府連絡会議決定

方 針
一.速に極東に於ける米英蘭の根拠を覆滅して
  自存自衛を確立すると共に、更に積極的措置に依り
  蒋政権の屈伏を促進し、独伊と提携して先ず英の屈伏を図り、
  米の継戦意志を喪失せしむるに勉む

二、極力戦争相手の拡大を防止し第三国の利導に勉む

要 領


一.帝国は迅速なる武力戦を遂行し
  束亜及南太平洋に於ける米英蘭の根拠を覆滅し、
  戦略上優位の態勢を確立すると共に、
  重要資源地域址主要交通線を確保して、
  長期自給白足の態勢を整う



凡有手段を尽して適時米海軍主力を誘致し
  之を撃滅するに勉む


二、日独伊三国協力して先ず英の屈伏を図る
(一)帝国は左の諸方策を執る
 イ、濠洲印度に対し政略及通商破壊等の手段に依り、
   英本国との連鎖を遮断し其の離反を策す

ロ、ビルマの独立を促進し其の成果を利導して
   印度の独立を刺戟す


(二)独伊をして左の諸方策を執らしむるに勉む 
 イ、近東、北阿、スエズ作戦を実施すると共に
   印度に対し施策を行う

ロ、対英封鎖を強化す
 ハ、情勢之を許すに至らば英本土上陸作戦を実施す


(三)三国は協力して左の諸方策を執る
 イ、印度洋を通ずる三国問の連絡提携に勉む
 ロ、海上作戦を強化す
 ハ、占領地資源の対英流出を禁絶す


三、日独伊は協力して対英措置と並行して
  米の戦意を喪失せしむるに勉む

(一)帝国は左の(以下の)諸方策を執る
 イ、比島の取扱は差し当り現政権を存続せしむることとし、
   戦争終末促進に資する如く考慮す

ロ、対米通商破壊戦を徹底す
 ハ、支那及南洋資源の対米流出を禁絶す

ニ、対米宣伝謀略を強化す
   其の重点を米海軍主力の極東への誘致並
   米極東政策の反省と日米戦無意義指摘に置き
   米国与論の厭戦誘致に導く

ホ、米濠関係の離隔を図る


(二)独伊をして左の諸方策を執らしむるに勉む
 イ、大西洋及印度洋方面に於ける対米海上攻勢を強化す
 ロ、中南米に対する軍事、経済、政治的攻勢を強化す


四、支那に対しては、対米英蘭戦争、
 特に其の作戦の成果を活用して援蒋の禁絶、
 抗戦力の減殺を図り、在支租界の把握、
 南洋華僑の利導、作戦の強化等、政戦略の手段を積極化し、
 以て重慶政権の屈伏を促進す


五、帝国は南方に対する作戦間、
 極力対ソ戦争の惹起を防止するに勉む
 独ソ両国の意向に依りては両国を講和せしめ、
 ソを枢軸側に引き入れ、他方日蘇関係を調整しつつ
 場合に依りては、
 ソ連の印度イラン方面進出を助長することを考慮す


六、仏印に対しては現施策を続行し、
  泰に対しては
  対英失地恢復を以て帝国の施策に協調する如く誘導す


七、常時戦局の推移、国際情勢、
  敵国民心の動向等に対し厳密なる監視考察を加えつつ、
  戦争終結の為左記(以下)の如き機会を捕捉するに勉む

イ、南方に対する作戦の主要段落
 ロ、支那に対する作戦の主要段落、特に蒋政権の屈伏

ハ、欧州戦局の情勢変化の好機、特に英本土の没落、
   独ソ戦の終末、対印度施策の成功
   之が為速に南米諸国、瑞典、葡国、法王庁に対する
   外交雌宣伝の施策を強化す
 
 日独伊二国は単独不講和を取極むると共に、
 英の屈伏に際し之と直に講和することなく、
 英をして米を誘導せしむる如く施策するに勉む
 
 対米和平促進の方策として
 南洋方面に於ける錫、護謨の供給及比島の取扱に関し考慮す

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戦いの戦略だけでなく、国際世論、相手国の民意についてまで配慮する
周到さです。
戦略とはこういうものかと再認識しました。


吉田松陰はじめ維新の志士たちは極めて優秀でしたが、
この戦略を起案した人たちは並々ならぬ知見・洞察力を持っていて、
維新の志士に匹敵します。。
 


2.そのとおり実行していれば、米国の講和を引き出すことは可能だった。
  その後10年以上に亘る強い立場の維持ができたかどうかは不明ですが。
  勝利の可能性について、本書は丁寧に傍証しています。


3、この戦略を実行しなかったのは海軍の大暴走である。
  連合艦隊司令長官山本五十六が
  海軍内の軍令部の指揮にも従わず
  陸軍をも従属させた。
  山本長官は海軍として短期的戦果を挙げることに終始した。
  真珠湾の見せかけの戦果が海軍の増長を招き
  暴走を許してしまったのです。
 


4.それを束ねるトップのリーダシップが足りなかった。
  東條首相は首相兼陸軍大臣でしたが、
  開戦時には軍に対する統帥権を持っておらず、
  参謀総長、軍令部総長が陸軍・海軍の統帥権を握っていました。
  組織の権限の問題で東條個人の問題ではありません。
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(以下当書からの転載です)
東條首相は、この大綱(元の戦略「腹案」の改悪「大綱」)を
「攻勢戦略か守勢戦略か意味が通じない」
と非難したそうですが、

首相兼陸軍大臣の東條首相は、
この時点(昭和17年3月)では統帥に対する権限を持っておらず、
参謀総長、軍令部総長が陸軍、海軍の統帥権を握っていました。


したがって、これを覆すことはできなかったのです。
しかし形式上は、「大綱」は東條首相、杉山参謀総長、
永野軍令部総長の連名となっています。


よく束條首相を独裁者のように言う人がいますが、
実際は全く見当はずれです。

アメリカのルーズベルト、イギリスのチャーチル、
ソ連のスターリン、中国の蒋介石は
軍の統帥権も実質握っていましたので、
まさしく独裁者でしたが、東條首相は違いました。


「海軍の実力に関する判断を誤れり、
しかも海軍に引きずられた。
攻勢終末点を誤れり、
印度洋に方向を採るべきであった」


昭和20年(1945年)2月16日、
首相を退任していた東條大将は、
参謀の種村佐孝大佐にこのように語ったそうです。
痛恨の叫びでしょう。


東條大将は、
「腹案」についてはその本質をかなり理解していた
ようです。ですから、この叫びが出てきたのでしょう。


たとえば、第1段作戦の中でのラバウル占領です。
1月23日に第4艦隊に配属した陸軍南海支隊は
ラバウルを占領します。


その後は海軍陸戦隊に任せて引き揚げるはずでしたが、
海軍の要請に負けてそのまま居残りました。

東條首相はこれに対し、
戦線の伸び過ぎをもたらすとして大反対しました。


塚田参謀次長も同様でした。
しかし、海軍の勢いと、
シンガポール攻略に海軍航空隊を参加させるという
交換条件で認めさせられてしまったということです。

こういうところを見ても、東條首相の戦略眼、
「腹案」への理鮮度は、
かなり深いものであったことが伺われます。
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5.戦術的にもいくつかのミスがあった。
  いつの世にも「間抜け」がいるのです。
  ひょっとしたら戦略とは別にそのミスがなければ、
  もう少し何とかなった可能性もある。
 1)真珠湾攻撃の不備
  戦艦のみを攻撃対象として、
  敵の戦闘能力を喪失させる兵站への攻撃を行っていないのです。

  この真珠湾攻撃は、ルーズベルト大統領の陰謀で
  日本の宣戦布告とは関係なく、日本軍の動向を知っていたにもかかわらず、
  あえて奇襲攻撃をさせて国民の戦争参加への支持をとった、
  軍艦も避難させずに犠牲者を出すことまで平気でやった、、
  ということは今や衆知の事実です。

 2)ガダルカナル島の奪取作戦
   日本海軍が構築した航空拠点基地があっさり米海兵隊に奪取されたのを
   取り返すべく派遣された三川第8艦隊は
   敵の巡洋艦4隻を沈めたが輸送船団には一指も触れずに引き揚げ
   「ミカン取りに行って皮だけ持って帰ったのか」と言われた。
   海軍は全般的に「補給」の重要性を認識していない。



「海と陸をつなぐ進化論」

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 地球上の生物の進化がどうなっているかを研究いただきます。
 クジラは植物プランクトンが大発生したおかげで
  あそこまで大きくなれたという関係を考えていただきます。
ねらい:
 進化は環境適応であることを再認識いただきます。
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このタイトルは、須藤斎(いつき)さんという筑波大学で博士号をとり
現在は名古屋大学環境学研究科地球環境科学専攻准教授
の書かれた書名です(講談社ブルーバックス1000円)。
ものすごい研究成果です。


ある機会に、植物プランクトンの研究に関心を持ち、
その後、この世界に没頭し次々新発見をされます。
その過程は、
研究においていかに仮説を立てることが重要であるか
を示しています。


本書に以下の記述があります。
ふだんは顕微鏡で珪藻を観察していることが多かったのですが、
(バイク事故で骨折して謹慎していたので)仕方なく
他の分野の論文を読みあさっていたところ、
珪藻類が増大している時にクジラ類もまた大繁栄を遂げていた
という可能性に気づきました。
何かこの両者に関係があるのではないか?


ご本人は「地道な努力と幸運だ」と言っておられますが。
その発見過程を含め分かりやすく説明している努力は
大称賛に値しワクワクする内容なのですが、
若干ポイントがぼけてしまっています。
私が嫌いな人文科学調になっているのです。


そこで僭越ながら、
私がそのストーリを以下のようにまとめてみました。
このテーマに関心のある方は是非直接当書をお読みください。




1.水中での生命体の食物連鎖はこうなっている。

【この図の説明です】
陸上と同じく、
水中においても独自の生態系が成立していて、
植物プランクトンが生産したエネルギーは、
「食う/食われる」関係の中で伝達されていきます。


たとえば、海の中ではまず、
珪藻。円石藻・渦鞭毛藻などの植物プランクトンが
太陽の光によって光合成を行い、
その体内にタンパク質や炭水化物を蓄えます(生産者)。


それをミジンコやカイアシなどの動物プランクトンが
食べ(一次消費者)、さらにその動物プランクトンを
ニシンやサバの幼魚やイワシなどの小魚が
食べて育ちます(二次消費者)。


これらの小魚は、カツオやマグロなどの大型の魚類や
クジラ類、さらには陸上にすむペンギンやオツトセイの
仲間などのエサになります(三次消費者)。


これらの生物もまた、
シャチやホツキョクグマといつた生態ピラミツド
の頂点に位置する生物によって食べられます。


そして、これらの生物の死骸や排出されたふんなどは、
海底付近で暮らす微生物やカニなどのエサとなり、
さらに細菌などによって無機物へと還つていきます
(分解者)。


日本人がよく食べる魚類も海洋生態系の一部ですから、
このような海洋生態系は私たちの生活にも密接に
関わっています。


その中には、
日本人にもゆかりの深い超大型生物・クジラ類も
含まれています。
日本近海は世界最大の海洋生物の多様性をもつ海であり、
全海洋生物種数の14 ・6%が分布している
といわれています。


2.最下層の植物プランクトンが増えると連鎖で上が増える。


3.植物プランクトンはこうしている。
  海洋面(せいぜい水深200メートル)で光合成をしている。
  炭素、窒素、リン、鉄を含む栄養塩を摂取している。


4.植物プランクトンが必要とする栄養塩は海底に存在し、
  以下の理由で「湧昇」が起きないとこれが得られない。
  
5.過去4000万年の間に湧昇が活発だった時期が以下の3度ある。
(著者の発見と命名)
  1)ACE 3390万年前
    植物プランクトンの種の増加と量の増加が発生
    この時期に地球の大陸配置や海洋構造の変化が起きている。
  2)PACE1 850万年前
    植物プランクトンのの量の増加のみ発生
  3)PACE2 250万年前
    植物プランクトンのの量の増加のみ発生)


6.その時期に以下のように海生動物たちも躍進している。
  
これはペンギンの例ですが、
 縦に網のかかっているACE、PACE1、PACE2の時期に
 分岐が多いことが分かります。
  
 クジラの例がもっと分かりやすいのですが
 図が複雑なので掲載していません。
 他に、アシカ・オットセイ・アザラシ・セイウチなど、海牛類、ラッコ、
 鮭類、蟹類も同様に示されています。
 (こういう図を作るのはたいへんですね!!)


7、クジラは現時点で地球上最大の生物だが、
  ここまで大きくなったのは
  元はと言えば植物プランクトンのおかげである。
  
因みにクジラに関して以下の記述があります。
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クジラ類の祖先は、

現在のアフリカに生息しているカバと共通である
と考えられています。


インド亜大陸がユーラシア大陸に衝突し、
ヒマラヤ山脈が隆起するまで、
その地域には「テチス海」と呼ばれる浅い海が
広がっていました。


そのテチス海にクジラ類の祖先である
「原クジラ」が暮らしていたのです。
始原的な種は、
頑丈な四肢を持つ完全な陸生動物であり、
約5400万年前に陸から水中へと進出して(帰って)
いったらしいこともわかってぃます。


インド亜大陸に生息していた原クジラ類は、
漸新世に人ってそれまで暮らしていた
河畔から海洋へと生活の場を移し、
以降の数百万年程度と、
地質学的にはきわめて短い期間内に、
二つの種類へと分かれていきました。


イルカやマッコウクジラのように
歯をもつ現代型の「ハクジラ」類と、
ミンククジラやシロナガスクジラのように
ヒゲ板でプランクトンを濾し取って食べる
「ヒゲクジラ」類です。
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へ―ー、そうなんですね。
門外漢には新しいことばかりです。
たいへん勉強になりました。

「なぜ年をとると時間の経つのが速くなるのか」

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 なぜ年をとると時間の経つのが速くなるのかを確認いただきます。
 私が、人文科学者の本は読むのがたいへんと思ったことを
  知っていただきます。
ねらい:
 本文中でご紹介している当書の内容に関心のある方は
  是非当書をお読みください。
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このテーマは、
オランダの心理学史教授ダウエ・ドラーイスマの著書名です。
日本版の出版は2009年で少し前のことです。


医学・心理学の本かと思って買ったのですが、
私の苦手な人文科学系だったので、
よく読まないで積んでおきました。


でもテーマ的には関心がありますので、
今回読んでみました。


「なぜ年をとると時間の経つのが速くなるのか」は
本書の一部で他にこういうテーマが取りあげられていました。
 いちばん古い記憶(なぜ幼児期の記憶は少ないのか)
 匂いと記憶(匂いはかなり強い記憶機能がある)
 なぜ私たちは、逆方向にではなく順方向に思いだすのか
 チェッカー名人の記憶力
 トラウマと記憶(強烈なトラウマとなるような経験は記憶を破壊する)
 既視感(どういう時に起きやすいかは分かって来ていますが、
      これがなにものなのかは解明されていません)
 忘却(病的な健忘の解説が中心)


これらのテーマについて、誰がどのような研究成果を挙げたかを
360ページに亘ってえんえんと紹介しています。


本項のテーマは、
「なぜ年をとると時間の経つのが速くなるのか」です。
このテーマ研究の先達として、
フランスの哲学者・心理学者ジャン・マリ・ギュイヨー(1854-88)
が紹介されています。
34歳で風邪で夭折した天才です。
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青春時代は欲望を抑えることができない。
たとえば青春時代は、
先にある時間を使い尽くしたいと思うのだが、
時はだらだらと過ぎていく。


そのうえ、
若いころの感銘は強烈で新鮮で、数も非常に多いので、
そのころの何年かは何千通りにも特徴づけられる。
だから若者が去年を振り返ると、
その一年が空間に長く連なるシーンのように見える。


場面が変わるたびに舞台装置は代わり、
その後ろにある背景幕は
まるで遠くにあるように消えていく。
舞台袖には、
場面の転換に合わせてすぐに出せるように、
準備の整った装置がずらりと並んでいる。


これらの装置は、
繰り返し現れる過去の映像を表している。
あるものはだんだん薄れ、ぼんやりと霞んでいき、
そのために遠くにあるように見える。


舞台の両脇を埋める装置もある。
私たちはそれらの装置を、
印象の強さと登場順序によって分類する。


私たちの記憶は舞台監督である。
だから子どもにとって今年の元日は、
その後に続くすべての出来事の後ろで、
少しずつ印象が薄れていくし、
来年の元日は、
早く大きくなりたいと願うその子にとって、
まだとても先のことのように思われる。


それに対し、
老年期は古典演劇の変化のない舞台装置に似ている。
場所は変わらず、
ときには時と場所と出来事が一致しており
(古典演劇の三一致法則を指す)、
すべてを主役の周辺に集中させ、
それ以外の要素を消してしまう。


時も場所も出来事もないという場合もある。
どの週も似たりよったりで、どの月も同じようで、
生活の単調さだけがだらだら続く。


それらのイメージがすべて融合して、
一つのイメージになる。
想像のなかで、時間は短縮される。欲望も同じこと。
人生の終わりに近づくにつれ、私たちは毎年こういう。


「また一年経ってしまった!
この一年、何をしたんだろう? 
何を思い、何を見て、何をやり遂げたんだろう? 
過ぎ去った365日が2カ月ぐらいにしか感じられない
などということが、どうしてありうるんだろう?」


時の眺めを廷ばしたいのなら、
チャンスがあればの話だが、 
一千もの新しい事柄で時を満たせばよい。
わくわくするような旅行に出かけ、
自分を取り巻く世界に新しい世界の風を吹き込んで、
自分を若返らせるのだ。


振り返ってみたとき、
旅の途中で道遇した数々の出来事や、
自分が旅した距離が、
あなたの想像のなかに山積みになっていることに
気づくだろう。


そして、
これら目に見える世界の断片的な出来事すべてが
一列に長くつながり、
それが、世間の人がうまい表現をしているように、
時の広がりを与えてくれる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
このテーマで自覚される現象は。
これで言いつくされていると思われます。


「どうしてこういうことになるのだろう?」
という点について、
著者は以下のように諸説を紹介しています。


1.望遠鏡効果
 望遠鏡で見るように、

 遠くのことが近くに思えることを言います。 
 中年までの被験者は、
 出来事・事件が実際に起きた時よりも

 近くで起きたように感じる。
 しかし、高齢者は実際よりも古くに起きたと感じる。
 ということは、
 高齢者が時間の経過を速く(短く)感じる

 ということである(これは望遠鏡の逆です)。

2.レミニセンス(回想)効果
 回想は記憶の時間標識となる。
 たくさんの思い出の詰まった期間は、
 振り返ってみた時に伸びる(長く感じる)だろうし、
 思い出のほとんどない期間は短くなる。
 中年以降は刺激的な回想が少ないので、

 時間が早く過ぎたと思う。

3.生理時計 
 いわゆる体内時計のことです。
 上記1も2も時間感覚の問題なので、
 客観的な実験・実証は不可能です。
 学説はこうでなないかと推定するだけです。



 それに対して、
 生理時計は以下の点が立証されているのです。
1)浅い傷が治る速さは、若いほど早く、
  20歳の人は40歳の人の2倍速い。

  40歳は時間の経つのが遅い。
   これは本題の支援になりません。

2)SCN(視神経交叉上核)が

  体内時計の親時計なのですが、
  この細胞が喪失していきドーパミン不足とあいまち
  時計の機能が落ちていく。
  その結果、

  高齢になるにつれて時間の感覚が遅くなる
  (時間をゆっくりカウントする)


  実験では、

  若年グループはほぼ正確に時間を捉えたが
  中年組は3分に対して16秒長く捉え  
  高齢者グループは5分近くたって3分と認識した。

  高齢者は時間の長さを感じるのがゆっくりである。
  「メトロノームが減速しているので

  外界が加速して見える」と解説されています。


著者は結論を明確に示していませんが
こういうことなのです。


ギュイヨーが示しているように、
そしてそれは誰もが感じているように、
年をとると刺激的で記憶に残る体験が少ないために、
空っぽの時間は短くつまり経過は速く感じる
ということなのです。


残念ながら当テーマでは新しい知見が得られませんでした。

東京マラソン、今年も完走ならず!!

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 私の第4回東京マラソン敗戦のご報告です。
ねらい:
 何とか一度完走したい。
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競争率10倍以上の東京マラソン、なぜか3年連続で当りました。
昨年は23キロまででしたので、今年は、周囲からは無謀と言われながら
完走を目指しました。


その根拠はこうでした。


初年度、膝痛でギブアップでしたので、
これは膝の屈伸運動を続けることで克服しました。
次に股関節・腰に疲労が来ることが想定されましたので、
この1年間はスクワットに励みました。


これで走れなくなる理由はない、
1時間6キロのペースで7時間あれば行けると思ったのです。
これが過去4回の記録です。

東京マラソン4回の記録

 

2013年

2017年

2018年

2019年


キロ

40分38秒

42分31秒

(調子は悪くなかったのに服装が重かったか?)

45分27秒

(写真を撮ったりしなかったのに遅かった)

41分11秒

10

キロ

46分52秒

(7-8キロで膝痛発生。だましだまし走り

47分57秒

(ギリギリ通過) 

42分47秒

(2分半残しで通過)

40分36秒

(この記録でも完走サポートランナーに追いかけられていた)

15

キロ

53分53秒

(この間ほとんど歩き)

計測なし

(膝の治療しながらで遅れ。15jキロ直前で収容)

45分23秒

(2分残しで通過)

46分59秒

(この区間で減速。ここでギブアップしかけた)

20

キロ

 

 

48分21秒

(必死で通過)

48分00秒+

(まともに走っている状態ではなかった)

最後

15キロ地点

14,8キロ地点

23キロ地点

(ゆっくり走っていたら収容された)

19.7キロ地点

ご覧のように、10キロまでは過去最高のペースでした。
この写真は10キロ地点の日本橋です。
まあまあは走っているようです。

ところが伏兵がいました。
雨に濡れて重いジャンパーを着て走った負荷がかかったのか、
右の腰骨の周辺が痛くてまともに動けなくなってしまったのです。
こんな服装ではダメでしょう。


15キロ地点でギブアップと思って立ち止りました。
この写真はギブアップしようかと思い、
「ゴールに応援に来なくてよい」と家族に電話をしているところです。
もう最後尾でスタッフが片付けを始めています。
ここでは脱いだジャンパーを腰に巻いています。
少し休んでいると、
その腰骨痛が少し直りました。

そこで、
最後尾から走って(「動いて」というのが正解かも)いきました。
これはいけるかも、少なくとも昨年並みのハーフ越えはしよう
と思いましたがやはりダメでした。
すぐに痛みがぶり返したのです。


その時丁度、早足気味で歩いている女性に出会いました。
そこで、「何とかハーフまで行きましょう」と声をかけました。
カッパとかを被っているので年代不詳です!
2-3キロでしょうか、
並んだり、多少前後になったりしながら進みました。


「まもなく20キロ関門です。あと締め切りまで2分です」
とかの声がかかります。
だんだん追い詰められて、とうとうギブアップでした。


その時の写真がこれです。
この写真はその女性が撮ってくれたものです。
既に締め切りから4分以上過ぎています。
私は係員に、
「20キロの記録を残したいので計時場所まで行かせてくれないか」
と頼んだりしていましたので、写真を撮るのを忘れていました。
係員には「もう締め切っているので計時はできない」と言われました。
そうでしょうね。


そこで、東京駅まで連れて行かれるバスに収容です。
そのバスでその方といろいろ話をしました。
岡山から参加しているというのを聞いてビックリでした。
前泊で、今日新幹線で帰り明日は仕事だと言っていました。


スタート前、数人で雑談している時に
その一人が大阪から来ていると聞いて
へ―ー、凄い人がいるものだ!と思っていたのですが、
それを超えています。


その方は走るのが好きで何度かマラソン大会に参加したことがある、
東京マラソンも何年か前に参加した、と言っていました。
その時は完走したそうです。


その後、足を痛めているのですが、それでも参加しているのです。
走ると足が痛むので競歩状態で進むのです。
そのスピードは、なんと走っているつもりの私と同じなのです。


世の中にはすごい人がいるものですね。
その方はまだまだマラソンにチャレンジするそうです。


完走はできませんでしたが、こういう人に出会えたので
悔しさが減殺されました。


参考:当日の記録
1.9時~16時半の締め切りまで、ずっと雨だったのは
13回大会初。
 天気予報では3時くらいからは雨と言っていましたが、
 完全にスタート前から雨でした。
 選手たちはほぼ裸ですからね、
 雨に当たって、低体温症になり大迫選手も途中棄権するくらいでした。
2.フルマラソン参加人数、完走者
 一般申込み者数330,271人
 一般抽選当選者数27,370人 倍率12.1倍
 当日参加37,603人、
 完走者  35,451人
 あの雨の中でもこんなに完走者がいるのです!!
3.完走率
 94.3% 2千人以上がバスに収容されたことになります。
 2010年大会の94.1%に次ぐ低さ
 過去最高の完走率はは2008年の97.4%
 2018年は96.2%


こんなに完走者がいるのですから、
次回は何としても完走を目指します。


ある方から
「足腰が負荷に弱いのなら、重いものを背負って練習したら」
と言われました。
一理あります。試してみようかと思っています。