2024年3月26日火曜日

「私の履歴書」野本氏 傍系からの東急社長就任!スゴイ!!

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 東急野本社長の日本の異端児的偉業を確認いたします。
 (なかなか真似はできません)
ねらい:
 この「偉業」は、
 経営の教科書に仕立てることができるのではないでしょうか。
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2024年3月の日経新聞「私の履歴書」は
野本弘文東急会長(前社長)です。
氏の経歴はスゴイものです。












1.野本社長の経歴
東急電鉄に1971年に入社されたのですが、
以下のようにずっと傍系を歩まれています。

厚木の保有土地を住宅団地として開発・販売する部署に14年間
本社田園都市事業部勤務 3年間
東急不動産に出向 3年間
ケーブルテレビなどを手がける「ニューメディア課」勤務
                    43歳から13年間
ケーブルテレビ運営会社社長 56歳から3年間
本社取締役事業開発本部長 2007年6月 59歳
本社社長 2011年4月~ 63歳 

私は、当ブログで以下のように、
優れた経営者は傍系を歩んでおられると書いています。

上野則男のブログ: 中国・北朝鮮の強さ!!日本どうする?徒然草 (uenorio.blogspot.com)

私は、日経新聞の「私の履歴書」を愛読していますが、
登場される方は日本社会の成功者です。

どなたも何回か重要な意思決定場面に遭遇しています。
その意思決定の成功要因は「先を読む」ということです。

多くの成功者に共通しているのは、
本流の社内にずっといたのではなく、
傍系の会社や海外駐在の経験をお持ちです。

社内にいる場合も当時の中核事業ではなく
陽の当らない事業の担当をされています。

私が在籍した帝人の「凋落を止めた」安居祥策社長も
その典型でした。

そういう本流ではない経験が事業や案件を
客観的にみる能力を養成するのですね。
本流では流れに乗るしかなく冒険はできません。

「かわいい子には旅させよ」の言い伝えは
まさにそのことを言っているのですが、
英才教育の対象者に限定される対策です。
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しかし、野本社長の場合は異例です。
59歳に子会社から呼び戻されているのですから。
そういう人事をされた社長が偉いですが、
野本氏もそれなりの成果をあげておられるのです。

2.野本社長の人生訓

優れた成果を挙げられた野本氏の「人生訓」を拾ってみます。

厚木に配属された時「住宅開発については東急で一番になるぞ」
「それで何をやりたいんだ」を考える。
本流でないマルチメディア課に配属になった時
 「可能性のある新たな分野を勉強できるいい機会だ」
 「このままではダメです」と新しい方向性を探った。

「仕事で一番大切なのは何が正しいかを考えること」
「正しいと思ったことを諦めずに戦う勇気をもつこと」
「ここで、いっちょやってみようか」
「責任ではなく原因を追究しましょう」当時の社長に進言。

東急社長になって以下の標語を考えた。
 「3つの日本一、ひとつの東急」
 「日本一訪れたい街 渋谷」
 「日本一働きたい街 二子玉川」
 「日本一住みたい沿線 東急沿線」

このすべてを言うだけでなく、実現されているのです。
どうしてそのような素晴らしい考え方が生まれたのは
氏の幼少から学生までの生活に元が辿れます。

3.野本社長の生い立ち
氏は昭和22年9月に、福岡県行橋市の繁華街にある
酒屋「野本商店」で生まれました。
小学校時代はわんぱく。
中学でも悪さをして校長室で正座をさせられたのは「学校で一番」

よく店の手伝いをした。
母親とお客様が何を買うかの当てっこをしたが、
「よく見ていれば分かるよ」と言われた。
父親は頻繁に店の陳列を変更した。
「お客は必ず飽きるもの。目先を変えることが大事だ」と言われた。

高校時代は、学校の運動会で応援団長を買ってでて
ベニヤ板などで巨大なモニュメント(エイトマン)を作った。
文化祭では仲間とコント風のシナリオで劇をやった。
この時のいろいろな工夫が、のちの町づくりの発想に役立っている。
(注:まったく偶然ですが、
私は帝人時代に文化祭をイベント大会に仕立てて、
私の所属していた経理部では「コント風のシナリオで劇」をしました)

京都での浪人生活中に、仲間が頻繁にやってきたので
京都の観光案内に詳しくなった
(この経験が後々の仕事に役立っています)

希望校の大学受験は2度失敗し、
早稲田大学理工学部に入学された
(おそらく合格しなかったのは京大とかの国立大学でしょう)。

大学時代は、仲間と中古車で35日間日本一周をした。
バイトは50種類超経験した(「現場」の理解に役立っています)

入社前、父親に言われた。
「どんな大会社でも小さな商店の集合体なんだよ。
おそれることはない。しっかりとやって会社をもうけさせなさい。
自分の給料は自分で稼ぐつもりでやりなさい」
当事者意識を持つべしということで座右の銘にしている。

もう一つの座右の銘が「和而不同(和して同ぜず)」がある。
(前掲の「正しいと思ったことを諦めずに戦う勇気をもつこと」
につながります。

4.野本社長の実績
野本社長のキャリアを通しての実績は以下のとおりです。
厚木時代:
 本社から絶対無理と言われていた区画整理事業の認可取得
ニューメディア課時代:
 赤字続きのWOWOW(日本衛星放送㈱)の再建策の実現
 東急ケーブルテレビジョンの再建策の実現
ケーブルテレビ子会社社長時代
 赤字体質からの脱却
 東急線沿線全体の光ケーブル化の推進
東急電鉄社長時代
 4大開発プロジェクトの推進
 (渋谷、二子玉川、たまプラーザ、永田町)

5.野本社長のすごさ
社長になられてからは、次々と改革や新事業の展開をされています。
それは、革新性をお持ちの社長であればできることで、
そんなに驚くことではありません。

日の当たらない職場に10年以上を2回も経験され、
その時にめげずに前向きに仕事に取り組まれて、
成果を出されていることが真似のできない素晴らしいことです。
そのもとは、幼少時の経験と前向きの精神です。
(結果的には、長い傍系での経験が
新時代のニーズに合致した幸運もあります)

これだけ前向き・ポジティブな方はまずおられませんね。
これは遺伝でしょうか。育ちでしょうか。

こういう社長が、日本の大企業に多ければ、
日本は「失われた30年」を経験しないで済んだでしょうに!!


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