2013年1月31日木曜日

1日1食が健康・美容・長寿の基ですって!!

【このテーマの目的・ねらい】
目的
 「常識のウソ」の追加例を知っていただく。
 
 飢餓状態が人間の本来の立ち位置であることを知っていただく。
 安定的飢餓状態を実現すると、若返ることを知っていただく。 
 同じく病いからも遠ざかることを知っていただく。

ねらい
 食事のあり方を再考していただく。
 若く美しくなっていただく。

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以下は、南雲吉則先生(医師)の
「「空腹」が人を健康にする」のご紹介です。
副題は「1日1食」で20歳若返る!」です。














この内容は衝撃的です。

半信半疑で読み始めましたが、
現時点では私も1日1食にしてみようかと考えているところです。
私は現在1日2食ですから、あと1食減らせばよいのです。

その主張のあらすじは以下のとおりです。

人間も飢餓状態に置いた方が
自然な状態で身体を保持できる。

なぜなら、
人類の歴史17万年のほとんどの期間は飢餓状態であった。
したがって、
飢餓に耐えられる者が生き残りそのDNAを持っている。

逆に言えば、飽食に対しては抵抗力がなく
糖尿病初め多くの不健康状態に苛まれている。

人間(おそらく動物も同じ)が
危機をかいくぐることのできるDNA(遺伝子)は、
生命力遺伝子と総称されるが、
以下の遺伝子があることが判明している。

  飢餓に打ち勝つ「飢餓遺伝子」
  飢餓状態において生き残る「延命遺伝子」
  飢餓状態のときこそ出生率を高める「繁殖遺伝子」
  感染に打ち勝つ「免疫遺伝子」
  癌と闘う「抗癌遺伝子」
  老化や病気を治す「修復遺伝子」

飢餓状態だと、
これらの「生命力遺伝子」がオン状態になる。

そうすると、全細胞が活性化して肌が若々しくなり、
内臓脂肪を消費するのでメタボが解消して
ウェストがすっきり美しくなる。

お腹がすいているとき、脳はもっとも活発に働く。

(注)南雲先生は自ら1日1食主義を実践され
体重は77キロから62キロ(身長は173センチ)に
(注:その後横ばい。
これが大事でどんどん体重が減っては困ります)
先生は56歳なのに肌は青年の肌です。

因みに、2012年ベストセラーの10位にこの南雲先生の
「50歳超えても30代に見える生き方」が入っていますが、
まさにこれはご本人のことです。

1日1食は朝昼夜いつでもよいが通常は夜であろう。
食べるものは偏らずにだが、魚でも野菜・果物でも穀類でも
丸ごと食するのは栄養のバランスが自然にとれる。
(その生物が生きていたのだから必要な栄養素を備えている)

量は多く摂る必要はないが、欲すればいくら食べてもよい。
肉より魚がよい。
塩の摂りすぎもよくない。

1日1食への移行として1日2食から始めるとよい。
(1日2食のときは)1食は1汁1菜方式をとるとよい。
子供用の茶わんとお椀、コーヒーカップの受け皿で食べる。
朝食は水分だけがよいが、フルーツを加えてもよい。

どうしても口寂しい時は、
クッキー(できれば全粒粉のもの)を少しつまむとよい。
甘いものはダメ。

空腹時にお茶やコーヒーを飲んではいけない。

ガムをかむことは、こういう効用がある。

  ガムを噛むと唾液が出る。
  唾液は細胞と細胞の間の間質液(ムダなもの)なので
  それが排出されることになる。
  唾液はのどの渇きをいやすので余計な水を飲まないでよい。
  首から上の咬筋のポンプ作用によって、
  間質液が静脈に流れ込んで顔のむくみが取れる。

ガムを人前で咬むのは日本では行儀が悪い、
となっていますが見直しが必要なようですね。

ということで、常識に掉さすことがたくさん出てきます。
ぜひご研究ください。


2013年1月30日水曜日

「大往生したけりゃ医療とかかわるな」ですって??

【このテーマの目的・ねらい】
目的
 
 自然死について考えていただく。
 医療とは何かについてあらためて考えていただく。
 
 

ねらい
 価値ある生とは何かについて考えていただく。
 
 ものの見方を広げていただく。
 医療を受ける時のスタンスを場合によって変えていただく。

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中村仁一先生(医師)の
「大往生したけりゃ医療とかかわるな」は
副題が「自然死のすすめ」です。













これは、世の常識に反抗する素晴らしい啓もう書です。
この序が本書の要点すべてを表現しています。

一部を抜粋しようかと思いましたが、
どの部分も捨てがたいので、
ほとんどすべてを転載させていただきます。
名文ですね。
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私は、特別養護老人ホームの常勤の配置医師です。
この配置医師という行政用語は凄いと思います。
まるで、富山の置き薬のようです。

最近まで、
「アイヌの土人」(北海道旧土人保護法、1997年廃止)と
呼んでいたお役所体質の面目躍如たるところです。

それかあらぬか、私はそろそろ賞味期限が切れる頃なのに、
代わりの医者がなかなか見つかりません。
老人ホームは福祉系ということもあり、
知り合いに声をかけても、
「いくら何でも、そこまで身を落としたくはない」
という答えが返ってきます。

たしかに私も、入居者の家族から何事によらず、
「病名や予後(病気・手術などの経過または終末)について
病院の先生から同じことをいわれるのなら
納得できるのですが・・」といわれましたし、
ちょっとした湿疹でも
「もし手遅れになったら、どうしてくれるんですか」
と詰問がとんできます。
ただ、彼らに悪気はないのです。

また、老人ホームの私以外の介護職員にしても
現代の日本人ですから、
心情的には入居者の家族と似たようなものです。
何かとすぐに病院へ連れていきたがりますから。

当初は、私も「なぬっ!?」と思いました。

しかしながら、それまで中小といえども病院勤務だったため、
世間には歴然と医者の序列があることに
気付かなかっただけのことです。

つまり、大学病院の医者が頂点で、
旧国立病院や日赤、済生会、
県立、市立などの税立病院と続き、
次が民間の大病院、中小病院の医者で、
一番下が町医者といわれる開業医です。

老人ホームの医者はさらにその下ですから、
いわばホームレスレベルなのです。

ですから、私立病院の部長であっても、
開業した途端に最下位の町医者に転落するわけです。

世間では、家族や知り合いが開業医や小さな病院で診て
もらっていて、経過がはかばかしくない時に、
「だめ、そんな小さいところにかかっていては。
もっと大きなところへ行かなくっちゃ」というのが
ふつうなのですから。

考えてみれば当然です。

わが国には医者個人の情報がなく、
その実力のほどが素人にはわかりません。
そこで病院の序列の上の方の医者が、
評価が高いということになるのでしょう。

一般に、病院志向、専門医志向が高いですから、
老人ホームの入居者の容態にちょっと異変があれば、
家族からすぐ病院受診という要望が出されるのも、
止むを得ないことなのです。

ですから、ホームレスレベルの私の出番は、
病院が見放した後なのです。
出すぎず、分を守ってさえいれば、
無駄な葛藤はせずにすむという構図です。

その老人ホーム勤務も12年目に入り、
最後まで点滴注射も酸素吸入もいっさいしない「自然死」を
数百例もみせてもらえるという得がたい体験をしました。

病院では、最後まで何かと処置をします。
いや、しなければならないところですから、
「自然死」はありえません。

在宅における死もふつうは病院医療を引き継ぎますから、
ほとんど「自然死」はないといっていいでしょう。

また、医者の方も、何もしないことには耐えられないでしょう。
しかし、それは、穏やかに死ぬのを邪魔する行為なのです。

ですから、ほとんどの医者は「自然死」を知りません。
人間が自然に死んでいく姿を、見たことがありません。
だから死ぬのにも医療の手助けが必要だなどと、
いい出すのです。

「死」という自然の営みは、
本来、穏やかで安らかだったはずです。

それを、医療が濃厚に関与することで、
より悲惨で、より非人間的なものに変貌させてしまったのです。

世の中で、一番の恐がりは医者でしょう。
それは悲惨な死ばかりを目のあたりにしてきたせいだと思います。

がんでさえも、何の手出しもしなければ全く痛まず、
穏やかに死んでいきます。
以前から「死ぬのはがんに限る」と思っていましたが、
年寄りのがんの自然死60~70例を経験した今は、
確信に変わりました。

繁殖を終えた年寄りには、「がん死」が一番のお勧めです。
ただし、「手遅れの幸せ」を満喫するためには、
「がん検診」や「人間ドック」などは受けてはいけません。

病院通いの年寄りが多いのは、私たちの同業者が、
「健やかに老いなければいけない」
と脅し続けてきたせいもあります。

今、年寄りに対する「若さ」や「健康」の重圧には、
かなりのものがあります。
 健康食品やサプリメントの売れ行きの凄さがそれを
物語っているように思えます。

本来、年寄りは、どこか具合の悪いのが正常なのです。
不具合のほとんどは老化がらみですから、
医者にかかって薬を飲んだところで、
すっかりよくなるわけはありません。
昔の年寄りのように、
年をとればこんなものと諦めることが必要なのです。

ところが、「年のせい」を認めようとせず、
「老い」を「病」にすり替えます。
なぜなら、
「老い」は一方通行で、その先には「死」がありますが、
病気なら回復が期待できますから。

人間は、生きものである以上、
老いて死ぬという運命は免れません。
最先端医療といい、再生医療といい、所詮「老いて死ぬ」
という枠内での話です。
年寄りは、あまり近づかない方がいいと思います。

あまり医療に依存しすぎず、老いには寄り添い、
病には連れ添う、
これが年寄りの楽に生きる王道だと思います。

年寄りの最後の大事な役割は、
できるだけ自然に「死んでみせる」ことです。

しかし、「逝き方」は「生き方」なのです。
今日は昨日の続きです。
昨日と全く違う今日はありえません。

ということは、今日の生き方が問われるわけです。
今の生き方、周囲へのかかわり方、医療の利用の仕方、
これらが、死の場面に反映されるということです。

少し体調がすぐれなければ、すぐ「医者よ、薬よ、病院よ」
と大騒ぎする人には、
「自然死」は高望みだということになります。

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この後の本文は目次の見出しで、
中村さんの言わんとすることが分かりますので、
興味深い見出しを以下にご紹介します。
是非、原本をご覧ください。

 本人に治せないものを他人である医者に治せるはずがない
 解熱剤で熱を下げると、治りは遅れる
 鼻汁や咳を薬で抑えるのは誤り
 

 「できるだけの手を尽くす」は「できる限り苦しめる」
 食べないから死ぬのではない、死に時が来たから食べないのだ
 

 がんは完全放置すれば痛まない
 がんはあの世からの「お迎えの使者」
 「早期発見の不幸」「手遅れの幸せ」
 がんで死ぬんじゃないよ、がんの治療で死ぬんだよ
 
 
 余命2、3カ月が1年になった自然史の例

 健康には振り回されず、死には妙にあわがわず
   医療が限定利用を心がける
 生き物は繁殖を終えれば死ぬ
 生活習慣病は治らない
 年寄りはどこか具合の悪いのが正常


ということを聞けば
ずい分気が楽になるところがありませんか?

2012年の年間ベストセラーのトップをご存じですか?

【このテーマの目的・ねらい】
目的
 2012年のベストセラー本の数冊をご紹介します。
 当ブログでご紹介した阿川佐和子さんの「聞く力」は
 1位だったことを知っていただく。
 あらためて阿川さんの「書く力」を高く評価しましょう。

 
 
ねらい
 以下でご紹介する他の書籍を読んでいただく。

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トーハン調べによる年間ベストセラーのトップは、
当ブログでもご紹介した阿川佐和子さんの「聞く力」だったそうです。
100万部を超えたのは当書だけで、
全般的に大ヒット不足の低水準でした。

私は、
これも当ブログでご紹介した9位に入った
「実はスゴイ!大人のラジオ体操」以外の本を
読んでいませんでした。

そこで、どんな本が売れているのかを知るために
万人の共通関心事である健康がらみの
6位の「大往生したけりゃ医療とかかわるな」と
11位の「「空腹」が人を健康にする」の2冊を買ってみました。

結果的にはたいへん参考になる書籍でした。

そのご紹介は別項をご覧ください。
「大往生したけりゃ医療とかかわるな」
→「大往生したけりゃ医療とかかわるな」ですって??
「「空腹」が人を健康にする」
→1日1食が健康・美容・長寿の基ですって!!

この4冊以外では、
池田大作さん、大川隆法さんの宗教家の本が2冊ある他は
私の関心をひくものはありませんでした。
ビジネス書はベストセラーにならないのですね。

「聞く力」は、インタビュの聞く力はこうだ、
というタイトルとは別に、
その実話である内容自体を興味深く読みました。
阿川さんは聞く力もさることながら書く力も凄い方ですね。

おそらく、多くの読者は同じ思いで読んだのではないでしょうか。
そういう意味からすると、もっとキワモノ的なタイトルをつければ、
もっと売れたのかもしれません。
この堅いタイトルでそれだけ売れたということは、
阿川佐和子さんというネームバリューなのでしょう。

橋下市長は「過ちは改むるに憚ること勿れ」を地で行っている!!

【このテーマの目的・ねらい】
目的
 桜宮高校の事件に対する橋下市長の対応を称賛する。
 この事件を契機に教育界の責任体制について考えていただく。

ねらい
 「過ちは改むるに憚ること勿れ」を念頭において、
 ものごとに前向きに積極的に取り組んでいただく。
 そうして閉塞感のある日本を開放しましょう!

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今回のテーマは、
この事件で全国的に有名になってしまった
大阪市立桜宮高校バスケット部のことです。

事件の概要は改めて記述するまでもありませんが、
念のため基本事実のみを確認しておきます。

亡くなった(自殺した)のは、
12月23日、
バスケット部主将の高校2年生、
体罰を行ったのはバスケット部監督格の顧問。

1月8日になってこのことが判明しましたが、
直後に橋下大阪市長が会見し、
「これまでの『教育現場で厳しい指導をすべきだ』という
私の考えは甘かった」と述べました。

受けとり方によっては体罰容認ともとれる「厳しい指導」
と言ってきたことについての反省の弁です。
素直にこれまでの発言を否定しています。

この態度は素晴らしいと思いました。
多くの政治家・官僚たちは決して前言の非を認めません。
四の五のと理屈を言って言い逃れをします。

そういう人たちは自分に自信がないからです。
非を認めれば☓の評価を受けて
その後の人生に支障が出るからです。

それに対して、
橋下市長は、自分に自信があって誰かが橋下市長を評価して
☓を付けることはない、
大阪市民に対してでも自分の正当性を堂々と主張できる
という自信があるのでしょう。

現に、マスコミに叩かれたりしても、
あるいは教育委員長との議論でも
今度は怯むことはありませんでした。

論語の「過ちは改むるに憚ること勿れ」
易経の「君子は豹変す」
そのものです。

ところが、その後の展開は賛否両論出ています。
すなわち、「体育科の今年度入試中止」
「桜宮高校全教員の交代」の橋下市長の主張
(直接権限はないので指示ではありません)についてです。

私も少し行き過ぎではないかという印象を持ちましたが、
その後の情報で、そのくらいのことは必要だ、
と思うに至りました。

その理由は以下のとおりです。
 現在の公立校の校長は配下の教員に対する人事権を
 持っていない(これはとんでもないことです)。
 校長を含めた人事権は教育委員会が持っている。
 

 教育委員会では委員の一人である教育長が、 
 教育委員会の事務局長機能を持っている
 (実質は事務局長が仕切っている)
 

 しかし教育委員会の長は教育委員長(責任はこちら)である。
 教育委員長・教育長は教育委員会で選任する。
 
 教育委員の実質任免は首長。
 

全体的に責任権限があいまいだ、ということです。
その結果今回の事件に対しても誰も責任を取っていません。

1月27日のテレビで見たところ、
大阪市の教育委員長は自分には何の責任もない、
という発言でした。
教育委員会が見逃した結果自殺に追い込むことになったというのに。

これはあきれたことですが、
戦後の教育マネジメント体制はいかにいい加減かということです。
こんないい加減な無責任体制に
日本の将来を担う子弟の教育を任せておくわけにいきませんね。

これらの無責任方式にメスを入れるには、
橋下市長の発言くらいの荒療治的対応をしないとならない、
ということでしょう。

もし体育系の入試は完全中止ということになっていたら
受験生にはたいへんな影響でしょうが、
橋下市長はもしそうなったら受験生には申し訳ないけれども、
日本全体の教育行政のあり方を見直す方が重要だと
考えられたのでしょう。

受験生が気の毒だという考え方は伝統的な日本流ですが、
これを改めようという考えは大局観として賛同できますね。

真意(ねらい)は教育行政の見直しで、
体育科の入試中止自体が最終目的ではないでしょうから、
このことに関しては妥協しています。

目的はねらいとの関係では、
目的と手段ですから、入試中止をしなくてもよいのです。

いずれにしてもうやむやにしないで、
明確に主義主張を述べることは
日本人全体がもっともっと実行していくべきことと思います。

蛇足:
「君子豹変す」で思い出すことがあります。
注:この言葉はあまり好ましくないこととして使われるようですが、
本来は良い場合にも使われていたようです。

スーパーダイエーの故中内社長が、
プロ野球球団南海ホークスを買収することを発表した時のことです。
ある記者が食ってかかりました。
「数日前の記者会見で買収はないと言っておられたではないですか」と。
そしたら、中内社長が
「君子豹変す、だ。経営は状況変化に対応しなければならないのだ」
と開きなおりました。

なるほどそうかもしれませんが、
責任ある立場の方の発言というのは、
社会的な責任・重みがあるので(株を買うとか買わないとか)、
その点を配慮する必要がある、と昔の「ブログ」に書いたのです。

 


2013年1月21日月曜日

皇居1周ランニングはどうだったと思います?

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 皇居1周ランニングの雰囲気を知っていただく。
 周りに気を使うマナーが結構守られていることを
  知っていただく。
 今度行ってみようかなと思っていただく。
 
 
ねらい:
 
 一度皇居1周を経験する。
 他は??
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お正月気分の抜けきらない1月6日日曜日に、
皇居1周ランニングのリベンジに成功しました。

2012年11月の当ブログ
「皇居一周ジョギング初参加ならず!!」
でご紹介しましたように、
11月17日のイベントが嵐のために流れてしまった
「リベンジ」ということです。

前回同様、
JISTA(日本ITストラテジスト協会)の有志の企画です。

今度は快晴でした。
今回はお茶ノ水のスーパー銭湯「江戸遊」集合でした。
ここは皇居1周コースからはやや遠いのですが、
ビル群の中に銭湯があるのかという疑問をよそに
立派な施設でした。















そこで荷物を預けたり準備をして、
竹橋辺りへ出ました。

総勢8人ですが、
上下のトレーニングウェアの長いズボンをはいているのは
私1人でした。
















12時スタートです。
多くの人が走っていました。

早い人もゆっくりの人もいます。
ですが私が追い越せるほどゆっくりの人はいませんでした。

若い頃のランニング会では、
追い越す楽しみを味わっていて、
抜かれる口惜しさはほとんど味わったことがない私でした。

しかし今は、追い越されても口惜しく思うこともありません。
「しかたないよな」でした。

このブログを意識してカメラを持っていましたので、
他の人を写したりしながら走りました。

そのうち、おしゃべりしながら走る女性3人に抜かれました。
この人たちなら付いて行けるだろう、
1人は可愛いし、などと思い後ろ姿をカメラに収め、
しばらくやや必死で付いて走りました。



ですが残念なことにじきにコースから外れてしまいました。
一瞬オヤと思いましたが、
彼女たちはそこがスタート地点だったのでしょう。

仕方なく、目標もなく景色などを撮りながら走りました。

















ゴール近くなって魅力的な後ろ姿の女性に抜かれました。
早速写真を撮って付いて行こうとしましたが
残念ながら付いて行けませんでした。



とまあそんなところで、ゴールは38分36秒でした。
仮にこの調子でフルマラソンを走ると6時間くらいになります。
大体のペースが分かりました。

この後、スタート地点の近くの中華料理屋さんで
新年会をやりました。
とても盛り上がりました。

このイベントに参加したJISTAの仲間の何人かは、
「一緒に走ると楽しい、またやりたい」と言っていました。
私もそう思います。

私の新聞資料データベースにこういう記事がありました。

「行動科学」が示す継続の秘訣は?
運動には仲間が重要!

1人で継続できる人は変人でしょうね。
私の毎朝のジョギングは、
走るときは1人ですが、
目的地で多くの人(ほとんど女性)と簡単な会話をします。

それが、今日は止めておこうかなという
誘惑に対する歯止めになっているのです。

因みに、2010年10月に
千代田区観光協会と地元のランナー向け施設など14団体が
「皇居ランナーマナー10か条」を作って
ホームページ等に公開しました。

その内容は以下のとおりです。
走る人の言葉でできていることを含め、
たいへん良くできていると思います。

たまに反対方向に走っている人がいた他は、
現時点でのマナーは問題ないように思いました。

1.左側走行を心がけます。
2.狭いところは1列で。追い抜きは避けます。
3.できるだけ反時計回りで、逆送は控えます。
4.混雑時はタイムにこだわらず、常にゆとりあるペースを心がけます。
5.追い抜き・追い越しの際の「声かけ」を心がけます。
6.グループ走は広がらず、大集団にならないよう工夫します。
7.クールダウン、集団での立ち話、そぞろ歩きで歩道をふさぎません。
8.音楽プレーヤーのボリュームは控えます。
9.ゴミは必ず持ち帰ります。
10.いつでも思いやりの心を持って走ります。

周りに気を使うこのようなマナーは、
大事にしたいですね。



2013年1月19日土曜日

曰くつきのボーイング787のいい加減さ!!

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 ボーイング787の過去の悪行を暴く。
 納期を守ることにシビアそうな米国の会社でも
  案外いい加減だという事例を思いだしていただく。
 競争優位の価値目標条件「早い、うまい、安い」
  の事例を知っていただく。
 今回のトラブルの行く末に関心を持っていただく。

 
ねらい:
 今回のトラブルの結末から何かを学んでいただく。

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ボーイング787がトラブルを多発して、
日米の監督官庁から運航停止命令を受けてしまいました。

原因は、リチウムイオン電池方式のバッテリだということです。
この787は、現時点では全日空と日航が大半の購入利用者です。
このバッテリの製造者は日本のGSユアサ社だというので、
まさにひとごとではありません。

全日空・日航とも代替機の手当ては不能ということですから、
かなりの営業収入減になります。
この損失を保険で賄えずボーイング社が負担することになれば、
原因次第では,GSユアサの存亡にも関わりかねません。

原因調査は「長期化の恐れ」と報じられていました。
その後、追加報道がないので「調査中」ということなのでしょう。

ところで、この787は曰くつきなのです。

ボーイング社は2003年に次世代機種の発表をして、
欧州のエアバス社と受注競争を繰り広げました。

その勝者はボーイング社でした。
燃費の経済性もあったと思いますが、
短納期もウリでした。

日本の三菱重工、川崎重工、富士重工の3社が、
機体のかなりの部分を分担製造していますj。

日本で製造した機体のコンポーネントを運ぶ
専用飛行機を作って、
それでアメリカに持っていって組み立てるということをしました。

そこまで納期短縮をするのか、と感心しました。
そこで、システム企画研修㈱が実施する研修で
以下のように利用していました。

「早い、うまい、安い」が、お客様の望む競争優位条件です。
このご時世では早いが一番です」と述べ、
その事例としてこの787の例を話していたのです。

ところがです。
全日空への第1号機の引き渡しは2008年5月のはずが
なんと7回も納期変更して2011年9月になりました。

納期遅延による全日空の損失は
かなりのものだったのではないかと思われます。
ペナルティ要求はどうなったのでしょうか。
私の知る限りその報道はなされませんでした。

最初から「受注してしまえばこっちのもの」という考えで
ボーイング社が動いていたとは思いたくないですが、
エアバス社としてはさぞや腹立たしい思いをしたことでしょうね。

そう言えばシステム業界の開発のコンペでも
受注してから、条件変更をしているケースもよく聞きます。
「受注してしまえばこちらのもの」
という考えは止めてほしいものです。
それには発注者側の評価能力も必要です。

そうして今回の件です。
航空会社が
製造会社に大きなクレームをしている様子はありません。

何か怪しい関係の業界ですね。