2017年8月30日水曜日

「人類はなぜ肉食をやめられないのか」

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 人類が肉食を好む理由、肉食の由来、肉食のマイナス面を
 多面的・詳細に分析している著書をご紹介します。
 「そうだったのか」ということを少しご紹介します。

ねらい:
 是非、ご一読をお勧めします。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
これは
ポーランド系カナダ人でフランスとアメリカを活動の拠点としている
サイエンス・ジャーナリストのマルタ・ザラスカさんの書名です。



たいへん興味あるテーマで、素晴らしく示唆に富んだ内容です。
ぜひご一読をお勧めします。

章の構成は以下のようになっています。

第1章 肉食動物の進化の物語
第2章 肉が私たちを人間にした
第3章 肉食の栄養神話

第4章 惹きつけられる味の秘密
第5章 肉を美味しくする方法
第6章 もっともっと欲しくなるように

第7章 人は食べたものでできている
第8章 菜食主義が失敗したわけ
第9章 ベジタリアンになる人、なりにくい人

第10章 肉のタブーがある理由
第11章 急速に肉のとりこになるアジア
第12章 肉食と地球の未来

どれも興味深く答えを知りたくなるテーマです。
その要約は、「エピローグ」にありますので、
転載させていただきます。
それをご参照ください。

私が特に関心を持った第1章と第2章のエッセンスを
断片的にご紹介します。


1.ヒトの祖先は菜食主義だった。
 600万年前からのヒトの祖先サヘラントロプスは
 アフリカの森林の植物、種子、木の実を食べていた。

2.なぜ肉食に転じたのか。
 250年前に起こった気候の変化で、
 多雨林が草原に変わってしまった。
 植物が得られなくなり、やむを得ず動物を食べるようになった。

 初めは、他の肉食動物の食べ残しから始めたらしい。
 その内に自分の力で仕留めるようになっていった。
 人類はこの時アフリカから獲物を求めて北に出た。

3.ネアンデルタール人はなぜ滅んだのか。
 当ブログ2014年7月の「人類進化700万年の歴史」でも
 このテーマを取りあげましたが確たることは分かりませんでした。
 
 ところが、本書ではこう言っています。 
 ネアンデルタール人は早くから肉食化して
 (骨の窒素同位体値を調べるとたんぱく質の由来が分かる)
 アフリカからヨーロッパへと進出した。

 しかしその後の気候変動と乱獲によって
 大型草食動物の多数の種が絶滅に追いやられ、
 他の動物もたくさん死んでいった。
 ネアンデルタール人の食糧がなくなった。

 肉食依存性が環境変化に適応できなかったというのです。
 納得できる仮説です。

4.肉を食べることで必要な栄養エネルギーを
 効率的に摂取できるようになり脳が発達し人間になった。
 これはよく言われていることです。

5.肉に対する適応性を区別する遺伝子がある。
 ApoEという遺伝子で,E2,E3,E4の3型がある。
 E4は生の腐敗肉を食べてもウイルス等にやられない耐性を持った。
 ところが、この遺伝子保有者は加齢の速度が速まるリスクがある。
 
 その後生まれたE3はその点が改善されている。
 アメリカ人は13%がE4で、日本・中国・インドでは少ない。

6.農耕の成果で得られる食品を食べることを否定し
 旧石器時代の肉食生活をしようという「パレオダイエット」はおかしい。、
 
 その時代の肉は現在の脂肪の多い肉とは違うし、
 当時は木の実や趣旨なども食べる雑食だった。


ここから全体のまとめになっているエピローグをご紹介しますが、
ここで言われているステージは次のように定義されているものです。

ステージ1 狩猟と採集
ステージ2 飢饉の時代   狩猟採集の限界で農業を始める。
ステージ3 飢饉の減退  農業の改善で飢饉が緩和される。
ステージ4 産業革命後の変性疾患の時代
        変性疾患=体に悪い食事をとって疾患に犯されている。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
エピローグ 栄養転換ステージ5へ
 
私たちはなぜ肉を食べるのか。


進化や歴史、文化に根ざした複雑な理由がたくさんあっても、
一日の終わりにこの問いを向けられて頭に浮かぶ最も根本的な答えは、
肉を食べることができるから、というものだ。
私たちは雑食動物であり、肉は食べ物であるから。


しかも、タンパク質への飢えを満たしてくれるアミノ酸や、
エネルギーを供給してくれる脂肪が一杯に詰まっている。

永いあいだ、肉が私たちを養ってきた。脳を大きくして、
アフリカから出ることを可能にした。
ある意味、肉が私たちを人間にしたのだ。


しかし肉はもはや、
かつてのように私たちにとって良いものではない。
植物中心の食品が豊富にある現在、先進国に住む人たちは、
実際には栄養のために動物の肉を必要としていない。


さらに、おびただしい数の研究によって、
肉の消費が、がんや糖尿病、心臓疾患につながる恐れのあることが
示されている。


また、できるなら誰もが食べたいと願う欧米風の肉中心の食事を
全人口に供給するには、地球が足りない。


肉の消費を大幅に減らさなければ、地球温暖化や水不足、
環境汚染に直面する可能性が著しく高くなる。


栄養転換の次の段階である最終ステージに移行すべき時がきた。

それは、行動の変革だ。
肉から、野菜や穀類、果物、空豆やレンズ豆など豆類中心の
食事に切り替えるべき時なのだ。


暗い気持ちになるかもしれないが、
私たちは過去にもこれに似たことをやってきた。


そうした事例が何回か前に起こったとき、
私たちの祖先は、地球の気候の変化に合わせて
食事の習慣を適応させた。


6500万年前、プルガトリウスが、
新しく豊富に育つようになった果物を利用した。


後に、気候が寒冷化して植物を見つけにくくなったとき、
初期のホモ属が肉を食べ始めた。


インドで牛を食べることが非経済的になったとき、
インド人は牛肉をタデーとした。


中世の日本で動物性タンパク質を育てるための十分な土地が
なかった時代、支配者は多くの種類の肉を禁上した。


肉食を禁止する必要はないかもしれないが、
気候や経済がふたたび変化すれば、
私たちの食習慣も変わぎらるをえない。


もちろん、それは簡単ではないだろう。

肉は、味蕾に喜びを与えるだけでなく、
私たちの文化を構成する象徴性を背負った要素なのだから。


肉は、富や男性らしさ、貧者や自然に対する力を表す。

発展途上国の多くの人々にとって、肉は現代化や進歩を、
伝統的で階級的な社会からの決別を象徴する。


栄養転換の最終段階となるステージ5に入るには、
私たちはまず、肉のもつ多くの意味に気づくべきだ。
そうして初めて、枷をひとつずつ外していくことができる。


肉の味は、
肉のもつうまみや脂肪、メイラード反応によって発生した香気を
効果的に取り混ぜた製品によって代替することができる。


タンパク質への飢えは、レンズ豆や空豆、さらには
ピーナッツバターサンドイツチでも満たすことができる。


政策を転換し、助成金の対象を変え、肉税を導入することができる。

猿ぐつわ法と食品誹謗法を変えることができる。


タンパク質神話の普及をとめて、肉の代替品が広く手に入るようにして、
それを食習慣に取り入れることもできる。


自分自身の食事の台本
(夏の夕方と、バーベキューとビーフハンバーグが結びついている)
を意識することで、それを変えることを選択できる。


心理学的なからくりを利用し、すでに好んでいる食べ物と
組み合わせたり(野菜中心の夕食の後にアイスクリームを食べる)、
楽しい社交の場で食べたりして、
ベジタリアンの食事から肯定的な連想が浮かぶようにすることができる。


植物中心の食事は、健康的なだけでなく、
便利で経済的であると強調すべきだ。


なぜなら、そうしたことが、
人々が食品を買うときの選択を左右するのだから。


たくましく男らしい男性が植物中心の食事を食べている姿を見せて、
「ベジ」によって強く美しくなれると印象づけ、
ベジタリアンの食事のイメージを変えるように努力すべきだ。


結局、そうした手法で長年のあいだ肉が売られてきたのだから。


誤解しないでほしい。
私は何も、全員が明日ベジタリアンになるべきだと
言っているのではない。


将来的に人類は、
ほぼ植物中心の食事をするようになると固く信じてはいるが、
食事に純度の高さを要求することは
正しい方策ではなく、過去に何度かあったように、
実際のところ裏目に出る恐れもあるとも考えている。


その代わりに、肉の消費削減が報われるべきだ。


リデュースタリアニズム、フレキシタリアニズム、
ステージ5主義などどのように呼ばれようとも、
減らす量が五パーセントであっても九九パーセントであっても。

厳格なベジタリアンやビーガンは、
ときおり密かに肉を食べるベジタリアンを批判するのをやめるべきだ。


結局、平均的な欧米人と比べたら、
そうした人たちは
実際に食生活を大きく変えることができているのだから。


ベジタリアンと肉を食べる人とのあいだに壁を設けることは、
過去には良い結果をもたらさなかったし、
今なら効果があるはずだと言える理由はない。


同様に、食肉産業を悪の化身と見なして戦うだけでなく、
協力をすることにもときには意味がある。


テンプル・グランディングがしているように、あるいは商品を
従来の肉屋に卸しているベジタリアン・ブッチャーがしているように。


あなたの目的が、健康を改善したり、動物の苦痛を軽減したり、
気候変動を克服する可能性を高めることなら、
実際のところ、
ときおり少量の肉を食べながらも植物性の食品をたくさん摂るほうが、
本格的なラクト・オボ・ベジタリアン(乳卵菜食主義者)になって、
チーズや牛乳、卵をたくさん食べるよりもはるかによいだろう。


これは単に、数の問題だ。


もしもあなたが倫理的なベジタリアンなら、こう考えてみてほしい。
一人の人が肉を一切断つのと、数百万人が月に一度、
肉中心の食事を一回だけやめるのと、
どちらのほうがより多くの生命を救うのか。


もちろん同じことが、
気候変動対策の目標を達成する場合にも言える。
確かに、何百万もの人々がベジタリアンになるほうがよいだろうが、
そんなことは一夜にして実現しない。


肉の枷は、
そんなことを可能にするには強すぎるのだ。


重要なのは、
決まり切った習慣や文化や宣伝に盲目的に従う代わりに、
私たちの食事の選択を動かしている要因に気づくことだ。


栄養転換のステージ5へと進んで行くつもりなら、
私は、それこそが第一のステップだと信じている。


「よい休息」って何?

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 よい仕事にはよい休息が必要であることを実証している
 図書をご紹介します。
 私の休息の実践についてご紹介します。

ねらい:
 「やはりそうか!」と積極的に休息なさってください。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「よい休息」は、20年にわたって
テクノロジーの動向を研究するコンサルタントして
活動してきた
スタンフォード大学客員研究員のアレックス・スジョン
という人が書いた本の書名です。



ちょうど私もそのテーマに関心があるので買ってみました。

テーマは悪くないのですが、
残念ながら私の苦手な人文科学風記述(事実の羅列)でした。
後で、この本のほんの一部を読んでいただきます。

生産性を上げる、
あるいは良い成果・素晴らしい成果を上げるためには
休息が大事だということを、
以下の領域にわたって記述されています。

散歩、昼寝、中断、良い睡眠、息抜き、運動、
ディーププレイ(夢中になれること)、長期休暇

どれも、当然のことなのですが、
それを科学的根拠や「偉人」の事例で紹介しているのです。
その豊富さには研究者として敬意を表しますが、
私としては上で書きましたように苦手のスタイルです。

息抜き(本書ではリカバリ・回復というタイトルです)の一部を
ご紹介します。
働きすぎ・ワーカホリックに対する警鐘です。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

このような息抜き、すなわち社会学者が「分離」と呼ぶ、
仕事を忘れて他のことに没頭することが、
心身の回復にきわめて重要であることが明らかになっている。

保育士、看護師、警官など、
予測がつきにくいストレスの多い仕事に従事し、
集中力と感情のコントロールを必要とする人々にとって、
休息は欠かせない。


また、仕事に情熱を燃やす完璧主義者にとっても休息は不可欠だ。
仕事に全力を尽くしたいと思う人ほど、職場から距離を置き、
心身のエネルギーを回復する時聞を持つことが欠かせない。


燃え尽きは、精神の消耗、能力の低下、意思決定の迷い、
共感の欠如、ミスの増加につながる。
組織にとっては、生産性の低下や、職場でのストレスの増加をもたらし、
離職率が高くなる。


しかも、才能に恵まれた貴重な社員ほど、燃え尽きやすい。


-------------------------------------------------------中略


休暇をとらない、あるいは有給休暇を消化しない会社員は、
会社にも負担をかけている。


2015年にオックスフォード.エコノミクスが行った調査によると、
社員が休暇を利用しないことは、会社のバランスシートを
224億ドルも悪化させているという。


さらに気がかりなのは、
そのような社員は燃え尽きるリスクが高いということだ。

彼らは精神的に消耗し、自分は仕事の要求に応えられていない、
と感じている。


燃え尽き症候群になると、仕事から気持ちが離れ、
同僚や顧客に共感できなくなり、自分の仕事は自分にとっても
世界にとってもほとんど価値がないように思えてくる。


夫婦や家族間の問題も引き起こし、鬱や不健康を招き、
とりわけ積極的なキャリア志向の人は自殺する確率が高くなる。


冷静さと優れた判断力が求められるストレスの多い専門職において、
燃え尽きがどのような形で表出するかについては、
広く研究されてきた。


燃え尽き症候群になった警察官は、怒りやすく、
難しい状況に攻撃的に対応しやすく、ミスを犯しやすい。

これは治安維持にとっても、警察にとってもまずいことだ。


ある研究によると、警察官は殉職するより、
仕事上のストレスが原因で死ぬことのほうが多いそうだ。


医師についてはどうだろう。

メイヨー・クリニックの医師テート・シャナフェルトは、
アメリカの医師の燃え尽きの程度と影響について調査してきたが、
2008年と2010年の調査では、
外科医の40%が燃え尽きていると感じ、
30%が憂鬱な気分だと報告した。


そして、燃え尽きを自覚する医師では、
調査前の3カ月間に「重大な医療ミス」を起こした人が多かった。


聖職者も例外ではない。

デューク大学神学校の聖職者健康イニシアチブが
2014年に行った調査では、
常勤のメゾディスト派牧師の25%が、
 精神的な消耗、現実感の喪失、達成感の減少
(この三つは、燃え尽き症候群の主な兆候である)を感じており、
それらは健康状態の低下、肥満、高血圧症、うつ、不安に結びついた
(実のところワーカホリックという言葉は、
聖職者を対象とするある研究において作られた)。


以上のすべてが示唆するのは、
休暇をとらず過剰に働き続けることは、
短期的には利益をもたらすかもしれないが、
長期的に見れば、ミスの増加、生産性の低下、離職者の増加、
早期退職などにつながり、むしろ損失が多くなるということだ。


消耗した社員は、ベストを尽くせず、自主性を失い、
自他に批判的になり、組織の破壊をもくろむことさえある。


また、献身的で経験豊かで技術力のある社員、
つまり雇用主が最も失いたくない社員ほど、
燃え尽き症候群になりやすいようだ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
というような感じです。


私の「休息」の状況をお話しします。

作業的な仕事をしているときは眠くなりません。
考え事をしていて行き詰っているときはすぐ眠くなります。


会社でも午前中からその睡魔はやってきます。
その時には横にあるソファで30分から1時間眠ります。
大体は昼休みです。
私は昼食抜きの習慣ですからその間に寝るのです。


休みの日に家でパソコンに向かっているときには
1日に3回も「昼寝」をします。

1時間以内が多いのですが、
2時間になってしまう時もあります


納期が迫っている仕事をしているときは長くは眠れません。

眠くなってパソコンに向かっていると、
ssssssssssとかfffffffffffとかを打ってしまっています。
何ページにわたってしまう時もあります。


それなら、その文字を削除すればよいのですが、
誤って大事な部分を消してしまったりしているときもあります。


そういうことがありますので、
眠くなったら「無駄な抵抗はやめて」すぐに寝ることにしました。


いずれの場合も目が覚めると、
行き詰っていたことの答えが出てきて
すらすら仕事がはかどります。


どこかの会社では、
昼寝だか仮眠だかを推奨しているところがあったようです。


作業的現場ではそういうことはありえないでしょう。
これは差別ではなく、仕事の特性に依存するものです。


この夏、
私は夏休みは取らずにせっせと「開発」に取り組みました。
「昼夜兼行」と称していますが、昼夜睡眠です。


おかげで、
かなり素晴らしい次世代型エンハンス業務実施方式の
バージョンアップができました。


もしこれが大ヒットとなれば、
「昼寝のおかげ」ということになります。


前述の休息テーマでは、長期休暇を除いて実践しています。
現在の私の「息抜き」は孫娘、
「夢中になれること」は、開発的仕事です。


蛇足ですが、
睡眠がアイデア出しに有効なことは、
三上(さんじょう)という言葉で言われています。


この言葉は誰の発明なのでしょうか?

三上とは、以下の三つの場合です。
枕上(ちんじょう)--布団で横になっているとき
鞍上(あんじょう)--馬に乗っているとき
  (今でいえば散歩をしているときということでしょう)
厠上(しじょう)--トイレにいるとき


昔のトイレは楽な状態ではないですね。
それでもアイデアが出たのでしょうか。
今の洋式トイレなら分かります。
私も、その時ずいぶん思いつくことがあります。


枕上は、眠る前ということはないでしょう。
眠いのですからアイデアは出てくるわけがありません。
アイデアが出るのは目覚めた後です。
私の現状ぴったりです。


私は鞍上の実績はあまりありません。
毎朝のジョギングの時は、
周りの景色や人を見ていて頭はそちらに使われています。
通勤の時は新聞か本を読んでいます。


ということで結論です。
職場でも眠くなったときは、
気兼ねなく居眠りしてよいとなればいいですね。


ただし、
仕事の成果が把握・測定できるという前提が必要です。
脱時間給、成果給の発想です。

仕事の成果の把握は生産性向上の必須命題です。

2017年8月29日火曜日

システムテスト自動化の方向性

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 ソフトウェアテストの革新方法についてご検討いただきます。
 私どもが開発中の手法のアイデアをご紹介します。

ねらい:
 開発に参画していただける仲間を募集中です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

現在私たちは、
生産性を2倍にするエンハンス業務の革新手法を開発中です。

その中核を担うのはシステムテストです。

極端な場合、エンハンス業務の2分の1はテストに費やされています。
変更修正結果で、万一のことがあってはいけないからです。

やや門外漢の私は、
マーク・ヒュースターとドロシー・グラハムという英欧の実務家が
発刊した460ページに及ぶ大著「システムテスト自動化 標準ガイド」
も調べてみました。



関心事にピッタリの書名でしたが、
結果は期待外れでした。

私の関心事は、以下の2点です。
1.テストデータをどのように準備すればよいか。
2.リグレッションテスト(回帰性テスト)はどうすればよいか。
 リグレッションテストとは、
 変更していない箇所が元通りであることの確認です。

1番めの点の問題意識は、
テストデータの作成は以下の面から省力化の敵だということです。

1)どのようなテストデータを作成すればよいかについて頭を悩ます
 (時間も使う)
2)多くのデータを作れば検証にも時間を要する。
3)少ないデータでテストをすれば、検証漏れが発生し手戻りとなる。
4)下手をすれば本番で障害を発生させる。

現状は、テスト当事者も管理者も障害発生を怖れ
「過大」なテストデータでテストしているのです。

したがってテストデータ作成の課題は、
いかにして必要十分なテストデータを作成するか、です。

2番目の点は、より厄介です。
変更仕様が期待どおりに実現できているかのポジティブなテストは、
手間の優劣はあっても、それなりにできるでしょう。

しかし、あってはならない「予想外」の間違った手入れによるミスを
見つけるのはたいへんです。
あらゆるミスの可能性を考えるとテストデータは莫大になってしまいます。

おそらくテスト省力化テーマの検討対象としては、
ポジティブ面の機能テスト(正当性テスト)よりも
ネガティブ面のミスを防止するリグレッションテストの方が重要でしょう。

ところがなんと、この2点について具体的にどうしたらよいかについて、
この大著には記載がありません。

本書の中にこういう記述がありました。
 良いテストケースを設計するためのテスティング技法も
 重要なトピックではあるが、本書の対象外だ
 (私たちの次のプロジェクトである)。

 なお、(本書の)以降で「ソフトウェアテスティングの自動化」といった場合、
 それはテスト実行と比較の自動化のことであり、
 テスト設計やテスト入力作成の自動化ではないので注意してほしい。

私の知りたい第1点は対象外ということです。

なぜかと言うと、私の推定ですが、
どういうテストデータを作成すべきかは適用業務の内容の問題であって
たいへん失礼ながら、ソフトウェア専門家の埒外の問題なのです。

また、こういう図が載っていました。


これはテストの全貌を知る上でたいへん有効なのですが、
私の知りたい第2点はこの表の中の
「テストの前提条件のセットアップ」に含まれていて
回帰テストという言葉は出てきますが、それをどうしたらよい、
ということについては直接的な回答はしていません。

つまり、ポジティブな機能テストとネガティブな回帰テストは
渾然一体となって把握されているようなのです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
そこでその後、私たちはこの二つの課題について
以下のような方向で解決しようとしています。





この図の「正当性テスト」の部分を多少説明したのが次の表です。




この新手法の特長は以下のとおりです。


1.テスト検証条件の自動化を実現する。




  開発中手法ですので詳しい説明は省略させていただきます。



2.テストデータ作成の半自動化を実現する。

  どのようなテストデータが必要であるかは、
  人智に頼らざるを得ませんが、それを助ける情報を提供します。

  必要な条件が決まればテストデータ自体は自動生成します。

  自動化ツールが本格的には対象としていないテストデータ作成は、
  このような半自動化方式によって省力化が可能となります。

 











  
  


3.リグレッションテストの実施方法はこうする。
 
  これから具体化しますが、
  正しく処理が行われていることの確認をする正当性テストが
  終了してから分離実施することで、新しい道が開けると考えています。


こういうように、
システムテストの自動化テーマも新規開発を中心に考えるのではなく、
エンハンス業務の場合という特定条件の中で検討すると、
革新的な解が得られるのです。


2017年8月28日月曜日

夏休みの宿題!

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 息抜きをしてください。
 (それにしては読みにくくてゴメンナサイ。
 雰囲気だけ分かってくだされば幸甚です)


ねらい:
 まだお若い方もお孫さんができるとこうなるのですよ。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


私もこの夏、仕事の宿題を頑張りましたが
(別項「『システムテスト自動化 標準ガイド』ですって!」
をご参照ください)
本稿は小学1年の孫娘の宿題のご紹介です。



以下に掲載させていただくものがその宿題の全貌です。
テーマは「昆虫」です。


とっくに成人した我が子二人は
極端にゴキブリを怖がりますので(これは母親の影響です)、
小さい時からの習慣が大事だと思い、
孫娘には小さい時から虫類に慣れさせました。


虫ではないのですが、蛙だとこうです。
我が家の前の公園にはアマガエルが住んでいます。


ときどき見かけますので捕まえて
「ほら、オトモダチだよ」と言って撫でさせました。
孫は今でも蛙はお友達だと思っています。


セミだと同じ孫でも2歳上の男の子はセミを触るのをビビりますが、
この子は平気です。



そういうことで、自由研究のテーマが選ばれました。
我が家の前の公園周辺や少し遠征していくつかの公園で
エモノを探しました。


同行者はいとこの男の子や近所のほぼ同年の子供たちです。
子供たちが一緒になって、
夢中で網を持って虫を追いかけるのは非常に楽しい光景です。

ちなみに虫網は近所の100円ショップで売っていました。
スゴイですね、100円ショップの品ぞろえは。
こんなものは50本売っても5千円ですからね。
お客様サービスと考えなければできないことです。
感謝します。


ほとんどのエモノは写真を撮った後に逃がしました。
虫籠から勝手に逃げていったトンボもいます。
トンボははしこいです。
セミは積極的には逃げません。

というような経緯です。


ですから、この宿題の監督は私です。

以下の作品のレイアウトやコメントは、ほとんど自分で考えています。


写真のできが悪いのは勘弁してください。

    表紙と裏表紙です。これは完全自作です。



蝉が撮っているの分かりますか?






トンボのページです。