2022年3月27日日曜日

「言語が違えば、世界も違って見えるわけ」

[このテーマの目的・ねらい]
目的:
 言語と思考方法の関連について研究いただきます。
 使われている言語から、
 その言語の使用民族が世界をどう見ているかが分かる
 という主張を理解いただきます。
ねらい:
 日本人の言語はルーツが縄文語ですから、
 日本人の思考法は縄文人の世界観を共有していることを
 確認しましょう。
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本テーマは、
イスラエル出身の言語学者ガイ・ドイッチャー氏の著作のご紹介です。
日経新聞の読書頁に以下のような紹介が載っていました。
左右にあたる言葉は持たないで「右へ回す」でなく
「東へ回す」などというオーストラリア先住民がいるという。
彼らの方位感覚は鋭敏で、どこにいても瞬時に方角を把握できる。
言語学者である著者は、
母語が強いる発話習慣が方位感覚を育んだと推測。
このような例から、言語の思考への影響力を解説する。

これについては、本書で以下の解説があります。
著者は言語学者ですから人文科学者です。
ですから事象の説明は体系的ではありません。
簡単に引用できる部分などないのです。
ですから私は「要旨はこうです」というしかありません。

オーストラリア原住民の一部が使う「グーグ・イミディル語」では
前後左右を言うときに東西南北で示す。
「男は女の左にいる」と言わずに「男は女の西にいる」と言う。
それを絶対方位感覚という。
絶対方位感覚は、
目隠しをされて自分がどこにいるか分からなくても有効である。
何に頼ってそれが可能かは不明である。
なぜ絶対方位感覚が生まれたのかも不明である。
絶対方位感覚は他の言語民族にも存在する。
しかし、似たところにいる原住民でも
絶対方位感覚でない民族もいる。

前掲の著書紹介では、
母語がそのような方位感覚を生んだと書かれています。
現時点のそのような言語を使用している人は、
母語がそうなっているのでそれに従って
そのような方位感覚を身につけているのでしょう。

しかし、そもそもそのような言語が生まれたのは、
絶対方位感覚をその民族が必要として持っていたので、
言語もそれに従ったということでしょう。
つまり、今は、言語⇒絶対方位感覚 の関係ですが、
そもそもは、 絶対方位感覚⇒言語 の関係だったと思われます。
言語は思考(脳の中の情報)を伝えるためのものですから、
当然そうなるはずです。
これは上野意見ですが、
著者がどう考えているのかはよく分かりません。

本書は9章構成ですが、その章の名前では何を言いたいのか分かりませんので
ここには掲載いたしません。
(例:第5章 プラトンとマケドニアの豚飼い)

言語と思考特性の違いの代表例として以下が挙げられています。
 ドイツ語人:言語体系同様に理路整然とした考え方をする。
 フランス語人:明快さと正確さを持つ。
        エスプリに相当する英語はない。
 英語人:秩序正しく力強くてきぱきとして真面目である。
     マインドに相当するフランス語はない。

本書で取り上げている、中心テーマの一つは
人間や民族が色をどう捉えているかです。
こういう内容があります。
1)ホメロスの叙事詩等から判断すると
古代人は色に対する感覚が劣っていた、
それが進化して現在のような色感覚になった、という仮説があったが、
数千年でそのような進化があるとは考えられないということで
この仮説は否定された。
色は識別していたが、
それを区別して表現する言語を持たなかったのだ、
ということになった。

2)以下のような色見本に対してどの民族も同じように識別できる。
⇒色に対する感受性はどの民族も同じである。








3)グルーピングした色表現については、民族によって異なる。
その例として以下の記述があります。

【日本のアオ信号】
日本語に元来あった「アオ」という色名は、
緑と青の双方を含んでいた。
しかし、近代日本語では「アオ」は概して青の色調に限られ、
緑は「ミドリ」という単語で表されるようになった
(といっても緑が「新鮮さ」や「未熟さ」を表す場合は、
いまだに「アオ」が使われる。
たとえば、green applesは「アオリンゴ」という)。
(上野注:青二才もそうでうね)
1930年代にはじめて交通信号が米国から輸入され、
設置された時の青信号は、どこの国にもある緑色だったが、
日常会話のなかでは「アオシンゴウ」という呼び名が使われた。
日本語の3原色が、赤、黄色、青だったからかもしれない。
アオという単語と緑色の連想関係がまだ生き残っていたから、
当初、緑色灯を「アオ」と呼んでも
とくにおかしいとは思われなかった。

しかし時の経過につれて、
アオの主要な意味と緑色の食いちがいがしだいに目障りになり始めた。
気弱な国ならここで、「進め」信号の公式名をミドリに変えるという
無難な道を選んだかもしれないが、日本はそうはしなかった。
日本政府は1973年に、現実に合わせて名前を変えるのではなく、
名前に合わせて現実を変えるべきだと決定した。
以来、「進め」信号は
アオの主要な意味によく合う色になるはずだった。
しかし残念ながら信号灯を本来のアオに変えるのは不可能だった。
世界中どこでも道路標識をある程度共通にするための国際基準があり、
日本もこれを採用しているからである。
そこで公式には緑の範囲内でありながら、
できるかぎり青に近い色合いをアオ信号灯に選んだのである。
以下の図を参照ください。




なるほど、そうだったのですね。

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