2022年3月15日火曜日

「不思議の国ニッポン」何が不思議なのでしょう?

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 外国人記者たちが日本の不思議な面を指摘している内容を
 確認いただきます。
ねらい:
 本書をご覧になって
 自分たちを客観的な目で見る材料にしましょう。
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日経新聞の読書欄に以下の紹介が載っていました。
私は今、日本人の思考・行動特性の研究中なので、
どんなことが取りあげられているのだろうと読んでみました。

『不思議の国ニッポン クーリエ・ジャポン編
なぜサラリーマンは会社にすべてをささげるか。
なぜファックスはなくならないのか。
海外メディアが報じた日本特有の様々な「なぜ」をまとめた一冊。
英フィナンシャル・タイムズは義理チョコについて、
会社員を縛るしがらみの一つと指摘する。背後には、
暗黙のルールや横並びの関係から外れるという恐怖という集団心理があるという。
外部の視点から日本に独特な奇妙な習慣を相対化する契機となる。
(講談社現代新書990円))

以下のような章立てで25テーマが取りあげられています。

第1章   日本 株式会社の不思議  
第2章   日本社会はどこへ行く  
第3章   ニッポンの今を歩く  
第4章   若者事情 
第5章   日本の深奥
取りあげられているテーマを以下のように分類してみました。

日本人の思考・行動特性(上野作成)

『不思議の国ニッポン』のテーマ

現状重視・保守的

会社にすべてをささげるサラリーマンはどこへ行く

働きすぎなのに なぜ東京の生産性は 低いのか

男女賃金格差が縮まらない理由ワーキングマザーの試練

なぜ 日本の政界は 世襲政治家が多いのか

〝 ファックス〟 をやめられない理由

日本で年功序列が続く理由

外国人労働者が日本社会を生きる困難

なぜ 日本の若者は「内向き」になっ てしまったのか  

科学技術分野の女性比率が低い理由  

なぜ いつまでも女性スポーツ選手に「女らしさ」を求めるのか

日本の若者の投票率は なぜ低いままなのか?  

勤勉・誠実 

「居眠り」は 勤勉の証!? 

日本人の自殺率はなぜ高い?

他人意見・和重視 

なぜ 日本人は銀メダルでも謝罪するのか

日本の会社員を縛る義理チョコはなぜなくならない か

日本では なぜポピュリズムが台頭しないのか

名門進学校「開成学園」運動会 「棒倒し」を続ける理由

 

その他

孤独死ニッポンで急成長した「遺品整理ビジネス」とは

「人間より人形(かかし)が多い」限界集落 日本の過疎化

「日本の老舗」の生存戦術創業1000年京都の餅屋 に学ぶ

ヤクザ稼業から足を洗った男たち極道「大量離脱」の 理由

「ひきこもり」当事者たちのいま  

東京に見切りをつける若者たちパンデミックと地方移住

平成日本と天皇 「アキヒトイズム」とは何か

女性皇族の苦悩 米誌が見た「不平等」の中身


【「日本人の思考・行動特性」欄の説明】
「現状重視・保守的」は、急激な変化を好まない傾向を指します。
「勤勉・誠実」は生真面目な性格で、
象徴的なのは「列車・電車の時間が正確なこと」
「落とし物が出てくること」などです。
これは、当書では取りあげられていませんが。
「他人意見・和重視」は、自己主張を強くしないで、
和を優先させる考え方です。
いずれも日本的な思考・行動特性として識者が指摘していることです。
しかしこれらの伝統的な日本の思考・行動特性も
だんだん崩れてきていますね。

それはともかくとして、25テーマの中から
なぜ 日本人は銀メダルでも謝罪するのか』をご紹介します。
この記事の難点は、問題提起は外紙なのですが、
そのあとのどの部分が外紙の意見で、
どの部分が日本の編集者の解説かが判然としないことです。
ご覧になってください。
以下の太字部分は外紙の意見として分かっているものです。
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日本で東京五輪の取材をしていた米誌「ニューヨーク・タイムズ」が
ある疑問を投げかけている。
「金メダルを獲得できなかった日本人選手が謝罪をしている。
銀メダルを獲得した選手ですら謝っているのはなぜか」
というものだ。

「誠に申し訳ない」文田健一郎(25)は涙に声をつまらせた。
「こんな状況で大会を運営してくれたボランティア、関係者の方に
勝って恩返しをしたかった」
レスリング男子グレコローマンスタイルの選手、
文田はオリンピックの決勝戦を終えた後、涙ながらに語った。
「不甲斐ない結果に終わってしまって本当に申し訳ないです」
頭を激しく上下させながら彼は言った。
文田は銀メダルを獲ったばかりだった。

東京オリンピックでおなじみになり、そしてしばしば胸を痛ませたのが、
多くの日本人が競技後のインタビューで涙を流し、
金メダルを獲れなかったことを謝罪するという光景だ。
文田のようにメダルを獲った選手でも自分のチームとサポーター、
そして国を失望させたことを悔やんだ。

柔道の混合団体で日本がフランスに敗れ、
銀メダルを獲得した後にも、向翔一郎(25)が謝罪した。
「もう少し我慢しなきゃいけなかったのかな。みんなに申し訳ない気持ちです」
そう向は言った。

世界で2番になったのに謝罪するというのは、
成功の基準が驚くほど厳しいことを示している。
だが自国で戦っている選手たちは、後悔の気持ちを表すことで
無念、感謝、責任、謙遜が複雑に混ざり合った感情を表現することができるのだ。

「銀メダルしか獲れなかったことを謝罪しなければ批判されるでしょう」
スポーツを専門とする弁護士で日本の選手組合を代表する山崎卓也は言う。
日本のアスリートは若い頃から
「自分のために競技をしていると考えてはならないと教えられる」と山崎は言う。
「特に子供時代には大人や先生、親、その他年長の人間の期待があります。
ですから、これは根深い考え方なのです」

アスリートにかけられる期待は
コロナウィルスのパンデミックによって大きくなった。
パンデミックの性でオリンピックは
大会が始まる前から日本人にとって非常に不人気となっていた。
日本で感染者数が増えていることに対する不安が大きくなる中で
大会を開催したことを正当化するためにも、
メダルを獲得しなければならないというプレッシャーを
より強く感じている選手も多かっただろう。
メダルを獲得できなかったアスリートは後悔をあらわにした。
テニス女子シングルスの3回戦で敗退した後に発表したコメントのなかで、
大坂なおみ(23)は日本代表として戦えたことを誇りに思うと述べる一方で、
「皆様の期待に応えることができずにごめんなさい」と付け加えている。

【日本の独特の謝罪文化】
ある意味でこうしたアスリートたちは、
日本文化ではありふれた社交辞令としての謝罪を大げさに述べてきたと言える。
人の家に入るときに訪問客は「すみません」と言う。
従業員は休暇に入るときに負担をかける同僚に謝罪する。
他方で車掌は電車が1分遅れた、あるいは数秒早く着いたことで深謝する。
一般的に、こうした謝罪は責任の表明というよりは慣習の問題なのだ。

謝罪の言葉が虚しく響くこともある。
スキャンダルや汚職に対して謝罪するために組織のトップや政治家が
ニュースのカメラに向かって深々と頭を下げることも頻繁にある。
たいてい結果は伴わない。

東京オリンピック組織委員会の前会長森喜朗は性差別的な発言をした後、
辞任を避けるために当初そうした謝罪をしようとした。
だが大々的なソーシャルメディアのキャンペーンによって
彼は辞任を余儀なくされた。

日本文化の研究者は、勝ったときでもアスリートが謝罪するのは
子供の頃から培われた本能からくるものだと言う。
「アメリカ人は失敗したときでもいいところを探すのがうまい」
とミシガン大学の社会心理学者、北山忍は言う。
一方、日本では「成功しても謝罪しなければならない」と彼は語る。

謝罪はまた暗黙の感謝の表現として認識されている可能性が高いと、
人類学者で「日本社会を理解する」(未邦訳)の著者ジョイ・ヘンドリーは言う。
自分を指導してくれた人たちや経済的に支援してくれた人たちのために
「最善をつくせなかったことに対して
日本人は謝罪をしなければならないと感じるのではないでしょうか」
とヘンドリーは言う。
中略
【謝る必要などない】
もちろん、金メダルを獲れずに深い失望を表すのは日本のオリンピアンだけではない。
中国の廖秋雲(26)は女子ウエイトリフティングで銀メダル獲った後、
人目憚らず泣いた。
アメリカの女子サッカーチームが準決勝でカナダに敗れた後、
メンバーのの一人カーリー・ロイド(39)は
フィールドにしゃがみ込み両手で顔を覆った。
しかし、試合後のインタビューで彼女は謝罪をしなかった。
「ただただ残念です」とロイドは言った。
「私たちは本当にたくさんのことを諦めていますし、勝ちたい思うのは当然です」

シモーネ・バイルズ(24)は体操の女子団体と個人総合を棄権したとき、
自分自身のメンタルヘルスを守りたかったと説明した。

謝罪をしたいという衝動は、
一つには日本の一部のスポーツに見られる厳しい指導スタイルからくるものだと、
立教大学でスポーツマネジメントならびにスポーツウェルネスを専門とする
カトリン・ユミコ・ライトナー准教授は言う。
彼女が柔道の練習を氏に初めて来日した時、
コーチの攻撃的な言葉遣いに衝撃を受けたという。
「そんなやり方でしかオリンピックチャンピオンになれないなら、
オリンピックチャンピオンにはなりなくないと思いました。
彼らはアスリートを人として扱っていませんでした」

日本のアスリートのなかには謙虚さを欠いているとして
大衆の批判にさらされてきた者がいる。
1992年のバルセロナ五輪で銀メダル、
1996年のアトランタ五輪で銅メダルを獲得したマラソン選手の有森裕子は、
アトランタ五輪で「自分で自分をほめたい」と言った後、
日本のニュースメディアの一部からナルシストとの批判を受けた。
有森はなぜアスリートが謝罪をし続けるのかを知っている。
感謝の気持ちを伝えることができるからだ。
しかし「サポーターは
アスリートが充分に努力をしてきたことを知っていると思います」
と有森は言う。「だから謝罪をする必要などないのです」
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どうもすっきりしませんね。
私はこの問題の根源は、自分の気持ちや自己を主張することよりも、
他の人の気持ちを尊重することを優先させる日本人の伝統的思考法にあると思います。
「伝統的」ですから、次第にそこから外れて
自己を中心におく思考法に代わってきていると思います。
文中の有森さん、シモーネ・バイルズさん、その後の大坂なおみさんがそれです。
皆さまはどう思われますか?

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