2011年11月29日火曜日

医療過誤6:医療過誤原因のビジネスへの教訓

本稿は別項『「なぜ医療過誤は起きるのか」の本質解明』の続きです。

医療もビジネスも人間のすることですから、
問題の本質は驚くほど同じです。

医師の起こす誤り 「医療ミス」と「誤診」
で挙げられた以下の誤りは
ビジネスでもそのまま当てはまります。

ぜひ参考にしましょう。
ヤークス・ドッドソンの法則 「鐘型曲線」
【経験によるパターン認識】
【認識エラー、認知エラー】
【感情のエラー】
【確証バイアス】 思い込みによる偏り
【アベイラビリティ】
【遂行思考バイアス】
【垂直軸の失敗】
【シマウマ回避】

医師の起こす誤り 「医療ミス」と「誤診」
では触れませんでしたが、
本書ではこういうことも指摘していました。

「患者テンプレート」「臨床アルゴリズム」
診断の効率化と
最低限度の品質向上(誤りを無くす)目的で、
「患者テンプレート」「臨床アルゴリズム」という
一種のチェックリストが利用されだしているそうです。

これに対して以下の注意を喚起していました。
「医師はテンプレートに合致しないデータに
 注目しなくなる危険性がある。
 (チェックリストの独り歩き、絶対化の危険です)

 現状を静的にだけ見て変化を見落とす可能性がある。
  (たとえば、血圧が他の人より高くても、
 数年安定していて悪い症状もなければ
 対応の必要はないのです)

この点もビジネスでも全く同じことが言えます。
チェックリスト依存症候群です。
気をつけましょう。

医療過誤5:愛は命を救う

本稿は別項「「なぜ医療過誤は起きるのか」の本質解明」の続きです。

米国の50歳に近付いた女性が、
自分の子供を諦めて養子をもらうことにした。

この女性は独身である。
(中年の独身女性に養子を認めているのは
世界でベトナムとカンボジアだけなのだそうな)

彼女はベトナムまで出かけて養女を受取った。
ところがその生後4か月の幼児が
すぐに原因不明の重篤状態になった。

医師団は、ある診断の下に
かなりリスクのある手術を実施することを彼女に勧めた。
何としても幼児に生きてほしいと願った彼女は
神に祈り、幼児に歌を歌って聞かせ続けた。

幼児はあるきっかけで症状が快方に向かった。
彼女は「我が子はその難しい手術を要する病気ではない」と確信した。

しかし予定どおり手術を勧める医師団に、
執拗に再検査を懇願した。
血液の再検査の結果、すべての機能は恢復していた。

幼児の症状は、
極端な栄養障害からだったことが判明した。
幼児が恢復したのはまさに奇跡的だった。
その後幼児は無事退院して元気に育っている。

母の思いが歌を通じて幼児に伝わったのでしょう。

この例は、
典型的な「認識エラー」「確証バイアス」
として紹介されています。
幼児の症状から、それが当てはまる病名に当てはめて、
それに反する兆候は無視してしまったのです。

ここで、私が考えたことがあります。
 医師にとって患者は1ofでしかない。
 家族にとって患者はその人しかいない。
ということです。

医師にとって診断・治療は仕事ですから
確率でものごとを判断します。
家族はそうではありません。
その人には何としても生きてほしいのです。
ありとあらゆることを考えます。

私は、30数年前の父の劇症肝炎での死の病の際、
医師団が「もうダメかもしれない」
と話しているのを聞いてショックを受けました。

「ダメ」かもしれませんが、
それを客観的にクールに発言していることが
信じられなかったのです。

その後、分かりました。
すべての患者を身内と同じ精神で対応していたら
身がもちませんものね。

したがって、第3者たろうとする医師を
いかに患者側の思いでこちらに引き寄せるか
が患者側の「打つ手」ということになります。
人間である医師に影響を与えることは可能でしょう。

生きようという気持ちが、
人間に生命力を与えるという例を2例知っています。

一つは妻の母玉代さんです。
玉代さんは、ガンの転移で
何度も医師から余命宣告を受けながら
20年生き延びました。
奇跡に近いでしょう。

彼女は信仰心と
孫の成長を見たいという強い願望を持っていました。

残念なことに、
最後はつまらない風邪から肺炎になって
あっけなく逝ってしまいました。
油断でした。

もう一つは
私の札幌時代のガキ大将仲間齊藤光信君の奥様です。
彼女は内臓の悪性腫瘍で、
光信君は医師に余命宣告をされていました。

ところが7年2か月生きたのです。

彼女の場合は
光信君の深い愛情が支えだったのです。

光信君は私に、
妻を思う気持ちを連綿と綴った手紙をくれました。

こんなに妻を愛し慕う人はいないだろう、
そういう文章のコンテストがあれば
間違いなく入賞するだろう、というものでした。


医療過誤4:誤診を避ける医師対応法

本稿は別項「「なぜ医療過誤は起きるのか」の本質解明」の続きです。

「難かしい病気の場合は、
医師も自分の診断が絶対とは思っていない、
そこで、的確な患者の疑問は、
医師の判断を深めたり補強したりすることができる」
と言われるのです。

著者のお勧めの質問はこうです。
 「どうしてそう診断されるか説明してください」

 「他には何が考えられるのでしょうか
  (病名として)」

 「今の診断で辻褄が合わない点がありますか」
   「確証バイアス」(思い込みによる診断)
をチェックする意味があります。

 「私の問題(原因)は
もしかして一つだけではないのではないですか」
  複合原因だと一つの治療法では成功しません。


「質問に的確の答えられないようなら、
頼りにならない医師と判断し
他の医師にかかることがお勧めです」

それは賛成です。
自分の診断を絶対と思っていなくても、
なぜそう考えるか、
もし違うとすればどの段階で判明し、
その際はこうするつもりである、
というようなところまで考えていない医師は
頼りになりません。

医療過誤3:医師の起こす誤りの原因

 
本稿は別項「「なぜ医療過誤は起きるのか」の本質解明」の続きです。

「医療ミス」と「誤診」
「医療ミスは、一般紙に広く報道され、
米国科学アカデミー医学研究所に分析され報告される。
薬の投薬量を間違えたり、血液を違う患者に輸血する、
患者のX線写真を裏返しに見たりするようなことだ」

誤診は結果として誤っていた診断・治療で
「医師の思考が見える窓と言える」。
(上野注:どういう思考をしたからそうなったか
が分かる、という意味)

以下に誤診を発生させる思考の偏りを
本書からご紹介します。

「医師も人間である」
著者の考えるこの問題を考える上での大前提はこれです。

「医師も人間である。
医師の内面の状態(著者注:広い意味の思考)
および緊張の度合いが
臨床判断と行動に入り込み強い影響を及ぼす」。

これは、非常に大事なことで
それ以上でもそれ以下でもないのです。
必要以上に絶対視してはいけないし、
逆に、バカにしてはいけないのです。

「医師が患者に対して否定的な感情を抱いている場合、
ほとんどの患者がそれに気づく
という事実を研究が示している」
と本書にありますが、逆も眞です。

いずれも好悪の感情は動物本能です。
相手に伝わらないわけがないのです。
否定的な感情が
相手に良い影響を与えることはないでしょう。

本書で以下の原理を紹介しています。
ヤークス・ドッドソンの法則 「鐘型曲線」
縦軸は作業達成能力 
 横軸が覚醒レベル
(アドレナリンや他のストレス関連の化学物質による
ストレスの度合い)を示す。
鐘の頂点のところのストレスレベルが
知力と行動が最高レベルを実現する。

【経験によるパターン認識】
「熟練した医師はパターン認識で患者のどこが悪いかの判断をする。 
 論理的アプローチは20―30分かかる。
 パターン認識だと20秒以内」

ですが落とし穴もあるのです。
パターン認識は過去の経験から形成されています。
過去の経験に入っていない事象は
類似の異なる事象に当てはめて判断してしまう
危険性をはらんでいます。

【認識エラー、認知エラー】
何をどう見るか、どう判断するかの誤り。
「エラーの大半は技術的な問題ではなく、
医師の思考法の欠陥によるもの」

「認識エラーの原因の一部は
内面の感情によるものだが、
その感情の問題を我々は認めようとしない。
あるいは気づきもしないのである」

ある調査によると、
「患者に深刻な害をもたらした誤診の80%が
認識エラー」だそうです。
 
【感情のエラー】
良い兆しが少しでも現れると
願いどおりになると思いこむ。

 「たまたま」を、
  推論の正しさの証明と勘違いしてしまう。 
「相手を思う気持ちは重要だが、
感情が優先してはいけない」

【確証バイアス】 思い込みによる偏り
自分の予想する結果のために情報を選択して
受け入れたり無視したりする傾向
 
 固定観念に反する情報を無視する。
 
「ときどきみかけます(それはよくあることです)」
で片付けてはいけない

【アベイラビリティ】
ある出来事が起きる可能性を
過去の類似した知見に照らして判断する傾向
来る患者が皆インフルエンザ
→この人もインフルエンザ
 
【遂行思考バイアス】
何もしないでいるよりアクションをとりたがる傾向 
 とりあえず、風邪薬を処方する。
これは「問題先送り」を発生させます。

【垂直軸の失敗】
枠の中に閉じ込められた思考で失敗する。
「水平思考」
{待てよ、他にも何かありえないだろうか}
で対応する。

【シマウマ回避】
珍しい診断に対して強い抑止力が働く
(蹄の音を聞いたら馬と思う)。

医療過誤1:「なぜ医療過誤は起きるのか」の本質解明

私は、医学者だった父の
30数年前の「不慮」の死に臨んでの
2週間の重い介護以来、
医療の現場や医療過誤に関心を持ってきています。

今回、初めてそのテーマに正面から取り組んだ名著
に出会いました。
大感激です。

ハーバード大学医学部教授
ジェローム・グループマン著(2007年)
「医者は現場でどう考えるか」
(石風社から2011年10月刊)です。


この本は、
多くの医師たちへの教育啓蒙用と
一般人に「医」の現場の裏を理解していただこう
という意図で書かれたものと思われます。

ベテラン医師を含め、
ぜひ多くの医師に読んでいただきたい本です。

大著ですが、
翻訳(美沢恵子氏)の良さもあって
たいへん読みやすくなっています。

私は非常に勉強になりました。
以下に私の目で役に立つと思われる点を
まとめてみました。

以下、原則として「 」で囲っている部分が
原著のままの引用で
そうでない部分は私の解釈も含めた紹介です。
以下の項目に分けて解説させていただきました。

本文はそのタイトルの別項をご覧ください。

プライマリケア医は難しい
患者が初めに訪問する先の医師が
プライマリケア医です。

医師の起こす誤りの原因 
これについて、
興味深い多くの原因を解説してくれています。

誤診を避ける医師対応法
どうすれば医師の陥りやすい過ちを
補正することができるかを教えてくれています。

愛は命を救う
当書の中で最も感激的な報告です。

医療過誤原因のビジネスへの教訓
著者の説く医療過誤原因は、
ビジネスへの教訓としても非常に有効です。

参考情報
以上の他、
以下のような情報・見解は私の関心を引きました。
ご参考までにご紹介します。

近年のオンコロジ―(腫瘍学)は
目覚ましい進歩を遂げ、
専門医は
制吐剤を使って吐き気と嘔吐を抑えることができ、
今の患者は以前のような副作用に苦しまないで済む。

複雑な症例に対する治療法は
大学(大病院)によって異なる、
大先生が開発したものを踏襲している。

外科医は「手」より「脳」(視覚空間能力を含む)が
大事である。
(上野:なるほど、そのとおりでしょう!!)

医は、患者の申告(論理)と患者の観察を融合する
「技、アート」である。
(なるほど!!)

――――――――――――――――――――――――
読み終わって
あらためてこの本を読むきっかけとなった
日経新聞の書評(最相 葉月氏)を読んでみました。

たいへん素晴らしい紹介文
(単なるようやくではなく)です。

脱帽ですので、その抜粋をご紹介します。
―――――――――――――――――――――――――
診察中、医師の頭の中では何が起きているのだろう。
酒臭い息を吐く男を
「また、薄汚れたアル中か」
と思いこまないよう訓練はしているのだろうか。

本書はがんやエイズを専門とする著者が
臨床現場の取材や自らの体験をもとに、
医師が陥りがちな思考のエラーやバイアスと
それらが治療に与える影響を
明らかにしたルポである。

医師歴30年の誤診を全部記憶しているという著者は
「誤診は、医師の思考が見える窓」と考え、
失敗談に耳を傾けた。

ミスは技術的な理由で起きるという思い込みは、
次々に覆される。
最初に下した診断に固執する、
指示に従わない患者に嫌悪感を抱く、
医師の感情はまさしく行動を左右していた。

ある救急医はアスピリン中毒で呼吸困難になった
先住民の女性を肺炎と誤診した。
彼らの村で肺炎が大流行し、
肺炎は最も確定しやすい診断だったためだ。

またある心臓外科医は
少女の心臓の周りの液を排出するため
剣状突起下という胸骨の下に針を刺して心筋を傷つけ
緊急手術する事態を招いた。
剣状突起下を刺した理由は、
それが単に恩師に教わった方法だったから。

こうした思考のエラーの連鎖が
やがて医療ミスにつながることは容易に想像できる。

一方、
熟練した医師(上野注:優れた医師)に共通するのは、
自分の内面を洞察できること。
そして患者のために何ができて何ができないかを
見極めていることだった。

30人近い医師に診察されながら完治せずに
苦しんでいたある女性は、
15年目に会った医師の
「私はあなたの物語を聞きたい、あなた自身の言葉で」
という一言を機に
正しい診断と治療法にたどり着いた。

コミュニケーション次第で
医師と患者は最良のパートナーになりうるのである。

ケアの基本は思いやり、
というあたりまえの出発点に立ち戻る秘訣は、
医師の思考方法にある切り口は
最後の1行まで刺激的。
(中略)
本書は医師の思考のエラーから身を守る
最強の防護策になるだろう。
            (以上、最相 葉月氏)

日本人の恥!「こんなことをするのか!」

11月26日の日経新聞夕刊に
以下の記事が載っていました。

北海道石狩市の焼き肉ステーキ店が、
松坂牛でないのを松坂牛と偽って、
こともあろうに中国からの旅行者に売っていたのです。

松坂牛の証明書をコピーして箱に貼るなどの
細工もしていたようです。

日本人として恥ずかしくて真っ青です。
こんなことで「お株を奪って」ほしくないものです。
中国の「偽物文化」を批判できなくなります。

偽装食品問題は、次から次と後を絶たないのは
なぜでしょう?

他の偽ブランド商品と違って、
内部告発か何かがないとばれない、
という点があります。

ごく少数の人間で簡単に実行できる
という点もありそうです。
雪印乳業のように大企業での実施例もありますが、
現場の当事者は少数です。

それにしても、
倫理観の低下は否めません。
犬の糞を道路に放置も同じ原因です。

日本人の再教育が必要です。
そこまでは、
橋下「維新の会」に期待できないでしょうね。