2011年11月29日火曜日

医療過誤5:愛は命を救う

本稿は別項「「なぜ医療過誤は起きるのか」の本質解明」の続きです。

米国の50歳に近付いた女性が、
自分の子供を諦めて養子をもらうことにした。

この女性は独身である。
(中年の独身女性に養子を認めているのは
世界でベトナムとカンボジアだけなのだそうな)

彼女はベトナムまで出かけて養女を受取った。
ところがその生後4か月の幼児が
すぐに原因不明の重篤状態になった。

医師団は、ある診断の下に
かなりリスクのある手術を実施することを彼女に勧めた。
何としても幼児に生きてほしいと願った彼女は
神に祈り、幼児に歌を歌って聞かせ続けた。

幼児はあるきっかけで症状が快方に向かった。
彼女は「我が子はその難しい手術を要する病気ではない」と確信した。

しかし予定どおり手術を勧める医師団に、
執拗に再検査を懇願した。
血液の再検査の結果、すべての機能は恢復していた。

幼児の症状は、
極端な栄養障害からだったことが判明した。
幼児が恢復したのはまさに奇跡的だった。
その後幼児は無事退院して元気に育っている。

母の思いが歌を通じて幼児に伝わったのでしょう。

この例は、
典型的な「認識エラー」「確証バイアス」
として紹介されています。
幼児の症状から、それが当てはまる病名に当てはめて、
それに反する兆候は無視してしまったのです。

ここで、私が考えたことがあります。
 医師にとって患者は1ofでしかない。
 家族にとって患者はその人しかいない。
ということです。

医師にとって診断・治療は仕事ですから
確率でものごとを判断します。
家族はそうではありません。
その人には何としても生きてほしいのです。
ありとあらゆることを考えます。

私は、30数年前の父の劇症肝炎での死の病の際、
医師団が「もうダメかもしれない」
と話しているのを聞いてショックを受けました。

「ダメ」かもしれませんが、
それを客観的にクールに発言していることが
信じられなかったのです。

その後、分かりました。
すべての患者を身内と同じ精神で対応していたら
身がもちませんものね。

したがって、第3者たろうとする医師を
いかに患者側の思いでこちらに引き寄せるか
が患者側の「打つ手」ということになります。
人間である医師に影響を与えることは可能でしょう。

生きようという気持ちが、
人間に生命力を与えるという例を2例知っています。

一つは妻の母玉代さんです。
玉代さんは、ガンの転移で
何度も医師から余命宣告を受けながら
20年生き延びました。
奇跡に近いでしょう。

彼女は信仰心と
孫の成長を見たいという強い願望を持っていました。

残念なことに、
最後はつまらない風邪から肺炎になって
あっけなく逝ってしまいました。
油断でした。

もう一つは
私の札幌時代のガキ大将仲間齊藤光信君の奥様です。
彼女は内臓の悪性腫瘍で、
光信君は医師に余命宣告をされていました。

ところが7年2か月生きたのです。

彼女の場合は
光信君の深い愛情が支えだったのです。

光信君は私に、
妻を思う気持ちを連綿と綴った手紙をくれました。

こんなに妻を愛し慕う人はいないだろう、
そういう文章のコンテストがあれば
間違いなく入賞するだろう、というものでした。


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