2014年6月2日月曜日

2014年6月2日はMIND-SA生誕30周年です!!

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 MIND-SA事業の30年間を知っていただく。

ねらい:
 これからの新事業にご期待いただきたいと思います。

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250社にご導入いただきました
MIND-SAを提供する会社は、
1984年6月2日に誕生いたしました。
当時はNixリサーチセンタと称していました。

MIND-SAは
「システム分析の方法論」を標榜していました。
当時は、日本経済もバブルに向かっている好景気時代で、
システム開発もどんどん行われておりました。

システム開発の最初のステップを担当できる要員は、
拡大するシステム開発市場で
渇望される人材であったのです。

その人材を養成できる切り札として
MIND-SAは期待されていたのです。

ここで、
MIND-SAの30年を振り返ってみたいと思います。

創業期
 (MIND-SA開発の状況)
 MIND-SAの生みの親・母親は、
 当時は㈱日本システミックス(Nix)という
 日本能率協会から独立したコンサルタント集団ですが、
 父親がいました。

 それは住商コンピュータシステム(SCS、現SCSK)殿です。
 そこの油谷泉課長がシステム開発方法論を自社開発しておられ、
 その最上流である要求分析工程のガイドを
 Nixに発注されたのです。

 当時、システム開発方法論を開発する会社は、
 旧メインフレーマ以外にはありませんでした。
 「その意気やよし」でした。

 その発注金額を覚えています。500万円でした。
 それをポンと出されたのですね。

 
 Nixでは、
 自分達で使用していた手法等を基に、
 半年くらいで
 読んで理解できるようなマニュアルにしました。

 
 
 方法論作りには前段の経験がありました。
 それは富士写真フイルム殿と
 F-SPANという問題解決の手法を開発したことです。

 当時の同社は、清水康男部長に率いられ、
 A-AUTOとかADABASなどの
 先端的なツール等をどんどん導入されていました。
 

 同社のシステム部門電子計算部は、
 ユニークな組織体制をとっておられました。

 それは企画系のスタフは一切置かずに、
 何か検討案件があると課長が集まって検討するのです。
 課長はたいへんですが、ここで決定したことは、
 確実に業務に活かされます。

 
 スタフが検討して推薦する手法・ツール等を
 ラインがなかなか活用しないということは
 今でもよく見られる現象です。

 F-SPANは電子計算部の課長3人と開発しました。
 同社としての目的は技術伝承でした。

 元になる手法は部内ユースで存在していました。
 
 あらためてガイドの構成・記述方法をどうするかを
 議論し決定した上で、その形に仕上げていったのです。

 その際、手法の実行方法があいまいだったものについて
 「こうしたらよい」ということを決めて
 記述するということもありました。

 その経験を活かして
 SCS殿の「要求分析ガイド」を作成したのです。

 因みに、現在この工程を要求定義という場合がありますが、
 「要求」は定義するものではなく、
 「要求はどういうことがあるか」という意味で
 「分析」が適切な表現だと思います。

 当初は内部利用だけのつもりでした。
 しかし「これは売れる商品になるぞ」ということで
 若干のお化粧直しをして
 MIND-SAという名称も付けました。

 その売り出しが、会社スタートと同じ、
 1984年6月2日だったのです。

 「MIND-SA」は,
 SA(システムアナリストまたはシステムアナリシス)
 のMIND(心、魂) という意味ですが、
 別の意味合いも持っています。

 MIND-SAの先輩格である
 Nixが日本の総代理店になっていた
 米国MBA社のシステム開発方法論が
 prideと称していました。

 prideよりも日本の心(MIND)が大事だ
 ということで気張って付けたものです。

 (MIND-SA営業の状況)
 MIND-SAの当初の提供価格(使用権)は
 400万円でした。
 SCS殿での実績がありましたから
 自信満々で売り出したのですがさっぱり売れません。

 製品説明をしますと
 「これはどうなっている?」「これはどうなっている?」と
 次から次へと質問をされるのです。

 「それはこうなっている」と説明しても、
 また次の質問をされます。

 そういう状態が3カ月くらい続いたでしょうか。
 
 その頃、大学空手部で同期だった二木英徳氏が
 ジャスコ(現イオン)の社長になられました。
 
 

 氏は、部下に「上野が何か始めたようだから
 検討してみたらどうか」
 と言ってくれました。

 3人の部長が当社に来られました。
 そうしてじきに契約となりました。

 
 間もなく、東京電力殿と東京ガス殿が
 契約してくださいました。
 それは当時青山学院大学の学長をしておられた
 鵜澤昌和先生のご推薦でした。

 鵜澤先生は
 ビジネスの分かるSEを養成する必要性が高いということで、
 その職種をBSEと称され、
 その普及啓蒙をしておられました。

 思いは同じということで、
 鵜澤先生とは
 BSE向けの研修コースの開発等をおこなっていました。
 そのご縁でした。

 それからは、あまり質問をされることもなく、
 MIND-SAはどんどん売れていきました。

 このとき思いました。
 日本人は内容を吟味して良ければ購入するのではなく、
 あくまで実績第1である、ということを。
 
 

 この点は、ずい分後になって、 
 大手銀行の人事部門に営業にいったときにも
 思い知らされました。

 システム担当の役員殿が、
 「MIND-SAは一般社員にも研修したらよい」
 と言われて人事部門に紹介されたのです。

 ところが人事部門の担当部長は
 「一般社員に研修した実績がありますか?」と聞くのです。
 「あります」と答えると
 「銀行業界でありますか」と聞かれます。

 「それはありません」と答えますと
 「では実績を作ってから来てください」と言われました。
 呆れてしまいました。
 

 その後、
 日本の「実績主義」のことを別の機会に聞きました。
 

 それはあるソフトウェア製品を開発した人が、
 「まずアメリカで実績を作る、
 その上で日本で売り出す、
 日本のお客様はアメリカで実績があると言うと買ってくれる」
 と言って実行していました。
 
  

 情けないですね。
 

 情報サービス業界のトップの集まりがあった時に、
 「何をしておられるのですか」と質問されましたので
 「MIND-SAという方法論を売っていて
 おかげさまで結構売れています」
 と答えますと、
 「それはアメリカのモノですか?」と言われてしまいました。

 ITコーディネータ協会とかが方法論を整備する際にも、
 日本のモノは検討の土俵にも上げてもらえないのです。

 ですが、そういう初期の難関を
 二木さん、鵜澤先生、
 お二人のおかげで突破することができました。
 あらためて深く感謝申しあげます。


 
バブル期
 折しも日本経済はバブル期に入りました。
 
 

 MIND-SAもバブルに乗ってどんどん売れていきました。
 1年間で22社にご契約いただいた時もありました。
 

 当社も人並みに銀座・六本木での時間とお金を無駄にする
 「ご接待」攻勢をしておりました。

 1990年7月11日には
 数百万円をかけて
 ご契約100社達成イベントを実施いたしました。

 まさにバブルですね。
 


安定期
 1992年から98年まではほぼ横ばい状態ながら
 売れていきました。
 サブセット版、廉価版などを出しました。

 
  
 この後半の頃になると、
 MIND-SAはかなり知られる存在となり
 「ああ、MIND-SAね」という感じで、
 新鮮さがないという風にも受けとめられだしていました。


減衰期
 1999年はかなりの経済後退があり、
 MIND-SA提供会社であるマインドリサーチ社は
 自力での事業継続が困難となりました。

 そこで、2000年3月からトランスコスモス㈱殿の
 事業部としてMIND-SA事業を継続することにしました。
 トランスコスモス殿は事業多角化を進めておられました。
 
 

 しかし、米国のITバブル崩壊で多角化路線は
 選別の状況となりました。

 そこで2002年3月再び独立させていただき、
 社名を現在のシステム企画研修㈱といたしました。
 
 

 この2年間、
 トランスコスモス殿の奥田耕己会長(当時)には
 たいへんお世話になりました。

 2000年までのマインドリサーチの社名については、
 「何をする会社か分からない」という声と
 「(オウムの)マインドコントロールを連想させる」
 という声がありました。

 そこで、何をする会社か明確にしようということで、
 システム企画の研修をする会社ということにしたのです。
 当然これ以外の事業の比率も高いのですが、
 代表ということでその名前にしました。

 2002年の再独立を期に、
 MIND-SAの有償提供を止めました。
 

 その頃、MIND-SAのお客様は、
 ほとんどが情報サービス業になっていました。

 大手のシステム部門の多くが
 情報子会社を作ってしまったからです。
 システム部門は空洞化してしまっていたのです。

 そして、
 2002年頃にはMIND-SAを買ってくださる規模の 
 情報サービス業にはほとんど買っていただいていました。

 そこで、どうせ買ってくださるところがないのであれば、
 思い切って
 マニュアルをホームページ上で無償公開して
 「パブリックドメイン化を狙おう」という戦略にしたのです。

 それと合わせて、
 「MIND-SA研修」と言わないことにしました。
 

 「MIND-SA研修」と言うと
 「新しくない」というイメージを与えるのと
 「パブリックドメインとして商品名はよくない」
 という観点からです。

 そこで、「価値目標思考研修」とか
 「目的達成手法研修」
 「企画提案力強化研修」などの名称を使いました。

 ところが、その後の推移を見ますと、
 パブリックドメイン化は実現しませんでした。
 いくつかパブリックドメインに近づけるような
 団体への働きかけもしましたが力不足でした。

 これも日本社会の「限界」が影響していますね。

 もう一つの反省は、
 研修名が一般名詞であるために
 ブランドイメージができないという点です。
 「MIND-SA研修」はそれなりにブランドだったのです。

 現在、MIND-SA研修を支えてくださっているのは、
 お若い頃にMIND-SA研修を受けて感銘された
 トップの方々です。

 「目的・ねらい」を追求することは非常に重要だ、と言って、
 研修を実施するように指示されているのです。
 実際に受講されてみないと、
 そのことの意義がピンとこないでしょうね。

 「目的を重視することを教える研修だ」などとご説明すると
 「そんなことあたりまえだ」となってしまうのです。
 

 これまでご支援・ご贔屓くださった皆皆様に
 厚く厚くお礼申しあげます。
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システム企画研修㈱自体は、社名に反して
各種事業を開発展開してまいりました。

1999年から2011年までの超プロマネ養成研修、
2008年頃のビジネスプロセスイノベーション(BPI)研修
2010年頃のビジネスアーキテクト研修
2009年からのソフトウェアエンハンス(保守)業務改善

残念ながら今のところいずれも、
MIND-SAのようなヒット商品にはなっていません。

ヒットを狙う次世代商品につきましては
別項でご紹介いたします。

ご期待いただければ幸甚です。


 

1 件のコメント:

Kumagorow さんのコメント...

日本市場の特質がよくわかりました。
それにしても、MIND-SAは、日本のITの上流工程をけん引したという点では、素晴らしい金字塔を打ち立てられたのではないでしょうか!
心から感謝申し上げます!