2012年12月22日土曜日

疑似科学の批判者が自らそのミスを犯しているぞ!!

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 科学と疑似科学の定義を知っていただく。
 何が疑似科学であると思われているかを確認いただく。
 血液型性格学が疑似科学であると思うことは誤りである 
  根拠を知っていただく。

ねらい:
 今後、科学と疑似科学の区分に留意していただく。
 (一般の社会生活ではあまり有効な区分と思えませんが)

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菊池聡さんという信州大学教授(専門は認知心理学)が、
書かれた「なぜ疑似科学を信じるのか」を読んでみました。


 
 
疑似科学の例として、血液型性格論が挙げられていたからです。
どんな論点で否定するのだろうと興味があったのです。

菊池さんは学者らしく、疑似科学の定義をしています。

疑似科学の前に科学の条件はこういうものである。
1)第1の特徴は「対象」である。
 科学では自然や人間の行動といった
 客観的に観察可能なものを扱う。

2)第2の特徴は「方法」である。
 理論だけでなく、
 実験や観測といった実証的方法を重視する。

3)第3の特徴は「知の姿勢」である。
 実験や観察データを公平に解釈して、
 主観や価値観を排して客観的な事実や法則を追求しようとする。

疑似科学も、同じような外観を備えている。
しかし違うのは「方法」と「知の姿勢」の内実である。

それは「反証可能性」である。
科学ではある仮説を証明する場合、
「確証(検証)」と「反証」とが行われる。

「確証(検証)」とは、その仮説に適合する証拠によって
仮説の正しさを確認すること、たとえば、
「万有引力の法則は、リンゴの落下で確証された」
というもの。

「反証」は、誤りを証拠で示すことで、
「天動説は惑星の観測データによって半焼された」
というもの。

反証不能なものは科学ではない。
たとえば、
「明日は晴れるか曇るか雨か雪か、いずれかが起きる」
これは常に正しいが反証ができない。

科学は、
証拠によって間違いが証明できる見込みがなければならない。

疑似科学では
統計的に正しいと主張することが、サンプリングの方法の説明がなく、
したがって反証ができない。

都合のよいデータのみを示して自説の正しさを主張している。

というのです。

典型的な疑似科学の例として、
「血液型性格学」が挙げられています。

血液型性格学では、血液型と思考特性の関係があることを
示しているが、実験方法に客観性がなく、
別の学者が同じような実験をすると、
その両者には関係が認められないというのです。

この点はたしかにその誹りは免れない気がします。

しかし、職業と血液型の関係については、
血液型と性格との関係論の元祖である能見正比古氏は
きちんと客観性を示しています。

たとえば、歴代の横綱・大関と血液型の関係です。

皆様は横綱・大関は、何型の血液型が多いと思いますか?
A型なのです。
この関係は統計検定をしてはっきり有意である、となっています。
なぜかは分からないけれど、何らかの因果関係がある、
ということです。
そこから先の因果関係については推定となります。

菊池氏は、この点に関してこう述べています。

 政治家やスポーツ選手などと血液型の関係については、
 衆議院議員では、とか参議院議員ではとか、
 自民党議員では、社会党議員ではとか、
 自分に都合のよい部分を切り出して証明に使っている。

これは、菊池氏の勉強不足です。
サンプリング方法に恣意性があるという前提(先入観)で
能見説を十把一からげにして切り捨てています。

横綱・大関の場合は、サンプリングではなく、
戦後からその時までの全横綱・大関が対象なのです。
それを確認もしないで、結論を導いているのは
明らかに科学的ではありません。

因みに、横綱・大関以外の場合の職業と血液型の関係でも、
客観性のある場合が多数あるようです。

菊池氏の「科学的」の定義からすれば、
「いい加減なサンプリングの方法だから科学ではない」
という主張は、すぐに反論可能で誤りであることが判明します。

したがって、血液型性格学は疑似科学であるという菊池説は
誤っています。
ですが菊池説は疑似科学ではありません。、

菊池氏が疑似科学の例として
血液型性格学をとりあげたのは失敗です。
墓穴を掘っています。

菊池氏が挙げている疑似科学の他の例は、
宏観異常現象(異常の観察から来る地震予知)、
チャネリング、UFO、輪廻転生、などです。

占星術は疑似科学にもならないようです。
「超常現象一般を科学ではない」と言っていないのは
評価できます。
私はその存在を信じています。

しかしよく考えてみると、疑似科学であるかどうかよりも、
その説が正しいかどうかの方が実用的には重要ですね。

大事なところでミスもありましたが、
この本には、よいところがあります。
それは、書の構成が明確で、
どこに何が書いてあるかがすぐに分かることです。

書評を書く立場としてはたいへん助かります。
今後はますます人文科学者の本は読まないことにします。




3 件のコメント:

  1. 通りすがりですが、気になったので、失礼します。

    >したがって、血液型性格学は疑似科学であるという菊池説は誤っています。
    とのことですが、ブログの記事を拝見する限りでは、そうは言えないと思います。

    私は、菊池氏の著作は読んでおらず、以下は、本記事を拝読したうえでの指摘です。
    菊池氏のいう、
    >サンプリング方法に恣意性がある
    は、「ある職業からどの人を選ぶか」ではなく、「数ある職業からどの職業を選ぶか」という意味でのサンプリングでしょう。「職業」の定義・分類方法は色々ありますが、「横綱・大関」等のように細かくとれば、ほぼ無数の職業が存在します。いま仮に血液型と職業に何ら相関がなくても、有意水準1%であれば、100個の職業のうち、1つは「統計的に有意」になります(厳密には、各「職業」の標本数が等しい場合。ついでに言えば、記事に書かれておられるように「統計的に有意」即「因果関係」とは、言えません(これは能見氏の主張でしょうか?))。このように細かく「職業」を分ければ、中には「有意」になるものもあるでしょう、そういうものを取ってきて並べているに過ぎない、というのが、菊池氏の主張なのではないでしょうか。
    さらに言えば、
    >戦後からその時までの全横綱・大関が対象
    とありますが、能見氏の調査時点までだと、せいぜい数十人くらいではないでしょうか。十分なサンプル数とは言えません。

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  2. コメントありがとうございます。
    ご意見には誤解があります。
    血液型と職業には一般的に相関があるとは誰も主張していません。
    いくつかの職業について有意な関係がある、ということでです。
    したがって、職業の分類方法とは関係がありません。
    職業というと誤解があるなら、単純に相撲の横綱・大関と血液型には有意な相関があるということでいいのです。
    厳密に言えば、「いつからいつまでの横綱・大関については」血液型と有意な関係がある、と言うべきでしょうね。環境が変われば変わる可能性があります。たとえば、横綱・大関はほとんどがモンゴル人になった場合、仮にモンゴル人にO型が多ければ、横綱・大関もO型が多いでしょう。

    それから、ご存じでしょうが」「有意差検定」はサンプル数が少ないと相関度が高くないと有意と判定されないようになっています。したがって、サンプル数が少ないという批判は当りません。

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  3. ご返信ありがとうございます。

    >血液型と職業には一般的に相関があるとは誰も主張していません。
    >いくつかの職業について有意な関係がある、ということでです。
    少なくとも、この点に関して誤解はしておりません。私が関心があるのは、あなたが血液型と職業の相関を主張するかではなく、あなたが菊池氏の主張を否定する論拠です。

    >単純に相撲の横綱・大関と血液型には有意な相関があるということでいいのです。
    >厳密に言えば、「いつからいつまでの横綱・大関については」血液型と有意な関係がある、と言うべきでしょうね。
    この点をご理解されておられるなら、なおさら、なぜ菊池氏の主張を否定されるのか分かりません。むしろ、賛同されるべきでは?

    なお、
    >したがって、職業の分類方法とは関係がありません。
    とのことですが、それはないと思います。例えば、日本の就業者を「会社員」「その他」の2つに分ければ,どちらも、日本人の平均的な血液型の比率と有意差が出ることは、ほぼないでしょう。「職業」を細かく分けるほど、また多様な切り口を考慮するほど(政治家を衆/参だけでなく、政党、年齢、他でも分ける等)、「有意」な結果が得られる「職業」の数は増えます。このように、有為な結果を得るために様々な分類で検定を試みることは、実際の学術研究/調査でもよくあることと思います。(よかれ悪かれ)

    また、サンプル数の件は、説明不足で失礼致しました。検定に関してはご指摘の通りで、単に、推定した比率の誤差が大きい、ということを言いたいだけでした。

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