2022年12月19日月曜日

お別れ!!

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 2022年に逝ってしまった友人・先輩を偲びます。
ねらい:
 「会うは別れの始め」を意識して交友を大事にしましょう。 
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昨年に続いて今年も、何人もの仲間が旅立ちました。
昔から「会うは別れの始め」とか
「別離は避けられない(仏教聖典)」とか言いますが、
それでもやはり、別れは悲しく残念なものです。
あらためて、その方々の偉業を偲びご冥福をお祈りしたいと思います。

1.小宅康夫氏
2.二木英徳氏
3.椿正明氏
4.龍野順久氏

4方とも80代でした。昔なら天寿を全うというのでしょうが、
現代は人生100年時代です。
まだまだの年齢です。本当に惜しまれます。

この4方以外に次のお二方につきましても「上野則男のブログ」で
ご冥福をお祈りしました。
1.石原慎太郎氏 2022年2月1日逝去
2.稲盛和夫氏 2022年8月24日逝去
1.小宅康夫氏 2022年3月20日逝去 85歳
彼は、昭和31年に東大自転車競技部を
当初は仲間3人で創部しました。
当時はサイクリングクラブと称していました。

そのときの様子を、
当部の会報誌に私が寄稿したものの抜粋を以下に示します。
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部創設の頃仲間に入れてもらった男の思い出話

私は、昭和31年入学ですから、
部の創設者であるT、K、小宅君らと同期です。
私は、先に空手部に入っていて
厳しい合宿練習などを経験していました。
それがなぜ自転車部にも入ったのかあまり覚えていないのですが、
「サイクリングは楽しいかな」くらいで
上記3人の勧誘に従ったのだろうと思います。

二つの運動部に入った人はそういないでしょう。
おかげで、私は、多くの異色の友人・仲間を持つことができ
感謝しております。

私は、競技は空手で十分でしたから、
旅行の方だけに参加していました。
ほぼ旅行の方だけという組が、今は亡きM君、H君でした。

この仲間6人とはずいぶん一緒に旅行しました。
紀伊半島、四国、九州などに行きました。
一泊2食付きで400円で泊るのです。
予約はしていませんからその値段で泊れる所を見つけるのが
大仕事であり楽しみでもありました。
T君は一人旅が好きで全国走り回っていましたが、
お寺などにも泊めてもらったりしていたようです。

しかし数人となるとそうもいきません。
でも結構見つかるもので、野宿の記憶はありません。
泊める方も、東京から学生さんが自転車でやってきた
ということで興味を持ち、安くしてくれたのかもしれません。
 
古き良き時代の思い出です。

以下は、四国ツアーをしたときの写真です。

 左上野、右小宅

左小宅、右上野












小宅君は、豪放磊落タイプでしたが、
面倒見もよく多くの後輩から慕われていました。
遊び好き精神で私と結構ウマが合い
精神的には深いお付き合いをしました。

ところが、
2022年の年賀状に住まいの広島県からこう書いてきました。
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昨秋突如大腸癌発覚。
めでたくも近々あの世からお呼びがかかるようなり。
良いことも、多少反省を要することも、気殿同様いくつか。
まあ人生こんなものでしょう。
でも貴殿との付合い 面白かったぞ。多謝。

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それでビックリして長電話をして状況を聞き、励ましもしました。
3月くらいまでもつかどうかだと言っていました。
できれば、みんなと会いたいね、とも言っていました。

その後3月13日消印で長い手紙が来ました。
彼はメールをしないのです。

「先に逝くことを許せ、よき仲間達」というタイトルで
創部の頃の懐かしい思い出話から、
後輩たちが結構全日本レベルで良い成績を残したこと、
1960年のローマ五輪は最終段階で選手派遣を逃したこと、
1964年東京五輪では、3人も候補選手になったこと、
家族と最後の団らんを続けていて幸せなこと、
などをはがき大の便せん13枚にしっかりと綴ってきました。

こういうことも書いていました。
「健康診断」は逃げ回っている方で、
ましてや内視鏡検査など、あの人間の尊厳を傷つけるようなことは
”絶対“ではないのですがイヤなのです。
案の定、つけが来ました。これもやむを得なし。

このことが無かったとしたら当方90歳になれば、
最愛なる老妻も85歳くらい。もうひどいことになりますぜ。
彼女はまだなんとかノロノロでも介護してくれていますが、
まあ最高に幸せであり候。


最後には、
「よき仲間達にもどうぞよろしく。
私の見立てでは春の彼岸頃、前後7日間で。
お先に、では皆さまさようなら 絶筆なり」

とありました。
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そこで、この内容はコピーをして、
自転車部のネットで会員に伝えました。

死を目前にして、よくこれだけ淡々と書けるものだと
ビックリでした。潔く死を迎え入れています。
自分はいざとなったらどうなのだろう?
と考えてしまいました。

この書き方からすると、早めに書いておいたものを
3月13日になって投函したのでしょう。
彼の予想どおりお彼岸の真っ最中に逝ってしまったのです。

向こうでもマイペースで「人生」を楽しんでいるのでしょう。
「お幸せ」を祈ります。

なお、彼たちが創部した東大自転車部は
以下のような立派な成績を残しています。
東大の運動部の中でもピカ一でしょう。
この記事は、
本人もレースで優秀な成績を収めた北垣勝之氏(1964年卒)が
まとめてくれたものです。
小宅君の追悼の一部として掲載いたします。
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創部65年を経た自転車部、
その近来の出来事から見ると部活動の多角化と国際化が目覚ましい。
選手で云えばパラリンピック国際大会で、
タンデムレースの健常者として参加した丹沢秀樹君(2002卒、JR東海)が
堂々の入賞を果たした。
また自転車競技本流のロードレースでは、西園良太君(2011卒)が
現役時代からの実績を買われ
ブリジストン・レーシングチームの枢軸となり、
プロ選手としても大活躍したことは、TV等でお馴染みのことであろう。
彼の後も
科学的トレーニングによる競技力向上に向けた切磋琢磨の中から
浦祐樹君(2016卒、全日空)など幾多の優秀な選手が輩出する。
そのきわみが
今秋(2022)のロードレース「ツールド北海道」への
学連代表チームとして東大が参加したことである。
並みいるプロチームや社会人チームに伍して健闘したことも
記憶に新しい。

以上一部の脚光を浴びた事例だけでなく、
インカレやその他大会におけるピスト、ロードの選手権でも
赫々たる戦績を残している。
これらを支える自転車部スタッフの活躍も忘れてはなるまい、
特に女性マネジャーとしてキメ細かい配慮と行動に邁進した
植田瑞貴さん(院生、「銀輪」編集長)や、
自転車部競技班監督を長年務め、同時に
(財)日本自転車競技連盟の選手強化役を熟す三宅秀一郎君(1983卒)、
その車連には大脇恒夫君(1980卒)、
日本自転車振興会の大島環君(1997卒)、
また自転車部旅行班の組織化に尽力した谷川政雄君(1976卒)
等の協力も刮目に値する。
要は多士済々、各分野のOB会員があい協力し発展を支えてきたところに
「目覚ましい業績」が発露したものと思われる。
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2.二木英徳氏 2022年8月10日逝去 85歳
彼とは、大学の同級生かつ空手部同期入部の仲間です。
従四位の叙勲をされています。
岸田総理も彼の近親者による増上寺の通夜に参加されています。
どういうご縁だったのかは分かりません。














彼は、ジャスコ社長を10年、日本体操協会会長を20年勤めまして
今年春の叙勲で旭日重光章に叙せられました。
私は、仕事の上でもプライベートでもたいへんお世話になりました。
名前のとおり、徳のある逸材です。

数年前にかなりの大病をされたのですが、
奇跡的に完全恢復されて活躍されました。
1年近く前に体調を崩されて、入退院を繰り返しておられたのですが、
恢復中という情報もあった中での訃報でしたので、
信じられないショックでした。
本当に残念です。

氏のことにつきましては、以下のブログに詳細報告をいたしております。

3.椿正明氏 2022年8月25日逝去  86歳
椿さん(仕事仲間はすべてさん付けで呼んでいました)とは
1976年に大先輩吉原賢治さんが創立されたコンサル会社
(㈱日本システミックス)での仲間でした。











今は常識となっております
「情報システムは、データという部品の加工処理であるから
データの標準化は必須である、というコンセプト」を説き、
その実践手法を「発明」し提供された大偉人です。

1985年に、㈱データ総研を創業されています。
椿さんはIT系コンサルで、私は業務系コンサルでしたし、
椿さんは山が好きで、私は「酒が好き」でしたから、
あまり深いお付き合いはありませんでした。

しかし、お互いにその専門性・独自性を評価していました
(と思います)。

椿さんも健康であったのに、2014年に脳梗塞を患い、
療養・リハビリを続けておられました。
2015年には会社創立30周年イベントで挨拶をされるくらいの
恢復はされていたのですが、
とうとう「老衰」で静かに召されてしまいました。
あらためて、ご冥福をお祈りいたします。

氏の業績等につきましては、以下のブログでご紹介しました。

4.龍野順久氏、2022年10月20日逝去 88歳
龍野先輩は、空手部の3年先輩で、
新入1年部員のときに最上位の4年生でご指導いただきました
ご縁の深い方です。

当時、その4年生たちはまれにみる逸材ぞろいの全盛期でした。
ほとんどの方がとても優しい性格で、
とても丁寧に優しくご指導いただきました。
私立の大学に見られるような「しごき」はまったくありませんでした。
それでも、5月の連休の合宿後には脱落者が何人か出ました。

特に、龍野先輩の温顔が思い出されます。
組手をしますと、「よーしよし、来い来い」という感じで顔を上下に動かし
攻めを促されたのを思い出します。
もちろん、攻めても軽くかわされてしまいます。
「獰猛な」先輩で攻めるとかわしてバチンと食わす方もおられましたが
そういうことはなかったのです。

龍野先輩は、日魯漁業㈱に就職されました。
1970年代に日本能率協会グループとして
コンサルをさせていただいた時に
龍野先輩は人望が厚く、将来の社長候補とも言われておりました。
残念ながらそうはなりませんでした。
運に恵まれなかったのでしょう。

その代わりと言っては何ですが、
東大空手部OB会である東大拳法会の会長、
日本の和道流空手の本部である和道会の会長を歴任されました。
組織トップになられる見識・人望をお持ちだということです。

OB会でお会いしても、相変わらずの温顔で優しく、
いつも心が温まる思いをさせていただいておりました。

突然の訃報で、死因は肺炎ということですが、頑健であられたはずが、
「なんで??」と信じられない気持ちです。

来年2月4日に「龍野先輩を偲ぶ会」が学士会館で開催されます。




この写真は、2005年に諸先輩・現役が苦労して作成し千点余りの写真で空手の技術が解説されている「空手技術研究」書に掲載のものです。
動きが伝わってくるような感じがします。
心からご冥福をお祈りいたします。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

空手部平成10年入部の冨松です。先日の偲ぶ会の際にメルマガの冊子を頂き、とても興味深く拝読しました!そこに、このblogのことが書いてあり、見に来ました。多彩な題材について、要点とともにご見解が付されており、非常に勉強になります!定期的に、有り難く拝読しようと思います。