2022年10月24日月曜日

経営の神様稲盛氏の「経営12か条」とは何でしょうか?

[このテーマの目的・ねらい]
目的:
 稲盛和夫氏の遺作「経営12か条」の要点をご紹介します。
ねらい:
 上を目指す方は、ぜひ本書をご研究ください。
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稲盛和夫氏は、2022年8月24日に90歳で亡くなられました。
謹んでご冥福をお祈りいたします。

この9月6日に氏の遺作「経営12か条」が出版されました。


氏は、京セラという製造業から転じて、
日本航空という別世界の経営を短期に立て直したことで、
汎用的な経営ノウハウをお持ちなのだと
尊敬申しあげておりました。

その経営ノウハウが全面開示されたのです。
本書の「まえがき」にはこう書かれています。

世の複雑に見える現象も、
それを動かしている原理原則を解き明かすことができれば、
実際には単純明快です。
こうした考えの下、
「どうすれば会社経営がうまくいくのか」という経営の原理原則を、
私自身の経験を基に分かりやすくまとめたのが、「経営12か条」です。
(中略)
12か条が、たいへん短い言葉、平易な言葉で構成されているため、
「果たしてこれだけで本当に経営ができるのか」
と思われる方もいると思います。
しかし、この12か条は、京セラやKDDIのみならず、
日本航空の再建でも素晴らしい力を発揮しました。

実は、、日本航空を再建するために行った意識改革で
私が経営幹部に向けて最初に講義したテーマが、
この「経営12か条」だったのです。
日本航空の幹部たちは、この12か条を理解することで、
それまでの官僚的な意識をぬぐい去り、
経営幹部にふさわしい意識や考え方を身につけるようになっていきました。
そして、それとともに日本航空の収益性も大きく改善していったのです。
(中略)
「人間として何が正しいのか」という最もベーシックで普遍的な
判断基準に基づいている「経営12か条」は、
業種や企業規模の違いはもちろん、国境や文化、言語の違いまでをも超えて
必ずや通じるものと考えています。
(中略)
ぜひとも、その素晴らしい力を信じて、よく理解し、
実践していただきたいと思います。
  2022年8月           稲盛和夫


本書には、この12か条を常時参照できるように、
要約した「経営12か条」シートが付けられています。














これについて、私はこう考えます。
人間の活動の基本線は以下の6条です。

第1条 事業の目的、意義を明確にする
第2条 具体的な目標を立てる
第3条 強烈な願望を心に抱く
第4条 誰にも負けない努力をする
第11条 思いやりの心で誠実に
第12条 常に明るく前向きに、夢と希望を抱いて素直な心で

第1条は、目的(Why)です。これがすべての起点です。
第2条は、目的達成のための目標(What)です。
第3条は、その目標達成に対する精神で、
     これがなければ目標も目的も実現しません。
第4条は、目標達成のための行為(How)を示しています。
ここまでで、Why、What、Howのあり方を示しています。

第11条は、How実行の際のマインドのあり方を示しています。
稲盛氏が厳しいことを言っても受け入れられたのは、
このマインドが理解されたからだと言われています。

第12条は、すべてのベースになる気持ちのあり方、
一般に言うポジティブ思考を示しています。
ネガティブ思考では前進力が生まれません。

私なら、この6か条に
考えたら即実行する、を入れたいですね。
仕事のできない人は、ものごとの保留をする人、
というのが、私のビジネス経験の結論の一つです。
保留は、否定ではないような感じの言葉ですが、
ある時間軸で考えれば、保留は成果ゼロということです。
成果ゼロが続けば、仕事ができない人となってしまいます。

この6か条以外は、経営に特化したことか、
上記6か条の付随的なことではないでしょうか。
たとえば、第8条の「燃える闘魂」は、第3条の延長です。
第5条 売上を最大限に伸ばし、経費を最小限に抑える
第6条 値決めは経営
第7条 経営は強い意志で決まる
第8条 燃える闘魂
    10月1日に79歳で亡くなったアントニオ猪木さんの
    キャッチフレーズが、これでしたね。
    この言葉はどちらが先に言い出したのでしょうか?
第9条 勇気をもって事に当たる
第10条 常に創造的な仕事をする

ところで、どうしてこのような素晴らしい稲盛哲学がうまれたのでしょうか。
2001年3月に日経新聞に掲載されました「私の履歴書」によりますと
氏の生い立ちやお若い時の状況はこうなっています。
その頃のご苦労があとあとの哲学につながっているのです。

稲盛和夫氏の生い立ち・成長

1)印刷町工場の生れ。父は職人肌。母は社交家。

2)小学校時代、友人が「爺さんがいいというから家の柿をとりにこないか」というので、たまたま爺さんが不在の時に押しかけてその柿の実を全部取った。そうしたらその爺さんに学校に怒鳴りこまれた。人の言う事を安易に信じてはいかんと肝に銘じた。

3)中学時代、一家が結核に襲われて自分も軽い症状だが罹ってしまった。その時に縁があり読んだ「成長の家」の谷口雅春氏の次の言葉が身にしみた。「我々の心の内にそれを引き寄せる磁石があって、周囲から剣でもピストルでも災難でも病気でも失業でも引き寄せるのであります」

心の持ち方が大事だということを学んだ。

4)中学の時、自家製紙袋を行商する経験をした。一所懸命取り組み大繁盛したが、原価意識がなく採算は今一だった。

5)高校時代、勉学に目覚め完璧主義になった(100点でないと気が済まない)。

6)(駆け出しの会社は他社のやらない・できない仕事を受けるしかない)そこで「ムリ」を何とか知恵で乗り切る経験をした。

以下成人後

7)新設の鹿児島大学に入学していたが、4年のときが1954年で就職難。まともなところに就職できず、たまたま滑り込んだ京都の会社が碍子の製造会社だった。そこでセラミックの技術にはまり込みいくつかの発明的開発を経験した。その一つが、京セラの母体となった「ニューセラミック製高周波絶縁材料」である。

8)その後。無理解の社長に疎んじられたので、信頼されていた部下数人と退職し、旧先生の応援もいただき、京都セラミックスを創業した。

9)その2年後、新高校卒の若者たちに要求を突き付けられた。一緒に苦労してきた仲間は、無制限に仕事に熱中してきたが新規参入の若い人はそういう考えではない。

その時に経営哲学が生まれた。「全従業員の物心両面の幸福を追求する。人類、社会の発展に貢献する」

10)創業5周年を機に、全員が経営者として活動する「アメーバ経営」コンセプトを考案した。その成果に対する報酬は金銭ではなく、「名誉と誇り」である。



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