2022年11月7日月曜日

二木英徳氏を偲ぶ!!

[このテーマの目的・ねらい]
目的:
 二木英徳氏の偉業を偲びます。
 心から哀悼の意を表します。
ねらい:
 二木氏が心を休めておられることをお祈りいたします。
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2022年8月10日に亡くなられた二木英徳氏の「偲ぶ会」が
11月1日帝国ホテルで開かれました。
主催はイオン株式会社で喪主はお嬢様の二木英美さんでした。
当日の祭壇です。











次の図は、当日配付されました小冊子の表紙です。
お嬢様の揮毫です。

氏は、私と大学同級、空手部同期の仲間でした。
健康を損なって入退院を繰り返していましたが、
恢復の噂もありましたので急逝という感じで誠に残念なことでした。

氏は今年春の叙勲で旭日重光章を受章されたのですが、
ギリギリ間に合ってよかった、という感じになりました。
本人は叙勲式に参列できない状態だったので、
お嬢様が代わりに受け取られたそうです。

旭日重光章は以下の表にありますように、かなり上位の勲章です。
氏の受章理由は、産業振興功労とスポーツ振興功労でした。
日本体操協会長の功績も認められているのです。

勲章の種類と受賞者の例示

勲章の種類

例示

大勲位菊花章

 

旭日大綬章又は瑞宝大綬章を授与されるべき功労より優れた功労のある方

吉田茂、佐藤栄作、中曽根康弘、安倍晋三

桐花大綬章

衆議院議長

旭日章

国家又は公共に対し功労のある方

功績の内容に着目し、顕著な功績を挙げた方

旭日大綬章

参院副議長、最高裁判事、

副大臣、NTT社長

旭日重光章

大企業社長、県知事、副大臣、参院委員長

旭日中授章

市長、眼科医会長、日弁連副会長、コシノジュンコ

旭日小授章

 

旭日双光章

 

旭日単光章

 

瑞宝章

国家又は公共に対し功労のある方

公務等に長年にわたり従事し、成績を挙げた方

瑞宝大綬章

駐米大使、宮内庁長官

瑞宝重光章

名誉教授、事務次官、高裁判事、高検検事長、

瑞宝中授章

名誉教授、病院長、官庁局長・部長

瑞宝小授章

 

瑞宝双光章

 

瑞宝単光章

 

没後、従四位に叙せられました。
たいへんな名誉です。

1.二木英徳氏のジャスコでの功績
氏は、1984年から12年間、ジャスコの社長を務められました。
岡田会長との役割分担は、二木社長がCOO、
岡田会長が対外事業戦略ということでした。

因みに、ジャスコ(JUSCO)は、1970年に地域スーパーだった
フタギ、岡田屋、シロのトップが意気投合し
共同出資で設立した仕入れ会社が起源です。
JUSCOという社名を考えたのは、二木夫人の榮海さんでした。

ジャスコ単体の業績は、1985年売上7612億円に対して、
1995年には売上1兆2020億円と58%増加させています。
連結では、8813億円が2兆950億円と2.4倍にもなっています。
この間、バブル崩壊もありましたのに、
最終利益は単体で100億円以上を確保し、
連結では子会社群が黒字化し、1995年には311億円となっています。

当日配付されました「二木英徳を偲ぶ」冊子に掲載されました写真を
転載いたします。



同冊子の写真の注;1995年藍綬褒章を受章。貿易振興への貢献、
社業を通じた衣料品分野の産業振興への貢献が評価された。










(その関連記事)「国際化。多角化に尽力」
英徳は、
ジャスコ設立当初より経営の中心に合った事業多角化の道を探り、
活発な新会社設立に取り組んだ。
またグローバルな視野を持ち国際感覚に優れた英徳は、
初の海外出店をマレーシアで実現すると
グループの国際化を積極的に展開。
英徳の挑戦は今日のイオングループ戦略の一つである「アジアシフト」
礎となり、現在も拡大を続けている。

ジャスコは連邦経営で有名ですが、中に対しては
二木社長は現場重視思考で
「現場の英雄」を表彰する制度を作られたりしました。
「二木英徳を偲ぶ」冊子には、
多くの人が氏の優しさ・思いやりに触れていました。
その一つをご紹介します。

 目指すべき素晴らしいリーダーでした
私は入社以来、ジーフット(靴専門店事業)の会長時代まで
40年近くご指導いただきました。
二木さんは朝から晩まで店を回って数字と現場の両方を徹底的にみる。
こちらが課題のある売場をうまく避けようとしても、
「できてないところは匂うんや」と必ずチェックされる(笑)。
現場で足元を固めながら、一方で大きなビジョンに向かうことが、
多角化成功の秘訣だったと思います。
今でも頭に残っているのは、「自ら考え、自ら実行」のスローガン。
「みんな主体的に仕事をやろうよ」と。
そこで現場の英雄が生まれ、
成功事例を早く拡げて会社の成果につなげる。
そういうマネジメントをやられたんだと思います。
人生で一番長い時間を費やす仕事の時間は、人生にとって大切です。
二木さんのお陰で非常に楽しく仕事ができ、とても感謝しています。
(後略)     1979年ジャスコ入社 MHさま

「これからの経営者」に求められる資質を、
江川雅子成蹊学園学園長が、ハーバードビジネスレビュー11月号で
次のように述べられています。
①組織のパーパス(目的)を定め、体現し実践できる力
②利害関係者と適切にコミュニケーションする力
③インテグリティ(倫理観)

上記のMHさまのメッセージは、①②そのものです。
冊子には、労働組合の責任者との熱い交流も紹介されていました。
③の倫理観につきまして、ジャスコは氏の統治中およびその後も
一切不祥事を起こしていません。
氏は、「これからの経営者」の条件を完全に満たしていた
素晴らしい経営者だったのです。

2.日本体操協会会長としての功績
二木氏は、2001年から2021年まで、20年間、
日本体操協会の会長をされました。ビックリすることです。
日本国内での体操競技の認知を高め、選手を鼓舞し、
日本体操陣の国際試合での大活躍に貢献されました。
氏が会長を務めた20年間の日本の体操男子の成績を
団体戦に絞って整理したものが、次の表です。

日本男子体操世界大会団体の成績

大会種別

団体の成績

優勝国

2001

 

不参加

ブルガリア

2002

 

団体戦なし

 

2003

 

中国

2004

五輪

日本

2005

 

団体戦なし

 

2006

 

中国

2007

 

中国

2008

五輪

中国

2009

 

団体戦なし

 

2010

 

中国

2011

 

中国

2012

五輪

中国

2013

 

団体戦なし

 

2014

 

中国

2015

 

日本

2016

五輪

日本

2017

 

団体戦なし

 

2018

 

中国

2019

 

ロシア

2020

五輪

ロシア

2021

 

団体戦なし

 

2022

 

中国

注:大会種別のブランクは、世界体操競技選手権大会

以下は、「二木英徳を偲ぶ」に掲載されました内村航平選手の談話です。

 自分が選手のように結果を求める
初めて代表に入った2008年の北京オリンピックから
お世話になりました。
二木会長は体操ニッポンの復活を掲げられ、
「何で団体で勝てないんだ」と
自分が選手のように公の場で言っておられました。
リオオリンピックでチームをまとめて金メダルに導けたのは
会長の話があったからこそだと思っています。
(注:前掲表の2016年のことです)
僕達が本当に競技に専念できる環境を作っていただきましたし、
北京以降はスポンサーもつき、
体操の価値を会長が上げてくださったと感じています。
頑張った選手には労ってくれる素晴らしい方で、
二木会長の御尽力に対してとても感謝しています。

二木会長は、活躍した個人に、ポケットマネーでかなりのお祝い金を
出していたのだそうです。

氏は、2013年に世界体操殿堂入りを果たしています。
世界体操殿堂入りは、日本で10数人いますが、
選手以外では氏一人だけです。
氏の体操会への貢献が世界的に認められているということです。

3.二木英徳氏の思い出
(1)いただいたもの
彼がジャスコの社長になった1984年は、
私がマインドリサーチ社を創業した年でもありました。
その時のお祝いに、
「ユッカ」の植木鉢をわが家に送ってくださいました。
娘が由夏という名前なのでそれに因んで選んでくれたそうです。
優しい心遣いです。

そのユッカはわが家の玄関先に植え替えましたらどんどん大きくなり、
今でも元気に育っています。
この樹を見れば、彼のことは忘れないでしょう。


この写真は見にくいですが、
元気なことだけはお分かりいただけると思います。 














(2)仕事の恩人です
1984年の創業後、システム分析方法論MIND-SAを売り出しましたが、
実績ゼロだとお客様から相手にされず2-3か月苦労していました。
彼は、ジャスコの社長になられると、
部下にMIND-SAの検討を指示してくださいました。
すると、部下の部長3人が説明を聞きに来られまして、
即断で第1号のユーザとなっていただきました。

これを契機に、MIND-SAは
数年で250社に導入いただくヒット商品になったのです。
二木氏は我が社にとって大恩人です。

大学の仲間は弁護士になった者も多いのですが、
その何人かはジャスコの顧問弁護士にしていただいています。

(3)エピソード
大学のクラス会では、旅行会もしていました。
1980年の第1回の旅行会は伊豆長岡でした。
その時、幹事の私が「夫婦同伴可だから奥様もどうぞ」と言って
彼を誘いました。
そうしましたら奥様の榮海さんと一緒に参加されました。
当時からその愛妻ぶりは有名でした。

ところが、他の男性は誰も奥さんを連れてこずに、
奥様は1人だけとなってしまいました。
それでも、彼は「なんだね。うちとこだけかい!」とか
私に言うこともありませんでした。
私にはまねのできない「思いやり」です。
その後、その旅行会では、奥様同伴の者が増えていきました。
彼はなんでも先駆者ですね。

(4)むかし話
彼は、学生時代は裕福だったので?
結構「遊び人」だったようです。
渋谷のスナックに通っていたのは有名でした。
貧乏な我々が行くのは、その近くの「トリスバー」で、
1杯40円のウィスキーとかを飲んでいました。

その彼が、榮海さんと結婚してからは、
まったく他の女性には関心を持たない
「まじめ人間」に変身?しましたので
皆でビックリし感心していました。

(5)空手部仲間としての思い出
彼は、我々と同時に空手部に入部しました。
しかし、厳しい稽古は苦手なのか、
あまり熱心な部員ではありませんでした。
それでも卒業後の仲間としては、
しっかりイベントに参加してくれました。

こちらも夫婦同伴の旅行会をしていました。
幹事は持ち回りでした。
彼が幹事のときに、東北3大祭りを見に行く会をしてもらいました。
仙台の七夕祭りは時期が違うので、
青森のねぶた祭と秋田の竿燈祭りに行きました。
その時に、彼が地元の関係者に取り計らってくれたのでしょう。
ずい分恵まれた楽しい大名旅行をさせていただきました。

関西旅行をして、夙川のご自宅を訪問し、
奥様のお仕事の作品などを見せていただくなどのこともありました。

奥様は、文化服装学院デザイン科卒業で、
コシノヒロコさんと同窓でした。
ファッション関係に強く、
ジャスコの婦人服事業の責任者もされていました。
冊子には、
コシノヒロコさんが、
二木夫妻との家族ぐるみのお付き合いだったことと、
彼女が世界体操のユニフォームをデザインしたことを
紹介していました。

奥様は才女で、
テーブルコーディネータ(注)としては日本一だと
言われていました。
注:ホテル内のレストランやパーティーでのテーブルの飾りつけ、
  食器などのコーディネートをする仕事

その奥様、氏の最愛の夫人榮海さんは、
2015年11月7日に76歳で亡くなられてしまいました。
彼の落胆ぶりは如何ばかりかと、
同年12月18日に在京の空手部仲間12人が全員集まって
「二木英徳さんをが励ます会」を開きました。

住まいである赤坂のマンションの共有スペースで
参加メンバ持ち込みでの会をさせてもらったこともありました。
2019年4月8日でした。いい思い出です。
写真中央の白髪の紳士が彼です。
左の女性はご協力いただいたお孫さん。



今年の会は、4月21日に,OB10人、夫人4人が参加し
ホテルのレストランで会食しました。
その時に、彼は体調を崩し入院中で参加できませんでしたが、
幹事の私が作成した参加者の近況報告レポートを送りましたら、
興味深く読んでくれたそうです(秘書の方談)。
その後、快復しているという噂もありましたので、
再会を楽しみにしていましたら、突然の訃報です。
ショックでしたね!!

今は、最愛の榮海様と再会し、
心の温まる時間を過ごしておられるのでしょう。
心からご冥福をお祈りいたします。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

男の中の男と言う方ですね!
何事も先駆者で 尚且つ「英雄色を好む」でなく
結婚してからは奥様一筋!素晴らしい!

立派な友人がおられたことは誇りですね

これからは上野さんが二木さんの分も活躍ください

上野 則男 さんのコメント...

匿名さん
早速のコメント、ありがとうございます。
どなたか存じあげませんが、心のこもったメッセージで、
ありがたく頂戴いたします。
二木兄も喜ぶでしょう。
これからの頑張りますので、
何とぞ応援よろしくお願いいたします。