2016年8月1日月曜日

「デジタルジャーナリズムは稼げるか」

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 これからのジャーナリズム・マスメディアはどうなるのかを
                             考えてみます。

ねらい:
 今後本当にどうなるかを考えてみましょう。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

このタイトルは、米国の元ジャーナリストで
現在、
ニューヨーク市立大学大学院ジャーナリズム学科教授の
ジェフ・ジャービスの著書名です。

デジタルの時代になって、
誰でも安価にまたは無料で情報を送り出せるようになり、
ジャーナリズム・報道組織の独占は崩れました。

今後、ジャーナリズムはどう変化していけばよいかを、
探求したレポートです。

本書は私が「苦手な」432ページの大著で、
著者のこれまでの経験・研究を集大成して
テーマについて多角的に探求しています。

例えば、興味深いこういうことが論じられています。

 価値ある情報ほど高く売れない
 ジャーナリズムとエンタテイメントは同じではない
 デジタル情報の有料化は難しい
 (成功はニューヨークタイムズくらいのものだ)
 テレビは情報量が少ない、無駄も多い
 「広告は失敗の証明」という法則


以下は、著者の主張が明確には整理されていませんので、
私が「言いたいことはこうなのであろう」という推定を交えての論稿です。
最後の太字部分は著書からのそのままの引用です。




ジャーナリズムの報道提供者としての価値が下がっていることは、
広告費の推移を見ればわかります。

日本の広告費のメディア別推移はこうなっています。


媒体別広告費の推移               単位=億円

広告媒体
2011
2015
新聞
5,990
5,679
-311
雑誌
2,542
2,443
-99
ラジオ
1,247
1,254
+7
テレビメディア
18,128
19,323
+1,195
インターネット
8,062
11,594
+3,532
プロモーション広告
21,127
21,417
+290
合計
57,096
61,710
+4,614

電通による推計


実際の感覚では、
新聞・雑誌の広告はもっともっと少なくなっています。
新聞の広告はピークの半減以下です。

私は、雑誌はIT関係では「日経コンピュータ」しか見ません。
ある必要があって調べてみると、
発行元の日経BP社以外の広告は、
毎号2,3社しかありませんでした。

昔は、
記事ページよりも広告ページの方が多くて
うんざりしていたものでした。

ついでに新聞の発行部数も調べてみました。

新聞発行部数                   単位=1000


合計
一般紙
スポーツ紙

部数
減少率
部数
減少率
部数
減少率
2000
53,709
100
47,402
100
6,307
100
2005
52,568
 98
47,190
100
5,378
 85
2010
49,322
 92
44,907
 95
4,415
 70
2015
44,247
 82
40,692
 86
3,555
 56

日本新聞協会調べ


この5年の減少が急激です。
中でもスポーツ紙は壊滅的です。
スマホの影響でしょう。
電車でスポーツ紙を見ている人が「じい様」しかいなくなって
皆スマホ覗きですものね。

参考までに各紙の発行部数も見てみました。

新聞発行部数(朝刊)   単位=万部


2014年下期
2015年下期
読売新聞
926,4
913.6
朝日新聞
710.1
671.0
毎日新聞
329.9
322.8
日経新聞
275.5
273.2
産経新聞
161.5
159.9

朝日が1年で大きく減少しています。
これは特殊事情です。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
本書は、こういう状況で、
ジャーナリズムはどうやって生きていけばよいかを
探求しているのです。

1.単なる情報は買ってもらえない。
 ニュース発生源が直接情報提供する。
 例:天気予報は気象庁。

2.広告は別のメディアにとって代わられる

となると、価値ある情報を提供するしかない、

価値ある情報とは、
1.他では得られない特ダネ的情報
2.多くの情報の分析に基づく解説記事

これならお金を払ってもらえる、ということです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
そのとおりです。
前者の例では、週刊文春です。

この頃の特ダネの連発は凄いですね。
相手の弱みを暴き出す精神は気に入りませんが、
その実績は大したものです。
舛添さんも、週刊文春の餌食になってしまったのです。

今の一流紙の記者たちは記者クラブに勤めていて
そこで発表される情報を記事にするだけだ、
取材力が付くわけないし、
ユニークな情報(特ダネ)を得られるわけもない、
と識者に酷評されていますが、そのとおりでしょう。

週刊文春等の記者は、
ほとんどが契約社員で「価値ある」情報を得られなかったら
クビになってしまうのです。
サラリーマン記者とは基本が違うと言われています。

後者についてはこうです。
私は新聞は日経新聞と日経MJ(日経流通新聞)を
読んでいます。

日経新聞で何を読むかといえば、
ニュース的な記事はチラとしか見なくて、
囲みの解説記事が主です。

多くの場合は連載です。
これは「なるほどそうか」という知識が得られます。

日経MJの1面はテーマ記事です。
これしか見ません。

解説記事については、
ジャーナリズムのライバルであるテレビでも
この部分があります。

コメンテータとか有識者とかいう人が解説しますが、
こちらはいい加減でほとんど信用できません。

新聞の編集委員の解説記事は、
やはりそれなりの重みがあります。

雑誌の愛読誌は「致知」ですが、
ほとんど渡部昇一さんの「歴史の教訓」しか読みません。
これは渡部先生の見識の開陳で学ぶところ大です。

ということで著者の指摘は合っています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ジャーナリズムが生きる方向については、
こう主張しています。

1.まずはデジタル化は必須の前提条件

2.脱マスメディア=ローカル化と専門化

私は、今でも「紙」派なので、
紙も残るのではないか、と思っていますが、
10年後にはなくなっているかもしれません。

「新聞は一覧して一瞬で何が記載されているか分かり、
読みたいものを読むことができる、
これはスマホやPCではできない」
と思っていますが、これは慣れの問題かもしれません。

デジタル流の「一瞬で読みたいものが得られる」
ということになるのでしょう。

しかし、今のマスメディアは紙媒体をデジタル化すればよい
ということではないのです。
デジタル化は今でも始まっていて
それなりの利用者もいるようです。

2番目の条件の脱マスメディアが難しいでしょう。

これは、
世の中全般が汎用から専門特化へ転換していっている
流れの中での一コマにすぎませんが。

百貨店から専門店へ
総合スーパーから食品スーパー、ドラッグストアへ
総合電機が選択と集中で生き延びる

この対応は自らが転換して成功した例よりも
新興企業が成功している例の方が多いようです。

専門雑誌が強いことはよく分かります。
その世界に特化するのですから、数は出ませんが
内容はそれを必要とする人にとっては価値があります。

料理、ファッション、飲食店、旅行の専門情報提供は
すべてデジタルの時代になってもなくなりそうにありません。


新しいデジタル時代のジャーナリズムが
どこから生まれてくるかについて著者は思案していますが、
既存のマスメディアにも期待をしています。

その理由は、以下のアドバンテージを持っているからです。
1.キャッシュフロー(一から立ち上げるのに比し有利)
2.ブランドの認知度
3.一定の信頼
4.経験も豊富
5.インフラを持っている
6.明確な倫理基準がありそれを守る体系的な仕組みがある

(しかし、成功者ほど新しい流れに対応できずに
没落していくという歴史的事実がありますから 上野補足)

あとは、このままでは滅びるという危機感を持ち、
自分たちには素晴らしい先人たちがいる
という誇りが武器になってくれればよい
と述べています。

著者の結論的発言は以下のようになっています。

ジャーナリズムは、コンテンツを販売しようとする限り、
規模の拡大に限界がある。
(したがってベンチャーキャピタルの投資対象にならない)

コンテンツの制作を第一とするビジネスから抜け出すべきである。
メディア企業もプラットフォームのビジネスに移行すべきだ。

人々が情報を共有し合えるプラットフォームである。
そこではコンテンツを配布できるだけでなく、
誰かの作ったコンテンツに改変を加えることもできる。

一般の人が提供した情報に
ジャーナリストがプロならではの価値を加えて
再配布することも可能だ。
コンテンツではなく、
人間関係に基礎を置いたビジネス戦略に変える。

従来型ジャーナリズムの構造は今のままでは非効率すぎる。
もうさほど重要でなくなっている仕事に
多くの人員を投入している点が特に問題だ。

これは大企業となったマスメディアにはできないことでしょう。
前掲の記者を特ダネを追いかける記者は
解説委員になってもらうことはできない相談です。

情報サービスの世界でもそれが言えます。
従来型の単純作業のプログラマの仕事は
どんどん機械化されてしまいます。
でもその人たちに高度なエンジニアや企画者になってもらう
ことは至難なのです。

そういうことなので、
ジャーナリズムに愛着と持つ著者の悩みは深く
「具体的な姿は描けない」という結論です。

しかし私は、
自分のテーマとして考えさせてもらえました。
感謝します。

0 件のコメント:

コメントを投稿