2023年12月14日木曜日

「『想像の痛み』から逃げたい」とはどういうこと?

 [このテーマの目的・ねらい】

目的:
 「勘違いが人を動かす」の第3章のご紹介です。
 いろいろな心理状態の実体の一部を確認いただきます。
ねらい:
 そのような知見を活かしましょう。
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「勘違いが人を動かす」の第3章のご紹介です。
第3章 「想像の痛み」から逃げたい
の中見出しはこうなっています。

「失う痛みを避ける」ためにどんなことでもする
「いらないモノ」を捨てられない理由
「お金を使う」のは身体的に痛い

「経済的な不満」を感じると、人は食べ過ぎてしまう
なぜプロのサッカー選手が「止められやすい」シュートを蹴ってしまうのか
人はとにかく「確実で安心」が好き

決断を左右するのは「リスク回避」
病気にかかるよりもワクチンの副作用が怖い
保険は「割に合わない」とわかっていてもかけたくなる

決断を先延ばすより「すぐやる」ほうがいい
人は「選択の可能性が消える」のを嫌がる
「閉店セール」や「期間限定」を無視できないわけ
コラム:「買うべきモノかどうか」を判断する方法

「合計金額」を把握しながら買い物をするべきか?
「食べ放題」に行くのは心理的にも楽しい
「不確実性」は人に苦痛を与える
都合の悪い「正確な情報」は見たくない

以下に、その内容をご紹介します。

「失う痛みを避ける」ためにどんなことでもする
1997年10月、
故郷のハーグに住んでいた筆者のティムは、
ATMで少額の現金を引き出すために外出した。
嬉しい知らせを聞いたばかりだった。
初めての仕事となる、
不動産広告のコピーライターとして採用されたのだ。

高揚感に包まれたままATMにキャッシュカードを挿入し、
暗証番号を入力して金額を指定した。
帰宅したところで、
ATMから現金を取り出し忘れたことに気づいた。
慌てて戻ったが、金はなかった。
次の利用者に取られたのだろう。

あなたは、
この話の何がそんなに特別なのかといぶかるかもしれない。
この話が特別なのは、
筆者がこの出来事を覚えているという事実そのもにある。
筆者はこれまでの人生で、
あのときATMで引き出したのと同じ額に相当する
ギフトカードをもらったことが何度かあるはずだ
(本やレコードに使える、彼のお気に入りのギフトだ)。
だがその詳細はすっかり忘れている。

一方で、遠い昔にATMから取り忘れた少額のお金のことは
いつまでも記憶に刻まれている。
これは決して筆者だけのことではない。
上野注:私も飲料自販機で千円札を入れてお釣りをとり忘れたことを
いつまでも覚えています。

人は何かを失うとき、
同じものを手に入れるときよりも大きなショックを感じるのだ。
錆びだらけの自転車でも、
盗まれると激しい怒りにかられるのはそのためだ。

人間の脳は、
このような不快さを避けるためならどんな苦労も惜しまない。
このように人が何かを失うことを避けようとする傾向、
すなわち損失回避は、あらゆる場面で観察できる。

会社は、優先順位は高いが成功する見込みのないプロジェクトを
なかなか中止できない。
このプロジェクトを失うことが怖いからだ。

幼い子ともは、古い絵画にレモネードをぶちまけ、
ビックリして泣いてしまう。
何か大切なものを台無しにしてしまったことがショックなのだ
(たとえ、絵の価値などさっぱりわからなくても)。

私たちも日々の暮らしの中で、同じように損失回避行動をしている。
なぜなら、
人は所有しているものをそのまま所有し続けたいと思うからだ。
これがとても奇妙な認知バイアスを引き起こす。

「いらないモノ」を捨てられない理由
ここで筆者(エヴァ)の父親のケースを例に挙げよう。
彼は、、自宅のガレージに5つの収納ボックスを置いている。
ボックスの中には、ダイニングチェアや揺り木馬、塗料の缶が、
シトロエン2CV2(1949年から発売されていたクラシックカー)
2台分の部品とギター型ラジオの隣に幸せそうに並んでいる。

これらの雑多なモノの唯一の共通点は、彼の持ち物であること。
父は一度手にしたものは手放そうとしないのだ。
壊れてもいないし、いつか役に立つ日が来るかもしれない。
そう思うから、捨てられないのだという。
片付け界の急進主義者と呼べる、近藤麻理恵の本まで所有している
(しかも、おそらく読んでいない)

あなたにも心当たりはないだろうか?
筆者も、自分がモノを捨てられないのは
父の遺伝子を引き継いだせいでもあると思いつつ、
この傾向がどんな人にもある程度は当てはまることを
大学の授業で知って安心した。

これはとてもありふれた人間の現象だ。
「モノを捨てられない、ダメな人」と揶揄されたりもするが、
もう少し言われた人の心を傷つけない、正式な名称もある。
「授かり効果」だ。

これは行動経済学者のリチャード・セイラーが提唱し、
実験によって検証してきた概念だ。

中略

私たちがモノを売買するときにも、この授かり効果が見られる。
個人間でモノを売り買いできる
「craigslist」や「eBay」などのオンライン・サービスでは、
売り手が設定する最低入札価格は
客観的に見ると高すぎることが多い。

他人から見れば着古したトレーナーでも、
売り手はまだ十分に価値のあるものだと思ってしまいがちだ。
また、株の売買でも、これから値上がりするのではないかと考えて、
株を手放すタイミングが遅くなってしまうことが多い。
株主にとっては、株は大切な所有物なのだ。

このように、授かり効果はマーケットにも影響を与えている。
とはいえ、この二つの例では、売り手は賢明な判断をしたとも言える。
所有物はなるべく手放そうとせず、
売る時は高値で売る方が金銭的に得になることが多いからだ。
売ろうとするものに価値があると信じている方が、
自信を持って交渉しやすくなるだろう。

決断を左右するのは「リスク回避」
レストランには、思い切っていつもと違う料理を注文すれば
お気に入りの品を見つけられるかもしれないのに、
毎回決まって同じメニューを注文する常連客がいるものだ。

その一方で、エベレスト登頂を目指したり、
スタートアップに投資したりする、極端にリスクを好む人もいる。
中略
リスク選好に個体差があるのは人間だけではない。
(鳥にもあることが例示されています)

ここで、「選択によって得られるものの判断を間違えやすい個体は、
自然淘汰されてきたのではないか」という疑問が浮かぶかもしれない。
米国の生物学者とコンピューター科学者からなる研究チームが、
この問題の解明に取り組んだ。
中略
シミュレーションで多くの登場人物にパートナー選びをさせた
その結果、平均的な相手を早い段階で見つけてそれでよしとする個体と
妥協せずに完璧な相手を求め続ける個体
(なかなか思うような相手が見つからず、
最悪の相手しか残っていないリスクが高まる)がいた。

これらの個体を分析したところ、進化上の争いでは
リスクを冒す者が淘汰されていきやすいことがわかった。

私たちの脳がリスクを回避しがちなのは、
パートナー選びのように極めて重要な選択が
人類の生存率にもたらしてきた影響を受けていると推論できる。
そしてその結果として、
人間にはリスクを回避するために
些末な問題についても考え過ぎてしまう傾向もある。

たとえば、
レストランのメニュー選びでもなかなか決断ができなかったりする。
独身の人には、リスクを冒して最高の相手を探そうとするのではなく、
リスクを避け、十分だと思えるパートナーを選ぶことをお勧めする。
リスクを取るのは、
馴染みのレストランのメニュー選びでちょっと冒険するときに
取っておけばよい。

病気にかかるよりもワクチンの副作用が怖い
人間は、概してリスクを好まない。
それは科学研究が示しているだけでなく、
人々の日常生活をかんさつすることからもわかる。

私たちは高い金を払って有名ブランドのトースターを買い、
レンタカーに割高な保険をかける。
退屈な仕事にしがみつき、馴染みのレストランにばかり通う。
全ては人類が進化の過程で身につけた、リ
スク回避の傾向がもたらしたものだ。

人間の脳はリスクを回避するように進化してきた。
基本的に、あえてリスクをつくり出そうとはしない。
その結果、人は自ら求めたりつくり出したりするリスクよりも
自然に存在するリスクを受け入れやすい。
この現象は「自然リスクバイヤス」と呼ぶことができる。

中略

自然リスクバイヤスは、
私たちが医療を受ける際の判断にも影響を与えている。
薬やワクチン、治療によって生じる副作用や合併症のリスクは
極めて少ない。
だが、病気の結果として自然に負うことになるリスクと比べて、
患者はこれらの人工的なリスクを強く恐れるのだ。

上野注:なるほど、そういうことですか!そういう人はいますね。

決断を先延ばすより「すぐやる」ほうがいい
損失回避やリスク回避に負けないくらい強力なのが、
曖昧さ回避と呼ばれる認知バイアスだ。

『どんなリスクがあるのかわからない」というのは、
「五分五分の可能性でお金を失うと知っている」
よりも悪いように感じられる。
これは、パートナー選びや職業選択、
投資などの様々な場面での意思決定に当てはまる。

こういう時にはどうすればいいのだろうか?
これから詳しく見ていくように、
決断をいつまでも先送りにするくらいなら、
「後悔しても構わない」と行動する方がたいていの場合ベターになる。

これまで見てきたように、
人間にとって何かを失うことやリスクを取ることは痛みを伴う。
その理由は、間違った選択をしたと自分を責めるのが辛いからである。

別荘であれ、将来のパートナーであれ、退屈なプロジェクトであれ、
自分の行動の結果として何かを手放さざるを得なくなるのは、
とても辛いことだ。
それゆえ、予測的後悔(意思決定をするときに、
将来に感じるだろうと予測される後悔のこと)は、
判断において大きな役割を果たす。

だがそこには厄介な問題がある。
人は将来ある出来事が起きたときにそれを自分がどう感じるかに
ついての見積りが、あまり得意ではないのだ。

「宝くじに当選したらどれほど嬉しいか」と尋ねると、
人は幸福度が高まることを過大評価する。
また、悪いことが起きたとき
人生にどれだけ悪影響が生じるかについても、
人は過大評価する傾向がある。
(事例省略)
つまり何かを決断する際、
私たちはたいてい後悔を過度に大きく見積もっているのだ。
いつまでも決断を先延ばしにして状況を悪化させるより、
間違がってもいいから決断してしまうほうがいい
と言えるのはそのためだ。

上野注;
要約すると、こういうことのようです。
人が意思決定を先延ばしにするのは後悔したくないからだ。
ところが、人は後悔を過大評価する傾向がある。
実際には思うほど,悪いことは起きないのだ。
したがって、あまり心配しないで意思決定しなさい。

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