2010年7月26日月曜日

問題発見シリーズ その2 問題とは何か

問題発見シリーズその1で取り上げた
「なぜ危機に気づけなかったのか」(マイケル・A・ロベルト著)は、
そもそも問題発見を勧める書なのに
問題の定義がないのはどうしてなのでしょう。

皆様に初級の質問ですが、
「問題とは何かを定義してください」
どうでしょうか。

「問題と思うことである」
「問題意識が重要だ」
これでは答えになりません。

ではどういうことでしょう。
「問題とは何か?」は、
 システム企画研修㈱の研修で
 20年以上前から使用している小演習テーマです。

 「以下の4つの文章のどれが問題でしょうか?」
 と質問するのです。
 
  1.伝票1枚処理するのに5分かかる。
  2.請求書を締め後3日目に出している。
  3.給料が20万円である。
  4.子供が10歳である。

 そうすると、以下のようなさまざまな回答が出ます。
  1番が問題
  2番が問題
  3番が問題
  1番と2番が問題
  2番と3番が問題
  すべてが問題
  どれも問題でない
  4番は問題でない

 このいずれも正解ではないのです。
 では正解は何でしょうか。

 正解は「どれが問題であるか分からない」です。
 なぜでしょうか。
 それは、「目標が示されていないから」です。

 問題の定義は、「目標と現状の差」なのです。
 先ほどの4つの文章は、現状を示しているだけで
 目標が示されていませんから、
 「問題かどうか分からない」が正解なのです。

 では、「4番は問題になるのでしょうか?」と質問すると、
 問題にならない、という回答をする方もあります。
 (講師の誘導尋問ですね)
 「なぜですか」と質問すると
 「改善できないから」という答が返ってきます。

 問題の必要十分条件は「目標と現状の差」です。
 改善できるかどうかは関係ありません。
 「遊園地で、子供が10歳だからあの遊具を利用できない」(問題だ)
 「利用したい、12歳だったらよいのに」
 と思うのは自然です。
 
 「それは問題ではないでしょう」と誰かが言ったとすると、
 その人は怒るでしょうね。
 「何を言っているんだ。私にとっては問題だ!」と。

 ところが、世の中には30種類か、もっと多く、
 「問題解決何とか」という本が出ています。
 その中には「解決できないものは問題ではない」
 という定義をしているものもあります。
 その本の中でどう定義しようと、それは勝手ですが、
 世の中一般の使用法と異なるのはまずいでしょう。

 私どもと同じように、
 問題とは「目標と現状の差」
 という定義をしている解説書も多いようです。
 この説明をしておきます。

 (少なくとも当初の)QCでは「問題」を
 「基準と現状(または事実)の差」と言っていました。
 QCでは、決めてある基準から乖離しているものは問題だ、
 としていたのです。
 QCは、それをなくす方法を追及していたのですから、
 当然と言えば当然の定義です。

 「理想と現状の差」と言う書もあります。
 どうやって理想の状態に近づけるかを探求するのであれば
 それもよいでしょう。

 ですが、一般に使用されているの用語法は、
 あるべき(基準)、ありたい(理想かどうかは不問)
 の総称としての目標と現状の差です。

 ついでですが、
 先ほどの4番は他と異なる面を持っていました。
 それは「改善または解決できない」という面です。
 改善または解決できない問題は、
 問題にならないのではなく、課題にはならないのです。

 私どもは、これも一般的な用語法に従っていますが、
 「課題とは、ある目的を達成するために解決すべきであり、
 解決の可能性のある問題である
 (問題の中で目的指向性と解決可能性を持つもの)」
 と定義しています。

 年金制度の課題の一つは
 徴収率の改善ですが、
 これは年金財政を破綻させないという目的を持っていて
 工夫すれば何とかなるのではないかと考えているので
 課題なのです。

 「何ともならない!」と匙を投げれば難題となってしまいます。

 そこで、重要なのは目標である、
 ということがお分かりになったと思います。

 目標がなければ問題はないのです。
 私どもは、先ほどの小演習問題のときに
 以下のように申しあげています。
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 よく「問題意識を持て」と言いますが、
 本当は「目標意識を持て」と言うべきなのです。
 問題意識は、否定形です。
 「こんな伝票1枚処理するのに5分もかかっていてはダメだ」
 「請求書を締め後3日目に出しているなんてとんでもない」
 「給料が20万円だなんてやってられない」

 これだと、だんだんあれもダメだ、これもダメだと
 落ち込んでいきます。
 そういう癖がつくと、だんだん土壷にはまって
 行き着く先は「不平不満居士」「窓際族」ですよ!

 それに対して、
 こうあるべきだ、という前向きの目標意識だと
 「この伝票1枚3分で処理できないだろうか」
 「請求書を締めたらすぐに発行できないだろうか」
 「給料を何とか30万円もらえないだろうか」
 となります。

 これだと、ではどうしたらよいか、
 と前向きに検討が進むことになります。
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 ところで、目標にもいろいろあります。
 何かをするときの納期の目標、費用の目標などがあります。
 しかし、最も重要なのは
 「何のためにそれを行うのか」という「目的・ねらい」の目標でしょう。

 「目的・ねらい」につきましては、
 このメルマガやブログでも再三その重要性について
 解説してまいりました。

 「何のためにそれを行うのか」が
 すべての目標の起点です。

 小学生のお子様が二人いる「夏休みの計画」
 を題材に考えましょう。
 目的は、子供に喜んでもらう。
     良い思い出を作ってもらう。
     親も楽しむ。
 ねらいは、親に対する信頼を強化する。
      楽しい変化に富んだ経験が人間形成に貢献する。

 ということだと考えたとします。
 そうすると、その条件を満たす目的地やそこで何をするか、
 が出てきます。
 目的が曖昧だと、ただ単に2・3日どこかに行って楽しもう、
 というようなことになってしまいます。

 前掲の目的だと、
 「子供たちにも企画に参画してもらう」
 ということになるかもしれません。

 子供たちは、
 「こういう風に企画を作るものだ」
 「結構いろいろなことを検討しなければならないのだ」
 「うちの親は大したものだ」
 という風に思うでしょう。

 楽しさが増すだけでなく、
 「親に対する信頼を強化する」ということにもつながります。

 この続きは、次回の問題発見シリーズ(その3)です。

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