「問題解決より問題発見が大事である」
とよく言われます。
その主張をする図書が最近も出版されました
「なぜ危機に気づけなかったのか」(マイケル・A・ロベルト著)です。
その第1章は「問題の解決から問題の発見へ」となっていますから
明らかに、問題発見を説いているものです。
主に組織の長を対象として記述されています。
どうすれば問題発見ができるかの主張(章構成)は
こうなっています。
フィルターを避ける(生の情報が来るようにする)
人類学者になる(現場重視で観察せよ)
パターンを探す
点を結びつける
価値のある失敗を奨励する
話し方と聴き方を教える
ゲームの録画を見る(ゲームは試合のこと)
「フィルターを避ける」ではこういうことを言っています。
悪い情報・具合の悪い情報は隠されがちである。
それでは裸の王様になってしまう。
なるべく生の情報が上がって来るようにしなければならない。
それには、――――。
というような論旨です。
ここには、「発見すべき問題」の
「問題とは何か」についての解説がありません。
解釈としては、書のタイトルが示しているように、
経営危機に繋がる悪い状況、ということが
暗黙の前提のようです。
経営危機に繋がる悪い状況、
これには、因果関係の連鎖があって、
最初は、一見なんでもないようなことから始まります。
たとえば、車のリコール問題。
初めは、ある1台でブレーキが不調のようだった。
それは、事実なのか、たまたまなのか、
その段階では報告しないでしょう。
それをしていたら、
車の修理案件をすべて報告しなければなりません。
再現性も難しいのかもしれません。
したがって、特別な不備も見当たらないということで
車を持ち込んだお客様には、
「確認をしましたので、このままで問題ないと思います。
引き続きご利用ください」
というようなことで済ますでしょう。
また、別のところで同じようなことが発生します。
そこでも、同じような対応をするでしょう。
そのうちに、同じ販売店に2件目の案件が持ち込まれます。
そうすると、気がつく人がいれば
「前回もこういうことがあったな」と思い
前回例を調べてみます。
すると、ほぼ同じ状況だ、ということが分かります。
しかし、表面的には特別の不備は見当たりません。
その際、どうするでしょうか。
大規模な修理工場に持ち込むことを
お客様に勧めるでしょうか。
お客様も嫌がるでしょう。
「部品交換ですまないのか」と言われるかもしれません。
外見上は不備がないのですから、
どの部品を交換したらよいかわからないでしょうが、
何かの部品交換をしてみるかもしれません。
大規模な修理工場に持ち込んでも
電子系(ソフトウェア)の不備であれば分かりません。
どの段階で、ディーラ側から本社側に持ち込まれるのでしょうか。
本社側では、どの段階から誰のところに報告が上がるでしょうか。
ご承知のように、組織には責任権限範囲があって
その範囲のことは自分で対応するのが原則です。
何でも上に伺いを立てていたら
無能扱いされます。
まずは自分の責任範囲で対応しようとするでしょう。
原因の想定をしてしかるべき究明を行います。
原因究明に時間がかかることがあるでしょう。
どの組織も暇ではないですから優先順位を決めて仕事をします。
優先順位が高くないと思えば、あるいは厄介だと思えば
後回しになるでしょう。
そのうちに人身事故が起きたりして、
大ごとになります。
なぜもっと早く対応しなかったのか、
あるいは報告しなかったのか、
ということになります。
どの段階で報告を上げるべきだったのでしょうか。
別の例です。
自社の重要なお客様が、他社の製品を購入した。
競合が、強力そうな新製品を出した。
同じことです。
それを大変なことと思うか思わないかは
その情報を知った人のセンスに依存することになります。
では個人のセンスを磨くしかないのでしょうか。
そうではありません。
皆様もお考えください。
次号に私の見解を説明させていただきます。
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