目的:
これからの社会・経済モデルは「地方分散型」であることを
確認いただきます。
ねらい:
ねらい:
国民全体がその方向を認識する必要があります。
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本項は、学士會会報2023-Ⅳ号に掲載されました
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本項は、学士會会報2023-Ⅳ号に掲載されました
京都大学人と社会の未来研究院の広井良典教授の寄稿のご紹介です。
少し前のことになるのですが、
2017年9月に公表された研究成果の内容が紹介されています
(それがなぜ今回登場したのかは不明です)。
日本社会の現在そして未来にとって重要と考えられる約150個の指標
(人口、経済、高齢化、エネルギー等)に関する因果連関モデルを構築し、
AIを用いたシミュレーションにより、
2018年から2052年までの35年間の期間にわたる
約2万通りの未来シナリオ予測を行い、分析を行った。
分析にあたっては、
①人口
②財政・社会保障
③都市・地域
④環境・資源
という4つの領域の持続可能性と
a.雇用
b.格差
c.健康
d.幸福
という4つの社会領域に注目した。
シミュレーション結果の要点をごく完結にまとめると、
それは次のような内容だった。
(1)2050年に向けた未来シナリオとして主に「都市集中型」と
「地方分散型」のグループがあり、その概要は以下のようになる。
a)都市集中型シナリオ
主に、都市の企業が主導する技術革新によって、
人口の都市への一極集中が進行し、地方は衰退する。
出生率の低下と格差の拡大がさらに進行し、
個人の健康寿命や幸福感は低下する一方で、
政府支出の都市への集中によって政府の財政は持ち直す。
b)地方分散型シナリオ
地方へ人口分散が起こり、出生率が持ち直し手格差が縮小し、
個人の健康寿命や幸福感も増大する。
ただし、地方分散型シナリオは、
政府の財政あるいは環境(CO²排出量など)を悪化させる可能性を
含むため、このシナリオを真に持続可能なものとするには、
細心の注意が必要となる。
(2)8-10年後までに都市集中型か地方分散型かを選択して
必要な政策を実行すべきである。
8-10年程度後に、
都市集中型シナリオと地方分散型シナリオとの分岐が発生し、
以降は両シナリオが再び交わることはない。
持続可能性の観点からより望ましいと考えられる
地方分散型シナリオへの分岐を実現するには、
労働生産性から資源生産性への転換を促す環境課税、
地域経済を促す再生可能エネルギーの活性化、
まちづくりのための地域公共交通機関の充実、
地域コミュニティを支える文化や倫理の伝承、
住民・地域社会の資産形成を促す社会保障などの政策が有効である。
中略
思えば、デジタルが浸透する情報化の時代、
ひいては今後の「ポスト・デジタル」の時代
――医療、生活・福祉、環境、農業等、
「生命」を基本コンセプトとする領域が大きく展開していく時代ーー
とは、遠隔地にいても、あるいはそれぞれ自分の地域にいても、
あるいはそれぞれ自分の地域にいながら
相互に情報の伝達やコミュニケーションがとれる時代であり、
それは「新・分散型社会」と呼びうる社会像である。
さらに、イノベーションや経済活力という点からみても、
アメリカやドイツの例にも示されるように、
一定以上の「分散」ないし分権こそが新たな創造の土壌となるだろう。
これまでの日本のような過度の「一極集中」は、
実はとりもなおさず社会の「画一」「均質」を意味するものであり、
そうした中からは多様なイノベーションや価値の創発は生まれにくい。
著者は、この地方分散型モデルは、
現在の若い世代に多く見られる「ローカル志向」にも合致している、
と言われています。
この論文の主張の主軸はこうなります。
1.日本が持続的に発展していくためには地方分権が必要である。
2.それを明確な目標にした政策を実施すべきである。
3.地方分権に踏み切るチャンスは、8-10年後までである。
(現在からすると3-5年後となる)
1.の主張は、これまでも大前研一氏など識者が主張していることで、
新説ではありません。
しかしそのことを
シミュレーションで証明したということがユニークなのですが、
残念ながらそのシミュレーションの詳細が分かりませんので、
「証明」には疑問符が付きます。
都市集中型と地方分散型の分岐点に時限があるというのは新設ですが、
これも当論文では詳細不明です。
以下、上野説です。
これからの時代に適合するのは、
集中型ではなく分散型であるということは以下の点からも言えることです。
1.これからの時代は多様化の時代です。
2.多様化の時代には、
多様化した製品・サービスが受け入れられます。
3.多様化した製品・サービスは
多様化した環境や人材から生まれます。
4.したがって、
多様化した環境で多様化した人材を育てることが必要です。
日本は、縄文時代は、
地域特性に合わせた多様な狩猟採集生活をしていたのですが、
米作中心の農業社会になってから、
そして徳川幕府の全国支配体制になってから、
一極集中型(一律型)になってしまいました。
戦後大発展した大量生産モデルによる日本型製造業も、
一律型思考がベースになっています。
現在のテレビによる情報提供も、
一極集中型思考を助長していると思われます。
いろいろな面で、日本は思想的大転換をする必要があるのです。
別項「経済学の目的・ねらいは何か」もご参照ください。
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