2022年2月20日日曜日

「”不死”の講義」

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 「不死」についての人類の取り組みの研究書をご紹介します。
 これまでの不死への取り組みの4類型を知っていただきます。
ねらい:
 皆さまは死についてどうお考えですか?
 参考になさってください。
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このテーマ名は、
「ケンブリッジ大学・人気哲学者スティーブン・ケイブの「不死」の講義です」
という日経新聞読書欄の案内で購入した本の書名です。
 

本書の序にはこう書かれています。
これは、生と死、そして文明と人類の進歩についての本だ。
本書の目的は、以下の事実を示すことにある。
私たち人間は、他のあらゆる生き物同様、
果てしなく生を追求するよう駆り立てられているが、
生き物のうちで唯一、私たちだけが、その追求の過程で
目覚ましい文化を創出して瞠目すべき芸術品を生み出し、
豊かな宗教伝統を育み、
科学の物質的業績と知的業績を積み上げてきた。

そのすべては、
「不死」を手に入れるための四つの道をだどることを通して
成し遂げられてきた、というのが私の主張だ。
(上野:そうなんですか!)
本書の最終的な目的は、
これらの道のいずれかによって不死が実現しうるかを問い、
その答えが私たちの生き方に与える影響や意味合いについて
考えることにある。

「歴史は実例によって教授する哲学である」と、
古代ギリシャの歴史家トゥキュディデスは書いた。
私の専門は哲学だが、
本書では歴史の実例も幅広く引き合いに出したし、
人類学から動物学に至る多くの学問分野や、
その間にあるものの見識も利用した。
(上野:著者の見識もスゴイものです)
専門外の領域へと分け入るときには、
そこでの統一見解におおむね従うよう心掛けた上で、
必要に応じて自分独自の主張を打ち出すこととした。

「不死」という壮大なテーマに対して包括的な主張を重ねるのが
不謹慎であることは承知している。
また、大昔から込み入った議論が続いているこのテーマについて、
端的に、そして簡潔に記すという目論見自体、
受け容れられないという方もいるかもしれない。
それでも、本書に刺激を受けて、
さまざまな知識の細道をさらにたどってくださる読者が
一人でもいることを願っている。

そのとおりです。
こんなテーマをどうやってさばくのだろうと思いますね。
引き続き、冒頭部分でこういう記述がされています。
これまでの「不死」の探求には4つの道があったというのです。
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第1の道は、私たちの本能に直接端を発している。
他のあらゆる生き物と同じで、
私たちも死を避けようと懸命に努力する。
永遠にーー物理的に、この世でーー死を避けるという夢は、
不死のシナリオのうちでも最も基本的なものだ。
この最初の道は単に、「生き残りのシナリオ」と呼ぶことにする。
人は衰弱して死ぬという基本的事実を前にすると、
このシナリオには期待が持てそうになく、論外にさえ思える。

ところが、この考えは、じつに広く行き渡っている。
ほぼあらゆる文化に、老化と死を打ち負かす秘密を発見した賢者や
黄金時代の英雄や辺境の農民の伝説が見られる。
じつはこのシナリオは、若さと健康を保ち、少しばかり長く、
1年、2年、あるいは10年よけいに生きようとする
私たちの試みの延長にすぎない。

食糧の供給や都市を囲む城壁といった、
身体的欲求を満たして安全を守る文明の側面は、
この道筋を行く第1歩であり、医療と衛生がそれに続く。
だが大半の文明は、単なる長生きをはるかに凌ぐビジョンを見せる。

病気や衰弱を永久に打ち負かす「不死の薬」の存在をほのめかすのだ。
このビジョンは、道教のようなさまざまな宗教や、
聖杯崇拝のような秘教・秘術を支えてきたが、
今日ほど広まっている時代はかつてない。

「科学の進歩」という概念そのものが、
科学は寿命を果てしなく延ばせることを前提としており、
定評のある多数の科学者や科学技術者が、
程なく大幅に延びると考えている。
(上野意見:
ここでは、死を避ける「不死」と長生きが混同されています。
今や不死を期待する人はいなく、
「長生き」が期待されているのではないでしょうか)

だが、「生き残りのシナリオ」にすべてを賭けるという戦略は危うい。
これまでのところ、成功率ははなはだ心もとないからだ。
したがって、第2の道が代替策を提供してくれる。
それによれば、たとえ死が訪れても、やり直しが利くという。
これが「蘇りのシナリオ」で、
私たちは物理的に死ななければならないとはいえ、
生前に持っていたものと同じ身体で物理的に復活できるという信念だ。

蘇るという希望は、
単に生き永らえようとする試み程基本的なものではないにせよ、
やはり自然に根差している。

自然界は冬に死を迎えるものの、翌年には勢いも新たに蘇る様子を、
私たちは見慣れているからだ。
春になると世界中の何十億という人が、この死に対する生の勝利を、
人間も蘇るという見込みとあからさまに結びつけ、
復活祭のような祝祭で祝う。

信者の多くは気づいていないが、
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教という3大一神教もみな、
中心的教義として、文字どおりの物理的な蘇りを信じている。
これらの宗教が初期に収めた成功は、この信念があればこそだった。

だが、これらの古代からの伝統に加えて、別の形態の蘇りも、
神よりテクノロジーを信頼したがる人びとの間で人気が高まっている。
たとえば、いつの日か治療を施されて生き返ることを期待し、
有償で遺体を凍結してもらう人体冷凍保存(クライオニクス)は、
テクノロジーによる蘇りの新たな路線だ。
テクノロジーが急速に発展するなか、
なおいっそうハイテクの蘇りの形態も提案されつつある。
自分をコンピューターにアップロードし、
それから新しい身体あるいはデジタルアバターにリロードする
可能性がその一例だ。

とはいえ、来世では、たとえデジタル形式であってさえも、
かつての身体を継承したがらない人もいる。
物質界はあまりに当てにならず、
永遠性を保証できないと思っているからだ。
したがって彼らは、何らかの霊的存在、
すなわち「霊魂」として生き延びることを夢見る。
これが第三の道だ。

現在、地球上の人の大多数が、、
自分には霊魂があると信じている。
実に、イギリス人の3分の2、
アメリカではそれよりもなお多くの割合の人が
霊魂の存在を信じているという。
この考えは、キリスト教では今や支配的な信念となっているだけでなく、
ヒンドゥー教や仏教をはじめ、他の宗教でも中核を成している。

この「霊魂のシナリオ」を信奉する人は、
「蘇りのシナリオ」の信奉者とは違い、
この世に物理的に蘇ることにおおむね見切りをつけ、
何かもっと霊的なものからなる未来を信じる。
先の二つほどには自然に根差してはいないものの、
この信念も直感から生じる。

夢や神秘体験の中で、人間は身体を抜け出る感覚を久しく抱いてきた。
昔から多くの人には、霊魂や心はそれが宿っている肉体から分離でき、
したがって、肉体なしに生き延びられるように思えたのだ。

霊魂の概念は東洋でも西洋でももてはやされてきたものの、
この概念にも疑いを抱く人はいた。物質志向の人の場合には、
特にそうだ。
そのような人でさえ、おそらく最も広く普及しているシナリオ、
すなわち第四の道である「遺産(レガシー)のシナリオ」には
慰めを見出すことができる。

この考えは、物理的な身体の存続も非物質的な霊魂も必要とせず、
その代わりに、
もっと間接的な形ーー名声や栄光、あるいは遺伝子といった形ーーで
未来まで存続することを主眼としている。
名声と不死の結びつきは、古代世界では広く見られたし、それ以後も、
ギリシャ神話の英雄アキレウスがトロイアの戦場で
長寿よりも永遠の栄光を選んだ例に、多くの人が倣ってきた。

文化には
生きとし生けるものには欠けている永続性と堅牢性が備わっており、
したがって、永遠の生は、
文化の領域に自らの居場所を求めたのに劣らず、
名を上げようと躍起になっているように見える。
文化の中に位置を占めようとする競争は、相変わらず熾烈だ。

多くの人は、名望だけでなく、より具体的なもの、
すなわち子孫まで後に残す。
私たちの遺伝子は不滅だと言われてきた。
まさに生命の起源にまで、はるか何十億年も遡れるし、
運がよければ、遠い未来にまで続いていくだろうからだ。

あるいは、一部の人が主張するように、私たちの遺産は、
地球上の生命の一環――
個々の人間が死んだ後も末永く生き続ける超個体、
いわゆる「ガイア」の一環ーーであったこと、
さらには、発展していく宇宙の一環でさえあったことかもしれない。

本文では、ここに記述されていることが
詳細・具体的に記述されています。
4つのシナリオをまとめるとこうなります。
1.生き残りのシナリオ(永遠の生命の探求)
2.蘇りのシナリオ(いずれ蘇る期待、諸宗教)
3.霊魂のシナリオ(霊魂が生き続ける)
4.遺産(レガシ)のシナリオ(不朽の名声、子孫を残す)

著者は、この4つのシナリオはどれもダメでしょう、
第5のシナリオはこれです、と言っています。
それを「知恵のシナリオ」と称しています。

しかし、
「死すべき運命を受け入れて、死の必然性と共に生きる道を見つける」
「死を恐れずに生きる」「楽しめるうちに楽しめ」
とかのことばが出てきますが、
はっきり説明(定義)していないのです。
この第5の道は不死そのものの実現ではないので、
わざとあいまいにしているのかもしれないと思ってしまいます。

でも、それを実現する「戦略」3点は明確に示しています。
1)「自分」に対する執着レベルを下げる
 他者に共感し、他者により広く関心を持って関与する。
2)「明日死んでも後悔しない」かつ
 「明日死ななくても後悔しない」道を選ぶ
 毎日を今日が人生最後の日となるかのように目いっぱい生きる。
3)「不可避の死」からの副産物に感謝の念を持つ
 「不可避の死」のおかげで
 生物・人類が発展してきたことを認識し感謝する。

結局のところ、不死は実現できないので、不死を期待せずに、
「生」を大事にしましょう、ということです。

四つの道の研究は迫力があり、たいへん参考になりますが、
この結論は当然のことで、それほど新味があるとは思えません。

そもそも、現代では「不死」を期待している人はいなく、
「長生き」しかも健康での長生きを望んでいるのではないでしょうか。
それは、孫の成長をみたいとか、その結婚式に参加したいとか、
自分が楽しんでいる趣味をもっとしていたい、
とかの目的意識があるからで、
無目的の長生きを期待している人はいるのでしょうか。
いわゆる生き甲斐のない人は「もういつ死んでもいい」
と思っているのではないかと思います。

それと、第4の道「遺産(レガシー)シナリオ」は
必ずしも「不死」願望からスタートしているわけではなく、
単純に自分の「遺産」(名声、子孫)を残したい
という願望なのではないでしょうか。
したがって、これは不死の第4の道ではなく、
著者の言う第5の道同様
不死願望に代わる願望と考えた方が良いように思えます。

皆さまはどうお考えですか?
このテーマに関心のある方は、
ぜひこの414頁の大著をご研究ください。


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