2022年2月14日月曜日

「日本語の大疑問」「うつりゆく日本語をよむ」

[このテーマの目的・ねらい]
目的:
 「日本語」に関する「諸問題」をご研究いただきます。
 「国語研」とは何かを知っていただきます。
ねらい:
 この際、もう少し研究されますか?
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日本語をテーマにした新書版の図書が相次いで刊行されました。
国立国語研究所編の「日本語の大疑問」は21年11月25日刊、
今野真二清泉女子大学教授著の「うつりゆく日本語をよむ」は
21年12月17日刊、です。

日本語にも関心のある私としては、さっそく読んでみました。
この2書は、「日本語」をテーマにしていますが、
ほとんど異なる視点です。ご研究いただければ幸甚です。









この帯の「日本語、緊急事態?!」は誇大な表現です(岩波新書ともあろうものが)。




Ⅰ、日本語の大疑問
前者は、「日本語の大疑問」とありますので、
現代の日本語に対する問題提起をする書かと思いますが
そうではありません。
国語研に寄せられた国民から寄せられた疑問・質問に
答えたものなのです。
本書の「おわりに」に田窪行則「国立国語研究所」所長が
こう書かれています。
この際、国語研を理解いたしましょう。

本書は、国立国語研究所(略称 国語研)に寄せられた
日本語に関する疑問・質問に国語研の関係者が答えたものです。
(中略)
まず、最初にお話ししておきたいのは、ここで示されているのは、
ことばの正誤に関する裁定ではないということです。
みなさん方の質問には「AとBのどちらが正しいのですか」
「最近の若い人はAのような間違ったことばづかいをしている。
直すように指導してほしい」などと
ことばの裁定を求めるものが散見されるのですが、
国語研はそのような「正しい」ことばの使い方を決めるところでは
ありません。

国語研は1948年に国立の研究所として設立されました。
当初の目的は「国語及び国民の言語生活の全般にわたり、
科学的総合的な調査研究を行う大規模な研究機関の設立」でした。
設立当初は、日本語の共通語化・標準化のための基礎的研究が
その目的の一つに入っており、したがって、
日本語の共通語化・標準化のための言語政策にかかわるような調査も
その業務の一つであり、
「正しい日本語」「あるべき日本語」を裁定するような機関
と誤解されることもあったかもしれません。

しかし、設立趣旨にもあるように、
あくまで国語研の設立目的は「科学的な基礎研究」であり、
国語に関する規範を設定することではありません。
国語研は、国立機関、独立法人とその形態を変えて、
2009年に大学共同利用機関法人人間文化研究機構に移管され、
大学に属する研究者と共同して、
大学で行えない大型の共同研究や共同調査を行っています。
したがって、現在は
国民の言語生活を豊かにするための基礎資料を調査・収集する
というより、言語に関わる基礎的な科学研究、および、
その成果に基づいた応用研究を行うのが主な業務となっています。
(中略、以下結語)
国語研は言語にかかわる科学的基礎研究がその本務ですが、
その成果は究極的には当初の設立目的である
「日本人の言語生活全般を豊かにする」ことにつながっており、
本書によって国語研の科学的研究の成果の一部を
みなさん方と共有できればと思います。

最後の部分は「目的・ねらい」の観点からすると
こういう解釈になります。
当初は「日本人の言語生活全般を豊かにする」こと自体を
「目的」にしました。
終戦直後の混乱状況では、そういう必要性があったと思われます。
しかし、その後の学校教育等によって、日本語の使用法も安定し、
「言語生活全般を豊かにする」ことは、
国民自体に任せてくれ、大丈夫だ、ということになりました。
それで一歩引きさがって
「豊かさ」につながる基礎研究をすることを「目的」にしました。
豊かさの実現は「ねらい」として、国民に任されたのです。

ではどういう基礎研究をしているのでしょうか。
「国民の言語使用と言語意識に関する全国調査」では
「なんでやねん」の関西弁などの言葉・いい方が
どの程度日本で普及しているかなどを調査しているようです。


関西弁が普及してきているのは
テレビのお笑い番組(特に明石家さんまさん)の影響
と思われますが、それが分かってどうするのでしょうね。

それはともかく、本書の構成はこうなっています。
第1章 どうも気になる最近の日本語
  例 若者ことばの「やばみ」や「うれしみ」の「み」は
    どこから来ているものですか
第2章 過剰か無礼か?敬語と接客ことばの謎
  例 店員さんから
    「確認させていただいてもよろしいですか?」
    なんて言われると、目が点になります。
    日本語の乱れでしょうか
第3章 世界のことばと日本のことば
  例 日本語は難しい言語ですか
第4章 どちらを選ぶ?迷う日本語
  例 「それから」「そして」「それで」がどう違うか、
    その違いを教えてください
第5章 便利で奇妙な外来語
  例 外来語をカタカナで書くのはいつから、
    どのように始まったのですか
第6章 歴史で読み解く日本語のフシギ
  例 むかしの落書きにはどんなことが書かれているのですか

日本語にいろいろなことが起きていることがよく分かります。
どんな解説があるのか、一つご紹介します。
「若者ことばの「やばみ」や「うれしみ」の「み」は
どこから来ているものですか」
以下本書の解説
「従来用法とはちがう「-み」の登場」
ご質問の「ーみ」は、
Twitterなどのインターネット上の交流サービスにおける
若者の投稿にしばしば見られる、
次の1)~4)のような使い方ですね。
1)今年の花粉は「やばみ」を感じる。
2)卒業が確定して、今ととても「うれしみ」が深い。
3)夜中だけどラーメン「食べたみ」ある。
4)その気持ち分かる分かる!「分かりみ」しかない。
中略
疑問1 
やばみ」「うれしみ」などの「み」はどこから来ているのか

文法的にみると、この「み」は、
主に形容詞の後について名詞を作る働きを持つ「接尾辞」
(あるいは「接尾語」)と呼ばれるものです。
形容詞に「み」を付けて作られる名詞には、
「うまみ」「(恨み)つらみ」「深み」などがあります。
これらは「み」の従来用法とでも言うべきもので、
辞書にも載っています。

一方、1)~4)では、
従来用法の「み」がつかないはずの形容詞「やばい」「嬉しい」や
形容詞型活用の助動詞「たい」、
動詞の「分かる」に「み」が付いています。

1)~3)の語は本来、「み」ではなく、
同じく名詞を作る接尾辞「さ」を付けて
「やばさ」「うれしさ」「食べたさ」のような形で
名詞化する必要がありました。

この「さ」は広くいろいろな語につく性質を持っていますが、
4)の「分かる」には付きません。
このように、
本来のルールでは付かない語に「み」を付けてしまったのが、
ご質問の「み」の新用法であり、
そこがなじみのなさの原因なのです。

疑問2 
なぜ「うれしい」「食べたいなどをわざわざ名詞化するのか。
疑問3 
名詞化するなら、なぜ「さ」ではなく「み」を使うのか。

「『ネタ』としての面白さを表現する逸脱的用法」
まず、疑問2については、名詞化が持つ婉曲性から説明することができます。
個人の感情や欲求は、そのまま言語化して表に出すと
生々しさや主張の強さを感じさせることがあります。
これに対し、「うれしい」のような感情をいったん名詞化し、
うれしみ(がある、が深い、を感じる)のように
分析的に表現することによって、
自分から距離を置いた形で、婉曲的に表現する効果が生まれます。

大人世代でも仕事の際に、
「この日程は厳しいものがあります」のように、
名詞「もの」や「ところ」を使った婉曲表現を用いる
ことがありますが、
若者はそれを接尾辞「み」で行っていると言えます。

次に疑問3は、一つには、
若者ことばで重視される面白さや新鮮さが
動機として考えられます。
従来使われてきた「さ」ではなく、
わざと逸脱的な表現「み」を使うことで、
冗談めかした「ネタ」として自分の感情や欲求を
見せることができる、ということです。

ただ、この「逸脱」の度合いは、日本語の文法ルールから見ると、
実はそれほど大きなものではありません。
接尾辞「さ」と「み」が作る名詞にはもともと性質の違いがある
とされているからです。

「さ」による名詞化は、
「その状態の程度」(例:勝利のうれしさは計り知れない)か、
「その状態である様子」(例:彼はうれしさ隠さなかった)という
単純な意味の名詞を作ります。

これに対して」「み」による名詞化は「甘み」(=甘い味)、
丸み(=丸い形)、かゆみ(=かゆいという感覚)といった
特別な意味を表す名詞を作ります。
このような「み」形は、「(具体的な)感覚」を表すとされます。
つまり、単なる名詞化ではなく、
実感を伴った名詞化であるといいうこと。
「さ」ではなく「み」が勢力を拡大した理由は、
このような点に求めることもできそうです。

なるほど、そういうことですか。納得できるご説明ですね。
しかも客観的な解説をしているだけで、その是非は論じていません。

Ⅱ.うつりゆく日本語をよむ
こちらは、日本語自体の変化に対する問題提起ではなく、
日本語の使い方に関する問題提起が主です。
序章 日本語のみかた
第1章 壊れた日本語
 1.比喩は成り立っているか
 2.先回りする表現-理を超えた情
 3.解凍できない圧縮
第2章 「私」の時代の書きことば
 1.思考の器としての言語
 2.他者の不在-「共有」から考える
 3.あるがままを認めてほしいー匿名の時代
第3章 ことばの変化をみる
 1.「打ちことば」の領域拡大
 2.「書きことば」の「話しことば」化
 3.「場」の変化-「話しことば」の現在
第4章 「書きことば」の復権
 1.双方向的なやりとり
 2.公性の意識
 3.リベラルアーツを学ぶ
 4.「よむ」しかない
終章 「私」を超えて
 1.コロナ下のことばをよむ
 2.「私」を超えたコミュニケーションのために
 3.日本語が「壊れる」前に

本書の「はじめに」にはこう書かれています。
(赤字表示は上野が付けました。後のコメントのためです)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
本書のタイトルを「うつりゆく日本語をよむ」とした。
言語は時間の経過とともに必ず変化する。日本語も例外ではない。
「うつりゆく日本語をよむ」というタイトルは日本語の変化を観察する
ということを連想させるだろう。
そういう面はもちろんあるが、気分はもう少し切迫している。
それが副題の「ことばが壊れる前に」だ。
「ことばが壊れる」はもちろん日本語のことについてだから、
こちらは穏やかではない。
中略
ところで、2020年9月25日に文化庁が令和元(2019)年度の
「国語に関する世論調査」を発表した。
「今の国語は乱れていると思いますか。それとも乱れていないと思いますか」
という質問に
「非常に乱れていると思う」と答えた人が10.5%
「ある程度乱れていると思う」と答えた人が55.6%で
この二つを「乱れていると思う」とくくると、
そう思っている人が66.1%いることになる。

「あまり乱れていない」27.8%
「まったく乱れていない」2.4%の合計は30.2%であった。

平成14(2002)年度の調査では
「現在使われている言葉は乱れていると思いますか」という質問であったが、
「乱れていると思う」が80.4%、
「乱れていないと思う」が17.0%で、
平成14年度の時点で「乱れていると思う」と回答した人が
14ポイント以上多い。
「非常に乱れていると思う」も平成14年度の時点で13.9ポイント多い。

この数値は、
一見「じゃあ、令和元年度のほうが日本語がみだれていないんだ」
とみえるが、質問は「どう思うか」であるので
言語使用者がどう感じているかを聞いていることになる。
「どう感じているか」は感じなので「実態」とは異なることも当然ある。
筆者はこの数値は言語使用者が「実態」になれてきている
ことを示しているのではないかと思う。

現在の言語生活は多様化し、
後に述べるようなインターネット上の「打ちことば」を読む機会も多い。
そうした中で、さまざまな日本語にふれ、
「こうあるべきだ」という規範的な「心性」そのものが
緩やかになってきていることのあらわれであろうか。
しかしそうはいっても、70パーセントちかくの人が、
「共有」しているはずの日本語について
「乱れている」と思っていることになる。
中略
本書は現在の日本語が乱れているのでないですか、
という主張をしているようにみえるかもしれない。
しかし、それが述べたいことのすべてではなく、
やはりまずは「現在こうなっているのではないですか」
という筆者の観察を述べたいと思う。

「そういえばそうだ」と思っていただけた場合に、
「じゃあどうすればいいのだろう」という次の問いが生まれるだろうが、
それは日本語を使う人それぞれがそれぞれの立場、
考えに基づいて「どうするか」を考えていただければいいのだと思う。
「ぴえん」なんて語は認めないぞ、ということではまったくない
ということは一言述べておきたい。

日本語を観察し、分析する、そこまでが本書の役割で、
そこから先は日本語を使う人それぞれが決めること、
あるいは自然に決まっていくことだと考える。
本書では、「書きことばと話しことば」「表現の圧縮」「類推」「比喩」
などを観点として、できるだけ総合的に日本語の表現を捉え、
現在の日本語がどのような状況にあると思われるかについて冷静に、
穏やかに述べていきたいと思う。

そのとおり、多数の事象が紹介されていますが、
以下に、上野による厳しいコメントを述べさせていただきます。

【「はじめに」に対するコメント】
冒頭部分で「壊れる前に」という問題提起をしています。
かたや「本書ではまずは現状の観察をします」
どうするかはそれぞれが考えよ、と投げています。
そうなら「ことばが壊れる前に」
などと言う副題はつけないでほしいですね。
私から見ると、無責任な人文科学者の発言と思えます。

【筆者の観察ないしは問題提起】
これは、日本語のことばそのものの変化というより
そのことばの使い方が対象です。
その代表例がこれです。
これはたいへん興味深い指摘です。
しかし、あげつらうほどのことかな?とも思います。

1)比喩にならない比喩
 比喩は本来抽象的な事象を具体的な事象で例えることによって、
 抽象的な事象の理解を進めるというものであるに対して、
 以下の例は該当しない。
  孤独を守る心の殻。 孤独も心もどちらも抽象である。
  心が(棒のように)折れる。心は棒のように固いのか?
  心に刺さる。刺さってはまずいのではないか?
  骨太の心。心に骨はあるのか?
  メリーゴーランドのように「堂々巡り」。違わないか?

2)先回りする表現
 読者が「笑顔になれる」本を書くという、
 (観客やファンに)「勇気を与えたい」とスポーツ選手が言う。
 ニュース・報道番組にアナウンサーの思いが入る。
 (世界大会等で)「中国の壁が高い」は分かるが
 「打倒中国の壁」はおかしい。

3)解凍できない圧縮
 新聞記事の見出しで意味不明のものがある。
 「景気てこ入れ 総動員」 (何を総動員するのか?)
 「物価目標達成へ背水」 (背水の陣、だろう)
 「言葉に共感 向き合う人生」 (「人生に向き合う」であろう)
 「画面折りたたみスマホ 熱視線」 (熱い視線であろうに)

【書きことば、話しことば、打ちことば】
書きことばは、必ずしも特定の相手を対象としないために、
それなりの論理性や標準的表現法が存在する。
話しことばは、特定の相手が前提なのでその中での省略形で使われる。
その世界でどんどん変化していくことが自然に発生する。
書きことばが、話しことばの影響を受けて変化していく。
(筆者はこの変化を心配している)
書きことばが話しことばの影響を受けて変化している典型例が、
書名や記事見出しである。
旧来型の「○○の△△」の形から、話しことば系に変化してきている。
以下の例でも、「」の中に話しことばを入れている。













「打ちことば」は、メールやSNS等で使用されることばである
(おそらく筆者の命名)。
初めは、書きことばからスタートしたが、話しことば調に変化し、
絵文字の導入など一部打ちことば独自の発達もしている。
打ちことばが話しことばに影響を与えるという面も出てきている。
その影響が書きことばにまでおよぶということもある。

【マスメディア・テレビの責任】
テレビが、特殊な表現や言い回しを一般化することに「貢献」している。
日本語の「変化」を促進している。
「テレビという媒体が発信している「情報」全体がいわば、
(何でもありの)バラエティ番組化していないだろうか」とあります。

【「壊れる」とはどういうことか】
本書の章や項目見出しで「壊れる」ということばが出てきますが、
「壊れる」の定義はどこにも書かれていません。
内容をみると、言葉が担っている情報伝達機能が不十分な言葉遣いがある、
ということのようで、それが進むと「壊れる」という状態になることを
心配しているようです。
しかし、言葉は情報伝達の手段なのですから、
情報伝達ができない言葉が生き残るということは考えられません。
「壊れる」は、せいぜい感傷的な「昔の良き日本語が失われる」
ということを言っているような気がします。

【上野が意識している「壊れ」】
私は、むしろ「壊れている」のは、
以下のような、不整合的な見出しのつけ方です。
不整合は明らかに壊れているということです。
最近よく見かけます。
と、例示をしようとしたのですが、いざとなると見つかりません。
不整合ではなく、適切でないの例を以下に挙げます。
(不整合な例は見つかったら掲載します)

1)横表示の大見出し 英文有報「プライム」でも遅れ 
  縦表示の補助見出し 東証最上位、開示1割どまり
 (2022年1月23日 日経新聞)
 この「有報」とは何か分かりますか?有価証券報告書のことです。
 これは証券面ではなく、ビジネス面ですからね。先走りでしょう。

2)横表示の大見出し トヨタ、増産へ供給網備え 
  縦表示の補助見出し 部品大手、在庫増や値上げ受託
  (2022年2月10日 日経新聞)
 トヨタが主語です。
 したがって「部品大手」は「部品大手に対して」の意味かな?
 と思ってしまいます。なんか変だなと思います。
 これは、トヨタや部品大手「が」、在庫増や値上げ受託をしている、
 ということだったのです。

3)横表示の大見出し 休校・休園 収入減に苦悩 
  縦表示の補助見出し 保護者、育児で欠勤長引く
  (2022年2月10日 日経新聞)
  大きな見出しで、休校や休園でその事業者が収入減なのか、
  と一瞬思ってしまいます。
  記事を読むと、主語は「保護者」だと分かります。

4)横表示の大見出し 応援禁止 中国勢には歓声 
  縦表示の補助見出し 会場の招待客・ボランティア
  (2022年2月8日 日経新聞)
  大見出しでは、何を意味しているか分かりません。
  縦見出しでも「応援禁止」の意味が分かりません。
  「応援禁止なのに」中国勢には歓声、ということなのです。
  
これらの対策であれば簡単です。心配しなくても大丈夫です。
上司・先輩が指導をすればよいのです。
的確なマニュアルやチェックリストも作れると思います。

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