目的:
アートコーポレーションの寺田千代乃さんの「私の履歴書」を
ご紹介します。
創業期の苦労話に感銘を受けることを実感いただきます。
ねらい:
「成功物語り」には、
あるきっかけがあることを研究しましょう。
(この続編を作成します)
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他の方のもそうですが、出生から駆け出し時代の苦労話が
大変興味深く示唆に富んでいます。
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2020年9月の「私の履歴書」は、
アートコーポレーション名誉会長の寺田千代乃さんです。
寺田千代乃さんの経歴 「私の履歴書」から上野が作成
1947年 |
山本千代乃誕生 |
現在73歳 |
1968年 |
寺田寿男氏と結婚 寺田運輸株式会社創業 |
従来勤務していた鋼材問屋の運送部門として。新婚の夫と二人で |
この間 |
二人で努力して事業を伸ばした。 |
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1972年 |
株式会社化 |
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1973年 |
鋼材問屋から縁を切られる。 |
真の創業。 |
1973年 |
オイルショックでガソリン確保に奔走 |
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この頃、立石電機と取引開始 |
コンテナ車導入 |
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コンテナ車を活用して引っ越し事業を開始 |
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1976年 |
アート引越センター創業 (「アート」は電話帳の初めに来る社名とするため命名) |
「引っ越しは運送業ではなくサービス業」をモットーに。当時は引っ越し専業者はなかった。 |
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0123の電話番号入手。 |
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1977年 |
アート引越センター株式会社設立 |
社長に就任 |
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「荷造りご無用」を開始 |
顧客目線サービスの始まり |
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テレビCM開始 |
3千万円の賭け。 |
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東京進出 |
2回目の賭け。 |
1984年 |
売上高100億円達成。 |
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1985年 |
社員450人がハワイ旅行 |
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マツダ社員の米国への引っ越しを担当 |
海外進出 |
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リモデリング事業、保育サービス事業など事業多角化 |
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1990年 |
社名をアートコーポレーションに変更。 |
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1992年 |
CS推進課設置(社内改革、現場重視復活) |
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1995年 |
売上300億円達成 |
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2004年 |
東証・大証第2部上場、 |
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2005年、 |
東証・大証第1部に指定替え |
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同年 |
認可外保育園パンプキン・ガーデン開設 |
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他の方のもそうですが、出生から駆け出し時代の苦労話が
大変興味深く示唆に富んでいます。
後半は事業が軌道に乗った後のことになり、
苦労話のようで、自慢話になっています。
このあたりの苦労話は、ある意味で成功企業に共通のことであり
新鮮味があまりありません。
たいへん興味深い内容は、これらです。
1)引っ越し専業の創業
2)電話番号0123の獲得
3)テレビCMの開始
4)専業としてのサービス拡充
しかし、駆け出しの頃の苦労話はこういうことでした。
1973年のことです。
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仕事の7割を依存していた鋼材問屋から
「3か月以内に出ていけ」と言われ、途方に暮れた。
(上野注:出資の申し出でを断り怒りを買った)
移転先を探していると、幸いなことに、隣でたばこ屋を営む方から
問屋の隣地を借りることができた。
よくたばこを買いに来る寺田や従業員と話をする間柄で、
真面目に頑張っている様子を見てくれていたようだった。
小さなプレハブの事務所を建てて営業を始めた。
鋼材問屋のくびきから逃れ、この時、本当に創業した気分になった。
とはいえ、鋼材運搬の穴を埋めるのは容易ではない。
営業をしやすいよう、寺田は社長ではなく営業課長の名刺を作って
近辺の会社や商店などをくまなく回っていた。
細かな仕事を数多くこなしても売り上げはそれほど伸びなかった。
苦境に追い打ちをかけたのが
1973年10月の第4次中東戦争をきっかけに起きた石油ショックである。
トイレットペーパーが店頭から消え、社会にもパニックが広がったが、
運送事業者にはガソリンの需給逼迫が切実だった。
よく利用するガソリンスタンドは購入が割当制になった。
自社の備蓄施設があるわけでもなく、仕事に支障をきたす状況に陥った。
ガソリンを探し求め、私は妹と滋賀県の湖西地域まで出向いた。
都市部から離れた地域に行けばあるわけではないと思うが、
当時は必至だった。
ネットで何でも情報検索ができる現代と違い、
ほとんど情報がない中、自分なりに「ここに行けばあるのでは」
と見当をつけて動いていた。
会社の業績が厳しい中、
奈良市に購入した建売住宅を担保にして融資を受け、
妹からもお金を借りた。
鋼材問屋とは行き来がなくなっていたが、
トラックの出入りは見えるので、
寺田運輸の苦しい状況は分かっていたはずだ。
「寺田はもう潰れるやろ」とささやいているという話が耳に入ってきた。
両方の経理を見ていた会計士からも
「もう限界だろう。会社をたたむことを考えた方がいい」と忠告された。
苦境に置かれ、二人とも逆に闘志が沸いた。
活路は寺田が開拓した顧客の仕事にあった。
京都の大手電機機器メーカー、立石電機(後のオムロン)である。
同社の配送センターが東大阪市にあった。
従業員が出払っていないある日、
センターから荷物を運ぶ仕事の依頼が来た。
寺田に頼まれ、私が小型のバンを運転して持って行った。
幼い子供2人が車に乗っていた。
それを見た担当者から「子連れの女性に配送をされるのは困るよ」
とクレームが来たらしい。
急いで是非という依頼だから妻を使って無理に対応したのに、
と思った寺田と言い合いのようなやり取りになったようだ。
その後、オムロンから月決め専属の仕事を受注し、
専用のコンテナ車とドライバーを配置するようになった。
「箱車」と呼ぶこのコンテナ車の導入が、
後に引っ越し事業につながっていくことになる。
創業者の立石一真氏が東大阪の配送センターに来られた時に訪問し、
お話を伺ったことがある。
明治生まれの経営者の威厳を感じた。
大阪市のビジネス街、
御堂筋にある同社のオフィスに私が荷物を運んだ時には、
これがちゃんとした会社なんだと思った。
さっそうと行き交うビジネスマンやOL。
取引する会社といえば鋼材問屋くらいしか知らなかった私には
異世界のようにまぶしく見えた。
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これで分かることは、以下のことです。
1)まじめに仕事をしていると見ている人は見ている。
2)一所懸命奮闘すると活路を見出すことができる。
3)立石電機の仕事で箱車を使うようになったことが、
後の引っ越し業につながる。
⇒「成功者には運がある」運をものにするのは才覚であるが。
後半の「あまり魅力的ではない」例は、第22回の以下の例です。
この例でも、
世のニーズを先端的にとらえたビジネスの紹介ではあるのですが、
「そうか」というレベルでしかありません。
淡々としていて、創業期の記述のような情が感じられませんね。
寺田さんは謙虚で「自慢話」という感じはしませんけれど。
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仕事をしている女性を応援する事業をいつしかしてみたい
と思っていた。
女性が社会で活躍していくうえでは、
働きやすい、子育てがしやすい環境が必要になる。
ニーズの高いのは子どもの面倒を見てくれる保育関連の事業だ。
引っ越し専業のアートにとってはかなり趣の異なる分野だが、
事業多角化で暮らし方を提案するという会社の方向性にも合っていた。
私の場合、子どもが幼い頃は家で仕事をしたり、
会社に連れて行ったりしていた。
当時、子どもを預けられる施設はほとんどなく、苦労した。
(中略)
核家族化が進み、親族に子育てを手伝ってもらえない人も多い。
少子化対策で
仕事と育児の両立向けた環境の整備が国の重要な政策になっていた。
事業化を検討し、2005年9月、
初の施設となる認可外保育園パンプキン・ガーデンを
大阪市内に開いた。
その頃、社員向けに自前で保育施設を設ける企業が増えていた。
が、そこまでできる企業は少ない。
オフィスで働く人が利用しやすいよう、
通勤時に立ち寄りやすい駅前や
都心部のビルなどに順次開設していく計画を立てた。
保育がそれほど収益が上がる事業でないことは分かっていた。
最初は開設数を追求するのではなく、地道に手堅くやって、
赤字にならなければいいくらいの気持ちだった。
間もなく意識が変わった。
少ない施設を社会貢献の一環のような感覚で運営しても
発展性がない、
設備も人も充実させて利用者から評価される
運営ができるようにする、
そうした環境づくりのための投資ができる収益を上げる、
企業でも保育を担えることを示すビジネスモデルを作っていきたい、
と思うようになった。
そのため、開設施設の拡充にかじをきった。
07年に当時の介護大手コムスンの保育事業運営会社を買収し、
10年9月には自社保育事業と統合して
子会社アートチャイルドケアが保育事業を担う形にした。
認可保育所に加え、
病院や企業など事業所内の保育所が多いのが特徴だ。
保育事業を始めてから発達障害の子どもの多さに気づき、
そうした兆候のある子ども向けの児童発達支援施設も増やしている。
(中略)
民間企業の保育事業にはもうけ優先では、
という見方がどうしても出る。
会議や視察の際、私は園長や保育士の方に、
収益の数字を気にしないでと伝えている。
いい保育を続けていれば、結果はついてくると考えているためだ。
数字を気にするのは園の経営をマネジメントする側だ。
(後略)
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