【このテーマの目的・ねらい】
目的:「悪魔の詩」事件で犠牲になった五十嵐一先生の無念を
共有します。
ねらい:
日本社会も国際社会も、
「事件」の表面的理解しかしないことを再認識いたします。
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あらためて、別項「イスラームからヨーロッパを見る」の延長で、1990年2月に刊行された「悪魔の詩」上巻に掲載された
五十嵐一氏の翻訳者としての「解説」を読みました。
この「解説」でも、五十嵐先生の見識の高さは存分に分かります。五十嵐一氏の翻訳者としての「解説」を読みました。
早逝は本当に残念なことでした。
あらためてご冥福をお祈りいたします。
悪魔の詩は英語の原著で547頁、
五十嵐先生の日本語の訳本上下2巻合計594頁の大著です。
先生は、「十数の言語の読み書きが出来、イスラム思想、
数学や医学、ギリシア哲学などを研究していた」
(Wikipedia)のです。
そのような方が、このような訳の分からない(?)問題の書
(夢と現実の世界を行き来して、
何が現実かわからなくなるようなストーリ展開、
何を言いたいのかもあいまい)
をなぜ翻訳しようとしたのか、目下のところ疑問のままです。
この「解説」(本書上では解説Ⅱ)は、
1989年11月に雑誌に掲載されたものですが、
五十嵐先生は、イスラムを冒涜したりしていません。
むしろイスラムの良き理解者だったのです。
むしろイスラムの良き理解者だったのです。
本項後段の先生の論述をご覧くだされば、
それがよく分かります。
それなのに、
原著者がイギリスの警察によって
厳重に保護されて無事であったのに対して
表面的な解釈をする教徒によって?
先生が犠牲者となってしまったのです。
それは1991年のことで、刺客たちが、この「解説」を読めば、
それは1991年のことで、刺客たちが、この「解説」を読めば、
五十嵐先生は敵ではないと分かったはずですが残念です。
訂正です。刺客たちが読んでもダメです。
ホメイニ師が死刑宣告をしているのですから,
教徒はそれを絶対視して従うだけです。
だから、ホメイニ師が理解しなければだめだったのです。
なお五十嵐先生は、「解説」の中で、
ホメイニ師が自分で悪魔の詩を全部読んで判断したのではなく
「取り巻き」が進言したのだろうと書いておられますが。
1991年といえば、日本はバブル景気が崩壊し始めていた時です。
日本社会では、あるいは日本の警察は、国際感覚がなかったのですね。
日本社会では、あるいは日本の警察は、国際感覚がなかったのですね。
以下、五十嵐先生の原文のまま2項ほどをご紹介します。
これは、以下の構成の解説Ⅱの一部です。
因みに解説Ⅰは、28頁に及ぶ本書全体の概説です。
500数十頁もの大著を読み切る人はあまりいないだろう
という親切心で書かれたものではないかと推察いたします。
(私もその一人です。とても読む気になりません)
これを読むとあらすじと要点が分かるようになっています。
この解説を作成したということも
先生のセンスの素晴らしさを表していると言えそうです。
解説Ⅱ 小説「悪魔の詩」事件ーーイスラームを国際化する
1.ディーンvsムルーワ
2.「小説悪魔の詩事件」の国際化
3.「悪魔の詩」の裁判
4.イスラーム法の体系
5.イマーム、エマーム、ダッジャール
6.一騎打ちの倫理
7.イスラームの国際性
8.指導者の条件
7.イスラームの国際性
イスラーム法の内部における整合性が認められたとしても、
今回の「小説『悪魔の詩』事件」のように
”国際的に”相渉る係争事件において、
いわば身内の論理と倫理をそのまま相手に押し付けてよいものか、
という問題が残る。
ラシュディ(「悪魔の詩」の著者)は
ボンベイのムスリム(イスラーム教徒)の家庭に生まれたとはいえ、
現在は英国に帰化しておりイスラームを棄教した人物である。
そのような相手に対して、たとえその小説の毒が
”ゼッデ・エスラーム”(イスラームへの敵対行為)と
認められたとしても、イスラーム法的感覚による宣戦布告が、
そのまま”国政的”に通用するか否かはまた別の問題なのである。
むろん英国の法律は、英国内で事件が発生した場合、
例えばイランから刺客が向かったような時には、
属人主義、属地主義どちらにしてもラシュディを保護するはずである。
そして犯人の引き渡しには属地主義の建て前から応じないであろう。
また、そのように必殺仕事人的テロリスト・グループは
面が割れている場合が多いから、
それほど容易に英国に入国できるとも思えない。
以前にも故パーレヴィ皇帝の首に賞金がかけられ、
テロリストの大桃カルロスが動いたという情報があったが、
けっきょくは指一本ふれることもできなかった。
死刑宣告のかけ声は大きく派手であるが、
(注:イラン・イスラム共和国の最高指導者ホメイニ師は
1989年2月14日に「悪魔の詩」著者のラシュディ、
および発行に関わった者などに対して死刑を宣言をした)
それは実行に移すとなると現実性はかえって乏しくなる。
”国際”社会の反応も、現実的にテロの心配をするよりも、
言論や表現の自由という基本的人権を盾にとっての反論が
ほとんどであった。
曰く、イスラームとは、
中でもイランのホメイニとは基本的人権すら理解しない野蛮人なのかと。
そしてそれは同時に”国際的”ルールを遵守しない暴挙と批判された。
しかし、基本的人権や”国際法”という名前を妄信することは適当ではない。
何が本当に基本的であり、
何が真に国際的であるかということは深い反省に立つべきだからである。
それは次に紹介する一つのエピソードからも窺えるところであって、
表面的にはそれこそ”野蛮人”と映るイスラーム的法感覚の方が、
よく反省してみれば却って深い理解に立脚すると見なせるからである。
すなわち、1948年に国際連合において世界人権宣言が採択された際、
棄権した国の一つにサウジ・アラビアがあり、
草案討議中に強力な反対意見を提出したのが同国を始めとする
シリアやイラク、エジプトなど多くのイスラーム諸国であったからである。
読者の中には早合点して、
やはりそれほどまでに野蛮なのがイスラームであるのか、
と批評する向きがあるかも知れない。
しかしイスラーム諸国が草案に反対した主として二つの理由を味読してみれば、
はたして彼らが人権思想を弁えぬ残酷な人種であるか否かが判明しよう。
その理由を紹介する前に草案第1条をみてみよう。
All human beings are born free and equal in dignity and rights.
They are endowed by nature with reason and conscience,
and should act towards one another in a spirit of brotherhood.
すべての人類は生まれながら自由であり、
尊厳と諸権利において平等である。
彼らは生まれつき理性と良識とを付与されており、
お互いどうし同朋的精神に立って振るまうべきである。
よく知られた文章であるが、草案討議中に反対が集中したのは、
「生まれながらに自由にしてーーー平等である」という点である。
つまり現実問題として
すべての人々が生まれながらにして不平等で苦しんでいるというのに、
その事実に目をつぶり、改善の手段や方針を示すこともなく、
平然として恰も生まれながらにしての自由や平等が
事実であるかのように表記することは、それこそ法的センスを疑う。
「自由にして平等である(=are)」ではなくて
「あるべきである(should be)」というのならまだわかるが、
事実でもない事実命題を認めるわけにいかない、
というわけである。
穿った見方をするのならば、
人権宣言の中には信教の自由も盛り込まれているから、
サウジアラビア一イスラーム諸国は
これに反対的態度を採ったともいえよう。
さらに、人間の生まれつきがどうこうと云々するに際して、
アッラーの神を始めとして、いかなる神の創造の業にもふれないで、
自然と人間の自由や権利が保証されているような思想は
分を弁えぬ傲慢さと映ったともいえる。
しかしながら、
たんにイスラームの宗教的立場からの批判と総括しさるのではなくて、
人権の問題を考察するに際して、先に引用した文章のように、
すべてを人間の側から決定論的に論じてよろしいものかどうか
への深い反省に基づいた表白と見なすべきであろう。
なにも、アッラーの神を信ずるか否かがポイントというわけではない。
たとえば自然環境とか教育条件など、
様々な意味での周囲の環境条件の整備ということも
人権の問題と切り離して考えられないはずである。
基本的人権を、
目の前に生まれ出た赤児の身体の中に
自由や平等がすでに備わっているもの、などと理解するのでは、
法的センスを疑われても仕方がないであろう。
表面の野蛮さや残酷さに眩わされることなく、
深く秘された知恵を味わうべきである。
それこそがイスラームの”国際性”に他ならない。
8 指導者の条件
「小説『悪魔の詩』事件」を総覧してきて改めて感じられることは、
考察すべき問題点がようやく出揃った所であり、
今後の検討に待つべき点が多い、
別の表現をすれば
真に良い意味での”国際化”を図らなければならないという印象が強い。
文学の毒について、
もっと突っ込んだ理解と論議が必要であるのと同様に、
基本的人権の基本的たる所以についても反省が必要なのである。
そのように重要な主題に関しては、
ある時点で解答が出されて決着がつくというのではなしに、
今後とも様々な角度から考察がくり返され、解釈が深められてゆく、
というのが真相であろう。
顧みれば書き手のラシュディも、裁き手のホメイニ師もともに、
書きも書いたり裁きも裁いたりとの感が強い。
文学作品が良きにつけ悪しきにつけ、
またその危険度の深浅について異論が存在するとはいえ、
これほど注目されたということは、
ある意味で作家冥利に尽きるといえよう。
そして宗教的知恵を実践する側においても、
これほどラディカルに
ーー過激に、というのではなしに根源的に、という意味ーー
様々な問題を扱って余すところがない、というのも
一種の至福体験といえる。
一騎打ちの行く方を見定めずして先に帰天したホメイニ師に
一輪の花を贈る意味を込めて、
そのラディカルな死刑宣告のもつ”国際政治上”の有効性について
評価してあげたい。
すなわち、彼の宣告のおかげで一つの流れの変化、
もしくはバランスの回復がなされたからである。
欧米にで出稼ぎに来ていたインド、
パキスタンはじめ中東出身の労働者達は、
イラン革命後特にテロリスト呼ばわりされてほとんど見さかいもなく
ーー欧米人にはその差がつけにくい、
ちょうど日本人が中国人や韓国人と間違われるようにーー
街頭で嫌がらせをうけるケースが増加していた。
地下鉄に乗れば囲まれて悪口雑言を浴び
ーーそれこそ基本的人権も弁えぬ野蛮人などとーー
さらにはタバコの煙やツバを吐きかけられて、脅かされていたのである。
ラシュディの小説はこの傾向に拍車をかけた。
お前らの宗教の創始者はホモだったのかとか、
その妻は娼婦だったそうだ、といった類の蔑視が加えられたからである。
小説をよく読まないで批評したのは何もホメイニ師側ばかりでなく、
欧米人にしても同様であった。
特に、インド、パキスタン人を中心とした反対運動が各地で生じ、
中には英国大使館爆破事件にまでエスカレートしさえした。
出稼ぎ労働者にとって
ラシュディの小説は身内の恥の上塗りと映ったに違いない。
かくして一部は暴動や市街戦にも発展しかねない状況に立ち至った時に、
ホメイニ氏の死刑宣告が出されたのである。
それはある意味でグッドタイミングであった。
ホメイニ師がいわば喧嘩を買って出たおかげで、事の真相が見えてきた、
もしくは然るべきバランスの回復がなされた面がある。
つまりは、ホメイニ師の言うことは極端ではあるが、
出稼ぎ労働者たちの気持ちはよくわかる、
というように、欧米人の間においても対応の仕方に変化が生じた。
逆に暴動を起こしかけていた連中も、
ホメイニ師の強硬な態度ゆえに却って
自分たちの行動を冷静に見返すことが可能となった。
もしくはひとまず師にゲタを預けてみようという気になったからである。
敵役が明確になり、一騎打ちの構図が定まってくると同時に、
余計な部分が消去されたといえよう。
政治的指導者とは、
時としてあえて強硬なスタンスを取り憎まれ役を演じなければならない。
自ら火中の栗を拾うごとく、重荷を背負い込む必要もある。
それが指導者の条件に他ならない。
その限りでイマーム・ホメイニは見事にイマーム、
すなわち指導者の役を演じ切ったといえよう。
ホメイニ師の死後、
ファトゥワとしての死刑宣告の効力は失せたわけではないが、
実際にはその脅威も減少すると思われる。
(上野注:そうではなかったですね)
逆にそうなって多くの読者にこの小説「悪魔の詩」が読まれ始めた時、
果たして「小説『悪魔の詩』事件」の話題性とは独立して、
文学作品として読まれ続けていくか否か、
真に正念場を迎えるといえよう。
マジック・リアリズム
(上野注:日常にあるものが日常にないものと融合した作品)
の真価も、その時に問われることになろう。
(『ユリイカ』1989年11月号、青戸社刊より転載)
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