2020年3月18日水曜日

4月から120年ぶりの民法改正施行!!

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 民法改正の内容を確認していただきます。
 その意義や背景を理解していただきます。
ねらい:
 契約行為に際して抜かりがないようにしましょう。
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この項は、學士會会報2020年Ⅱ号掲載
内田貴東大名誉教授の「民法(債権法)の抜本改正」のご紹介です。
一部の情報は、2019.11.17の日経新聞記事「改正民法契約ルール激変」
によります。
この4月から、
1898年(明治31年)に制定された民法の中核部分をなす
契約に関する規律が120年ぶりに抜本改正されます。
この改正は法務省が主導したそうです。


大改正だったために、2007年から検討に着手し、
2015年に国会提出、2017年に可決成立、2020年から発効という
長期事業でした。


この報告では、これだけのことを改正するのでも、
たいへんな反対・抵抗があり
ようやくここまでこぎつけたことが書かれています。


改正内容の解説の前にこのような説明が入っていました。


この改正法は、学界ではあまり評判がよくない。
改正過程で、改正の意義について理解を広めようと私が執筆した
「民法改正」(ちくま書房)で説いたような「アジアからの発信」とは
ほど遠い改正になってしまったからだろう。


他方、実務界(弁護士、裁判所、経済界等)では
比較的評価されている。
実務的に意味のある改正がそれなりに実現されているからだろう。
学会と実務界での評価の二分、これが今改正の性格を象徴している。


これまで、民刑事の基本法を所管する法務省の立法は
政策立法が主体だった。
改正しないと困ったことになる、といって
どこかから政策課題の球を投げ込まれ、
それを受け止める改正である。


だから、もっと民法改正を報道してくれとマスコミに依頼しても
「誰が困っているのですか?その人に取材したい」と尋ねられた。
(上野注:たいへん興味深いエピソードですね)


しかし、
困っている誰かを救済するために民法を抜本改正するのではない。
民法のあり方は、社会や国家のとらえ方にもかかわる。


それゆえに日本民法の母法国であるドイツやフランスでは、
制定から1世紀ないし2世紀を経て全面的なメンテナンスを行った。
そこには、19世紀に民法が作られたときには想像もしなかった、
EUの存在という要素も色濃く反映されている。
時代の変化に合わせて民法の骨組みも変わっていく。


改正内容と抵抗は要約するとこうなります。


民法今回の改正点

改正点

概要

備考

消滅時効

時効の消滅は、法では原則10年とされていたが、多くの特則があった。

これを「権利を行使できることを知ったときから5年、権利を行使できるときから10年(人身損害の賠償債権は20年)」に一元化された。

参考:

請負契約の担保責任期間は、「引き渡してから1年」から「(欠陥などに)気づいてから1年」となる。

弁護士会は、短期消滅時効が実務に定着しているから存続させよと主張した。

法定利率

法定利率は、当事者が利率を定めていないときに適用されるが損害賠償債権の遅延損害金の利率として用いられることが多い。

従来は民事5%、商事6%と高めに設定されていた。これを3%にした上で、3年ごとに市場金利の動向を反映しながら変動しうる制度となった。

この改訂も難航した。

保証

経営者本人以外の個人保証を極力少なくする方向で検討された。

1)      契約時に将来の債務額が特定されない保証は「根
  保証」であるが上限金額を定めることになった
  (定めのない契約は無効となる)。

2)      経営者本人以外の個人が保証人になる場合は、保
  証人本人が公証役場に出向き「保証意思宣明公正
  証書」を作成しなければならない。

 

定型約款

消費者契約で広く用いられる約款について、日本には一般的な規制がなかった。そのため約款は契約でないともめることもあった。そこで今回約款についての規律を作成した。

「約款が契約内容になる」と明示してあれば、約款への同意が法的に契約になる。「信義則」に反して消費者の利益を一方的に害するような条項は無効となる。また、約款の変更は可能であるが、不合理な理由の一方的変更は認められない。

経団連は、広く企業間取引に適用されることを嫌ったので適用範囲を限定した。

この報告にはたいへん興味深い以下の記述がありましたのでご紹介します。


学問としての法学への不信
改正のプロセスは、学者案作りから始まった。
当初、実務界には民法を変えるという意識が皆無であった。
議論の蓄積もなかった。


他方、学界では、ヨーロッパの(法改正の)動きに触発されて、
すでに10年以上前から、債権法改正への関心が高まり、
一定の蓄積が存在した。


そこで、まず学界から、
改正のたたき台になり得るような案を提示しようとしたのである。
しかし、学界案ができると実務界から一斉に反発が起こり、
改正作業は激しい逆風の中で進行することになった。


興味深かったのは、その逆風の中で、
学問としての法学に対する不信感が実務界から示されたことだった。
学問的必要性による改正は、「学理的」と表現され、
これが強烈なマイナスイメージとして機能した。


かつては敬意を持って使われた形容が致命的レッテルと化している。
なぜか。
そんな学問的関心から
改正後に「法学の誕生」(筑摩書房)という本を書いた。


そこで論じたように、法学という学問は、
明治維新後の日本の近代化の手段として西洋から導入され、
日本社会の近代化=西洋化を主導する役割を演じた。
それゆえに、日本が近代化を目指していた間は、
法学が優秀な若者を吸引する力を持ち、
法学者の社会的地位も高かった。


しかし、
高度経済成長と、その挙句のあだ花とも言えるバブル経済を経て、
西洋にモデルを求めるという発想が日本社会から急速に消えていく。
「近代化」という言葉も急速に姿を消した。


それとともに、明治維新以来の近代化をけん引してきた法学も
その役割を終えた。
実務界は、もはや近代化の手段としての法学を必要としていない。
立法で何が必要かは、実務的必要性が基準となる。
それを判断するのも実務である。
そんな時代に、非西洋国ではじめての、
自前の民法抜本改正をリードしようとした日本民法学は、
夢を打ち砕かれたのである。




私は、この記述で学生時代を思い出しました。
高名な法学者の授業を受けたのですが、
「何だこれは、ただ法律の解釈をしているだけではないか」
と、それ以来法学系の単位はとりませんでした。


法律解釈が学になるというのは腑に落ちなかったのです。
この説明を読んで納得がいきました。

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