2019年3月27日水曜日

久しぶりに大阪の街を歩いて気づいたこと3つ

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 久々の大阪探訪記です。
ねらい:
 自己満足ですね。
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3月26日期末の近い日に、
大阪のお客様2社を訪問しました。


時間がありましたので以下の工程を歩いてみました。
1)大阪駅から堂島まで
2)堂島から天満宮近くの同心町まで
3)同心町から大阪駅まで


重い荷物を持ってのゆっくり歩行ですから
全部で2時間くらいかかりました。
その間、途中では何も飲みませんでしたが、
暑くなかったので熱中症にもならずにすみました。
因みに、朝6時前に家を出てから19時に帰宅するまで、
口にしたものは、初めの会社でいただいたお茶一杯だけでした。
人間の体は結構耐久力があるものですね。


歩いていて気がついたことが3点ありました。
1.大阪の歩行者は信号を守る
 4―5メートル幅ですぐ渡れるようなところでも
 青信号を待っている人が男女とも多いのです。


 東京では、ニューヨーク・スタイルと称して、
 車が来ないと自己責任でどんどん渡る人が多くいます。


 たまたま、27日の朝のテレビで、こういう報道をしていました。


 信号のない横断歩道で、横断しようとする歩行者がいる場合、
 一時停止するのが一番多い県は長野県で(たしか7割程度)、
 最悪は栃木県でした(止まるのが1%程度)


 長野県は、家庭でも学校でもそのような教育をしているそうです。
 ですから、車が止まるのが当たり前になっています。
 車が止まってくれたら、
 歩行者は「ありがとう」と頭を下げるのだそうです。
 たいへん良い風土になっていますね。


 そういう点からすると、
 大阪の方がしつけが良いということになります。
 あるいは、東京人の方がせっかちなのか、
 忙しい人が多いのか、どうなのでしょう?


2.歩道橋があるところでも横断歩道がある。
 東京だと歩道橋があるところの下には
 横断歩道がないところが多いのです。


 これだと、車いすの人やベビーカーの人は
 遠回りをしないと向こう側に行けません。
 
 車優先で人間を大事にしていません。
 この考えは今や古いですね。
 東京は遅れています。


3.こんな店が残っていました
 桜橋と梅新の間の曽根崎通り(国道1号線)沿いに
 スエヒロ本店がありました。昔のままの場所です。
 スエヒロは大きな企業ですから残っていて当然でしょう。


 ところがその裏手に串「雲仙」の店があったのです。
 ビックリです。


 この店は、元は大阪駅前の繊維問屋街にありました。
 繊維問屋街は、
 戦後のどさくさで皆が勝手にその辺に店を構えたらしいです。
 「雲仙」もその中の1軒でした。
 
 私が帝人大阪にいた昭和40年頃はまだそこにありました。 
 間口1間くらいで
 カウンターの後ろはようやく人が通れるくらいの狭さでした。 
 お任せでいろいろな串が出てきます。
 その串焼きはとても美味しくて何度も行きました。


 その後、
 繊維問屋街が区画整理になり小さな店はみな立ち退きました。


 たまたま何かのはずみで、
 先ほどの場所で営業しているのを見つけました。
 すっかり高級な感じになっていて値段も2.3倍でしょうか。
 でも味は昔のままでした。
 大阪を離れてからもその店に何度か行っています。


 その店がまだあったのです。
 50年くらいは経っているのではないでしょうか。
 独立店で50年やっているというのはスゴイことです。
 
 食べ物屋は、美味しければ客が来るのです。
 あらためてその思いを強くしました。


 念のため、ネットで調べてみました。
 そうしたら、この「雲仙」の創業は昭和25年で
 (これは先ほどの記述と合っています)、
 今や大阪3店だけでなく、東京にも進出しているのです。
 どなたかが才覚がおありだったのでしょう。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

雲仙  懐かしいです   初めて連れって頂きました  
いなかっぺの私はこんな美味しいものがあるのか感動ものでした
半世紀経った今でも鮮明に覚えています

 以後  よく行きましたがここんところは 行ってません

また 行ってみたいです   !(^^)!

上野 則男 さんのコメント...

匿名さん

コメントありがとうございます。
覚えていてくれましたか!
懐かしいですね。
是非生きているうちにまた行きましょう!!