2015年3月28日土曜日

「絶望の裁判所」

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 日本のヒドイ裁判所・裁判官の問題点を知っていただきます。

ねらい:
 シンデモ裁判所のお世話にならないようにしましょう!!
 関心ある方は、瀬木さんの本を読んでみてください。
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私は裁判官という人種を信用していません。
1976年に鬼頭史郎裁判官が事件を起こしました。

検事総長名をかたって首相に電話をかけ、
ロッキード事件での田中角栄氏の逮捕に対して
指揮権の発動を促した、ということで騒ぎになりました。

まだ駆け出しの裁判官の時に、
既婚であるにも拘らず女性弁護士に離婚したと偽って
同棲をしました。

他にも奇行が多数ありました。

こんな人に裁判を任せられるものか!
その時、こう思いました。

弁護士も裁判官も司法試験に合格しなければなりません。
国家試験としては最大の難関で、
頭脳の優れた人間が「猛勉」しなければ受からないのです。

頭脳といっても記憶力の方で、判断力はほぼ不問です。
社会を、法律を通じてしか理解していない
「非常識人」が多くなるのです。
だから鬼頭事件が起こるのだと思ったのです。

私の帝人時代の友人O氏が、
「自らの別荘地の管理費の支払い要求が不当である」
という民事訴訟を行った際の裁判官の対応が
極めて不当である、いい加減である、
と糾弾したレポートを送ってくれました。

司法資格は持っていませんが、会社で法務を担当し、
大学法学部や法科大学院で教授をした人です、

私は、
「裁判官も『勤め人』だから、そういう点もあるだろうな」
くらいにしか思っていませんでした。

ところが今回「絶望の裁判所」「ニッポンの裁判」を読んで
裁判所と裁判官のひどさがよくよく分かりました。
O氏がこの本を読んだらよいと推薦してくれたのです。

あらためて、
大学時代の友人清廉潔白・純真無垢の木谷明氏が
よく37年間も裁判官を務められたな、と認識したくらいです。

木谷さんにつきましては
当ブログ「『刑事裁判のいのち』ってなんでしょうか」
(2013年10月17日)
 http://uenorio.blogspot.jp/2013/10/blog-post.html
でご紹介しています。

彼は目下冤罪をなくそうということで大活躍しています。
その活躍ぶりをみると、彼が東京高裁どまりで終わったのは
やはり「絶望」状態のマネジメントが影響しているのか、と
が点がいきました。

本題です

「絶望の裁判所」は瀬木比呂志さんという
1979年から33年間裁判官を務められた方が書かれたものです。
瀬木さんは、文学・音楽・映画の世界の著書もある
「常識人」です。




まさに絶望する、暗澹とした気持になってしまう内容です。
皆様もあまり詳しくお知りになりたくないでしょうから
エッセンスのご紹介にとどめます。

この本のはしがきは、次の一句から始まっています。
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「この門をくぐる者は、一切の希望を捨てよ」
ーーダンテの「神曲」地獄篇第三歌

以下しばらく、原文のままご紹介します。

裁判所、裁判官という言葉から、
あなたは、どんなイメージを思い浮かべるだろうか?

ごく普通の一般市民であれば、おそらく、
少し冷たいけれども公正、中立、廉直、優秀な裁判官、
杓子定規で融通はきかないにしても、
誠実で、筋は通すし、出世などにはこだわらない人々を考え、

また、そのような裁判官によって行われる裁判についても、同様に、
やや市民感覚とずれるところはあるにしても、
おおむね正しく、信頼できるものであると
考えているのではないだろうか?

しかし、残念ながら、おそらく、日本の裁判所と裁判官の実態は、
そのようなものではない。
前記のような国民、市民の期待に大筋応えられる裁判官は、
今日ではむしろ少数派、マイノリティとなっており、

また、その割合も少しずつ減少しつつあるからだ。
そして、そのような少数派、良識派の裁判官が
裁判所組織の上層部に昇って
イニシアティブを発揮する可能性も皆無に等しい。

中略

(和解ではなく)弁護士とともに苦労して判決をもらってみても、
その内容は木で鼻をくくったようなのっぺりした官僚の作文で
あなたが一番判断してほしかった重要な点については、
形式的でおざなりな記述しか行われていないということも、
よくあるだろう。
(上野コメント、遠慮した表現です)

こうしたことの帰結として、
2000年度に実施された調査によれば、
民事裁判を利用した人々が
訴訟制度に対して満足していると答えた割合はわずかに18.6%にすぎず、
それが利用しやすいと答えた割合も、
わずかに22.4%にすぎないというアンケート結果がでている。

あなたが不幸にも痴漢冤罪に巻き込まれたとしよう。
いったん逮捕されたが最後、
あなたは、弁護士との面会の時間も回数も限られたまま、
延々と身柄を拘束されることになるだろう。

突然あなたを襲った恐怖の運命に、
あなたは、狼狽し、絶望し、ただただ牢獄から出してもらいたいばかりに
時間を選ばない厳しい取り調べから逃れたいばかりに、

また後から裁判で真実を訴えれば
裁判官もきっと分かってくれるはずだと考えて。
「はい、やりました」と言ってしまうかもしれない。

しかし虚偽の自白をしてしまった場合にはもちろん、
あなたが否認を貫いて公判に臨めるほどに
強い人間であったとしても、
あなたが無罪判決を勝ち得る可能性は極めて低い。

(前掲木谷さんの著書では
否認事件の無罪率は2%台だということでした)

刑事系裁判官の判断の秤は、最初から検察官のほうに
大きく傾いていることが多いからである。

裁判の目的とは一体何だろうか?
私は、一言で言えば、
「大きな正義」と「ささやかな正義」の双方を実現する
ことではないかと考える。

しかし、今述べたとおり、
日本の裁判所では、
「ささやかな正義」はしばしば踏みにじられているし、
後に述べるように、
裁判所が、行政や立法等の権力や大企業等の社会的な強者から
国民、市民を守り、基本的人権の擁護と充実、
人々の自由の実現に努めるという「大きな正義」については、
きわめて不十分にしか実現されていない。
(前掲O氏が慨嘆したとおりです)

中略

一つ付け加えれば、本書において、
私は、前記のとおりおそらく過去にあまり例のない
包括的、徹底的な日本の裁判所、裁判官批判を行ったが、
基本的には、
個々の裁判官個人の心にひそむ人間性までも
否定するつもりはない。

また、私は現在でも、
裁判官と呼ぶにふさわしい裁判官は
日本にも一定の割合で存在すると考えている。
(上野コメント 木谷さんは明らかにその一人でしょう)

さらに、
高位の裁判官や
本文で詳しく触れる最高裁判所事務総局系の裁判官の中にも、
人間として評価する人物は存在するとも考えている。

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逃げを張っているようですが、
尊敬に足りる人は例外だと述べているのです。

ということで本文では、この主張を裏付ける事実が
以下の目次のもとに延々と述べられています。

第1章 私が裁判官をやめた理由(わけ)
  自由主義者、学者まで排除する組織の構造

第2章 最高裁判事の隠された素顔
  表の顔と裏の顔を巧みに使い分ける権謀術数の策士たち

第3章 「檻」の中の裁判官たち
  精神的「収容所群島」の囚人たち

第4章 誰のため、何のための裁判?
  あなたの権利と自由を守らない日本の裁判所

第5章 心のゆがんだ人々
  裁判官の不祥事とハラスメント、裁判官の精神構造とその病理

第6章 今こそ司法を国民、市民のものに
  司法制度改革の悪用と法曹一元制度実現の必要性

あとがき 不可能を可能とするために

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なお、「ニッポンの裁判」は裁判の内容の分析・批判書です。
以下の構成です。



第1章 裁判官はいかに判決をくだすのか
  その判断構造の実際

第2章 裁判官か「法」をつくる
  裁判官の価値観によって全く異なりうる判決の内容 
  (上野 現在の国政選挙の不平等訴訟での判決でご覧のとおりです)

第3章 明日はあなたも殺人犯、国賊
  冤罪と国策捜査の恐怖

第4章 裁判をコントロールする最高裁判所事務総局
  統制されていた名誉棄損訴訟、原発訴訟
  (上野 そんなスゴイ組織があるとは知りませんでした)

第5章 統治と支配の手段としての官僚裁判
  これでも「民主主義国家の司法』と呼べるのか?

第6章 和解のテクニックは騙しと脅しのテクニック?
  国際標準から外れた日本の和解とその裏側
  (前掲O氏が経験したとおりです)

第7章 株式会社ジャスティスの悲惨な現状
  (上野 日本の裁判所を会社に見立てた寓話です。
  この章では
  歴代の最高裁長官のワル加減も評価の対象となっています)

第8章 裁判官の孤独と憂鬱

瀬木さんの著書は、構成が明快で、
目次を見ると言いたいことが分かります。
論点も明快です。
素晴らしい力だと思います。

その点からして言っておられることは、
ほぼ信じてよいのではないかと思います。


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