パソコンは、2011年に出荷台数で
多機能情報端末・スマートフォンに追い越されます。
そのパソコンの世界ランキングでは、
日本の東芝が5位、ソニーが9位、富士通が10位
に入っています。
しかし,急速に伸びているスマートフォン系では、
日本は苦戦でベスト10に入っていません。
韓国のサムスンが急伸の2位、
同じくLG電子が6位です。
同じくLG電子が6位です。
韓国の企業はトップダウンで意思決定が早いのは
かなり知られた事実になっています。
最近知ったのですが、韓国は、
「パルリ!(早く)」が合言葉なのだそうです。
日本は、良いものを作ることを重視しています。
私は、現代の価値目標順位は
「早い、うまい、安い」だと言っています。
価値目標とは、人が望む価値ということです。
競争に勝つには、まずは「早く」ないとダメ、
次にお客様のニーズに合うもの(うまい)が重要で
安いは、「早い」や「うまい」で競争できない
(差別化できない)時の選択基準である、
と言っています。
(差別化できない)時の選択基準である、
と言っています。
韓国ビジネスは、このモデルそのもので
戦ってきています。
戦ってきています。
日本は「うまい」を重視していて負けているのです。
【8月29日追記】
8月27日の日経新聞に
「電子部品でもサムスン攻勢」という記事がありました。
この中で、韓国勢が強いのは意思決定の早さだけではない
という以下の情報が記載されていました。
「セラミックコンデンサーは
スイッチやコネクターなどと違い、
アジア勢が決して追いつけない電子部品とされてきた。
焼き物のように何百度で何分間熱するといった
”レシピ”が分からないと
同じ特性の製品を作れないからだ。
(いわゆる擦り合わせ型の製品なのです。
ところがこの分野でもサムスンが急成長して
日本のTDKや太陽誘電を抜いて世界2位になりました)
サムスンの先端開発を後押ししたのは、
実は海を渡った日本人技術者だ。
『サムスンには
(世界一の)村田製作所など大手メーカーを辞めた
10人人以上の技術者が転職した』(複数の業界関係者)
といわれる」
日本の人事制度が
時代の流れに完全に乗り遅れている結果で
非常に残念なことです。
これからどんどん高齢化社会になるのですから、
高齢者に活躍いただく場を作らなければならないのは
日本の至上命題ではないですか。
あまり役に立たない人にでもそれなりの仕事を作って
働いていただかなければならない状況です。
まして、役に立つ人を出してしまうなんて
何たることでしょう!!
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日本のビジネスは早くないのです。
特に意思決定が遅いのです。
根回しや全員合意が必要だからです。
日本における意思決定が遅れたことの最大の悪例は
第2次大戦の終戦の意思決定遅れだと言われます。
8月6日に広島に原爆が落とされて、
敗戦が決定的になったにも拘わらず、
日本の総責任者である首相は軍部との調整に手間取り
その間に8月9日のロシアの参戦を招いたのです。
ロシアは本当に汚い国です。
日本がもう駄目だと分かってから
日ソ中立条約を一方的に破棄しての対日参戦を行い、
その結果、
北方四島を戦勝品としてかすめ取ったのです。
もう少し遅れれば、
北海道自体も取られていたでしょう。
【8月29日追記】
8月28日の日経新聞書評欄に
「ノルマンディー上陸作戦1944」
が紹介されていました。
その中で、こういう文章がありました。
「やがて、兵站を立て直した連合国軍が、
南フランス上陸を敢行した友軍と連携して
ドイツ軍を完全包囲しパリの解放へと突き進む。
パリの一番乗りに関して
連合国軍司令部で一悶着を起こすが、
フランス第2機甲師団がその先鋒を務める。
米軍はパリを迂回して一刻も早くドイツに
突入しなければならなかったのだ。
南進中のソ連赤軍が大西洋岸まで到達したら、
戦後の世界情勢、とりわけヨーロッパの歴史は
大きく異なるだろうと危惧したからだ。
こう判断したアイゼンハワーは軍人と言うより、
戦後世界をリードする政治家としての慧眼の持ち主
であったといわねばならない。」
まさにそうですね。
超大国でありながら、海洋に接していないソ連が、
大西洋と太平洋への出口を求める戦略は、
大西洋側についてはこのようにして阻止されたのです。
悔しいことに太平洋側はやられたのです。
北方四島を戦勝品としてかすめ取ったのです。
もう少し遅れれば、
北海道自体も取られていたでしょう。
【8月29日追記】
8月28日の日経新聞書評欄に
「ノルマンディー上陸作戦1944」
が紹介されていました。
その中で、こういう文章がありました。
「やがて、兵站を立て直した連合国軍が、
南フランス上陸を敢行した友軍と連携して
ドイツ軍を完全包囲しパリの解放へと突き進む。
パリの一番乗りに関して
連合国軍司令部で一悶着を起こすが、
フランス第2機甲師団がその先鋒を務める。
米軍はパリを迂回して一刻も早くドイツに
突入しなければならなかったのだ。
南進中のソ連赤軍が大西洋岸まで到達したら、
戦後の世界情勢、とりわけヨーロッパの歴史は
大きく異なるだろうと危惧したからだ。
こう判断したアイゼンハワーは軍人と言うより、
戦後世界をリードする政治家としての慧眼の持ち主
であったといわねばならない。」
まさにそうですね。
超大国でありながら、海洋に接していないソ連が、
大西洋と太平洋への出口を求める戦略は、
大西洋側についてはこのようにして阻止されたのです。
悔しいことに太平洋側はやられたのです。
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8月14日になってようやく昭和天皇の裁可によって
終戦となりました。
この意思決定の遅れは
当時の鈴木貫太郎首相の個人的責任とは言えませんが、
意思決定遅れが重大な結果を招いたことには
違いがありません。
日本の伝統的企業は
どうすれば「パルリ!」になるのでしょうか。
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