3月11日、私は市ヶ谷で講演会に参加しているときに
この大地震に遭いました。
この講演会の会場だったアルカディア市ヶ谷では、
避難を誘導した後、
全員退出・継続使用不可の指示が出ました。
その会館では
いくつもの講演会等が開催されていましたが、
すべて中断の憂き目に遭いました。
利用者の安全を考えてと言うと聞こえはよいのですが、
私からみると責任逃れ意識と思えました。
あの立派なビルは倒壊などありえません。
余震があるとしても本震より強いことはないのです。
危険はないと言っていいでしょう。
それでも、
「何かあると困るから」
という防衛意識だったのではないでしょうか。
おかげで、多くの参加者たちはいる場所・行く場所を
失ってしまったのです。
その後が問題です。
私は用があったので、
小伝馬町のオフィスまで4~5キロの道を歩きました。
時間があったので、ある人と食事をした後でしたから
17時くらいでした。
電車は全く動いていないのに、
多くの人が都心の道路を歩いているのです。
どうするつもりなのでしょう。
新宿方面に歩いている人は、新宿まで行けば
ひょっとして新宿に着くころには
電車が動いているかもしれない
と思っているようでした。
ケータイは通じないし、情報が入手できないのです。
ケータイは便利なコミュニケーション手段ですが、
緊急の時に使えないのではダイナシですね。
私も必死で我が家に電話しようとしました。
我が家は木造2階建て瓦葺築60年ですから、
倒壊の危険性があります。
5時間後位にようやく無事が分かりました。
当てもなく?歩いている人のことですが、
「電車は一旦止まると、
安全確認のため線路をすべて点検するので
復旧にはたいへんな時間がかかる」
ということを知っているか、
復旧見通しの情報が入手できていれば、
歩いたりしなかったでしょうに。
18時くらいになると幹線道路は歩いている人で
一杯になりました。
その人たちはどこへ行ったのでしょうか。
歩いていて思いました。
道路にもっと地域表示板(案内)があるとよい、と。
知らない所を歩くときはこれが頼りですから。
交番はそんなにあるものではないし。
そのほか、今回の地震で首都圏の弱みが
ずい分分かったと思います。
大震災の予行演習になったのです
(今回も十分大地震でしたが)。
何時ころか知りませんが、
政府から
「交通機関がないので
帰宅しようとしないで事務所にいてください」
という勧告が出たそうです。
そのとおりです。
もっと早くにこの勧告が出ていれば、
「流浪」の被害に会う人がもっと少なくて済んだでしょうに。
ところで、ビルから避難するのは何のためですか?
直接目的は、身体的被害に遭わないことです。
であれば、ビルの倒壊の危険がなければ
ビルから出ない方がよいでしょう。
ビルから出ないで、
倒れたり落ちてきたりしそうな物のそばにいない
ことが有効な対策です。
次いで、避難後どうするのですか?
帰宅できなければ不安な、場合によって危険な状態に
遭遇することになってしまいます。
「安全に帰宅する」が
最終目的(ねらい)のはずです。
その観点からすると、
交通機関がなく帰宅できない状態なのに、
「早く帰宅させる」という方針で社員を放り出した
会社は無責任です。
無責任ではない、「目的・ねらい」を十分考慮した
避難方法を考えなければならないのです。
一夜明けて12日午前、
被害状況を観察しました。
外食チェーンでは、
ラーメンの日高屋が
「食材が確保できませんので休業」と出ていました。
うどんのなか卯は営業していました。
牛丼チェーンでは、
松屋は平常メニュを提供していました。
いつもより込んでいたようです。
吉野家は限定メニュ(牛丼のみ)でした。
すき屋は休業でした。
この点からすると、
すき屋が最も効率的な事業運営をしているようです。
在庫をギリギリで回しているのです。
しかし、
非常時の食の生命線確保には貢献してくれません。
トヨタのカンバン方式と同じで、
一旦ことあると、生産に影響をあたえてしまいます。
(つづく)
1 件のコメント:
今回の地震に遭遇して、
「余震があるとしても本震より強いことはないのです。」と
いう言葉で、少し私の気持ちが楽になりました。
那須塩原市に住んでいる私は今回の地震を体験し、人生にこんなこともあるのだ!と驚きました。
でも、ここの土地でのこの経験は震源地近くの皆さまからしたらかなり恵まれています。
夕べは停電しましたがそれも今朝復旧し、自分の家にいられるし、ひどく揺れたのについていて壊れたものがないのです。
今も今夜も余震が怖いのですが、上野さんのお言葉がちょっぴり役に立ちました~。
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