東京電力が非難を浴びています。
その一つが「計画停電」です。
3月14日から東京電力管内で「計画停電をする」
ということを、前日夕方発表しました。
具体的な実施スケジュールは当日開始ぎりぎりになり、
しかも「今日はやらない」「やはりやる」と
方針が二転三転しました。
計画停電実施は、
1951年の同社設立以来初めてということでの
不慣れはあったでしょう。
不慣れの時に的確な捌きができるのが実力だ、
という批判もできそうです。
しかし私は別の見方をしてみます。
東京電力では、
設立以来「電力の安定供給」を社是としてきました。
この安定供給とは、
「いかなる山間僻地といえども需要者がいる限り
都市部と同じ条件で電力を供給する」
というものです。
ということは、極論すると、
人里から離れた山の中に住んでいる一家のために
送電線網を張り巡らせて、
しかも事故等を考慮して代替網まで設定するのです。
「お上」の仕事としては、
そういう理念もある面で許容されるかもしれません。
しかし公益事業とはいえ、株式会社の事業です。
そのコストは
都市部の利用者が負担していることになるのです。
ところが、この方針は錦の御旗として
長く社内で受け入れられてきました。
この錦の御旗に対して、
93年から99年まで社長を務められた荒木浩氏が、
トップとして初めて、コストとのバランス
あるいはコストダウンの概念を主張されました。
荒木社長は、社長になられる前から、
既成概念に対して異論を唱える改革派だったようです。
そういう改革派を社長にした那須翔社長(当時)も
偉い方です。
今回の件は、
なぜ二転三転したかというと、
何とかギリギリ可能な範囲で電力を供給したい
という使命感のなせるわざだと思えます。
良かれと思ってのことなのです。
しかし受け側からすると、
停電は困るが、どうなるか分からない方がもっと困る、
ということへの配慮が足りなかったのです。
個人は予定外に電力が来れば
「良かった」ということでしょう。
しかし、法人の場合は、
自分のところのサービスをどうするかを決めて、
段取りをしなければなりません。
変更されたら困るのです。
「電力の安定供給」が、
何にも勝る行動基準だという思い込みが
悪い結果を産んでしまったのです。
ちなみに、荒木社長は99年の東海村の
原子力事故の責任を取って辞められました。
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