2023年11月20日月曜日

忠犬ハチ公生誕100年

[このテーマの目的・ねらい]
目的:
 忠犬ハチ公を巡る愛の物語をご紹介します。
ねらい」
 ワンちゃんを大事にしましょう。
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2023年3月7日号に
上野則男のブログ: 忠犬ハチ公を偲びましょう!! (uenorio.blogspot.com)
の記事を書きましたので、その続きを掲載することといたしました。
以下は、日経新聞11月10日号に掲載されました記事のご紹介です。

これを投稿なさった松井圭太氏は、文章がとても上手で
謎ときに読者をひきつけ感動させます。
そういうことで(中略)の得意な私も一切、省略なしで
全文のご紹介となりました。素晴らしい投稿記事です。














こういう内容です。
タイトルは「忠犬ハチ公 真の物語」です。
100年前の1923年11月、秋田犬ハチ公が生まれた。
飼い主の東京帝国大学(現東京大学)の上野英三郎博士が
25年に死去した後、渋谷駅で帰りを待ち続けた美談は有名だが、
詳細はあまり知られていない。
白根記念渋谷区郷土博物館・文学館の学芸員の私は、
細かく調査すべく関係者に聞き取りをしてきた。

最初から強い医師があったわけではなかった。
渋谷区の博物館に勤めていると「ハチ公について教えてほしい」
という電話が度々はいる。
しかし、通り一遍のこと以上は説明できなかった。
あれだけ人気のハチ公だが、不明なことが多かった。
学芸員としてこれではダメだと思い、調べ始めたのが最初だった。

調べる中で、ハチ公の物語のキーパーソンである
上野夫人(坂野八重子)の遺族を見つけられたことが
謎を解く大きな一歩となった。
当時夫人については
「博士の愛人」「犬嫌い」という話がささやかれていた。
これは根も葉もない噂だ。

博士は幼少期病弱で、先は長くないと考え、
早くから結婚しないと決めていたようだ。
夫人も、養女に入った坂野家の後継ぎで、
姓を変えられない事情があった。
それで籍を入れなかったのだ。

夫人は優しい人で、博士の弟子たちを母親のように気に掛け、
また弟子からも慕われていた。
当然ハチのことはわが子のように大切にした。
夫人は博士の死後、家を出なければならず知人宅に居候する。
当然犬は連れていけなかったので、自分の親戚に預けた。

その後、夫人はハチとともに世田谷区の一軒家に住み始める。
この家は、博士の弟子たちから贈られたものだ。
このことからも夫人がどれだけ慕われていたかわかる。
しかしハチは博士を探すように渋谷に出かけるようになり、
駅近くの渋谷区富ヶ谷に住む植木職人の小林菊三郎に託された。
菊三郎は博士に腕と人柄を見込まれ、独立を支援してもらっていた。

恩人の形見としてハチを大切に育て、
自分の子の夕飯はコロッケでも、ハチには肉を与えた。
菊三郎の長女の話では、ハチは子どもたちのよき遊び相手で、
家族で愛情を注ぎ育てた。
渋谷駅からのハチの帰りが遅いと菊三郎が迎えに行ったそうだ。
彼女は35年3月8日、学校に登校すると先生からハチ公の死を知らされ、
早退し泣きながら駅に向かったという。

因みに、博士は普段、
渋谷区松濤の自宅から帝大農学部のある目黒区駒場まで徒歩で通い、
ハチも送り迎えをしていた。
日本の「農業土木学の父」と言われる博士は長期出張も多く、
その際に駅を使った。
渋谷駅で待てば博士は長旅からきっと帰る。
ハチはそう考えて駅に通ったのだろう。

東京青山にある博士の墓の脇にはハチもともに眠る。
61年に死去した夫人は生前、
墓石横の灯篭下でいいので近くに埋葬してほしいと望んだが
かなわなかった。
だが、2013年ハチの生誕90年に合わせて開いた特別展をきっかけに
話が進展した。
東大が墓地関係、私が遺族との交渉を行い、
16年には夫妻とハチは泉下で「再会」を果たすことができた。

この時の展示には映画「ハチ公物語」出夫人役を演じた
故・八千草薫さんも来てくださった。
八千草さんの役は例の噂話をもとに創られ、
ハチのことを放り出してしまう。
案内した私に八千草さんはこう漏らした。
「今度はあなたの脚本で同じ役を演じてみたいわ」。
真のハチ公物語。それは上野夫妻とハチ公の愛が、
周囲の人々に奇跡のように広がってゆく愛の物語なのである。
               (松井圭太 学芸員)
追記:
11月8日の日経新聞には、こういう記事も載っていました。
1)今年8~10月に開催した企画展では、
 松井氏が収集した写真や文献など約250点を展示。
 展示期間中の1日平均の来館者数としては過去最多となった。

2)大館市のハチの生家には記念碑と石像が建てられ、
 多くの肩部打つ客が訪れる。
 2003年の記念碑除幕式には上野教授の子孫が訪れるなど
 交流が生まれたという。

3)上野教授の出身地、津市。近鉄久居駅前には12年、
 教授とハチ公が見つめ合う姿の銅像が建立された。
 「見ると優しい気持ちになる。たくさんの人に見に来てほしい」
 と近所の人が言う。

まさに「広がってゆく愛の物語」です。

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