2021年3月12日金曜日

大震災で亡くなられた高齢者について考えてみました

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 東北大震災で亡くなられた高齢者の一面を探求します。
 「なまじの経験が仇」になっています。
ねらい:
 なまじの経験は捨てましょう!!
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以下の3件の記事はいずれも、
高齢者が避難のチャンスがあったにもかかわらず
避難しないで難に遭っていることを伝えています。
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1.3月9日日経新聞の記事
福島県浪江町出身の看護師、鈴木春奈さん(37)は、
二つの悔いを抱えて。この10年を生きてきた。
(その一つは)
東日本大震災の津波から夫の祖父母を救えなかったこと。

2011年3月11日。
浪江町請戸地区の自宅で揺れに襲われた。
農機具小屋にいた祖父、長寿さん(当時78)に、
祖母、頼子さん(同77)と避難するよう促したが
「いいから夜勤に行け」と言われた。
いったん内陸の実家に車で避難した。
(中略)
5月に祖父、7月に祖母の遺体を確認した。

2.3月11日日経新聞の記事 その1
福島県浪江町の元職員、川口登さん(71)は
10年前の3月11日、
農作業中に立っていられないほどの激しい揺れに襲われた。
海から500メートルほどの自宅にいた父の重雄さん(当時83)と
母の登喜代さん(同80)を連れて逃げようとしたが、
「津波なんて来ない」と言ってきかなかった。
2人の避難用に車を残し、自転車で高台に逃げた。
目にしたのは、津波にのみ込まれたふるさとの惨状だった。

翌朝早く両親を探しに自宅に戻るつもりだったが、
東京電力福島第1原子力発電所事故が追い打ちをかけた。
約2か月間、町内に立ち入ることができず、
遺体の確認も写真で行った。
受け取ったのは冷たい骨つぼだけ。
「あのとき無理にでも一緒に逃げていたら、助けられたかもしれない」
川口さんは今も悔やむ。

3.3月11日日経新聞の記事 その2
岩手県大槌町の中学1年生だった小裕夢夏さん(23)は
今でも実感がわかない。
母が運転する車で妹がいる小学校へ向かう途中、
車中でかけた電話が祖母との最後の会話となった。
「早く避難してね」
「大丈夫。津波が来たら、じいちゃんと2階に上がるから」
1か月ほどして祖父の遺体は対岸の釜石市の海岸で見つかった。
祖母は行方がわからないままだ。
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犠牲になった高齢者は自分の経験から、
「津波など来ない」と思っているのです。
80年の経験では津波が来なかったのでしょう。
なまじの経験が仇となっています。

4/23追記
こういう心理状態を社会心理学では「正常性バイアス」というようです。

農漁業従事者は、長い間、科学ではなく経験がすべてで
生活を送ってきています。
その習性で経験至上主義なのです。

80代以上の犠牲者が多い点について、
数字で確認してみましょう。

以下のグラフは、大震災の犠牲者の年代別を示しています。
明らかに高齢者の比率が高くなっています。
おそらく、避難する体力がなくてという場合よりも、
前掲に事例のように自分の意思で避難しなかった人が多かった
のではないでしょうか。

この図は、
東北3県の犠牲者の年代別人数を男女別に示したものです。
高齢者が多くなっています。(出典は社会実績データ図録です)


以下の図は、犠牲者の年代別構成比をこの地域の人口の年代別構成比と
重ねて表示したものです。同じ出典です。

これによると、
80歳以上の女性は4.4%の人口で13.5%の死者です。
50歳代の女性の6.9%に対する5.9%に比較すると、
3,6倍の率です。
いかに高齢の犠牲者の比率が高かったのかが分かります。

数字は示していませんが、この倍率を男女で比較しますと、
60歳以上、70歳以上、80歳以上とも
男性の方が人口比に対する比率がかなり高くなっています。

前述のように、言うことを聞かないで亡くなった方が多いとすれば、
男性の方が「頑固」だということになります。
(男性の方が体が弱くて逃げ遅れたということはないでしょう?)

それ以上何か言うと、男女差別になりそうです。

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