2018年10月27日土曜日

運動・スポーツ関係の暴力:パワハラ事件を解剖する!

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 運動の世界での暴力・パワハラ「事件」を解明します。
ねらい:
 青学原監督の指導法が理想ですね。
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日大のアメフト部の「非行」事件が、
極端な事例であったために世間を騒がせました。


運動・スポーツの世界での暴力・パワハラ事件が、
以下のようにたくさん報道されています。


相撲の世界
 日馬富士の貴乃花部屋力士暴行事件
 貴乃花部屋の力士による暴行事件


大学運動部界
 日大アメフト部の危険タックル事件
 日大水泳部の部員同士の暴力(告訴されなかった)
 東洋大陸上競技部の部員同士の暴力


それ以外
 レスリング協会での伊調馨選手へのパワハラ事件
 体操協会の暴力・パワハラ事件


運動・スポーツの世界は、他のサークル活動と違う面があります。
それは、どのレベルであれ試合に勝たなければなりません。
その技を強化するために体を鍛える必要があります。


その延長で稽古や練習は、「体を張る」ことになり、


体を鍛えるための「しごき」になるのです。
「しごき」は、激しい練習を要求するところから始まって、
エスカレートすると、押すとか、叩くとかの「暴力」になります。


昔は、これを暴力とは受け止めませんでした。
自分を鍛えるために必要な指導と考えていたのです。
これに耐えられない人は脱落していきます。


体を張っての激しい練習
⇒コーチ・先輩による口による叱責
⇒コーチ・先輩による体を使っての叱責


という、ある面で自然な流れです。
コーチ・先輩は口で言うよりも体を使っての叱責の方が効く
と考えていました。


このことは、単なる暴力とは違って、
目的が本人のためということですから、
よほどのことがなければ表ざたにはなりません。


その運動部には自分の意思で参加し、
厭ならその運動活動をやめればいいのですから。
実際、「しごき」に耐えられない人は抜けていきます。


私が参加していた某空手部は5月の連休時期に
1週間の合宿がありました。
その合宿の終りの頃には、
激しい練習のせいでまともに足腰が動かなくなるほどでした。


毎年新入生が20人~30人参加するのですが、
合宿が終わった頃には半分になります。


当時、おそらく今もでしょう、
就職試験で、運動部を全うした人は優遇されました。
精神も肉体も強いと評価されたのです。
その判断は正解だと思います。
多少の学業の成績よりも価値があります。


米国では、NCAA(全米大学体育協会)という団体が、
各大学の運動活動の安全確保と健全化のために
活動しているそうです。


興味深いのは、
学業成績の悪い選手の練習参加を認めないルールがあることです。
「文武両道」を目指しているのです。


私が学生の頃は、
強い運動部のメンバは、授業にあまり参加しませんでした。
練習優先なのです。
NCAAでは、そういうのはダメということです。


本題です。
前掲の「事件」を、何となく一緒くたにして、
何でもこの世界の異常性のように言うのは間違っていると思います。


これらの事件は、以下の3タイプに分けられます。
 1.指導上での暴力
 2.指導と関係ない暴力
 3.パワハラ


1.は通常は暴行事件とはなりません。
騒がれた体操の某選手自らは「コーチの指導を暴力とは考えていない」
という発言がその代表例です。


練習中のコーチ・先輩による「指導」は、
怪我に至らない限り問題になることはまずありません。
怪我をすると本人ではなく家族等が問題にするのです。
私は、顔以外をドヅク位の「愛の鞭」はいいではないかと思います。


しかし、2.はどう見てもその正当性は認められません。
1.の延長上で、感覚がマヒしているのでしょう。
これは通常の暴行事件です。


3.もまったく許されるものではありません。
この発生原因は、指導者が体育界で育った閉じられた環境の影響、
さらに言えば、指導者の個人的な見識の問題だと思われます。


そういう人が指導層になっているということが、
残念ながらその世界の後進性を現わしています。


こうして見ると、青学陸上部の原監督はスゴイですね。
一切体罰なしで日本一になれるということを証明したのですから。
やはり、その方向を目指すべきでしょうね。


我が空手部は、日本一には遠かったですが、
それなりに強かったのです。
でも体を使う「しごき」「体罰」は一切ありませんでした。

2 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

指導と称した暴力がなくならないのは残念なことです。
でもそれを泣き寝入りせず公にすることができる世の中に変わりつつあることは前進とも言えます。
暴力は指導する側の能力の無さの証左であることを肝に銘ずべきではないでしょうか。

上野 則男 さんのコメント...

有意義なコメントありがとうございます。
指導に暴力が不要なことは青学の原監督が示されています。
暴力を使う人は技術が足りないか、脳が足りない人ということになりますね。