目的:
BI(ベーシック・インカム)の制度がいかに有効であるかを知っていただきます。
ねらい:
BIの賛成者・推進者になりましょう。
これは、私が敬服している波頭亮氏の著書です。
AIとBIと言うと,BIはビジネスインテリジェンスを思い浮かべました。
なぜBIがAIと並列なのかと思いました。
ところが違っていました。
BIはベーシック・インカムなのです。
「ああ聞いたことはあるけれど、詳しくは知らない」
というものです。
当書を読んでみてなるほどAIと並ぶものだと分かりました。
さすが波頭さん、という感じです。
本項では,AI部分のご紹介は省略いたします。
AIに関する結論はこうでした。
AIが人間を超えることはない、
人間でしかできないのは感情労働である。
感情労働とはこういうものを指す。
「状況を読み取り、対峙する相手の気持ちを汲んで、
臨機応変かつ親密に相手に対応することで
相手に情緒的価値を提供する労働を指す」
ーーーーー
そもそもBIとは何か、それはこう定義されているようです。
「すべての国民に対して生活を賄えるだけの一定額の金銭を
無条件で無期限に給付する制度」
かみ砕くとこうなります。
1.無条件給付である
2.全国民に一律で支給される
3.最低限度の生活を営むに足る額の現金給付である
4.受給期間に制限がなく永続的である
BIに関する当書の主張は以下の点です。
1.BIは社会保障制度として極めて有効である
1.BIは社会保障制度として極めて有効である
2.BIによる社会保障制度の運用は低コストで実現できる。
3.BIは経済産業政策としても有効である。
4.BIを維持するための財源確保はそれほど困難ではない。
5.BIによって人間が怠惰になってしまうということはない。
6.AIとBIによって
人間がより人間らしい生活ができるようになる。
以上の点を、
各国の先進的実験等の結果も紹介しながら主張されています。
以下順番にその論点をご紹介します。
1.BIは社会保障制度として極めて有効である
日本全国では1000万人が生活保護資格者であるのに対して
実際の給付対象者は200万人で多くの人が救われていない。
この人たちにも最低限度の生活補償金が支給されることになる。
2.BIによる社会保障制度の運用は低コストで実現できる
貧富に関わらず一律支給なので、審査等の手間が不要である。現行の生活保護に関連する職員は全国で1.4万人いる。
これに非常勤や外注なども多く使われている。
それらのほとんどが不要となる。
3.BIは経済産業政策としても有効である
下層の人たちに渡る現金は消費に回る。
GDPを引き上げる効果が期待できる。
BIの財源は富裕層からの移転であるが
富裕層の支出が減ることはほとんどないので、
プラス効果が残る。
企業にとっても、
解雇規制の緩和や雇用保険の軽減が期待できる。
終身雇用の負担からも解放される。
4.BIを維持するための財源確保はそれほど困難ではない
問題の財源ですが、氏はこういう試算をしています。
支給対象者は1.27億人で一律支給金額を1人当たり8万円とすると
年間122兆円が必要になる。
この財源として以下が考えられる
国民年金・基礎年金額 22.2兆円
生活保護の生活扶助費 1.2兆円
失業保険費 1.5兆円
厚生年金 32.4兆円
合計 57.3兆円
残り64.7兆円必要。
これは、
現在の国民負担率(租税負担+社会保障負担/国民所得)42%を
ヨーロッパ先進国並みの60%にすると77兆円が調達できる。
実際の課税種目案としては、
消費税で15兆円
金融資産課税で42兆円
法人税の増税で2.9兆円
合計 60兆円
残りは、以下の候補がある。
高所得者の累進課税強化、
奢侈的消費に対する物品税の導入
相続税の税率アップ
基本的には富の再配分ということです。
5.BIによって人間が怠惰になってしまうということはない
人間は働かなくてもよくなったら皆堕落するのではないかという
懸念がBIの反対派から表明されています。
ところが、これまでに実施された実験では、
そのようなことは起きないとなっています。
その代表例が紹介されています。
カナダのマニトバ州で1974年に行われた5年間の試行です。
収入が一定以下の住民は希望すれば
年間最大131万円の現金が支給されました。
対象住民1万人のうち3割が参加しました。
その結果は、こうです。
労働時間を減らした住民は男性で1%、既婚女性で3%、
未婚女性で5%に過ぎなかった。
その減少分は単に楽をするために使われたわけではなかった。
幼い子供を持つ母親は育児に専念することができ、
学生はより長い時間を勉学に費やせるようになったことが、
成果として挙げられている。
6、AIとBIによって
人間がより人間らしい生活ができるようになる
これは、人間はやらなければならないことが無くなった時に
どうなるか、ということです。
定年になって「毎日が日曜日」状態になると、
有意義な生活ができる人とそうでない人がいるでしょう。
定年前からそれに近い状態になるのです。
この難問に対して、波頭氏は、それが新しい時代の必要能力で
「経験と修練」によって生きがいを見つけることができる、
と述べられています。
そうあってほしいですね。
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