2018年3月24日土曜日

なぜ「不正」事件が多発しているのでしょうか?

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 一連の不正事件が起きた背景を考えてみます。
 日本の国が絶望的なのではない、という仮説を提示します。
ねらい:
 少しは安心しましょう。
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財務省は森友学園問題で、
正式の決済文書の書き換えを行っていたようです。


もし事実なら、うっかりミスとかではなく
れっきとした犯罪行為です。


先日来、日本の伝統的大企業・一流企業の生産現場での
不正・不法行為が続出しています。


神戸製鋼所、日産自動車、川崎重工業、三菱マテリアル、
スバル、東レ子会社、、、、


日本にも特定の犯罪者は存在しますが、
組織でワルをするという文化はない国であったはずです。
それが国民の誇りでもあったのです。


なぜこういうことになってしまったのでしょうか?


考えさせられました。


こういうことではないのでしょうか。


1.組織の意向を重んじる。


一般に家族の一員は家族のためになるように行動するのですが、
それと同じように「会社のため」を考えて行動する意識があります。


そしてその思考は、周囲で共有されています。


これは忖度の発生原因です。


忖度以外にこの状況を説明する言葉がたくさんあります。


 以心伝心
 あうんの呼吸
 言わず語らず
 ツーカー
 暗黙の了解
 行間を読む


家族の場合には「ツーカー」は一般的でしょうが、
組織の場合にもこの思考が通用するのです。


ただしその思考が通用する組織は、新興企業ではあり得ません。
伝統的な組織だけです。
これが長ずると「お国のため」に尽くすとなる思考です。


今回問題を起こしているのは財務省を始めみな伝統的組織です。
現在はそのような企業は少なくなってきていますが、
福利厚生が充実して企業の一員が家族の一員のような状態なのです。
企業一家主義と言われます。


財務省の書き換え問題は誰の指示で誰がやったのか
の究明がされるでしょうが、
完全解明は難しいかもしれません。
忖度の場合は、明確な指示はないのですから。


財務省で関係者の自殺がありました。
その方は明確な指示がない状態で、
忖度により書き替え等を行ったのであれば、
誰かの責任にすることはできず、
自分で被ったということではないのでしょうか。
心からご冥福をお祈りいたします。


2.「本音と建前」「身内論理の正当化」→2元規律の許容

本音と建前が違う、ということは、
自分に都合のよいようにごまかすという意味では、
おそらく世界中の民族に共通でしょう。


しかし日本の場合は、もっと深い意味があります。
本音は身内の論理に従うこと、
建前は公式の正規の論理に従うこと、を意味するのです。


長い農耕生活の歴史の中で、村社会において形成された規律が
人々の体に自然体で備わっていて、これが本音の論理です。
これに従わないと村八分になります。


これに対して、支配者が自分の都合で決めて強制する規律が
建前になります。
国で定める法律もこの位置づけになります。


人々は、表面上、建前に従っているように見せますが、
本音では従っていないのです。
こういう2元規律の中で日本人の生活は行われてきました。
当然、自分たちの本音の規律が優先です。


アメリカにはこのような2元規律はありません。
伝統的な歴史文化がないのですから、
すべて後付けで自分たちが取り決める「法」の一元規律です。


この観点から、不正事件を見ると、極めて明快です。
単純に自分たちの身内の論理で事を運んだということです。


この身内の論理はどこかの企業の風土ではなく、
日本国民の思考風土ですから、
多くの企業で行われていて何ら不思議はないのです。


問題はなぜ今一挙にその不正が表ざたになったのか、です。
それは、神戸製鋼の事件をきっかけに、
ほとんどすべての製造企業のトップが
「うちは大丈夫か、徹底的に調べろ」と指示をしたからです。


後でバレルととんでもないことになるので、
トップは本気で調査を指示したのです。
身内の論理を超えさせる強い指示だったのです。


だから次から次へと「不正」事実が露呈したのです。


「そういうようなことはみんなやっていた」
ということが実態でしょう。


談合も同じことです。
談合は犯罪であるとして何度も摘発されながら
「悪いことをしているのではない。みんなのためにやっているのだ」
という意識があるのです。
だから繰り返されるのです。


製品検査の不正は、
「正式の基準自体(建前)が厳しすぎるので実用上はこれで問題ない」
それが会社の利益につながるという判断です。


不正をしている、法に反しているなどという意識はまったくないのでしょう。


ですから、何年も何年も引き継がれているのです。


この考えは、未成年者の飲酒、飲酒運転などで
法律違反でありながら、
仲間社会では許すという習慣がずいぶん長い間続いていました。
仲間社会の効用優先の考えです。


未成年の飲酒が厳しくなったのは最近ですね。


1995年に全国酒販組合中央会が
アルコールの自販機撤廃を自主規制で決定しました。

当時全国で20万台あったアルコール自販機が
2006年には5万台になったそうです。
今はほとんど見かけませんね。

コンビニの「20歳以上です。ハイ」の申告も、
アルコール販売の自由化が行われた2003年からのことです。

そういうことで、未成年の飲酒禁止が一般社会に浸透したのは
ここ10数年のことです。
それまでは、建前と本音の実態が長く分離していたのです。


飲酒運転は実害がありますから、
もう少し前から建前と実態の分離は解消していましたが。
それでもつい最近までは、「お正月は少しくらいはいいんだ」
という考えも一般的でした。


それでは、今回の問題はどう考えたらよいのでしょうか。
1.の要因と2.の要因は順序が逆で
2.の「身内の論理」優先が先にあるのです。
それから
その身内の論理優先を忖度する1.があるということになります。


そうすると、
真っ向から法令や正規の規律を侵そうという気があってのことではなく、
身内の論理を優先させた、
それが結果的に法令や正規の規律に反していることになっている、
ということなのでしょう。
そう分かると、私は少し安心しました。


実害がないのであれば、
「日本的な合理主義」なのですから、
一方的に犯罪者扱いで糾弾することもないのではないか
と考えることもできそうです。


そのあたりの判断は個人差があるでしょうね。
皆様はどうお考えになりますか?


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この一連の「不正」事件に対する海外の論調は知りませんが、
日本のマスコミが、
日本に対する信頼を失うような方向での報道はしないでほしいものです。






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