2017年10月30日月曜日

動物生態学は理系学科ですか?人文科学系でしょう!

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 人類以外の動物が賢いことをしているという著書をご紹介します。
 その典型的な例をご紹介します。
 自然科学と人文科学の違いについて考えていただきます。


ねらい:
 人さまざまです。 
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霊長類の社会的知能研究における世界の第1人者といわれる
オランダのフランス・ドゥ・ヴァール教授の書かれた
「動物の賢さが分かるほと人間は賢いのか」を読みました。



この本の帯にはこういう紹介が載っていました。
「ラットが自分の決断を悔やむ」
「カラスが道具を作る」
「タコが人間の顔を見分ける」


「チンパンジ―は食べ物のありかを知っていることを悟られないようにふるまう」
「カケスは相手が何を欲しがっているかを見極めてプロポーズの贈り物を選ぶ」
「アシナガバチは一匹ずつ顔が違い、仲間の顔を見分けている」
「タコは自分を攻撃した人間を覚えていて、怒りをあらわにする」


こういう興味深い事実がえんえんと登場します。
その一例を以下に掲載します。


オウム
  • 言葉を話す(本文参照)
チンパンジー
ゴリラ
  • 手話をする(本文参照)
アジア象
イルカ
カササギ
  • 鏡を見て自分と認識する。(ミラーテストという)
チンパンジー
ザトウクジラ
野生のサル
  • 体制順応バイアス(「郷に入っては郷に従う」)
  • 本能ではなく、他人(母親、仲間など)がしていることを学ぶ(真似する)。
イルカ
  • 仲間の発する音(シグネチャーホイッスル)を20年も覚えている。
タコ
  • 背景の岩や水中植物に模倣する。
  • 人を覚えている。
カラス
  • 膨大な数の木の実を隠して覚えている。
  • 隠すところを見つかると、気づかれぬようにこっそりほかの場所に移す。

実際の文章の興味深い例を以下にご覧ください。

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私たちは日常的に考えや感情を言語で表現するので、
言語に役割をあてがっても大目に見ていいかもしれないが、
言葉が見つからなくて困ることがどれほど多いことか。

自分が何を考えたり感じたりしているのかわからないわけではないが、
それを言葉でどう表せばいいか、どうしてもわからないのだ。

こんな苦労は当然ながら不要のはずだ
――もし思考や感情がそもそも言語の産物であれば。

もしそうなら、言葉が滝のようにあふれ出てくるはずだろう!
今では広く受け容れられているように、言語はカテゴリーや概念を提供して
人間の思考を助けはするものの、思考の素材ではない。

じつは私たちは、思考に言語を必要としない。

認知機能の発達の研究におけるスイスの草分けであるジャン・ピアジェは、
言語習得前の子供は思考できないなどとは、けっして認めなかった。

だからこそ彼は、認知は言語から独立していると断言したのだ。

動物についても、状況はよく似ている。現代的な心の概念の形成を主導した
アメリカの哲学者ジェリー・フオーダーは、こう言っている。

「自然言語は思考の媒体であるという主張の明白な
(そして、十分な、とも考えるべきだった)反証となるのは、
言語を持たずに思考する生き物の存在である」


なんという皮肉だろう。

言語の不在が人間以外の種における思考の存在を否定する論拠だった
時代から、私たちははるかな道のりを歩んできて、言語に頼らない
生き物が明らかに思考をしている事実が
言語の重要性を否定する論拠となる所まで来たとは。

私は事の成り行きに不平をこぼすつもりはないが、その成り行きは、
アレックスのような動物を対象とする言語研究に負うところが大きい。

そうした研究が動物の言語そのものの存在を立証したからではなく、
私たちが簡単に理解できるかたちで動物の思考力を
明るみに出すのを手伝ったからだ。

私たちは、賢そうな鳥たちが、話しかけられれば応え、
物の名前を非常な精度で発音するのを目にする。

さまざまな色をした、羊毛でできた物、本でできた物、
プラスティックでできた物が
いっぱい載ったトレイがアレツクスの前に置かれる。

アレックスは一つひとつを嘴と舌で触るように促され、それから、
全部をトレイに戻したあと、
二つの角がある青い物は何でできているか訊かれる。


「羊毛」と正答するとき、彼は色と形と材質の知識を、
特定の物がどんな感触だったかという記憶と組み合わせている。

あるいは、緑色のプラスティック製の鍵と金属製の鍵を見せられ、
「何が違う?」と訊かれると、「色」と答える。

「どちらの色のほうが大きい?」と訊かれると、「緑色」と答える。

アレックスの研究の初期段階で私が目にしたように、
アレツクスが課題をこなすのをわが目で見た人はみな、肝を潰す。

むろん、懐疑的な人々はアレックスの技能を
丸暗記による学習の結果としようとしたが、
使われる物も、与えられる質問も絶えず変わっていたので、
手持ちの答えだけでこの水準の実績を残せたとはとうてい考えられない。

すべての可能性を処理するには厖大な記憶が必要になっただろうから、
アイリーンがしたように、アレツクスが基本的な概念をいくつか習得し、
それらを頭の中で組み合わせられたと考えるほうが、じつは単純だ。

そのうえアレックスは、アイリーンがいなくても答えられたし、
現物を目にする必要さえなかった。

トウモロコシがなくても、
トウモロコシは何色かと訊かれれば「黄色」と答えた。

とくに感心させられるのが、「同じ」と「違う」を区別するアレックスの能力だ。

この課題には、さまざまな面で物を比較することが求められた。
名前を言ったり、比較したり、色や形や材質を判断したりといった、
これらの能力はみな、アレックスが
訓練を始めた頃には言語を必要とすると考えられていた。

アレックスの技能がなかなか世の中に認めてもらえないので、
アイリーンはいまいましい思いで悪戦苦聞を続けた。

鳥類の能力に対する疑念は、私たちの近縁種である、人間以外の
霊長類の能力に対する疑念よりもはるかに根深かったから、なおさらだ。

だが、長年にわたって辛抱を続け、確固たるデータを積み重ねた結果、
アイリーンはついにアレックスが有名になるところを目にして
溜飲を下げることができた。

2007年にアレックスが亡くなると、「ニューヨーク・タイムズ」と
「エコノミスト」の両紙が訃報を載せて彼を讃えた。

この間、アレックスの親戚にも世間を感心させる者が出始めた。

あるヨウムは、声を真似るだけではなく、それに合わせて体も動かした。

飼い主をお手本にし、「じゃあまた(チャオ)」と言いながら、
片方の足か翼を振って別れの挨拶をしたり、
「僕の舌を見て」と言いながら、舌を突き出したりした。

鳥が人間の体と自分の体との間で、そのような類似性をどうやって
把握できたのかは謎のままだった。
そして、フィガロというシロビタイムジオウムの例もある。
彼は自分が入れられた大きな檻の木の梁から細長い木片を折り取り、
檻の外に置かれた木の実を取るのに使った。

フィガロ以前には、道具を製作するオウム科の鳥の事例は一件も
報告されたことがなかった。
このような事例に接すると、コーツも飼っていたヨウムやコンゴウインコで
同じような実験を行なったことがなかっただろうかと考えてしまう。

彼女は道具に強い関心を抱いていたし、未訳の本が六冊あるのだから、
実験を行なっていたといつの日か聞いても、私は驚かないだろう。

発見するべきことがまだたくさんあるのは明らかで、
それはアレックスの計数能力のテストからも明らかになった。

アレックスの才能は、コウモリの反響定位の発見者
ドナルド・グリフィンにちなんでグリフィンと名づけられたオウムを、
アレックスと同じ部屋で研究者がテストしているときに偶然明らかになった。

グリフィンが数と音を組み合わせられるかどうかを調べるために、
研究者たちはクリック音を、たとえば二度立てる。

その場合の正解は「二」だ。だがグリフィンが答えられなかったので、
さらに三度、クリック音を立てると、
部屋の向こうからアレックスが「四」と割り込んできた。

そのあとさらに二度、音を出すと、アレックスは「六」と言い、
その一方でグリフィンは黙ったままだった。

アレックスは数になじみがあり、緑の物もいくつか交じった、
多くの物が載ったトレイを見せられたあとで、「緑の数は?」といった
質問に正しく答えられた。

だが、今度は足し算をしていたわけだ。

そしてそれ以上のことも。
なにしろ、視覚的な情報なしでやっていたのだから。

かつては足し算も言語に依存していると考えられていたが、
その考え方は数年前、チンパンジーが足し算に成功したときに、
すでに揺らぎ始めていた。

アイリーンはアレックスの能力をもっと体系的にテストすることにし、
パスタの小片など大きさの違う物をいくつかカップの下に置いた。

そして、アレックスの前でカップを数秒間持ち上げ、それからまた下ろした。
そのあと、二つ目のカップでも同じことをし、
さらに三つ目のカップでも同様にした。

カップの下の物の数はわずかで、一つもない場合もたまにあった。

それから、中身が見えず、三つのカップだけが見える状態で、
「全部でいくつ?」と訊いた。

10回のうち8回で、アレックスは正しい合計を答えた。

間違えた二回では、もう一度質問されたときに正答した。

しかも、実物は目にできないのだから、すべて頭の中で計算したわけだ。

あいにく、この研究はアレックスが不慮の死を遂げたために中断した。

だがそれまでに、灰色の羽毛をまとったこの小柄な数学の天才は、
鳥の頭蓋骨の中ではそれまで誰も思ってみなかったほどの思考が
行なわれている証拠をたっぶり残してくれた。

アイリーンはこう結論した。

「あまりにも長い間、動物全般、そしてとくに鳥類は侮られ、知覚力の
ある生き物ではなく単に本能に動かされている生き物として扱われてきた」

どこまでが本物の言語能力か?


アレックスが口にする言葉は、ときおり完璧に意味を成していた。

たとえばあるとき、アイリーンが学科の会合のことで頭にきて
腹立たしげな足取りで研究室に入ってくると、
アレックスは彼女に向かって「落ち着いて!」と言った。

アレックス自身が興奮し易いから、
きっと以前に同じ言葉を向けられたのだろう。

他にも有名な事例がある。

手話を操るゴリラのココは、シマウマを見たときに、
自然に「白」と「トラ」を意味する手話サインを組み合わせたし、
この研究分野〔手話習得〕では先駆者のチンパンジーのワショーは、
白鳥に「水の鳥」という呼び名をつけた。

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ですが私は400ページあるこの本の記述方法に辟易としました。
私の苦手な人文科学系の記述なのです。

動物学は自然科学系の学問ではないのか?と思いました。

そこであらためて、人文科学と自然科学の違いを整理してみました。
こういうことではないのでしょうか。
 
因みに、社会科学は人文科学的ですが一部自然科学的な面もあります。
 
自然科学と人文科学の比較
 
比較項目
自然科学
人文科学
学問の特徴
真理探究
なぜの探求、正解がある
事実探求
事実は存在している。
それを現人類として見つけ出す
研究のアプローチ
実験、思考
調査
研究のゴール
発見
体系化、意味付け
学者として評価されること
発見、発明
多くの実験をしてもそれだけでは評価されない
多数の事実収集(これだけでも評価される)
体系化、理論化
成功要因
(ノーベル賞受賞のカギ)
頭脳のキレ、ヒラメキ
着眼、努力の継続
著書の傾向
理論的・構造的・体系的
(知りたいことは目次で分かる)
事実の羅列(どこに何が書いてあるか分からない)

 人文科学は、研究のゴールが体系化・意味付けであるのなら、
著書は、
その区分に従って章建てをしていただければ嬉しいですね。
 
今回の「人間は――」の本の目次はこうなっています。
これではお手上げです。
 
第1章 魔法の泉
第2章 二派物語 
第3章 認知の波紋
第4章 私に話しかけて
第5章 あらゆるものの尺度
第6章 社会的技能
第7章 時がたてばわかる
第8章 鏡と瓶を巡って
第9章 進化認知学

対して、自然科学の著作では、
発見した事実自体は単純でしょうから、
それを1冊の本にすることはたいへんでしょう。
 
そのせいか、
自然科学者の専門領域の一般書で面白いのは記憶にありません。
そこで、次の疑問が湧きました。
 
動物学は自然科学なのか人文科学なのか。
皆様どう思われますか?
 
一般的には自然科学でしょうね。
著名な動物学者はみな理学部か農学部で理系です。

動物学といっても広いですから、
動物の遺伝学・進化学や生理学は確かに理系でしょう。
 
ですが、
動物の生態を調べる動物生態学は
人文科学系ではないのでしょうか。

今回の著書がそうなっています。
 
学問分野を選ぶときには自分の特性を考えて選択しないと
迷路に迷い込むことになりそうです。
 
 

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