2012年7月1日日曜日

「会社員とは何者か?」

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
「会社員」という言葉について考えていただく。
類似の言葉の背景について考えていただく。
こういう研究をしている人もいるのだということを知っていただく。

ねらい:
こういう言葉を使う時・聞く時に、
そのニュアンス・意図・背景を考えていただく。

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伊井直行さんの「会社員とは何者か?」
副題「会社員小説をめぐって」を読んでみました。

何の本だろう?という興味本位の関心からです。
まずは、小説家なのに精緻な分析をしておられることに
感心しました。

著者が本書を書かれた動機は、
これまでのサラリーマンもの、会社小説の類では、
会社員が会社でどんな仕事をしているか、
をまともに記述していない、
自分の数年間の会社勤めの経験も踏まえて
そこを明らかにしてみよう、ということだったようです。

私はほとんど小説を読みませんので、
そのこと自体についてはそんなものなのか、
と思うだけでした。

次に感心したのは、
小説家ですから、文章が非常に読みやすくできています。
難しい言い回しはほとんど出てきません。

ざっと拾い読み程度ですが,読んでみて分かったのは、
「会社員とはなんであるか」そのものを
論じようとしたのではなく、
副題にあるように、
「小説の中で会社員はどう描かれているか」でした。

そのことが分かって、
私は急にこの本への関心が薄らいでしまいました。
「そのこと自体ははどうでもよいことだ」と。

しかし、日経新聞の書評にあったようになかなかの力作です。

以下伊井さんの著書からの引用・準引用を青字で示します。

会社員は、
会社員として人間と私生活を持っている人間の
両面を持っていて、双方を行ったり来たりする。
通常は片方にいるとき、別の面は忘却している。


その切り替えのつなぎに
「飲み屋で一杯」があるようです
その意味では切り替えがスムースにできない人が、
「飲み屋で一杯」をするのかもしれません。

会社員小説において、
会社員である時には家庭(私生活)が見えず、
家庭にいる会社員を描いた時には、
会社が見えない。

こうした「会社員小説」の構造は、
実際の会社・会社員のあり方ーー
1人の人間が会社では法人に、家庭では自然人になること
ーーと重なっていた。

会社員小説において
ガンダム(ロボット人間であることを揶揄している)を下りて
自然人に戻ると、会社員である登場人物は、
モビルスーツを着ていた法人である自分を忘れてしまう。

逆もまた同様。
元は1人である2人が、お互いを疎外しあっている。
(この記述は秀逸ですね)

2011年、
日本の自殺者は14年連続3万人以上を「達成」したが、
50代の被雇用者の自殺者割合は、
人口比率からしても大きい。

それは、モノでもあるヒト,2人であり1人でもある会社員の
自己疎外が生んだ悲劇であるかもしれない。
(そういう見方もできるでしょうね)

会社員小説の多くでは、
多いはずの会社生活について、
仕事の内容に触れているのは極めて少ない。

会社を登場人物の場として設定しているだけで、
描くのは会社における人間関係、
あるいは抽象化された仕事である。
源氏鶏太のサラリーマン小説がその典型である。

経済小説または企業小説は会社を場としていますが、
主役が会社で、個人は脇役。

ところが、何人かは
仕事人としての会社員と私人としての会社員の両面を描いている、
しかも、仕事の内容自体も記述している、

それは、私の知らない人ですが、
盛田隆二
黒井千次
坂上弘
さんたちです。

なぜ、会社が場の小説でありながら、
仕事の記述がないか弱いかと言えば、
「実際の仕事の内側に我が身をくぐらせなければ、
なにもわかりはしないのである」
ということです。
それはそうでしょう。

しかし、盛田氏は仕事の経験がない世界を舞台として
調査結果に基づき仕事を記述している例外のようです。
凄い人もいるのですね。

以上私のご紹介はいい加減ですので、
このテーマに関心のある方は、
原典をお読みください。
夏目漱石、岩崎弥太郎、山口瞳、カフカなども登場します。
330ページもあって2520円です。

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著者が「会社員」という名前を使うことにするまでに
類似した言葉を評価しています。
以下です。

会社員
伊井氏も明確な定義おは行っていません。
会社に務める従業員という意味で使っているようです。
サラリーマンが男性を意味するのに対して
男女共通である、という点と、
「サラリーマン」のように
2重性を持たない点を評価されているようです。

サラリーマン
「ホワイトカラーの会社員」と「給与所得者」という2面の意味を持つ。
さらに、「しがないサラリーマン」というニュアンスで
ネガティブなニュアンスも持っている。
しかし、「ビジネスマン」が登場した後も
「サラリーマン」も生き延びている。

ホワイトカラー
ブルーカラー(工場の現場作業者)に対比して、事務系労働者。
1951年のライト・ミルスの著書「ホワイトカラー」が本格的に
この言葉が使われるようになった元だそうです。

そこでは、
「意図せずに近代社会の先頭に立ってい
るホワイトカラーという哀れな存在」
という感じでネガティブなイメージを背負っている言葉だったようです。

アメリカでは、その後、正式な職業区分に使われるようになった。
ホワイトカラー
ブルーカラー
サービス職業従事者
農業従事者

ビジネスマン
「サラリーマン」が植木等のサラリーマンもので
ネガティブなニュアンスを持つことになったので
それを避ける意味で使われだした。

ビジネスガール
OL(オフィスレディー)
戦後、会社に勤める女性が増えて来ると、
彼女らは和製英語で「BG(ビージー)」と命名された。

やがて、「商売女」はまずいというので、
「OL(オフィスレディー)」に取って代わられたのだが、
採用面での男女平等が進展すると共に
こちらも死語化しつつあるようだ。

BGもOLも補助的な事務職女性の呼称だったのである。

これ以外の以下の関連用語については、
なぜか伊井氏の著書には登場しません。
社会学者ではない伊井氏の著作目的からすれば、
余計な寄り道はしなかったのでしょう。

オフィスワーカー
ホワイトカラーとほぼ同義ですが、
これがブルーカラ―に対する差別的ニュアンスがあり、
サラリーマンは男性を示す言葉なので、
考えられた言葉でしょう。

ビジネスパーソン
「ビジネスマン」の男女共通版です。
公式用語的で、一般の会話では使われません。

キャリアウーマン
「OL」は補助的事務職を指す用語ですが、
男性と同じ総合職の女性を指す言葉として使われています。
「やり手」というような
特別なニュアンスを持つ場合もあるようです。

月給とり
サラリーマンの日本語訳ですが、
公式用語としては使われないようです。

いずれにしても、これらすべての用語は定義があいまいで
ほとんどの用語が「会社員」を含めて
2面性のニュアンスを持っています。

この点が、伊井氏が問題意識を持たれた
きっかけになったのだと思われます。

結局のところ
「会社員とは何者か」に対して明確な解答は得られていません。
要約すると、前掲の図ということになるのでしょうか。

学者ではない伊井氏にとって、
それらの定義を行ってもメリットはなく、
「小説の中でどう捉えられているか」に焦点をあてて
記述されています。

現に伊井氏は、会社員小説については明確な定義をしています。
会社員小説は、
単に会社を舞台とし、
会社員が主要な人物として登場する小説ではなく、
主要な登場人物として会社員の存在が不可欠の小説である。

会社員小説に焦点を当てていることは成功していると思いますが、
私にとっては、やや不満が残ることとなりました。

これらの用語が2面性やあいまい性を持っているのだということは、
再認識できました。

こういう職種的なものを表す言葉は、
その意図があってもなくても、
どこかに差別的なニュアンスが生まれてくるのは
やむをえないことなのでしょうか。

2 件のコメント:

上野 則男 さんのコメント...

私の友人からの投稿です。

彼はこう言って憤慨していました。
「投稿しようとすると、
本人確認のためと称して、
わけのわからない英字を入れろと来る。
ところが、この英字が読めないので、
投稿できない。何とかしてほしい」

本当にそうですね。
なぜそんな余計な本人確認をするのでしょう?

そこで私が代わりに、彼の意見を以下に書き込みました。

匿名さんは書きました。
ガンダム(ロボット人間であることを揶揄している)を下りて
自然人に戻ると、会社員である登場人物は、
モビルスーツを着ていた法人である自分を忘れてしまう。

そんなことは本当にあるのでしょうか?
人間はコンピューターではないから、
そんなにはっきりと自分を切り替えることは
できないと思います。

「忘れてしまう」ではなく
「忘れようと空しい努力をする」
と言った方が実態に合っているのでは?

上野 則男 さんのコメント...

ご意見ありがとうございます。

この引用句は、その前に
「会社員小説において」とありました。

伊井さんの意見としても
「小説の中では」ということで、
「現実はそんなに割り切れない」
ということなのかもしれません。

割りきれなくて、自殺者も多い、という主張なのでしょう。