2010年8月18日水曜日

倉本聡の「歸國」を見ましたか (第1版)

 (8月19日現在、「歸國」は30万件以上のブログに取り上げられています)

 8月14日夜TBSの特別番組で
 倉本聡の「歸國」が放送されました。

 太平洋戦争で南方の海や島で散った英霊たち30人くらいが
 戦死した時のままの姿で、
 現代の日本に深夜4時間ほど一時「帰国」して
 懐かしい場所に行ってみる、65年経った日本の現状を見る、
 という基本ストーリです。

 なお太平洋戦争で、南方で亡くなった将兵は約30万人だそうです。

 いくつか心に残ったメッセージをご紹介します。

 戦死者の恋人で音楽教師をしていた女性(八千草薫の役)、
 彼女は独身を通しました。
 その女性は言いました。

 「この頃の子供は歌わない。明るくない。
 下を向いてケータイをやっている」
 そうでしょうね。

 ビート武演ずる軍人が
 愛していた妹の病床に赴きます。
 その妹はおそらく80代でしょう。
 もう4年間も生命維持装置のおかげで延命しています。
 意識はありません。

 ビート武は「なんでこんなむごいことをするのだ」と怒ります。
 
 病院の医師・看護師も疑問に思っています。
 でも「生命維持装置を止めると殺人になる」と言って
 ただただ処置を継続しています。
 倉本さんたちの痛烈な社会批判です。

 この生命維持のお金を出しているのは
 一人息子(父親が出征の前夜に1回限りの契りでできた子供。
 その父親も戦死)です。

 母親が女手一つでストリッパなどもしながら(小池栄子の役)、
 苦労して育てました。
 
 息子は東大を出て、偉い先生になり
 金融業界の売れっ子になって、深夜にも働いています。
 この息子は忙しくなって
 母親の見舞いにもほとんど行きません。

 ビート武は怒って「帰国」軍の禁を犯しその息子を殺してしまいます。
 
 殺された息子の霊が、ビート武のところに来て質問します。
 「以前は母親に感謝し大事にしていました。
 どこで間違ってしまったのでしょうか」

 ビート武は「そんなこと俺に聞いたって分からん」
 と言いますが、
 「君は人から叩かれたことはあるか」と聞きます。

 息子が「ありません」と答えると
 ビート武は、何度も強く息子の顔を殴りつけました。
 倒れた息子は起き上がりながら、
 「ありがとうございます。嬉しかったです」
 と答えました。

 「日本はどこかで道を間違えてしまった」
 いうのが倉本さんたちのメッセージでしょう。

 どこで間違えたのでしょうか。
 「日本は豊かになったが、心は豊かになっていない」
 というメッセージは何度も出てきました。

 英霊たちが南に帰る最後に
 隊長(長淵剛の役)が言った言葉
 「貧幸」は、倉本さんたちの強いメッセージの一つでしょう。
 (長淵剛さんは名演技でしたね。その印象が心に残ります)

 「我々は貧乏でも幸せだった。
 今の人たちは幸せなのか」という問いかけです。

 太平洋戦争における日本人の犠牲者は
 約300万人ですが、そのうちの軍人230万人のうち
 6割は餓死だったという説があります。

 戦後の本土の日本でも食うや食わずで
 餓死者も多い極めて貧しい状態だったと思います。
 私自身も「とにかく口に入るものなら何でもよい」
 と思うくらいひもじかった記憶があります。

 その窮乏状態から何とか脱却しようと、
 国民全体が必死で頑張ったのです。
 身体・命の維持が第一でした。

 それでも必死に生活の向上を目指す人たちは幸せでした。
 「貧幸」だったのです。

 片や、
 GHQの「誘導」を受けて日本の教育は
 徹底的に「脱愛国」:
 愛国=軍国=反平和への道
 という図式を叩きこまれました。

 軍国思想につながるとういうことで
 国旗の掲揚・国歌君が代の斉唱が認められませんでした。
 国旗・国歌を疎んずるという指導がどこの国にありますか!!

 日本の歴史とか国の在り方、
 心の在り方の問題はタブーになりました。
 日本人の心の拠りどころは無くなってしまったのです。

 当時は、思考・思想は二の次でまず生きなければならなかったので、
 それでも大きな支障はありませんでした。
 身体第一で心は空っぽだったのです。

 その結果、身体が満たされると、
 本来は心の充実を目指すはずが、
 次に目指すもののない空白状態となってしまったのです。

 また、全体主義・軍国主義に反する考え方として、
 間違った個人主義、個人の自由を尊重する考えが蔓延しました。
 本来の個人主義は個人の責任をまず果たす前提で
 生まれてきているものです。

 戦後日本に普及した個人主義は、責任部分を無視しているのです。
 
 また、戦前戦中の「産めよ増やせよ」の時代から
 窮乏生活の時代になりましたから、
 兄弟の数も少なくなりました。
 
 親は子供を大事にして、目をかけて育てます。
 よく電車や道路で駄々をこねている子供を見かけますが、
 親は、妥協するか、よくて無視で
 厳しく叱っている親はほとんど見かけません。

 甘やかされて育ち、自分の責任は意識しないで
 何でも満たされ窮乏感のない子供が増え、
 「人に叩かれたことがない」子どもが増えているのです。

 一方で、子供が少なく手がかけられるものですから、
 細かく、あれはダメ、これはダメと
 危ないことや冒険を止める親も多くなっています。
 そうすると、委縮して依存心が大きい人間になってしまいます。

  ではどうしたら良いのでしょう。
 
 人生・社会生活の先輩は、
 もっと積極的に後進たちを指導すべきでしょう。
 ダメなことをする若輩は「叩く」自信を持つべきです。
 
 見て見ぬふりを止める、ことも重要です。
 よその子供でも、悪いこと、倫理にもとることをしていたら
 注意するのです。

 逆切れの多い現代では、それは難しいことでしょう。

 まずは、他人に気楽に声をかける習慣・態度を
 身につけたら良いのではないでしょうか。

 都会の人たちはよそよそしいと言われます。
 電車で美人がいたら「きれいだね」と
 声をかけたらいいじゃないですか。
 (ただし、暗い夜道で声をかけるのはやめましょう!)
 可愛い幼児がいたら「可愛いね」と気楽に言えばよいのです。

 それが自然になるように。
 まずは「向う三軒両隣」で
 気楽に声をかけ合うようにしたらいかがですか。

 「向う三軒両隣」も戦時中に「危険人物」を見つけ出す、
 あるいは発生させないために、活用された仕組みなものですから、
 そのアレルギが残っているようです。

 近隣が仲良くするのは、
 国を国民全体が支える基礎条件です。
 どんどん強化していただきたいですね。

 そうすれば、「隣でいつの間にかご老人が亡くなっていた」
 というようなことは起きません。

 我が家の周りでは、「向う三軒両隣」が
 お互いに、季節のものを分け合ったり
 空き巣の見張りをしたりしています。

 お互いに「おはようございます」と声をかけ合うのは
 気持ちの良いものです。


 でも、それだけでは国は良くならないでしょう。

 今こそ政治は、国の進むべき方向を示すべきです。
 今のままでは、日本は高齢化無策で社会保障倒産でしょう。

 明治維新でも、敗戦後でも、頑張ったのは若い世代です。
 民主・自民・その他の政党を問わずに若い人が集まり、
 過去のしがらみは無しにして、
 日本をどうすべきかを議論して方向性を示してほしいものです。

 そういう新党を期待したいですね。

 そうしないと、
 日本はこのままゆで蛙状態で衰亡の道まっしぐらです。

 それでは、日本のために頑張ってくださった
 「英霊」は浮かばれません。
 
 このドラマの最後のシーンは、
 広い海がたゆ立っているだけで
 英霊たちは浮かんできませんでした。

1 件のコメント:

Noritaka Asano さんのコメント...

>「日本は豊かになったが、心は豊かになっていない」

心の豊かさってなんなんでしょうね。

私は、幸福だと感じることが、
心の豊かさにつながると思います。

WIRED VISONの記事によると、心理学では、
「実際の経験によって幸せの尺度が拡張される」
という説があるそうです。

その結果、「お金は人を幸福にしない」ということが、
説明できるそうです。

経済的に豊かな人ほど、幸福とは縁遠い気がするのは、
あながち間違いじゃないのかもしれませんね。


http://wiredvision.jp/news/201008/2010081823.html