2023年9月24日日曜日

関東大震災100年!「話題10選」

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 関東大震災100年に因んで、その関連話題を集めてみました。
ねらい:
 大震災が起きたときに冷静に行動できるようにしましょう!!
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このテーマの内容のほとんどは、学士會会報2023-Ⅴ号掲載の
武村雅之名古屋大学減災連携研究センター特任教授(東北大理学博士)
による「関東大震災後の帝都復興事業と現在の東京」です。
ChatGPTからの情報も入っています。
それらの出典区分は、示しています。








本テーマの構成はこうなっています。
ご関心のところからお読みいただいても結構です。

1.関東大震災の被害の大きさとその原因
2.その時の語り部(かたりべ)
3.福田村事件の恐ろしさ
4.帝都復興事業の素晴らしさ
5.敗戦後復興のだらしなさ
付録:その時の都市計画を今頃実現しようとする愚かさ
6.首都高速建設の便宜主義
付録:神宮外苑再開発の愚
7.100年目の想定被害
8.100年目の防災訓練
9.緊急地震速報
10.地震予知
番外編 107年ぶり全国大会優勝 慶応高校

1.関東大震災の被害の大きさとその原因 

出典:「関東大震災後の帝都復興事業と現在の東京」

1923年9月1日に発生した関東大震災の被害を2011年の東日本大震災と比較すると、死者・行方不明者数は10万5千人で東日本大震災の約5倍、当時の日本の人口は今の半分程度なので人口比で見れば約10倍です。

被害総額は当時のお金で約55億円(現在の貨幣価値で約30兆円)。GDP比でなんと36.7%となり、東日本大震災(3.4%)の約10倍となっていたことが分かります。関東大震災はまさに国家存亡の機を招いた未曽有の自然被害であったといえます。

 関東大震災を起こした地震は、相模トラフにそったプレート境界で起こる海溝型巨大地震です。神奈川県全域と千葉県南部が震源域直上で、東京府はそれから外れた位置にあります。そのため、震源域直上の地域では広範囲が震度7の揺れに見舞われましたが、東京での揺れは震度5からせいぜい6程度でした。それにもかかわらず、被害は東京府(大半が東京市)が全体の約7割弱、神奈川県が約3割を占める結果となりました。震源域から外れているところで、大きな被害を出したのは実は東京市だけだったのです。

 その原因は地震直後から発生した火災でした。東京市で大火災が広がった原因はよく、地震が、昼食のために火を使う正午前に起こったことや、季節柄、台風崩れの低気圧の影響で10m/s近くの強風が吹いていたからだと指摘されますが、東京市の異常な被害の大きさはこれだけでは説明できません。

明治以降、もともと地盤が軟弱な江東地域が工業地帯となり人口が急増し、急速に木造密集市街地となったことに代表されるように、富国強兵の旗印の下で、道路や公園などの基盤整備を後回しにし、人口集中による木造密集地形成を放置した明治政府の都市政策の誤りが最大の原因であったと私は考えています。

 

2.その時の語り部(かたりべ)

 出典:日経新聞2023年9月1日














関東大震災100年 107歳が見た惨禍
 火災旋風「七輪・自転車舞う」

市川ふみ子さん(107)は、
関東大震災に伴う火災で約3万8千人が犠牲になったと言われる
旧陸軍被服廠跡(東京・墨田)の数少ない生存者の一人。
自身の体験などを講演などで語ってきたが、
3年前ほど前に入院し、今は寝たきりで会話が難しくなっている。

体験を伝え聞いた娘の飯田征子さん(79)によると、
1923年9月1日、ふみ子さんは体調を崩して学校を休んでいた。
昼食前の午前11時58分、「ドーン」と突然突き上げるような揺れが襲った。
両親や祖母ら6人と近くの被服廠跡に逃げ込んだ。
避難先で過ごしていると急に辺りが暗くなり。「竜巻だ」と叫ぶ声が響いた。
旋風で火の粉が飛び散り、その場の荷物に次々と燃え移る。
生後10か月の妹ら家族4人を失った。

ふみ子さんの体も飛ばされたが、落ちた場所に深い水たまりがあったおかげで、
火の海の中で命を取り留めた。

目の前には痛ましい光景が広がった。
多くの遺体が横たわり、移動するには遺体の上を歩くしかなかった。
ふみ子さんは「ゴメンナサイ、ごめんなさい」と言いながら歩いた。
足の裏に残った感触は何十年経ってもわすれられなかったという。
(中略)
ふみ子さんは、枕元には水を置き、食料や薬の備蓄も欠かさなかったという。

火災旋風の現象そのものは未解明の部分が多い。
征子さんは「大きな災害がいつまた起きるか分からない。
次の世代のために母の体験を伝えていくのが自分の役割だと思う」
と力を込めた。

 

3.福田村事件の恐ろしさ

上記のような大災害が発生して、
人心が異常な興奮状態だったのでしょう。
その頃、「朝鮮人が井戸に毒物を投げ入れた」
「放火して日本人を攻めてくる」
などの流言・デマが飛び交っていたようです。

そのために、
各地域の自警団等が朝鮮人を拘束するなどが起きていたのです。
数千人の無辜の人たちが犠牲になったという説もあります。

以下の福田村の事件はその一環です。
香川の人間なので、方言があったのでしょう。
それは冷静に確認すれば日本人かどうかは分かったはずです。
現に、福田村村長は日本人ではないか、と言っているのです。
それでも逆上している群衆はダメだったのです。

まさに、狂気の沙汰で非常に恐ろしいことです。
「おとなしい」日本人がそんなことをするのか!という感じです。
これらの事件が起きた背景には、1910年の韓国併合により、
韓国人とのいさかいが増えていた国民感情悪化もあったのですが。

以下のWikipedia情報だと、
当時の内務省から「デマ」情報が流れていたのです。
とんでもないことですね。

出典:Wikipedia
9月1日の関東大震災直後、
4日には千葉県にも緊急勅令によって戒厳令の一部規定が適用され、
同時に官民一体となって朝鮮人などを取り締まるために
自警団が組織・強化[4]され、村中を警戒していた。

『柏市史』によれば「自警団を組織して警戒していた福田村を、
男女15人の集団が通過しようとした。
自警団の人々は彼らを止めて種々尋ねるがはっきりせず、
警察署に連絡する」「ことあらばと待ち構えていたとしか考えられない」
という状況だった[5]

生き残った被害者の証言[3]によると、
関東大震災発生から5日後の1923年(大正12年)9月6日の昼ごろ[3]
千葉県東葛飾郡福田村(現在の野田市)三ツ堀利根川沿いで[3]
「15円50銭」などと言わせ、
休憩していた行商団のまわりを興奮状態の自警団200人ぐらいが囲んで
「言葉がおかしい」「朝鮮人ではないか」などと次々と言葉を浴びせていた[6]
福田村村長らが「日本人ではないか」と言っても群衆は聞かず、
なかなか収まらないので駐在所巡査が本署に問い合わせに行った。
この直後に惨劇が起こり、現場にいた旧福田村住人の証言によれば
「もう大混乱で誰が犯行に及んだかは分からない。
メチャメチャな状態であった」[3]

生き残った行商団員の手記によれば「棒やとび口を頭へぶち込んだ」
「銃声が2発聞こえ」「バンザイの声が上がりました」[7]
駐在の巡査が本署の部長と共に戻って事態を止めた時には、
すでに15名中、子ども3人を含めて9名の命が絶たれており、
その遺体は利根川に流されてしまい遺骨も残っていない[7]

かけつけた本署(松戸警察署野田分署[1])の警察部長が、
針金[8]や太縄で縛られていた行商団員や川に投げ込まれていた行商団員を「殺すことはならん」「わしが保証するからまかせてくれ」と説得したことで、かろうじて6人の行商団員が生き残った[7]

この事件の背景はこうなっています。同じ出典:Wikipedia
(因みに、本件をChatGPTに聞いたところ、以下の数行を伝えた上で、
詳細は該当のWikipediaを参照されたし、と言われました。賢明な回答です)

関東大震災朝鮮人虐殺事件 (かんとうだいしんさいちょうせんじんぎゃくさつじけん) とは、1923年大正12年)の日本で発生した関東地震関東大震災の混乱の中で、朝鮮人による略奪や追いはぎが発生し、自警団が結成された。「朝鮮人共産主義者井戸を入れた」というデマが流れ、それを信じた官憲自警団などが多数の朝鮮人や共産主義者を虐殺した事件である。正確な犠牲者数は不明であるが、論者の立場により、推定犠牲者数に数百名~約6000名と、非常に幅広い差がある[1]

震災後、すでに1日から、朝鮮人暴動の流言が流布しており、2日正午までには東京全市・横浜全市に伝わった[7]。これは住民の口伝えだけではなく、官憲の措置によるところも大きく、例えば、法学博士の上杉慎吉は、同年10月、『国民新聞』で、9月2日から3日にわたり、震災地一帯に流言が伝播し、関東全体が動乱の情勢に至ったのは、警察の「大袈裟なる宣伝」によるものとし、警察が「無根の流言蜚語を流布して民心を騒がせ、震火災の惨禍を一層大ならしめたるに対して」責任を負うべきだと指摘・批判している[8]

さらに、これを関東一円や他地域に伝播させたものとして、『横浜市史』は、例えば、当時、政府の通信文を全て打電していた海軍省船橋送信所が、9月3日午前8時、内務省警保局長より各地方長官に向けて次のように打電したことを挙げる[8][9]

東京附近の震災を利用し、朝鮮人は各地に放火し、不逞の目的を遂行せんとし、現に東京市内に於て爆弾を所持し、石油を注ぎて放火するものあり。既に東京府下には一部戒厳令を施行したるが故に、各地に於て充分周密なる視察を加へ鮮人の行動に対しては厳密なる取締を加えられたし。[8][9]

10月8日追記

本件に関する書籍が刊行されました。
佐藤冬樹氏著「関東大震災と民衆犯罪」(筑摩書房1980円)です。
10月7日の日経新聞書評にこういう紹介がありました。
冒頭著者は
「百年前の関東地方で、私たちの曽祖父や高祖父にあたる人びとは
なんということをしでかしたのか」と叫ぶように記す。
そのとおりです。

4.帝都復興事業の素晴らしさ

この大災害からの素晴らしい復興事業が行われました。
どなたの采配かは記述されていませんが、すばらしい見識ですね。
これも同じ日本人です。

出典:「関東大震災後の帝都復興事業と現在の東京」

震災後行われたのが帝都復興事業でした。
焼け跡に対して、耐震・耐火を前提に公共性を重視し、
国民的合意形成の下で、首都としてふさわしい品格のある街づくりを
東京は目指したのです。

1930年までの約6年半の間に、
現在の都心8区の大部分で土地区画整理を断行し、
幹線道路174本を含む街路の整備、
修繕補強の194橋を含め全部で576の橋が架けられました。
さらに、3大公園と52の復興小公園の建設、
117の復興小学校の建設なども行われました。

これらのほとんどが、のちの第2次世界大戦の空襲にも耐え、
戦後復興にも大きく貢献しました。
今でも都心8区の主要な道路や橋梁や公園は
帝都復興事業によるものが数多く使われ、都民の生活を支えています。

公園も3大公園の一つである隅田公園は、
隅田川を東西に挟んだ敷地に桜並木を擁する臨川公園として整備され
また復興小公園は、
第1の役割は当時の小学校の狭さを解消することで、
そのため復興小学校に隣接して造られました。
(上野注:ほースゴイいい考えですね)

3大公園は、当論文では隅田公園しか記載されていませんでしたので、
他の二つはどこだろうと検索してみましたが出てきませんでした。
そこで、ChatGPTに聞いてみました。

質問:「関東大震災後に作られた東京の3大公園はどこですか?その一つは隅田公園だそうです」
少し探していたようですが、回答が来ました。
関東大震災後に作られた東京の3大公園は、隅田公園、浜町公園、錦糸公園です1

そこで、「それぞれの公園について教えてください」 と聞きましたら
以下のような回答が得られました。便利ですネ。

隅田公園は、隅田川の両岸、台東区浅草、花川戸、今戸と墨田区向島にまたがる公園です。桜並木は、8代将軍・徳川吉宗の命で植栽された桜がルーツ12隅田公園にはピクニックができる場所がたくさんあります2.

浜町公園は、東京都中央区日本橋浜町二丁目にある中央区立の公園で、中央区の公園の中では最大の面積を誇ります。隅田川の河岸に面しており、新大橋から近い34.

錦糸公園は、東京都墨田区錦糸にある墨田区立の公園で、錦糸町駅に近く、周辺住民のみならず駅周辺の繁華街を利用する人にも利用されている56.

因みに、名古屋市の道路・街区は素晴らしいですが、
名古屋の市街化計画はこれを受けているのです。

5.敗戦後復興のだらしなさ
道路整備などの地域整備は、焼け野原のうちでないとできません。
その認識がなかった安井知事が、
都民の生活優先などという「ゴモットモ」な名目のために
後世に悔いを残すことをしでかしてくれたのです。
何を優先するかという判断は難しいですね。

出典:「関東大震災後の帝都復興事業と現在の東京」

帝都復興事業で生まれ変わったはずの東京が100年後の現在、
再び首都直下型地震の脅威に怯えているのはなぜでしょうか。

東京市15区は昭和7年に35区(現在の23区の範囲)に広がりましたが、帝都復興事業の都心8区は別にして、
主にその外側で戦後にかけてスプロール化が進み、
地震危険度が高い「木密地域」が再び広がってしまいました。

道路や公園等の都市基盤が不十分なことに加え、
老朽化した木造建築物が多いことなどから
首都直下型地震の脅威を高める要因となっているのです。

当初、東京市は市域の拡大に際し、
1930年から1943年にかけて、
新市域の全域にわたって「細道路網」として
幅10m前後の都市計画道路をきめ細かく決定しましたが
計画は進みませんでした。

終戦当時には、東京は「東京戦災復興計画」を策定し
その計画を進めようとしました。
ところが残念なことに、
戦後窮乏する都民の衣食住の確保を最優先すべきとする
安井誠一郎知事がこれに反対し、計画を握り潰して仕舞いました。

このため、東京都は都市整備が進まないままに昭和30年代を迎え、
深刻な交通渋滞を背景に東京五輪の誘致で起死回生を図ろうとしたのです。

注:都心8区は、千代田、中央、港、新宿、文京、渋谷、品川、目黒、です。私も住んでいる品川は、都心という感じはしませんが。

5.付録:その時の都市計画を今頃実現しようとする愚かさ

ところが、ここ10年ほどになって、
都は、終戦直後の道路計画を実現しようという
愚かな行動を始めているのです。

終戦直後の抜かりを、今頃リカバリしようなどという考えでしょうか、
時代錯誤もいいところです。

以下に若干その説明をいたします。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
いくつかの地区でその道路建設(多くは拡幅工事)計画が進められています。
私が住んでいる家も補助29号線の拡幅対象に入ってしまっています。

多くの住民が反対しています。
建設認可を取り消せという訴訟も起こしていますが、
第1審はすべて敗訴(申請却下)です。
行政訴訟の勝率はごく低く数%なのです。
司法が行政におもねているのです。
判決理由は
原告側の主張を精査することなく、
「訴えられている処置は行政の権限範囲を越えているとまでは言えない」
というようなものです。

道路建設(拡幅工事)の理由として行政側は、
当初は交通事情の緩和を言っていましたが、
対象地区は現在も大きな渋滞は起きていませんし、
将来の自動車交通量減少の動向を踏まえると
その理由は通りません。

そうすると、次は災害時の延焼防止効果を言い出しました。
道路は広い方が延焼防止効果は大きいでしょうが、
飛び火もありますから絶対ではありません。

原告側は、こういう主張をしています。
絶対ではない延焼防止効果のためぬ600億円も使うのは不当である。
それだけのお金を使うなら、
耐火建築への建て替えの補助をした方が効果的である。
第一、阪神淡路大震災の死者をみても、
ほとんどが圧死であり、火災による死者は少ない、火事の被害は大きくない。
公共の福祉のためという大義名分がないことのために
住民を追い出すのはとんでもない。
ーーーーーーーーーーーーーーー
6.首都高速建設の便宜主義
これも価値観の優先順位の問題です。
東京がパリや京都のような品格ある都市でなくなっているのは悲しいことです。 

出典:「関東大震災後の帝都復興事業と現在の東京」
5.の続きです。
その際、経済優先で効率化を進めるという名目の下に、帝都復興事業で世界に誇れる公園とされた隅田公園の上に高速道路を通したり、昭和通りの中央に合ったグリーンベルトを潰して立体交差の道路にしたり、水辺を破壊し多くを高速道路の通り道として、明治の明橋日本橋や帝都復興事業で特に力を入れてつくられた江戸橋を、こともあろうに高速道路の高架下に押し込めてしまいました。

帝都復興事業で実現を目指した首都としての品格は、空襲を受けた後、戦後の東京では復活することなく今に至っています。


6.付録:神宮外苑再開発の愚
あの神宮外苑の再開発事業が行われようとしています。
事業者側はいいことづくめを並べていますが、
その事業の内容を知った識者が反対をしています。

緑がどうなるかの問題以外に、高層ビルを建てる計画のようです。
オフィス用にしろ住居用にしろ、これ以上首都圏の人口を増やすことは
日本のためにならないのです。

都の役人たちは、前掲の5.付録にしても、本件にしても
将来を見通した見識というものが全くないのでしょうかね。
嘆かわしいことです。 

1.再開発事業当事者の意見では、
以下のようにいいことづくめで緑も増えるような表現です。

【三井不動産の広報サイトの記述】
1)神宮外苑地区のシンボルである4列のいちょう並木を始めとした豊かなみどりの保存・継承と新たな樹林地の創造により、地区を南北に貫く「みどりの散策路」を整備

2)既存の老朽化したスポーツ施設を、競技の継続に配慮しながら段階的に建て替え、
にぎわいを形成する施設と併せて次の100年に繋がる国際的な文化とスポーツの拠点として整備

3)広場や緑地などのオープンスペースを整備することにより地区内の歩行者の回遊性向上やイベントによるにぎわい醸成をするとともに、広域避難場所としての活用による防災性向上に寄与

4)青山通りやスタジアム通り沿道の特性に応じた機能の複合・高度化を図り、周辺環境との調和に配慮しながら魅力的な複合市街地を整備

5)将来的なタウンマネジメントの役割を担う準備組織を設置し、市民参加型イベントなどの活動を計画予定


2.反対者の意見はこうなっています。

1)日経新聞9月23日 中央大学機構教授 石川幹子氏の解説
「(前略)しかしいま。全国各地の公園で、樹木の大量伐採が進行している。
典型的事例が東京の神宮外苑で、都市計画公園の指定を削除し
高層ビルを建設する再開発事業が開始され、
3千本以上の樹木の伐採が目前に迫っている。

音楽家の故坂本龍一さん、作家の村上春樹さん、浅田次郎さんらが異議を唱え、
桑田佳祐さんは「Relay杜の詩」を発表した。

ユネスコの諮問機関である国際記念物遺跡会議(イコモス)は、
都市の緑の伐採が文化的遺産の崩壊を招くと、
緊急声明「ヘリテージ・アラート」を発した。


2)日経新聞9月16日 神宮外苑再開発「中止を」
(略記します)イコモスの関係者らが、15日、
東京都千代田区の日本記者クラブで記者会見した。

国際文化的景観委員会のエリザベス・ブラペック委員長は、
オンラインで参加し
「将来の世代のため、事業を直ちに中止することを呼びかけたい」
と述べた。

イコモスは、再開発で文化的遺産が危機に直面しているとして、
緊急要請「ヘリテージ・アラート」を7日に公表。
三井不動産奈との事業者に計画の撤回を、
都には環境影響調査(アセスメント)の再審議を求めた。

 

7.100年目の想定被害 
今度、首都直下型地震が起きたらどうなるかについては、
以下の情報がありました。
やはり、被害は大きいのです。

出典:2023年9月1日日経新聞
 関東大震災100年 防災の日

M7クラスの首都直下型地震の発生確率は、
今後30年以内に70%とされる。
政府の被害想定によると、最悪のケースで死者は約2万3千人、
経済被害は約95兆円、とされています。

政府は火災対策の進捗やタワーマンションの増加を踏まえ、
被害想定の見直しに着手する。

以下は別の出典

1.阪神淡路大震災の被害
阪神淡路大震災の被害はこうでした。
死者数は6,434人に及び、
高齢者、低所得者、外国人などが多く犠牲になったとされている。
1)震災による死亡者の9割以上は死亡推定時刻が当日6時までとなっており、
  ほとんどが即死状態だったとされている。

2)死因のほとんどは、家屋の倒壊や家具などの転倒による圧迫死だった。

3)火災、精神的ショック、閉じ込めによる死者や、
  病院で人工呼吸中の患者が停電による酸素供給停止による死亡例も
  報告されている。

2.首都直下型地震の被害想定 
 出典;2022.8.6日テレNEWS
 「東京都が公表した首都直下地震の新たなシナリオ」

■電気は広域で停電し、計画停電が続く場合も!


 「都心南部直下地震」での停電率の分布図

「都心南部直下地震」での停電率の分布図

震度6弱以上の地域では、電柱が傾斜・転倒するうえ配電線が
切断されるなどして停電します。

さらに発電所が運転を停止すると、需要に対し供給能力が不足
することになってより広範囲な地域で停電が発生。
最悪、ブラックアウトになる可能性すらあり、
復旧までの期間が長期化する見込みです。
地震から1日ほど経つと、
非常用電源で電力を維持してきた避難所や各事業所でも燃料が
枯渇して停電が拡大します。

一方、電力会社は社会的影響を考慮して、
都心の3つの区など首都中枢機能を担う地域などを優先して
電力供給を再開しますが、
その他の地域では計画停電が行われる可能性があります。

地震から数日経つと、
全国の電力事業者間で電力の融通も行われて復旧が進みますが、
供給力を超える需要が続いている場合は大規模な計画停電が
継続される可能性があります。
さらに想定では、
発電所等の設備に珍しい希少な部品が含まれている場合、
部品調達に数か月がかかり復旧がさらに長期化すると
指摘しています。

そして1か月ほどのうちには発電所の多くが復旧し、
停電はほとんど解消される見込みです。
しかし、発電所を稼働させるには大量の水が常に必要ですが、
発電所に水を供給している工業用水が止まったままになった場合、
発電所も復旧できないことになってしまいます。

■断水は1か月近く続き、
下水管の損傷でトイレも使えなくなる!
「都心南部直下地震」での断水率の分布図









「都心南部直下地震」での断水率の分布図

上水道は揺れの強い地域や液状化した地域を中心に断水します。
管路の被害によって23区部で約3割、
多摩地域で約1割の水道が断水する想定です。
断水が起きた地域では火災が起きても消火栓などを用いた
初期消火が困難となります。
給水車や災害時給水ステーションなど給水拠点では給水活動が
開始されますが、
断水世帯数が多いため水を求める人が殺到して
長蛇の列となる場合もあります。

地震から1日経っても断水は継続。
さらに、停電エリアでは、被災していない浄水施設でも
非常用電源の燃料が枯渇した段階で機能が停止し、
断水世帯が拡大して長期化することになります。
地震から1週間経っても水道の復旧は遅く、
23区部で約2割、多摩地域でも一部で断水が継続している
としています。

1か月後にはようやく水道管の復旧がほぼ完了して
断水は概ね解消される見込みです。下水道も強い揺れや、
液状化によって下水管が損傷したり、
マンホールが地表に浮上したりなどの被害が発生。
都内全体の数%が被害を受けて下水道の利用が困難な状況
となります。

下水道が使えなくなると、トイレの使用にも支障が起きます。
地震からある程度たつと、
停電エリアにある水再生センターやポンプ所などの下水道施設では
非常用発電機の燃料がなくなった段階で運転停止となり、
下水が使えなくなります。

ようやく1か月後には管路の応急復旧が完了し、
下水道利用の制限が概ね解消される見込みです。

■ガスの全面復旧にも1か月ほどはかかる・・・

「都心南部直下地震」でのガスの供給停止率の分布図








「都心南部直下地震」でのガスの供給停止率の分布図

ガスについては、揺れの大きな地域では安全措置が作動して
広域的に供給が停止。
「都心南部直下地震」が起きた場合には都内全体で
約24%の利用者への供給が停止されるとしています。
また、各家庭にほぼ100%設置されているマイコンメーターが
震度5弱程度以上の揺れを感知すると自動でガスを遮断します。
ガスの供給が停止されたものの被害がないことが確認された
ブロックでは、地震発生当日中に供給が再開されます。

しかし、揺れの大きかった地域では建物内や家庭内のガス管が
被災している場合があり、
一戸一戸個別に安全点検・復旧作業が必要で、
多くの利用者がこの作業が完了するまでガスが利用できなくなります。
1日から3日が経つと、全国のガス事業者から応援が派遣され、
ガス管の復旧が開始されます。ただし、社会的影響を考慮し、
首都中枢機能を早期に回復させるための復旧作業が優先的となります。

さらに災害拠点病院、防災拠点などについても、
優先的な復旧や臨時供給が行われることになっています。
1週間ほど経ってもすべての利用者の安全点検や復旧作業は
終了できず、一部の利用者への供給停止が継続し、
1か月後になってようやく多くの地域で供給が再開される想定です。

■鉄道は1か月後には約6割が運転再開へ


鉄道の被害については、
これまでの地震での被害を例にとった想定では、
新幹線は線路1kmごとに最大で約5箇所の中小被害が発生。

また、JR在来線や私鉄では都内の鉄道施設のうち
最大で約2%で中小被害が発生するということです。
揺れの大きかった地域では、
鉄橋や高架橋における橋脚の被害のほかに盛土部などで
線路の湾曲が発生、
さらに液状化に伴う電柱の傾斜や火災に伴う架線の焼失も
発生するとみられています。

地震から1週間後には新幹線は全線運行を開始すると想定しています。

一方、JR在来線、私鉄、地下鉄の各路線では、
復旧作業が進められるものの、
被害の大きな区間を中心に多くの区間で運行停止が継続し、
バスによる代替輸送が開始されます。しかし、
大量の輸送需要には対応しきれず、
出勤困難や帰宅困難の状況が継続します。

そして、
1か月後には震度6弱以上の強い揺れが発生した地域でも、
約6割の区間が復旧し、順次運行を開始するとしています。
ただ、周辺状況も含めどの程度の被害が生じるのか想定が難しく
被災状況によっては被害が大幅に増加し、
復旧期間が長期化する可能性があるとしています。

■主要道路は緊急自動車専用路となり交通規制へ

道路の被害は
「都心南部直下地震」が起きた場合に最も被害が大きくなり、
高速道路では都内の橋脚の約9%に中小被害が発生し、
一般道路では中小被害が数%発生するとしています。
そして震度6弱以上の地域では、道路沿いの建物が倒れるほか、
電柱、信号機、歩道橋なども倒壊、火災による交通支障も発生、
液状化によって陥没や隆起による段差ができるほか
マンホールなどが飛び出してきます。

さらにトンネルの天井の落下なども発生し、
至るところで道路が寸断、通行が不能となる想定です。
特に木造住宅密集地域では、建物被害が顕著で車両による
移動は困難となる見込みです。

緊急輸送道路については沿道の建物の耐震化が進められていて、
道路沿いの建物の全壊棟数は都内全体で最大約80棟と
見込まれています。特に震度6強以上のエリアでは、
特定緊急輸送道路においても沿道で建築物の倒壊が発生して
交通支障につながる可能性もあります。

道路の規制も行われます。
高速道路は一般車両の流入が規制され、
高速道路を走行していた車両は直近の出口から一般道路に出るように
誘導されますが、
すべての車両が出るまでには少なくとも半日以上かかります。
一般道では環状七号線で内側の都心方向に入ろうとする
車両は通行禁止となり、
環状八号線から都心方向へは車両の通行抑制が実施されます。
そして、国道4号、17号、20号、246号、目白通り・新目白通り、
外堀通り、高速自動車国道・首都高速道路などが
「緊急自動車専用路」となり、一般の車両は通行できません。

数日後には主要な道路は一部の区間を除いて応急復旧が進み、
緊急輸送道路は概ね通行できるようになります。
しかし、通行できるのは緊急通行車両の標章が交付されている
車両だけで、民間企業の活動再開の本格化を踏まえて
緊急通行車両標章発行の対象となる車両が徐々に拡大されます。

1か月後になっても生活物資・復興物資の輸送の円滑化のため、
国道などでは一部区間で 交通規制が継続します。
区市町村道や生活道路では、道路の復旧作業が継続する想定です。

■燃料不足が深刻化する恐れも

地震で製油所や油槽所が被災し、
ガソリンなどの石油燃料が不足することが見込まれています。
製油所の大半はある程度大きな揺れによって緊急停止します。
東京周辺の製油所が稼働を停止した場合、
都内への供給が滞ることになります。

さらに沿岸部の埋め立て地に立地する油槽所では、
揺れや地盤の液状化などで船舶の接岸が困難となり、
燃料の出荷や受入機能が停止してしまいます。
ガソリンスタンドでは地震発生直後、
設備の倒壊や損壊などにより営業不能となるところがあります。

また、大規模停電が発生した場合は、
自家発電設備を備えていない給油所では給油が行えなくなります。
1日から3日経つとタンクローリーやタンカー、
鉄道によって被災地に向けた燃料の輸送が開始される見込みですが、
被災状況によっては燃料の到着までにかなり時間がかかる
ことになります。
場合によっては災害対応車両への燃料が不足する事態も
覚悟しないといけません。

停電が3日間以上続いた場合には、
災害拠点病院などの非常用電源の燃料や暖房用灯油が不足し始める
ことになります。
燃料の在庫切れや給油が滞ると、
自動車だけでなく暖房設備や給湯機器なども動かなくなります。
そして避難所などへの物資輸送や、
被災施設などの応急復旧作業を行う車両の燃料が不足し始め、
トラックなどの燃料も不足して物流が停滞・遅延することになります。

ガソリンスタンドには長い行列ができますが、
なかなか給油してもらえない状況になります。
自宅が被害を受けなかった人たちにも
こうしたライフラインのストップや燃料不足は重くのしかかり、
物流がストップすることで食料品などの必要な物が入手できない
事態が起きてしまうのです。

こうして物資不足の状況が継続すると、先行きへの不安などから、
過剰な買い溜めなどが発生し、
物資の不足に一層拍車がかかることになると指摘しています。



8.100年目の防災訓練
そこで防災訓練が行われています。
新聞では、政府(岸田総理以下)、都(小池知事以下)、東京消防庁、
オフィスビル、成田空港での訓練の様子が報道されました。

しかし、より重要なのは助ける側の訓練ではなく、
個人個人がどう対応するかです。

阪神淡路大震災や東北大震災の経験を踏まえて、
各家庭でも地震対策が進んでいます。
1.家具の転倒防止
2.地震時の隠れ場所確保
3.頭巾・手袋等の確保
4.非常食の用意
5.非常用の水の確保
6.使用中の火のオフの準備
などです。

ですが、抜けてならないのは、
非常時に家族はどこに集まるかを決めておくこと、
お互いの連絡方法(スマホ・ケータイが使えない時にどうするか)を
確認しておくこと、です。

後者については、災害用伝言ダイヤルの利用法を知っておく必要があります。
その利用手順はこうなります。

録音のとき
 117→1→自分または伝えたい相手の電話番号→メッセージ
再生のとき
 117→2→メッセージを聴きたい電話番号→聴く

ただし利用できるのは、固定電話(避難所に設置される電話を含む)、
NTTドコモの携帯電話、それ以外のいくつかの携帯電話です。
それ以外の携帯電話で利用できるかどうかは、
「使用している携帯電話事業者に問い合わせてください」
ということですから、事前に確認しておきましましょう。


9.緊急地震速報

地震が発生したときにいち早くその発生をしらせてくれる、
緊急地震速報についての情報をお伝えします。
出典は、学士會会報2023-Ⅴ号掲載の「進化する緊急地震速報」
(山田真澄京都大学防災研究所地震防災研究部門准教授著)です。











「地震発生が何秒か早く分かったところで、どうにもならない」
と思っていましたが、その解説があり納得できました。 

緊急地震速報は、地震波形データを迅速に解析し、
強い揺れが来る前にいち早く地震の発生を知らせる警報システムです。
緊急地震速報は2007年10月から一般市民向けに配信が始まり、
テレビやラジオ、携帯電話を使って配信されてきました。

最初はかなり精度が低かったことの説明あり。

予測方法の進化の説明
震源と観測点の揺れから震源と規模を想定し、予測点の震度を予測するIPF法から、
多くの観測点の揺れから予測点の揺れを予測するPLUM法
(PLUMは梅で、まだ松竹梅の梅の段階であるという命名だそうです)に進化した。
 

























緊急地震速報は、地震の被害を減らす特効薬ではありません。

むしろ、速報を受け取ってから数秒で一体何ができるのか、
と有効性を疑っている方もいると思います。

緊急地震速報は、人間への警告というよりも、
機械の自動制御への貢献が大きいと考えています。
たとえば、新幹線などの高速鉄道は、
強い揺れに襲われれば脱線などの大被害に見舞われます。

地震発生の情報をいち早く受け取ることができれば、
少しでも列車を減速させ、脱線の可能性を下げることができます。
他にも、精密機械やエレベーターなど、
誤停止のリスクが低く被害が発生したときのリスクが大きいシステム
にも有効です。

我々のグループでは、IPF法をさらに発展させて、
気象庁のデータだけでなく様々な地震観測網のデータに適用することができる拡張IPF法を開発しています。

この手法は、入力データの形式によらないため、
日本だけでなく海外の地震観測網にも利用することができます。
緊急地震速報は世界の地震大国で注目が高まっており、
日本のシステムを海外へ展開させる可能性を秘めています。
(上野注:地震大国日本の面目躍如となってほしいですね)

 

10.地震予知
緊急地震速報よりも地震予知の方が重要です。
地震予知に関わっている方も非常に多いと想定されます。

地震予知に関しましては、多くの情報がありますので、
ChatGPTに聞いてみました。その回答はこうなっています。

質問:地震予知はどの程度進んでいるのでしょうか。

回答

地震予知に関する研究は、日本では昭和40年から地震予知計画の下で推進されてきました1。これまでの研究により、地震発生に至る地殻やマントルの活動に関する理解が進み、地震発生の準備過程をモデル化し、地殻活動の推移予測を行うことを目指してきました1

しかし、地震予知は非常に困難な課題であり、現在も完全な予知は困難です。地震の発生場所や規模、発生時期を正確に予測することは一般的に非常に難しいとされています2

日本では、国土地理院が全国約1300か所に設置した電子基準点のGPSデータなどを使って地表の動きを捉え、異常変動や隆起・沈降、水平方向の動きなどを総合的に分析することで地震予知に取り組んでいます2

また、村井俊治・東大名誉教授が主宰する「MEGA地震予測」では、国土地理院のデータを活用して地表の動きを監視し、地震発生の準備過程を解明しようとしています2

これらの研究により、地震予知の精度は向上していますが、まだ完全な予知は困難です。今後も研究が進められることで、より高精度な地震予知が実現される可能性があります。

1文部科学省 - これまでの成果と今後展望 2朝日新聞デジタル - 地震予知の最新ニュース


最後に、文部科学省のレポートが紹介されています。
たしかに、ここには詳細な報告があります。
しかしそのすべては、地表の微細な動きから地震の兆候を掴もうとしているのです。
その成果は今のところ、上がっていないということです。

今のところ、94年12月の実験で95年1月17日の阪神大震災を予告した」
と言われる中国成都の「地震おばさん」に敵わないのです。

冗談はさておき、新たな地震予知法を発見された方がいます。
「日本人の脳」で有名になられた角田忠信博士です。
以下の約10年前のブログでご紹介しました。

この予知の原理は、地表の動きから察するのではなく、
地磁気の変化から察するのです。
なぜそういう研究をしないのか?と、
この10年前のブログでも問題提起しています。 

出典:20141124上野則男のブログ: 南海トラフ大地震はいつ来るのか?? (uenorio.blogspot.com) 

人間にもそういう予知能力があるのではないか、
という説を唱えたのは
「日本人の脳」で有名な角田忠信先生です。
角田先生は東京医科歯科大学の
難治疾患研究所聴覚機能疾患部門の教授でした。

角田先生は、こういう発見をされています。

外国人は、言葉の子音を大脳左半球言語脳で処理し、
母音を意味のない音と捉え右半球で処理するが、
日本人は両方とも左半球言語脳で処理する
(正確に言うと10歳くらいまで日本語の環境で育った人)
 

ところが、大脳左右半球の優位が、
外部的要因によって左右逆転することがある
(脳幹スイッチ機能と称する)。

40ヘルツ・60ヘルツとその整数倍の音を聞く場合逆転が起きる。
同様に、自分の年齢の周波数の整数倍の音で逆転が起き、
誕生日に加算される。
(この機能を利用するとその人の年齢を知ることができる。
脳の年輪と称される)
 

これらと同様に、地震前の地殻変動によっても逆転が起き、
地震発生直後に正常に戻る。

地磁気の変化を察するのであろうと想定されている。
この部分については「脳センサー 地震の可能性を探る」
に詳しく発表されています。
 

先生の把握された過去の例では、

1)1985年10月4日の
 M6.1の茨城県地震(東京も震度5)の際に、
 同年8月29日に
 ある男性の被験者で「年輪系」の異状を把握した。

2)1986年2月12日の
 茨城県沖地震(東京は震度3)の際に
 1月31日に数名の被験者で「年輪系」の異状が把握された。

 いずれも地震発生1時間後くらいまでには異状は解消された。

これで見ると、
15日~35日以内の直近で予測ができていることになります。

これは、前掲の日本地震学会の定義では、予知に入ります。

なぜこのような素晴らしい可能性ある方法を実用化しないのでしょうか。

それは、学界や専門家の壁です。
地震の予知をしたい人は多数います。
それは地震学会に所属している先生方です。

この先生方は、何でもいいから予知をしたいというのではなく、
自分の専門領域の研究成果としてやりたいのです。
たとえば、西村先生(当ブログで紹介)は地殻変動です。
角田先生がいくらスゴイ予知方法を見つけたとしても、
そんなことに加担する気はサラサラないのです。

角田先生は、ご自分の専門領域での研究をしておられて
偶然予知方法を見つけられたのです。

では、どの先生方が角田先生の発見を評価するのでしょうか。
耳鼻咽喉科のお医者さんたちは評価しませんね。

たまたま興味を持たれた専門家がおられたとしても、
角田先生と同じような実験をするには、
正確な音源を発信できる装置、その音を聞き取る装置
などの知識が必要です。

当時の学界では、
この実験は、最近話題になった小久保さんの実験のように
再現不能ということで抹殺されてしまったのです。

誰かお金持ちのスポンサーが現れて
大々的に実用化する方法を探求したら
地震予知方法として確立できたと思われます。

今からでも可能でしょうが、先生は1926年生まれで、
ご存命かどうかは不明です。

我々は、20年ほど前に、先生の講演会も開催し、
「角田先生にノーベル賞をとっていただく会」
を立ち上げようとした時もありました。

本業優先でその会ができなかったことが悔やまれます。
 

 

番外編:107年ぶり全国大会優勝 慶応高校

ご承知のように、
全国高等学校野球選手権夏の甲子園全国高校野球選手権で慶応高校が
107年ぶりの優勝をしました。

多くの方は、そんな前からこの大会があったのか?と思われたでしょう。
この大会は1915年に第1回が開催されているのです。

慶応普通部(慶応高校の前身)は、
2016年の第2回大会で優勝しているのです。
2023年大会は第105回ということですから
107年ぶりというのと計算が合わないということになります。

本来なら109回なのです。
4回少ないのは戦争で1942年から45年まで4年間、
中断したからです。

その4回以外に、計画して中止になったのが、以下の3回あります。
 1918年 米騒動
 1941年 戦争
 2020年 コロナ
      (やはり、コロナは「画期的」なことだったのですね)

それはともかくとして、
慶応高校の優勝は107年ぶり以外に話題性がありました。

それは、森林貴彦監督の指導方針で、
「髪型自由」「長時間練習なし」をはじめ、
従来の高校野球らしさとは一線を画す指導方針でした。

どうしてそれで猛練習の他校に勝てるのでしょうか。
その前例は箱根駅伝優勝の青学を率いた
原晋監督の指導方針に通ずるものがあります。

「考える」「自主性」「主体性」が大事なのですね。
ビジネスでも同じことなので、
新入社員研修ではどの会社でもそのことを指導するのですが、
徹底できないのはダメ上司がいるせいです。
監督と選手しかいない集団はその点有利です。

いずれにしても、
慶応高校の優勝は大会歴史上も非常に意義あることでした。
あらためて、関係者のご努力に敬意を表します。

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