2021年5月6日木曜日

「ふしぎな社会」??

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 「ふしぎな社会」の一部をご紹介します。
ねらい: 
 
「社会学」の基本の基本をおさらいするために
 「ふしぎな社会」(文庫本で880円です)をお読みください。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

本項は、橋爪大三郎東京工業大学名誉教授著「ふしぎな社会」
のご紹介です。














副題に「いちから考える社会学の最良の入門書」とあります。
本書は2014年10月に刊行されたものが、
2021年3月に文庫本になったものです。

著者の社会学の定義はこうなっています。

社会科学は、社会から法則を取り出して、解明します。
経済学の場合。経済の法則は市場の中で働きます。
法学の場合。法律は社会の一断面です。
社会学の場合。社会の一部を切り取るのではなく、
社会を丸ごと考察します。
社会学者は、一段高いところに立たずに、
観察する自分と、観察される人びとを区別しません。

人間が社会を生きていくとき誰もがぶつかる問題を、
社会学は、残らず正面から受け止めるのです。
そうすると、あまりきれいに法則を取り出せません。
その代わりに、社会を生きる人間の真実の姿の、
いちばん深いところまで考えることができます。
それは、哲学ともつながっているし、
文学や、心理学や精神分析や、歴史学やーーともつながっています。
科学と、科学でない世界の境界ぎりぎりのところを、
科学の側から考えていくのです。

社会学は大勢の人びとの共通点にこだわります。
そこに法則性があって、科学の方法で解明できると考えます。

そういう社会学の視点から、
本書では以下のようなテーマを取りあげています。
「とは何か」が解説されているのです。

言語、戦争、憲法、貨幣、資本主義、私有財産、
性、家族、結婚、正義、自由
死、宗教、職業、奴隷制とカースト制、幸福

これらのテーマについては、成熟した社会人は、
自分なりにその答えを持っています。
私が知らない面があったのは、「憲法」でした。
一般的には、こういう理解でしょう。
「国の統治の根本規範となる基本的な原理原則に関して定めた法規範」

本書ではこういう解説がありました。
1)憲法の元祖は、1776年に成立したアメリカ合衆国憲法である。
 その後それを倣ってフランス革命後のフランス共和国憲法ができた。
2)これらの憲法は、国民が国に対して「こうあるべきだ」
 という要求でつくられたもの、
 他の法律は、憲法を受けて
 国が国民に対して「こうでなければならない」と定めたもので
 国民と国の関係が逆である。

なるほどそうなのですね。
そうすると、明治憲法も戦後の日本国憲法も、多くの他の国の憲法も
この2番目の条件を満たしていない擬制なのです。

今の日本国憲法は、多くの国民にとって内容に関しては、
自衛権などを除いてあまり違和感はありませんが、
「自分たちの憲法」ではなく、
「国の憲法」だという疎外感があるのはそのせいなのですね。

「性」については、こういう記述です。

性とは、体と体の関係、のことです。
人間は生きていますが、それは人間の体が生きているのです。
体を持っていない人間はいません。
人間は何人もいますから、体もたくさんあります。
その体と体の関係は、この社会にとって、
もっとも基本的な出来事のひとつです。
ゆえに、性という現象は、この社会にとって、
最も基本的な現象に違いありません。
性の根本は、人間が「生まれる」ということです。
(上野注:何を言いたいかよくわかりません)

親子の関係、(こどもの)あそび、愛を表現する、暴力とは
(「暴力も広く考えれば、性の一種です。どうしてかと言うと、
それは、体と体の関係だからです」)、家族の性(セックス)、
男と女、異性愛と同性愛、
という解説の後で、以下の記述があります。

【性は恥ずかしいか】
性について、人間の特徴をもうひとつあげると、羞恥心があります。
人前で性にかかわる体の一部を明らかにしたり、
性にかかわることを口にしたりするのは、よくないという感覚です。

これは動物と比べるとはっきりします。
動物は交尾を隠すということをしません。
人間は羞恥心があって、親密な関係を、ほかの人びとから隠そうとします。
これはたぶん、人間の場合、家族と家族より大きな群れ(社会全体)とが、
区別されていることに関係があります。
親密な男女は家族をつくって、群れの全体から自分たちを隔てるのですね。
それで、家族の外の人びとに対するときには、
家族の中の人びとと対するときとちょっと違った行動をする。
みんなに見られてもいいように。
つまり社会というものは、それでも、性から切り離されているものなんです。

その合図として、服を着るのも、人間の特徴です。
社会の場では服を着ている。
そして親密な間柄では、服を脱ぐ。
服を着ていれば、恥ずかしくないのです。
いまは社会モードだという意味になります。
そして服は、男性と女性の区別があります。
服だけでなく、髪型とか、動作とか、男性と女性のしるしがいろいろあります。
これは、男性と女性を間違えないようにという意味です。
間違えたら、大変だったんですね。

ここまでのことは、社会の基本の基本だから、誰も不思議に思いませんけれど、
よく考えてみると、とっても不思議です。
なぜそうなっているのか、誰に聞いてもうまく説明できません。

そんなことはないでしょう!私はこれについてこう考えます。

羞恥心について
「恥ずかしい」とは「そのことを人に知られたくない」という感情です。
対象は、自分の体の特徴だけでなく、自分の性格なども含みます。
「知られたくない」という感情は、知られてしまうと、
開き直りでもう恥ずかしくなくなります。
家族や親密な間柄では、「恥ずかしい」は卒業してしまうのです。
したがって、知られたくないことがオープンになった「身内」と
それ以外を区別するのです。
家の外で身づくろいをするのは、何かを隠すためです。

別項の「私の名前を知って」の主人公は、
性暴力事件の証拠固めのために恥部の詳細写真を撮られました。
それが裁判の場で公開されると、
それを見られることが恥ずかしくなくなりました。
知られてしまうと、その社会(仲間)の中では恥ずかしくなくなるのです。

男女の服装
間違えたら困るので服装などを変えているのではありません。
異性の関心をひくように、男女は形をつくるのです。
これは「動物」としての基本条件です。
著者も言われるように、
その体と体の関係は、この社会にとって、
もっとも基本的な出来事のひとつです、なのです。

私は、その「ひとつ」ではなく、
最も基本的な出来事そのものだと思います。
動物本能の中では、
種族の維持本能が個体の維持本能(生きること)より優ることは、
蜂や蟻の世界で示されています。
雄バチは女王バチとの接合に成功すると直ちに死んでしまいます。

女性はズボンよりもスカートがセクシィです。
私はお年寄りのスカートを見ると、
「この人はまだその気があるな」と思います。

いくつになっても異性に関心がある証拠を示します。
1)2020年2月19日
田中カ子さんは、「好きなものは何ですか」と聞かれて、
「そりゃあんた、オトコだよ」と答えてインタビュアをビックリさせました。

2)老人ホームで、男を巡り女性同士がもめて刃傷沙汰になった事件が
(何度か)報道されています。

髪型だって化粧だって、同性よりも異性を意識しているのです。
男性の髪型が女性化してきたのは、
そういう髪型を好む女性がでてきているからです。

皆さまそう思われませんか?


0 件のコメント: